11話 3人の連携
夕方の都庁前広場は、橙色に染まっていた。
高層ビルの窓ガラスが、沈みかけた太陽を、いくつも、いくつも跳ね返している。広い石畳には、長い影が、斜めに伸びていた。人の気配は、ない。
朔人は、その広場の真ん中に、ひとりで立っていた。
視界の左上の数字を、確かめる。
HP 230/257
(……情けない数字だな)
それでいい、と、朔人は思った。
今から、この数字を、見せるのだ。
*
作戦は、午後のうちに決めてあった。
「まず、ダメージの考え方を、整理しとこ」
ネットカフェの机で、葵が、メモ帳に二つの数字を書いた。
『隕石 2000』
『虫眼鏡 100』
「朔人くんの隕石は、2000。大陸をも割る質量が、そのまま直撃したから」
「カナさんの虫眼鏡は、100。細い光が、肩を焦がしただけだったから」
「つまり、表現そのものが強いわけじゃないんだな」
朔人が言うと、葵は、うなずいた。
「うん。表現が長いとか、独自とか、綺麗とかで、ダメージが増えるんやない。出てきた武器や魔法が、どこに、どれだけの力で当たるか。そこで決まるんよ」
「同じ剣でも、肩を斬るのと、心臓を突くのとでは、数字が全然違うわね」
カナが、付け加えた。
「殴るのも、同じ。腕の力と、当たる場所で変わるわ」
「じゃあ、表現が長くなるのは、何のためなんだ」
朔人が尋ねると、カナは、指を二本立てた。
「ひとつは、すでに使われた表現を、避けるため。もうひとつは、出した魔法の威力を、底上げするため。『一トン』とか『十階建て』って足すのは、後者ね」
「何が出てくるのか、はっきり書いた表現のほうが、ちゃんと体現されるしな」
葵が、補足した。
三人は、その方針で、表現の種を、いくつも用意した。
「それと、相手のHPの見え方や」
葵が、指を立てた。
「HPは、顔か全身が見えたときに、相手の頭上に浮かぶ。逆に言えば、見えてへんかったら、数字は読まれへん」
「だから、まず誰か一人だけが、姿を見せるの。あの青年が、その人の数字を読んで、『こいつは弱い』って思ってくれたら」
「その間に、残りの二人は、彼の死角に回り込む」
カナが、淡々と続けた。
「姿を見られていない私たちのHPは、彼には読めない。仲間がいることにも、気づかないわ」
「囮か」
「私のHPは51や。私が出たら一発で終わってまう可能性が高い」
葵が、苦笑した。
「カナさんは、HPが七百以上もあるから、見た瞬間に、警戒されるでしょうね」
「その点、朔人くんなら、HPは二百台。弱そうに見えるし、表現によっては数発なら耐えられる」
朔人は、うなずいた。
「……俺が、適任だな」
「ひどい言い方やけど、その通りや」
「……分かってる」
三人は、顔を見合わせて、小さく笑った。
*
広場の北側から、足音が近づいてきた。
ゆっくりと、一定の間隔で。
朔人は、息を整えた。逃げたくなる足を、地面に縫いつける。
ビルの影から、背の高い青年が、現れた。
午前中、十二階の窓から見た、あの青年だった。
長い黒のコートに、片手には、古びた革表紙の本を抱えている。まるで、図書館から抜け出してきたような男だった。
彼の目が、広場の真ん中に立つ朔人を、とらえた。
その瞬間、朔人は、自分の頭上に、視線が貼りつくのを感じた。
読まれている。
青年は、朔人の頭上を一瞥して、小さく、鼻で笑った。
「HP二百と少し。……この時間に、広場の真ん中に出てくるなんて。迷子かな」
「…………」
「悪いけど、脱落してもらうよ。僕は久遠ソウタ。『星降る図書館の守人』という作品を書いている。脱落して現実世界に戻ったら読んでみてくれ」
HP 1,412
ソウタの頭上の数字が、朔人の視界に浮かぶ。午前中に見たHPより、70ぐらい上がっている。
この数時間で70も…。
それだけで、このソウタが只者ではないことが伝わってきた。
(1,412……。一人で戦えば、かなりきつい)
朔人は、拳を握った。
(でも、一人じゃない)
「ロゴス」
青年が、静かに、唱え始めた。
「百年のあいだ、誰にも開かれなかった閉架書庫の、いちばん奥の棚で、背表紙の剥げた一冊の本に挟まれたまま、眠り続けていた、細く、長く、銀色に褪せた栞が——いま、主の手に引き抜かれ、一閃の光となり…」
長い。
やはり、長い詠唱だ。
(……素材、薄さ、長さ。切れ味に関わるものを、ひとつずつ積み上げてるのか)
ただ飾っているのではない。使われていない言葉を探しながら、刃の威力を、底上げしているのだ。
朔人は、地面を蹴った。
唱え終わるまでに、数秒かかる。その間に、距離を詰めて、仕掛ける。
(先に、決める……!)
