『小説家になりたい』運営本部
その部屋に、窓はなかった。
壁一面を埋め尽くすモニターが、淡い青白い光を放っている。画面の中では、無人の新宿の街を、数十人の作家たちが、それぞれの場所で動いていた。戦っている者。身を潜めている者。パソコンに向かって、必死にキーボードを叩いている者。
運営は、八時間交代の三チームで、二十四時間、この部屋を絶やさない。日勤、夕勤、そして夜勤。四日目が終わったばかりの午前0:10。夜勤チームへの引き継ぎが済んで、部屋の空気は、ようやく落ち着いたところだった。
水無瀬は、コンソールの前に座って、ひとつのモニターを見つめていた。
二十代半ばの、若い女性スタッフだった。ヘッドセットを首にかけ、片手にはペン。画面の中の作家が、新しい表現を口にするたびに、手元のメモに、何かを書きつけている。
そこへ、背後から、紙コップがひとつ、差し出された。
「コーヒー、どうだ」
「あ、真壁さん。ありがとうございます」
三十代後半くらいの男が、立っていた。
仕立てのいいシャツの袖を、肘まで無造作にまくっている。柔らかい笑みを浮かべているが、目の奥は鋭い。この部屋にいるだけで、周りの空気が、少し引き締まる。仕事ができる人間だと、一目で分かる男だった。
「プログラムの調子は、どうだい」
「順調です」
水無瀬は、モニターに目を戻しながら答えた。
「4日が終わって、ありきたりな武器や防具、魔法は、ほとんど使い倒されました。累計の使用済み表現は、そろそろ1500件に届きます」
「もう、そんなにか」
「はい。でも、そのおかげで、ようやく、作家ごとの独自の表現が出始めたんです。ここから先が、面白くなってきますよ」
水無瀬の声には、仕事の疲れよりも、純粋な楽しさが滲んでいた。
「戦い方に、その人の人生が出るんです。今日なんて、会社員時代にエレベーターの閉ボタンを連打した記憶で、逃げ切った人がいて」
「それは、ちょっと見たかったな」
真壁は、笑って、自分のコーヒーに口をつけた。
「それより」
水無瀬は、椅子ごと振り返った。
「真壁さんのほうは、どうなんですか。恋愛部門の準備は、進んでるんですか」
「ああ。なかなか順調だよ」
「3ヶ月後、でしたよね」
「ああ」
今回のプログラムは、『ファンタジー部門』。
小説投稿サイト『小説家になりたい』が、今回からジャンルごとに順番に開く、新人発掘のプログラムのひとつ。
3ヶ月後には、恋愛を書く作家を対象にした『恋愛部門』が、開かれる予定になっている。真壁は、その責任者のひとりだった。
「恋愛部門は、戦闘がないんですよね」
「恋愛だからな。誰かを倒す必要は、一切ない」
真壁は、紙コップを手の中で回しながら言った。
「最優秀者は、王子に求婚された人だ」
「王子……ですか」
「舞台は、中世ヨーロッパ風の王国。参加者は全員、最初は、ただの町人として始まる」
「町人から」
「最初にやってもらうのは、自分の容姿の設定だ。自分の見た目を、500字以内の文章で、書いてもらう」
「500.字で、自分の見た目を」
「そう。仮想世界では、その文章どおりの姿で過ごすことになる。だから男性作家でも女性として参加できる」
水無瀬は、目を丸くした。
「じゃあ、最初の時点から、筆力が試されるってことですか」
「そういうことだ。どう書けば、読んだ人の頭に、美しい姿が浮かぶか。顔の造作を並べるだけじゃ、足りない」
「うわ、それ、書く人にとっては、地獄ですね」
「だから、面白い」
真壁は、口の端を上げた。
「スタイルのいい美女だらけになりそうですね」
「あぁ。だから、どれだけ他と差別化できるような印象を作れるかもポイントだ」
「ホクロの位置とかだけでも変わりますからね」
「そのあとは、自分の魅力をアピールしていくか。ここも、戦闘と同じルールだ」
「一度使った表現は、二度と使えない、ですか」
「求愛の言葉も、褒め言葉も、使えば使い切りだ。同じ表現では、好感度は上がらない」
「……きついですね」
「全員が町人から始まって、いろんな男たちを魅了して、評判を上げていく。評判が一定を超えると、王宮から使者が来る。そこから、王子に近づく流れだ」
「評判って、どうやって決まるんですか」
「ファンタジー部門と同じ数字を使う。PVと、ブックマークと、評価のベースだ。あとは町人たちへの表現で自分を好きにさせるか」
