10話 表現の幅、発想の幅
翌朝。
三人は、昨夜のうちに、別の雑居ビルのネットカフェに移っていた。天城レイに居場所を突き止められる危険を、少しでも減らしたかった。
「私は、午前中は執筆と投稿に専念するわ。HPが、まだ全然戻ってへんし」
葵は、ドリンクバーでコーヒーを淹れながら言った。視界の左上の数字は、まだ低いままだ。
HP 12/53
「二人は、無理せんといてな」
「戦うつもりはない」
朔人は、うなずいた。
「他の参加者の動きを、遠くから見る。それだけだ」
「見つかったら、逃げる。基本は、それよ」
カナが、淡々と付け加えた。
「戻ったら、見たもの、全部教えてな」
「ああ」
*
新宿の街は、今日も無人のように静かだった。
朔人とカナは、人影を避けながら、西新宿の高層ビル群のほうへ歩いた。
「戦わないと決めるだけで、街の見え方が変わるな」
「そう?」
「昨日までは、角を曲がるたびに、誰かが出てくるんじゃないかと、身構えてた」
「今も、出てくるかもしれないわよ」
カナは、涼しい顔で言った。
「角を曲がって、はち合わせたら、お互いの数字が見えるでしょう。HPは、相手の顔か全身が目に入った瞬間に、頭上に浮かぶもの。距離が離れていても、同じ」
「ああ。声だけとか、影だけとかじゃ、見えないんだよな」
「そう。だから、見ているだけなら、先に見つけたほうが勝ち。向こうが気づく前に、こっちだけが、向こうの数字を読めるの」
「逆に、見つかったら」
「こっちの数字も、読まれるわ。居場所と一緒にね」
朔人は、うなずいた。見られなければ、数字は知られない。隠れていることが、そのまま、武器になる。
二人は、通りの人気を確かめながら、一棟のオフィスビルに入った。
無人のロビーに、エレベーターが並んでいる。
「使う?」
「……階段で行こう」
「あら、エレベーターの人が」
「しばらくは、見たくない」
カナが、肩を震わせて笑った。
十二階まで階段で上がり、窓際に近づく。
けれど、窓の正面には立たなかった。ブラインドを少しだけ指で開け、その隙間から、外を覗く。窓の前に人影が立てば、地上から見上げた誰かの目に、映ってしまうかもしれない。
眼下に、広い通りが見えた。人影は、まばらだった。それでも、数ブロック先の交差点に、いくつかの動きがある。
全身が視界に入った相手の頭上には、距離があっても、数字が浮かんだ。
「あそこ」
カナが、小声で指をさした。
交差点の真ん中で、背の高い青年が、誰かと向き合っている。青年の頭上の数字は。
HP 1,342
「1,000を超えてるわね」
「ああ」
青年の右手に、細く長い光が伸びた。剣だ。相手に向かって、まっすぐに振り下ろす。相手の足元が、爆ぜた。
遠すぎて、何を言っているのかは、聞こえない。口の動きも、豆粒のようにしか見えない。
「……剣が出てる」
朔人は、呟いた。
「剣って言葉は、もう、誰かが使い切ってるはずなのに」
「レイと同じよ。言葉を使わずに、形にしてる」
カナは、ブラインドの隙間に、目を寄せた。
「あの人、口が動いてる時間が、長い。きっと、長い詠唱で、威力を上げてるタイプね」
「口の動きで、分かるのか」
「だいたいはね。ギャグ書きは、間の取り方を見る癖があるの」
別の方向でも、動きがあった。
大通りの向こうで、髪の長い女性が、杖のような光を掲げている。彼女の頭上の数字は。
HP 1,210
女性の周りに、水の柱が、何本も立ち上がった。次の瞬間、その水が、一斉に凍りつく。氷の槍の群れが、前方に向かって飛んでいった。
「水と、氷」
「どっちも、言葉としては、とっくに使い切られてるはずなのに」