「ロゴス」
朔人は、走りながら叫んだ。
「会社の倉庫の最上段まで積み上げられた、中身の詰まった、総重量一トンの段ボール箱の山が、棚ごと崩れ落ちる——頭上から、降り注げ!」
ソウタの頭上の空が、茶色く染まった。
段ボール箱が、数十個、雪崩のように降ってくる。青年は、とっさに両腕で頭を庇った。中身の詰まった箱は、肩に、背中に、腕に、次々と叩きつけられ、石畳が、ごつごつと凹んでいく。
「ぐっ……!」
ソウタの詠唱が、途切れた。
HP 1,412 → 1,262
(150……)
一トンの箱が、五メートルの高さから落ちた。それでも、150。頭は庇われ、首も、急所も、外れている。狙いが外れれば、こんなものだ。
朔人は、足を止めずに、横へ跳んだ。
直後、ソウタの右手に、銀色の光が閃いた。栞のように薄く、剣のように長い、光の刃が、完成したのだ。
一閃。
風を裂く音とともに、朔人の頬の横を、細い光が、通り過ぎた。
背筋が、凍る。
ほんの数センチ、ずれていたら。
「……やるね。ただの迷子じゃ、なかったか」
ソウタが笑った。
笑いながら、刃を、構え直す。
「ロゴス」
朔人は、息を吸って、次の言葉を叫んだ。
「時速百キロで走る電車が、そのまま正面から突っ込んでくる——」
何も、起きなかった。
空気が、揺れない。言葉が、喉の奥で、空回りする。
(不発……!)
誰かが、先に使っていたのだ。
「残念」
ソウタが、一歩、踏み込んだ。
刃が、横薙ぎに、朔人の胴を狙う。朔人は、地面に転がり込んで、石畳を滑った。ぎりぎりで、刃が、頭の上を通り過ぎる。
立ち上がりざま、朔人は、叫んだ。
「ロゴス!」
「月曜日の朝、会議室の扉を開けた瞬間、全員の視線が、一斉に自分へ突き刺さる——その視線の一本一本が、細い針になって、全身に降り注げ!」
ソウタの周りの空気が、きらりと光った。
数百本の、細い針が、四方から、ソウタの体に降り注ぐ。針は、コートの裾を、袖を、襟を、石畳に縫いつけた。肌に届いた針は、ほんのわずかだ。ソウタの動きが、ぴたりと止まる。
HP 1,262 → 1,212
(50……)
針は、細い。急所を狙ったわけでも、ない。動きを止めるための、表現だ。
けれど、青年の動きは、確かに、止まっている。
「……面白い表現だ。しかも、この仮想世界でかなり戦い慣れてるね。HPの低さに油断していたら、危ないということだね」
ソウタは、縫いつけられたコートを、ゆっくりと引き剥がした。
「次は、こっちの番だ」
ソウタは体勢を立て直しながら、短く唱えた。
「ロゴス。頁をめくる風のように、薄く、鋭く——」
何も、起きなかった。
「……使われていたか」
ソウタが、初めて、わずかに眉を寄せた。
お互いに、言葉が、尽きかけている。それを、朔人も、ソウタも、分かっていた。
「やはり、使われていない表現なら、長いのでいくしかないな」
ソウタは、光の刃を下げて、大きく、息を吸い込んだ。
その口が、長い詠唱のために、大きく開かれた、瞬間だった。
「ロゴス!」
広場の柱の陰から、声が飛んだ。