「HPの代わりに、評判として出るんですね」
「ああ。人気のある作家は、最初から、町の男たちの注目を集めやすい。数字が少ない作家は、まず、振り向いてもらうところから始まる」
「それは、不利ですね。ブックマークも評価も、新人には、簡単に増えない数字なのに」
「そこだ。その不利を、表現で覆せるかどうか。そこも、見たいところなんだ」
「……意地悪ですね」
「いい作家は、数字だけじゃ、測れないからな」
真壁は、少しだけ眉を寄せた。
「ただ、王宮に入ってからが、問題でな。王子は、ひとりしかいない」
「あ……」
「参加者全員と、話すなんて、物理的に無理だ。どうしても、順番が回ってこない作家が出る。それは、アンフェアになる」
「王子を、複数にするのは?」
「考えた。でも、それだと、王子に選ばれたという特別さが、薄くなる」
「たしかに……」
「今は、そこをどうするか、悩んでるところだ」
水無瀬は、小さくうなずいた。
「どっちの部門も、お互い、大変ですね」
「まったくだ」
二人は、顔を見合わせて、苦笑した。
水無瀬は、コンソールの脇に積まれた書類に目をやって、小さくため息をついた。
「それにしても、お金、かかりすぎじゃないですか」
「ん?」
「あの繭みたいな装置だけでも、相当ですよ。二週間、参加者全員の健康管理をして、体のケアもして、終わったあとのメンタルケアまで。ここ数日、請求書の束を見て、頭が痛いです」
「ははは。経理の連中が、泣いてるだろうな」
真壁は、肩をすくめた。
「でもな、水無瀬。今の小説業界は、それだけの金を、かける価値があるんだ」
「価値……」
「ひとつの作品が、コミカライズされて、人気が出て、世界配信のアニメになる。そうなれば、利益は、桁が違う。何十億にも、何百億にもなる」
真壁の声は、穏やかだった。
「そういう作品を書ける作家を、見つける。そして、育てる。そのための、プログラムなんだよ。装置も、ケアも、全部、先行投資だ。最後に選ぶのは、上の人たちだけどな。俺たちの仕事は、いい作家を、いい形で見せることだ」
「……分かってはいるんですけど」
水無瀬は、苦笑した。
「ただ、今のところ、目ぼしい作家は、三人くらいしかいませんけどね」
「三人?」
「ええ。HPの高さだけじゃなくて、表現の幅も含めて。この数日、見ていて、そう思いました」
水無瀬は、コンソールを操作した。モニターのひとつに、HPの一覧が、順位順に表示される。
「その一人は、天城レイか」
「もちろんです。若手の天才ですよ、天城レイは」
水無瀬は、一覧の最上段を、指でなぞった。
「でも、天城レイさんは、一位じゃないんです」
「……ほう」
真壁の眉が、わずかに動いた。
「一位は、誰だ」
「それが、よく分からないんです」
水無瀬は、声を落とした。
「ほとんど戦ってないんですよ。表にも、出てこない。でも、数字だけは、毎日、確実に、増え続けているんです」
「……天城レイを、超えてるのか」
「はい」
真壁は、しばらく、一覧を黙って見つめていた。
「……面白いな」
ぽつりと、言った。
「そいつが、どう動くか、楽しみだ」
「戦ってないのに、ですか?」
「戦わない選択肢も、ルールの中にはある。それでも、数字だけが上がり続けてる。そこが、気になるんだ」
モニターの向こうでは、作家たちが、今夜も、キーボードを叩いていた。
戦いのあとで、減ったHPを抱えながら。ネットカフェで、会議室で、路地裏の暗がりで。誰に頼まれたわけでもなく、ただ、書き続けている。
「みんな、まだ、書いてますよね」
「ああ」
「戦いで、疲れてるはずなのに」
「だから、面白いんだ」
真壁は、画面のひとつひとつを、ゆっくりと見渡した。
「この経験を活かして、化けるやつが、出てくるかもしれない。短い間に、これだけ、言葉と向き合うんだ。普通の何年分にも、なる」
その横顔には、期待が滲んでいた。
数字の上でしか見えない才能が、本物の才能に変わる瞬間を、待っている。
そんな目だった。
「さて」
真壁は、紙コップを置いた。
「そろそろ、俺は戻るよ。王子問題を、もう少し考えないとな」
「応援してます」
「ありがとう。水無瀬も、無理するなよ」
真壁が、部屋を出ていく。
水無瀬は、再びモニターに向き直った。
画面の中で、また新しい表現が、ひとつ生まれた。
彼女は、それを、メモに書きつけた。