「別の言い方で、出してるのね。『凍てつく』とか、『澄んだ』とか、そういう周りの言葉を、うまく重ねて」
カナの声は、感心しているように聞こえた。
「しかも、あの人、連続で撃ってる。一発ごとに、表現を変えてるのよ」
朔人は、息を呑んだ。
一発ごとに、違う表現。それだけの引き出しが、あの人の頭の中には、あるのだ。
(……みんな、どれだけ言葉を持ってるんだ)
言葉が減っている、減っている、と、自分たちは嘆いていた。けれど、あの人たちは、その中で、まだ戦っている。
そのとき、剣の青年が、ふと、顔を上げた。
視線が、ビルの上のほうへ、ゆっくりと流れてくる。
朔人は、反射的に、半歩下がった。カナが、朔人の袖を引いて、ブラインドの陰に引き寄せる。
二人は、息を止めた。
もし、あの青年の目が、この窓にいる誰かの姿をとらえたら。こちらの数字は、向こうに、丸見えになる。
数秒が、やけに長かった。
やがて、青年は、視線を外して、別の方向へ歩き出した。
「……見られてない」
「たぶんね」
カナが、小さく息を吐いた。
「窓の正面に立ってたら、危なかったわ」
「ああ」
朔人は、額の汗をぬぐった。
「あっちも、見て」
カナが、また別の方向を指した。
ビルの谷間の路地で、小柄なフードの人影が、立っていた。顔は、フードに隠れて見えない。それでも、全身が視界に入っているせいで、頭上の数字は、読み取れた。
HP 1,096
その人影は、剣も、炎も、使っていなかった。ただ、静かに、何かを唱えている。
すると、足元の影が、むくりと盛り上がった。
影の中から、獣が、這い出してきた。
「……狼?」
黒く、輪郭の滲んだ狼が、三体。牙を剥いて、相手に向かって、駆けていく。
フードの人影は、動かない。腕を組んだまま、後ろで見ているだけだ。
狼たちが、相手を取り囲み、襲いかかる。相手は、必死に表現を唱えて、狼を払っている。
「召喚……」
朔人は、思わず、声を漏らした。
「自分で、戦ってない」
「そうね」
カナの目が、鋭くなった。
「表現ひとつで、戦う存在を作り出してる。しかも、本人は、無傷」
朔人は、窓枠に手をついた。
その方法は、考えたこともなかった。
自分の言葉で、剣を出す。炎を出す。それが、戦い方だと思い込んでいた。けれど、怪物を作り出して、戦わせる。自分は、一歩も動かず、相手の体力を削る。
「……あれは、強いな」
「一分で消えるはずだけど、一分の間、攻撃を肩代わりしてもらえるのは、大きいわ」
カナは、静かに続けた。
「それに、あの狼を倒しても、本人には、傷がつかない。相手は、本体に近づけないまま、消耗していく」
朔人は、胸の奥が、少し冷えるのを感じた。
ああいう戦い方をする作家と、真正面からぶつかったら。
けれど、同時に、胸の奥で、別の何かが、疼いていた。
(あの方法を、使えれば)
しばらく、二人は黙って、通りを見下ろしていた。
レイほどの強敵は、見当たらなかった。けれど、HP1,000を超える作家が、三人もいる。それぞれが、まったく違う戦い方をしている。
「今日は、これで十分ね」
カナが、ブラインドから離れた。
「戻りましょう。葵ちゃんに、全部、伝えないと」
*
昼過ぎ。
ネットカフェの受付で、二人を迎えた葵は、満面の笑みで手を振った。
「おかえり! 見て、見て!」
葵の頭上の数字が、目に入る。
HP 51/92
「……増えてる」
「午前中に、投稿を三本したんよ。そしたら、PVが、ちょっとずつ動いて」
葵は、マイページの画面を、二人に見せた。
総PV 520。ブックマーク 3。評価、星5つ。
「ブックマーク、1から3になったんよ! しかも、一つは、知らん人!」
「よかったな」
「ほんまに、よかった……」
葵は、嬉しそうに、画面を抱きしめた。