「ばあちゃんが毎年、漬物の樽に置いていた、あの重たい石が——その口の上に、そっと載る!」
ソウタの口の前に、灰色の大きな丸い石が、ふわりと現れた。
石は、そのまま、ソウタの唇に、そっと蓋をする。
声が、消える。
「……!?」
ソウタの目が、大きく見開かれる。
柱の陰から、葵が、飛び出していた。
「今や! 効果は、一分やで!」
「ああ!」
朔人は、ソウタに向かって、まっすぐ駆けた。
背後から、もう一つ、凛とした声が響く。
広場の南側の、地下通路の入口から、カナが、姿を現した。
「ロゴス。公園で、飼い主を見つけた子犬が、全力でしっぽを振りながら、まっしぐらに飛びついてくる——体重三トン、小さな家ほどの大きさで、いま、ここに!」
地面が、揺れた。
広場の端から、巨大な影が、跳ねるように駆けてきた。
犬だった。
小さな家ほどもある、茶色い毛並みの、大きな大きな犬が、舌を出して、しっぽをぶんぶんと振りながら、突進してくる。
「……えっ」
ソウタの目が、丸くなった。
声を封じられたソウタは、唱えられない。それでも、右手の光の刃は、まだ消えていなかった。先ほどの詠唱の効果が、残っているのだ。
ソウタは、迫る犬に向かって、刃を振るった。
けれど、犬は、止まらなかった。
全力で、飛びつく。
どすん、という、地響きのような音がした。
ソウタの体が、石畳に押し倒される。
犬は、ソウタの胸の上に、巨大な前足を乗せた。三トンの重みが、肋骨を軋ませる。
「……っ、……!」
HP 1,212 → 952
(260……!)
三トン。段ボール箱の三倍の重さが、胸の上に、のしかかっている。それでも、骨を砕くほど、叩きつけているわけではない。
「本気で押さえつけたら、もっと入るのだけど」
カナは、涼しい顔で言った。
「この子は、遊んでるつもりなのよ」
犬は、ソウタの顔を、ぺろぺろと舐め回している。ソウタは、必死に、体を起こそうとしていた。
「朔人くん、あと四十秒!」
葵が、叫んだ。
朔人は、青年の目の前に、立った。
頬を、細い光が、掠める。
HP 230 → 197
熱いような痛みが、一瞬だけ走る。痛みは、感じないはずなのに。
(33。……かすっただけで、これか)
あの刃が、胸に届いていたら。致命傷だ。復活に払えるHPが、自分に残っているのか。……考えたくもなかった。
(——それでも、かまわない)
「ロゴス」
朔人は、息を吸った。
頭の中に、灰色の建物が、浮かぶ。
三年間、毎朝、通い続けた会社の、自社ビル。十階建て。エレベーターが一基しかなくて、朝は、いつも、満員だった。
「三年間、毎朝くぐり続けた、十階建ての自社ビルが、土台から引き剥がされて、頭上に倒れてくる——押し潰せ!」
空が、暗くなった。
見上げた先に、灰色の巨大な影が、浮かんでいた。ビルだった。窓ガラスが、夕陽を反射して、きらきらと光りながら、ゆっくりと、傾いていく。
地面が、唸った。
轟音が、広場を飲み込んだ。傾いたビルが、ソウタの全身を、真上から押し潰す。石畳が、波打つように割れ、砂埃が、天高く舞い上がった。
HP 952 → 262
(690……!)
