二人の編集会議
「お腹、ちゃんとすくんやな」
「すくな」
「仮想空間やのに、カップ麺もちゃんとカップ麺の味するし」
「俺も、そこは不思議だった」
葵は笑いながら、空になった容器をテーブルの端に寄せた。
「じゃあ、始めよか。お互いの作品を読んで、気づいたことは全部言う。遠慮なしで」
「……分かった」
ブースは思ったより狭くて、肩が触れそうになる。朔人は少し体をずらして、パソコンに向き直った。
(これは仕事だ、仕事)
『小説家になりたい』の検索窓に、葵の作品のタイトルを打ち込む。
作品ページが開いた。
『異世界でがんばる少女のおはなし』
話数は、48。
その下に、数字が並んでいる。
総PV 200 ブックマーク 0 評価 0
(48話で、200……)
朔人は、頭の中で計算した。一話あたり、4PVちょっとだ。
(毎日書いて、毎日ほとんど誰にも読まれないまま、48話まで続けたのか)
普通なら、十話あたりで心が折れる。それでも、葵は書き続けた。ある意味、すごい数字だ。
第1話を開く。
画面が、真っ黒になった。
改行がほとんどない。文字がぎっしり詰まっている。冒頭は、「この世界は、遠い昔、五つの国に分かれていた」から始まる、世界の歴史の説明だった。
(……主人公は、いつ出てくるんだ)
スクロールしても、スクロールしても、歴史が続く。千字を超えたあたりで、ようやく少女の名前が出てきた。
(これは、第1話で離脱されるな)
朔人は、少し迷ってから、読み進める先を第20話に飛ばした。
咳の止まらない老人に、少女が薬草茶を淹れる場面だった。
読み進めるうちに、手が止まった。
『「ありがとう」と言われるたびに、畑の土が少しだけ温かくなる気がした。』
(……いい文章だ)
胸の奥が、じんわりと熱くなる。派手な比喩は、ひとつもない。それなのに、情景が目に浮かんだ。
(こんな話が、誰にも読まれていないのか)
悔しさに似た気持ちが、込み上げてきた。
隣では、葵が真剣な顔で画面を見つめていた。時折、眉を寄せ、時折、小さく笑う。
二人が読み終えたのは、一時間後だった。
*
「じゃあ、朔人くんから、お願い」
「ああ」
朔人は、少し緊張しながら口を開いた。
「まず、第20話。あの『ありがとうと言われるたびに、畑の土が少しだけ温かくなる気がした』って一文。あれ、すごく好きだ」
葵の動きが、止まった。
「……ほんま?」
「ああ。派手な言葉は使ってないのに、ちゃんと情景が見える。読んでて、胸が温かくなった」
「あ、ありがとう」
葵は耳まで赤くして、うつむいた。
「でも、正直に言う。第1話は、読むのがきつかった」
「やっぱり」
葵は、がくりと肩を落とした。
「まず、画面が真っ黒だ。改行がなくて、文字がぎっしり詰まってる」
「小説やから、そういうもんかなって」
「このサイトは、スマホで読む人が多いんだ。文字が詰まってると、それだけで閉じられる」
葵は、目を丸くした。
「そうなん? 一文ごとに改行しても、ええの?」
「いい。読まれない小説より、読まれる小説のほうがいいだろ」
葵は少し迷ってから、第1話の編集画面を開いた。
「それと、冒頭の世界の説明。千字以上あって、主人公が出てくるまでが長い」
「でも、世界観を先に書いとかんと、読む人が分からへんと思って……」
「その気持ちは分かる。でも、それは第5話くらいでいい」
朔人は、きっぱり言った。
「最初は、主人公を好きになってもらうのが先だ。歴史は、あとから少しずつ見せればいい」
葵は、しばらく画面を睨んでいた。それから、思い切ったように、冒頭の歴史説明の段落を、まるごと切り取った。
「……消した」
「消さなくていい。第5話あたりに回そう」
「そっか」
葵は切り取った文章を、別のメモに貼りつけた。
「じゃあ、最初の一行は、どうしたらええと思う?」
「主人公の、普段の動きから始めよう。朝起きて、何をしてる?」
「えっと、畑に水をやってる。薬草畑」
「それだ。そこから書き出そう」