「数字は、まだ小さいけど。朝の12から、こんなに戻るなんて、思ってなかった」
「あなたの話の、小さな引きが、効いたんじゃないかしら」
カナが、柔らかく微笑んだ。
「畑の隅に、見たことのない芽。あの一文を、足してから、続きを読んでくれる人が、増えたのよ」
「そうなんかな」
「そうよ」
三人は、顔を見合わせて、静かに笑った。
それから、朔人とカナは、今日見てきたものを、葵に話した。
HP1,000を超える作家が、三人いたこと。剣や炎、氷、水が、言葉を使わずに、形になっていたこと。ひとりが、狼を召喚して、自分は戦わずに相手を削っていたこと。それから、ブラインドの陰で、息を止めた数秒のことも。
葵は、真剣な顔で聞いていた。
「……長い詠唱の人は、口封じが、よう効くと思う」
最初に口を開いたのは、葵だった。
「詠唱の途中で、口を閉じられたら、不発になるやろ。長いほど、狙える時間が、長いってことやん」
「確かにな」
「それと、狼の人。召喚する人は、唱えたあと、本人は動かへんのやんな? それなら、唱えてる最中が、いちばん無防備や」
朔人は、目を見開いた。
「……唱えてる最中に、封じるのか」
「うん。そしたら、そもそも、狼は出てこおへん」
葵の観察は、的確だった。
数日間、物陰から人の戦いを見てきた葵には、相手の癖や、隙が、見えているのだ。
「じゃあ、私は、何ができるかしら」
カナが、顎に指を当てた。
「私は、攻撃の表現が苦手。でも、召喚なら、話は別かもしれないわ」
「どうしてだ」
「召喚は、攻撃の言葉というより、登場シーンを書くことに近いでしょう? キャラクターの登場なら、私は、毎日書いているもの」
「……確かに」
「たとえば、ものすごく人懐っこい、大きな犬」
「犬」
「体は、小さな家ほどあるの。相手を見つけたら、嬉しくて嬉しくて、全力でじゃれついてくる。本人に悪気はないのだけれど、体重が、ざっと三トン」
朔人は、思わず、想像した。
HP数千の強敵が、巨大な犬に押し倒されて、なすすべなく下敷きになっている光景を。
「……効きそうだな」
「でしょう? 相手の動きを止めて、ダメージも入るわ。私の得意な、笑える登場シーンで」
カナは、少しだけ得意げに笑った。
「それなら、朔人くんは、どうする?」
葵が、朔人を見た。
「俺は、一撃を担当する」
朔人は、少し考えてから、答えた。
「カナさんと葵が、相手の動きを止めてくれたら、体験から出た表現で、一気に削る。昨日の切り札は、借り物の言葉だったけど、あれは、もう使わない」
「体験から、出す……」
「ああ。会社員時代の記憶は、まだ、いくらでもある」
朝礼。稟議書。月曜日の朝の、あの空気。残業が続いた夜の、帰り道。
それぞれが、頭の中で、表現の種になって、浮かんでくる。
「経験の棚卸しを、しておく必要があるな」
「それ、ええな」
葵が、うなずいた。
「私も、自分の暮らしの中から、守りの言葉を、もっと探してみる。ばあちゃんの家には、まだまだ、あったかいもんが、あるしな」
「私も、登場シーンの引き出しを、増やしておくわ。攻撃の言葉も、少しは練習しないとね」
三人は、顔を見合わせた。
それぞれの戦い方が、少しずつ、形になってきていた。
封じる者。止める者。削る者。
「まずは、あの三人のうち、誰かで、試してみるのがいいかもしれない」
「長文詠唱の、あの青年かしら」
「口封じの練習になるしな」
葵が、にっと笑った。
朔人は、窓の外を見た。午後の光が、ビルの谷間に、長い影を落としている。
その影の先で、誰かが、また、新しい言葉を、口にしているのだろう。
自分たちも、あの場所に、立つことになる。
朔人は、小さく息を吸った。




