47話霧の谷へ
「ええ〜またお出かけ〜? つまんな〜い!」
「またかぁ……すぐ帰ってきてね!」
朝の修道院の中庭には、旅支度を整えたケンイチとその仲間たち、そして子どもたちの不満と寂しさの声が飛び交っていた。
ケンイチは少し困ったように微笑み、子どもたち一人ひとりの頭を優しく撫でていく。
「ごめんな。今回はちょっと遠いけど、ちゃんと戻ってくるよ。今度はお土産も買ってくるからさ」
「やくそく!」
「うん、約束だ」
寂しげに手を振る子どもたちを背に、ケンイチたちは修道院の門を後にした。
同行するのは、旅のたびに支えてくれるセラフィーナ、頼れる三姉妹――エスメラルダ、ベアトリーチェ、フェリシア、そして神の使いであるミコ。
「今回は“水”が鍵になるわね」
セラフィーナがマントの裾を翻しながら言う。
「原因不明の病と聞けば、水源か食物のどちらかが疑わしい。濾過装置を持ってきたのは正解だわ」
エスメラルダが持参した帳面を開き、村の地図を確認していた。
「食料もちゃんと詰めた。あと薬草もな!」
フェリシアが得意げに大きなリュックを叩く。
「魔石も揃ってるし、最悪ドラゴンよんでもいい」
ベアトリーチェが冗談めかして笑うと、ミコがふわりと微笑んだ。
「今回の地は、古より“神域”とされてきた場所。…嫌な気がするのです」
ミコの言葉に、ケンイチは表情を引き締めた。
「無事であればいいが……それでも、行くしかない」
マジックボックスの中には、緊急時用の食料、濾過装置、薬品、清酒と白酒、エールの原材料、試験用の蒸留装置など、必要な道具がすでに収められていた。
ケンイチの酒聖スキルと、三姉妹の手際の良さで、準備に抜かりはない。
旅路の空は快晴。
だが、東へ向かうにつれて、風が湿り気を帯びていく。
「……あれが、“霧の谷”」
セラフィーナが指差したその先に、昼間だというのに靄が立ちこめ、影のような村がぼんやりと見えていた。
山道は次第に険しくなり、足元には濡れた落ち葉が積もり、湿気を帯びた空気が肌にまとわりつく。
「このあたりから霧が濃くなるんだな……」
ケンイチが足を止め、周囲を見回す。
木々の合間から立ちのぼる白い靄が、静かに一行を包み込んでいく。
「見通しが悪くなる前に、足元の植物を見ておくのがよさそうだね」
セラフィーナがそう言うと、三姉妹も動き出した。
「この葉っぱ、見覚えある……現世で言うならカキドオシに近い薬草だな」
エスメラルダが摘み取りながら言った。
「こっちには《月露草》があるぞ。夜の露でしか育たない草らしい」
ベアトリーチェは地面すれすれの草に目を細めながら慎重に根を掘り起こす。
「ふわふわの葉っぱなの〜。乾かしたら枕にできそう」
フェリシアは見つけた苔を頬にすり寄せて笑った。
ケンイチは、崖の近くに自生していた赤紫のつぼみを手に取る。
「この香り……発酵香に似てるな。うまく使えば香り付けに使えるかも」
自分の分野に関係する素材には、どうしても興味が湧いてしまう。
一方で、道中には魔物の姿もちらほら見られた。
「……来るぞ。右から三体」
ベアトリーチェが言うと同時に、茂みから牙をむいた獣型魔物が飛び出してくる。
「またか……でも、数は少ないし、大丈夫だろ」
ケンイチが後ろへ下がり、三姉妹に任せる体勢をとる。
エスメラルダの剣が正確に急所を突き、セラフィーナの魔法で足止めされた敵を、フェリシアが風で吹き飛ばす。
ミコが肩をすくめながらも、霊符を片手に控えていた。
戦いはほんの数分で終わり、再び平穏な時間が戻る。
「それにしても、この辺りの魔物はどれも様子がおかしい」
セラフィーナが魔物の体を調べながら言う。
「うん、目の焦点が合ってなかった。霧の影響か、それとも……」
ケンイチは険しい顔で答える。
「もうすぐだよ。この先を越えたら、谷の入り口に着くはず」
ミコが静かに霧の向こうを指さす。
一行は再び足を進める。
霧はさらに濃くなり、音も吸い込むような静けさに包まれていった。
その谷に、何が待っているのか――
ケンイチたちはまだ知らなかった。