葵は、キーボードに指を置いた。
しばらく考えてから、打ち込む。
『朝いちばんの仕事は、薬草畑の水やりだ。』
「いいな。名前は、最初に出したほうがいい。主人公の名前、なんだっけ」
「ミナ」
「じゃあ、その次に」
葵は、続きを書いた。
『少女ミナは、まだ冷たい井戸水を桶にくんだ。』
「……すごい」
葵は、自分の書いた二行を見つめた。
「たった二行やのに、ちゃんと始まってる感じする」
「ああ。ここなら、読み始めて、すぐに情景に入れる」
改行を入れ直していくと、ぎっしり黒かった画面が、ふっと白くなった。
「うわ、読みやすなった」
「だろ」
朔人は、画面をスクロールしながら、もうひとつ気になっていたことを口にした。
「それと、誤字や脱字が、ところどころにあった。『薬草』が『薬早』になってたり」
「え、ほんま? 全然気づかんかった」
「自分で書いた文章は、何度読み返しても、目が勝手に直して読んじゃうんだ」
朔人は、少し間を置いてから、尋ねた。
「葵は、AIとか使って、チェックしたり、編集したりはしなかったのか?」
葵の手が、止まった。
「……使ってへん」
「なんで? 誤字のチェックだけでも、かなり楽になるだろ」
「なんかな、ズルしてるみたいな気がするんよ」
葵は、膝の上で、指を組んだ。
「AIが直した文章って、もう、私の作品やない気がして。自分で書いたはずやのに、どこまでが自分の言葉なんか、分からんようになりそうで」
「うん、なんか分かる気はするな」
「それに、コンテストに出すとき、AIを使ってたら応募できへんようになることもあるやん。あとで引っかかったら、嫌やし」
朔人は、すぐには反論しなかった。
葵の言い分には、筋が通っている。特に、コンテストの話は、現実的な問題だった。
「規約のことは、その通りだと思う。応募する前に、必ず確認したほうがいい。コンテストによって、AIの決まりは違うから」
「うん」
「でも、今は、少なからず、みんな使ってると思う。全部を任せるんじゃなくて、誤字や脱字のチェックくらいはな」
「……そうなん?」
「たぶん。きっと、使ってる人のほうが多い」
朔人は、画面の『薬早』という文字を指差した。
「それに、誤字脱字だらけで読みにくい話より、読者が読みやすい話のほうが、絶対にいいと思う。読む人は、どうやって書かれたかより、読んでどう感じたかのほうを、覚えてるはずだ」
「……」
「辞書で漢字を調べるのも、変換機能に頼るのも、誰かに読んでもらって、間違いを教えてもらうのも、全部、何かに頼ってるってことだろ。AIが、そこに加わるだけだ」
朔人は、少し考えてから、続けた。
「第20話の、あの一文は、葵が書いた。誰に誤字を直してもらっても、あの言葉は、葵の言葉のままだ」
葵は、しばらく黙っていた。
それから、小さく息を吐いた。
「……頼れるものに頼るのは、悪くない、ってことやな」
「俺は、そう思う。他の作家や編集者がどう思ってるかは、分からないけど」
「誤字を見つけてもらうだけやったら、辞書みたいなもんなんかな」
「そうだと思う。直すかどうかを決めるのは、最後は葵だ」
「……ちょっと、試してみてもええかも」
葵は、迷いながらも、顔を上げた。
「コンテストの規約は、ちゃんと読んでからにする。使うとしても、誤字のチェックだけな」
「それでいい」
朔人は、うなずいた。
次は、タイトルとあらすじだ。
「あらすじは、これか」
朔人は、作品ページの紹介文を指差した。
『異世界の小さな村での物語です。』
「一行だけだな」
「それ以上、何を書いたらええか分からんくて」
「誰が、何をする話なのか。何が面白いのか。それが分かればいい」
二人で、あれこれ言い合いながら、言葉を組み立てていった。
『小さな村で、薬草を育てる少女ミナ。』
『魔法も使えず、冒険にも出ないけれど、彼女の育てた薬草は、不思議と村の人たちを元気にしていく。』
『これは、土と草と、村人たちとの、あたたかな毎日の物語。』