朔人は、数字を見て、息を呑んだ。
十階建てのビルが、全身に、のしかかった。それでも、あの隕石の、三分の一ほどだ。
けれど、今までのどの攻撃よりも、はっきりと、重い。
「あと、262や!」
葵の声が、弾んだ。
「カナさん、もう一押し!」
「分かったわ」
カナは、深く息を吸った。
「ロゴス。満員の寄席で、とっておきのオチが決まった瞬間の、会場全体の、爆笑の音が——まとめて、ぶつかる!」
目に見えない音の壁が、空気を波打たせながら、青年の体にぶつかった。
青年の膝が、がくっと折れる。
HP 262 → 222
「……40ね」
「十分や!」
「音は、押すだけで、貫けないもの。やっぱり、攻撃は難しいわね」
苦笑するカナの横で、朔人は、ソウタの頭上の数字を睨んだ。
HP 222。
あと、少し。
「葵、あとどれくらいだ」
「二十秒! もう、口封じが切れるで!」
「さっきのビルを、あと一回やれば、終わる数字だ」
朔人は、そう言った。
勝てる。
朔人は、そう思った。
三人の連携が、初めて、噛み合った。封じる者。止める者。削る者。
あと一撃で、終わる。
「カナさん、もう一度、犬を——」
朔人が、カナのほうを振り返った。
その瞬間だった。
空気が、凍った。
「ロゴス」
静かな女性の声が、頭上から降ってきた。
「絶え間なく押し寄せる白い奔流が、崖から落ちる途中で、一瞬のうちに凍りついた、長さ三十メートルの透明の彫刻が——その先端を下にして、真下へ落ちる!」
見上げると、広場に面した、ガラス張りのビルの屋上に、人影が立っていた。
長い髪が、夕陽に透けている。
杖のような光を、まっすぐ、こちらへ向けていた。
その先から、白く輝く、巨大な氷柱が、空を切り裂いて、落ちてきた。
「カナさん——!」
朔人は、叫んだ。
けれど、間に合わなかった。
氷柱の先端が、広場の石畳を砕き、そのまま、カナの左の脇腹を、深くえぐった。
砕けた氷が、爆ぜるように、飛び散る。
カナの体が、宙に浮いて、石畳に叩きつけられた。
「カナちゃん!」
葵の悲鳴が、広場に響く。
カナの頭上の数字が、一気に動いた。
HP 732 → 347
(385……!)
鋭い先端が、体を貫いたのだ。もう少し、中央に寄っていたら。致命傷と判定されていたかもしれない。
「……っ、く……」
カナは、石畳に倒れたまま、なんとか、顔を上げた。生きている。けれど、立ち上がれない。
その瞬間、犬の姿が、霧のように、消えた。
召喚主の意識が、乱れたのだ。
犬の下から、青年が、ゆっくりと、体を起こした。
口を封じる石も、ちょうど、消えた。
青年は、ゆっくりと、口を開いた。
「……遅いぞ、ユキ。危うくやられる所だった」
「ごめんなさい。ここにくる途中に別の作家に襲われて戦っていたの」
屋上の人影が、ふわりと、飛び降りた。
空中で、足元に淡い氷の足場のようなものが、いくつも、現れる。それを、軽やかに踏んで、石畳に降り立つ。
午前中、十二階の窓から見た、あの女性だった。
(仲間だったのか…)
HP 1,238
朔人の視界に、彼女の頭上の数字が、はっきりと浮かんだ。
(……1,238)
水と氷を操る、あの女性。別々の場所で戦っていると思っていた、あの二人が。
「紹介するよ」
青年が、立ち上がりながら言った。
「白鷺ユキ。僕の、仲間だ」
朔人は、愕然とした。
仲間が、いたのだ。
しかも、その仲間も、HP1,000を超えている。
目の前の青年のHPは、222。倒す寸前だった。けれど、今、その後ろには、HP1,238の女性が、無傷で立っている。
カナは、倒れている。HP347。
葵のHPは、55。
朔人のHPは、197。
こちらの三人のHPを足しても、599。向こうは、二人で、1,460。
「……まだ私たちの方が優位ね」
ユキが、静かに言った。
「ソウタを囮にして、獲物を誘い出す。そのために、わざと別々に戦っていたの」
「囮は、僕のほうだったってわけだ」
ソウタは、苦笑した。
「まんまと、してやられたよ。けれど、そっちも、囮を使っていたとはね。お互い様だ」
「…………」
朔人は、言葉を失った。
囮に、囮を、ぶつけた。
そして、相手のほうが、一枚、上手だった。
夕陽が、ビルの谷間に、沈んでいく。
広場の石畳に、二人の影が、長く伸びた。
「さて」
ユキが、静かに杖を持ち上げた。
「続きを、始めましょうか」
空が、橙色から、紫へと、変わり始めていた。
長い夜が、始まろうとしていた。