完成した三行を、葵は何度も読み返した。
「……ちゃんと、私の話や」
「ああ。いい紹介文だ」
「タイトルは、どうしよう。今のままでも、あかんのかな」
「悪くはないけど、何の話か分からない。『薬草』と『スローライフ』は、絶対に入れたい」
「スローライフ?」
「冒険に出ない、のんびりした暮らしの話だろ。このサイトは、そういう話を探してる人が多い」
葵は、目を丸くした。
「私の話、そう呼ぶんや……」
朔人は、いくつか案を出した。葵は、そのたびに首をひねった。
「『薬草畑の少女は、今日も村を元気にする』は?」
「ちょっと説明っぽいなぁ」
「じゃあ、『薬草畑のスローライフ〜育てた草で村が元気になりました〜』」
「……長ない?」
「このサイトの人気作は、だいたい長い」
葵は、噴き出した。
「ほんまに?」
「ほんとだ」
しばらく笑ってから、葵は、タイトル欄に、その長い文字列を打ち込んだ。
『薬草畑のスローライフ〜育てた草で村が元気になりました〜』
「……こうして見ると、ええな」
葵は、嬉しそうに画面を眺めた。
朔人は、活動報告のページを開いて、画面の隅の、小さなボタンに目を向けた。
「葵、活動報告のページに、特別なボタンがあっただろ。SNSに投稿できるやつ」
「あ、あれな。一日一回しか使えへんやつ」
葵は、気まずそうに視線を逸らした。
「何を書いたらええか分からんくて、一回も押してへん。フォロワーも、十人もおらんし」
「俺も、似たようなもんだ」
朔人は、苦笑した。
「二日目に、一回だけ使った。『最新話を更新しました。仮想空間で、毎日書いています』って書いたら、検閲で弾かれた」
「え」
「プログラムの内容は、書いちゃいけないんだ。しかも、弾かれたら、その日の投稿の権利も、消える」
「うわ、きつ……」
「一日に一回のチャンスを、無駄にしたんだ」
朔人は、画面を見つめた。
「この枠は、うまく使えば、強い宣伝になる。……考えよう」
二人は、それぞれの作品のための投稿文を、考え始めた。
「140字の中に、何の話かと、読みたくなる理由を入れるんだ」
朔人は、ざっと、打ち込んだ。
『薬草畑で暮らす少女ミナの話を書いています。魔法も冒険もないけれど、育てた草で、村の人たちが少しずつ元気になっていきます。ゆっくり読みたい夜に。』
「……ええな。私の話が、ちゃんと、読みたくなる話に見える」
「何が起きるかより、どんな気持ちになれるかを書いたほうがいいと思う。のんびりした話は、特に」
葵が、朔人の画面を、覗き込んだ。
「朔人くんのは?」
「俺のは、これだ」
朔人は、別の文面を打った。
『パーティーを追放された荷物持ちの話を書いています。彼が運んでいたのは、荷物だけじゃなかった。』
「それ、ええ! 続き読みたなる!」
「戦いやプログラムのことは、絶対に書かない。それだけ守れば、いい」
*
「じゃあ、次は私の番やね」
葵は、朔人の方に体を向けた。
「まず、タイトルは今っぽくてええと思う。そこは強いわ」
「そうか」
「でも、他は、ちょっと厳しいこと言うで」
「……どうぞ」
朔人は、覚悟を決めて背筋を伸ばした。
「第1話の追放シーン。『燃えるような怒りが、彼の胸を満たした』って、あるやん」
「ああ」
「その『燃えるような怒り』って、何に怒ってるん? 追放されたこと? それとも、勇者のこと?」
朔人は、言葉に詰まった。
何に、怒ったのか。
考えてみると、怒りというより、別の何かだった気がする。
「……怒ってなかったかもしれない」
「やろ?」
「ずっと、役に立ってると思ってた。それが全部、いらないって言われて。怒るというより、なんというか……空っぽになった」
「それ、そのまま書いたらええのに」
葵は、朔人の顔を覗き込んだ。
「燃えるような、って言葉でごまかさんと、朔人くんが感じたことを、そのまま書いてみたら?」
朔人は、第1話の編集画面を開いた。
『燃えるような怒りが、彼の胸を満たした。』
その行を、消した。
しばらく考えてから、打ち込む。
『ずっと背負ってきた荷物の重さだけが、今になって、肩に食い込んできた。』
葵が、息を呑んだ。
「それや」
「……これで、いいのか」
「ええに決まってるやん。怒ってるより、よっぽど痛いわ」
朔人は、胸が熱くなった。
「それと、もうひとつ」
葵は、指を三本立てた。
「第13話だけで、『燃えるような』が三回出てくる」
「……知ってる。昨日、気づいた」
「気づいてるだけ偉いわ」
葵は笑った。
「たとえば、この『燃えるような瞳で、彼は敵を見据えた』。これ、比喩をやめて、行動で書いたらどう?」
「行動で?」
「敵を見据えてるって、具体的にどういう状態なん?」
朔人は、少し考えた。
『彼は、敵の足元から目を離さなかった。』
「……こんな感じか」
「ええやん。比喩が少ないほうが、かえって強く見えるときもあるな」
朔人は、思わず苦笑した。
(まさに、戦いと同じだな)
そして、葵の最後の指摘は、いちばん痛かった。
「あとな、第12話まで、主人公の何がすごいのか、全然分からんかった。私やったら、5話あたりで読むのやめてたかも」
「ぐ……」
朔人は、胸を押さえた。
「覚醒が、遅いのか」
「覚醒までを、ただ待たされてる感じがするんよ。せめて、第1話から『この人、何かあるな』って思わせてほしい」
「……何か、あるな、か」
朔人は、考え込んだ。
荷物持ち。パーティーで、一番地味な役割。でも、本当は、ずっと何かが違っていた。
第1話の冒頭に、一文を足した。
『彼が運ぶ荷物は、なぜか一度も壊れたことがない。勇者たちは、それを当たり前のことだと思っていた。』
「これ、ええやん」
葵は、身を乗り出した。
「読んでる側は、『この人、何かあるな』って思うやん。でも、まだ何かは分からへん。続き、読みたなるわ」
「……なるほど」
朔人は、小さく息を吐いた。
自分では、読者の気持ちが分からなかった。でも、他の人の目を通すと、驚くほど簡単に見えてくる。
*
修正を終えたのは、昼を少し過ぎたころだった。
パソコンの時計は、13:20を指している。
「なあ、朔人くん」
葵が、ふと思いついたように言った。
「これ、お互いに評価しといたら、HPが上がるやん」
「……それ、ズルにならないか」
「読んで、本当にええと思った分だけつけたら、ええやん。ほんまの評価やもん」
朔人は、少し考えてから、頷いた。
「確かに。嘘の点数をつけるわけじゃない」
朔人は、葵の作品に、評価の星を五つつけた。ブックマークも押した。
「五つも?」
「第20話と、この新しい冒頭が、それだけよかった」
葵は、朔人の作品に、星を四つつけた。ブックマークも押した。
「四つ?」
「覚醒の話をちゃんと直したら、五つにするわ」
「……厳しいな」
「作家やもん」
その瞬間、視界の左上の数字が、動いた。
葵の頭上の数字が、変わる。
HP 20/20 → 50/50
朔人の数字も、静かに動いた。
HP 223/223 → 248/248
「30も増えた!」
「25だ、俺は」
「ええやん、増えたんやから」
葵は、子供のように笑った。
それから、修正した第1話を、二人でそれぞれ投稿した。
葵の作品ページの数字が、ほんの少しだけ動いた。
総PV 203
「あっ、増えた! 3も!」
「たった3だぞ」
「たった3でも、いままでは、ずっと0やったもん」
それから、二人は、それぞれの活動報告のページを開いて、特別ボタンを押した。
画面に、小さな表示が出る。
『投稿を受け付けました。運営の確認後、公開されます。』
「……あとは、待つだけやな」
「ああ。反応は、見られない。PVが動くのを、待つしかない」
葵は、画面を食い入るように見つめた。
その横顔を見ながら、朔人は思った。
言葉を直すこと。誰かに読まれる言葉を、探すこと。それは、ここでは、そのまま戦いと同じだ。
(自分の言葉で、戦う)
朔人は、冷めたコーヒーを一口飲んだ。
窓の外では、午後の光が、誰もいない新宿の街を照らしていた。




