HP20の降参
朔人は新宿中央公園の噴水の前で、足を止めた。
ネットカフェを出てから、一時間ほど街を歩いていた。人影のない新宿では、いつ曲がり角から誰が飛び出してきてもおかしくない。
(自分の言葉で戦う)
メモ帳に打ち込んだ決意を、頭の中で繰り返す。
噴水のそばに、人が立っていた。
長い髪をひとつに結んだ、同年代くらいの女性だ。こちらに気づくなり、びくりと肩を震わせる。
朔人は反射的に身構え、口を開いた。
「——ロゴ…」
「ちょっと待って! 降参、降参します!」
女性は両手を、思いきり頭の上に挙げた。
「……は?」
「私、戦う気ないねん。ほら、私のHP見て」
朔人は、開きかけた口を閉じた。
女性の頭上に、数字が浮かんでいる。
HP 20/20
「……20?」
「うん、20。笑ってもええよ」
女性は両手を挙げたまま、情けなさそうに笑った。
「PVが200しかないの。ブクマも評価もゼロ」
朔人は構えを解いた。HP20。自分の十分の一ほどだ。ひと振り殴れば、消えてしまう。
「私、葵です。大阪から来ました」
「……朔人」
つられて名乗ってしまった。
「朔人くんね。なあ朔人くん、お願いやから、放っといてくれへん?」
葵は両手を下ろして、噴水の縁に腰かけた。
「二週間生き残ったらええんやろ? 私みたいな雑魚、倒したところで何の得にもならへんし。隠れて、やり過ごすつもりやねん」
(……確かに)
朔人は、はっとした。
このイベントは、全員を倒す必要はない。二週間、HPを0にされずに生き残れば、それでいい。出会った相手を片っ端から倒す義務なんて、どこにもない。
(なんで、倒さなきゃいけないと思い込んでたんだ)
朔人は、少し離れた縁に腰を下ろした。
「あんた、投稿してどれくらいなんだ」
「三週間くらいかな」
葵は足元の小石を、つま先で転がした。
「毎日投稿してるんよ。毎日やで? それやのに、PVが全然増えへんの。ブクマも評価も、ずっとゼロ。タイトルが悪いんか、内容が悪いんか、それすら分からんくて」
声は明るかった。けれど、膝の上で握った手が、白くなっている。
「どこを直したらええんか、教えてくれる人もおらんし。読まれへんかったら、直しようもないやん」
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
痛いほど、分かる。
今朝、ネットカフェで確認した数字を思い出した。昨日の同じ時間より、PVが減っていた。ブックマークも、評価も、ひとつも増えていなかった。
画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。展開が悪いのか。文章が悪いのか。そもそも、自分には向いていないのか。
答えのない問いが、頭の中をぐるぐる回って、結局、何も書けないままネットカフェを出てきたのだ。
「……分かるよ」
気づけば、口からこぼれていた。
「俺も、今朝、数字が減ってた」
葵が、顔を上げた。
「ほんま? 朔人くんも?」
「ああ」
二人は顔を見合わせた。なんとなく、同時に、ため息をついた。
「……なあ、よかったら、作品のタイトルを教えてくれないか」
「ええけど、笑わんといてよ」
葵は少し照れくさそうに言った。
「『異世界でがんばる少女のおはなし』」
(……)
朔人は、反応に困った。
悪いタイトルではない。悪くはないのだが、何の話なのか、さっぱり想像がつかない。ジャンルも、設定も、ひとつも見えてこない。
(これじゃ、クリックされないだろうな)
「いま、地味やなって思たやろ」
「……思ってない」
「顔に出てるって」
葵は笑った。それから、少し黙って、ぽつりと続けた。
「でもね、中身はほんまに好きなんよ」
葵の目が、変わった。
「異世界の小さな村でね、薬草を育てる女の子の話なの。魔法も使えへんし、冒険もせえへん。でも、その子が育てた薬草で、村の人らがちょっとずつ元気になっていくんよ。私、その子のこと、ずっと書いていたいの」
言葉が止まらなくなっている。目は、まっすぐに輝いていた。
(……ああ、この人は)
タイトルは、地味かもしれない。PVも、200しかない。
でも、自分の書いた小説を誰よりも愛する気持ちは本物だ。
自分と、同じだ。
「なあ、朔人くん」
葵が、急に身を乗り出した。
「私と、組まへん?」
「……共闘ってことか?」
「うん。一緒に戦ったらあかんってルール、なかったやんな?」
「それは、そうだけど」
「それにさ」
葵は、ぴしっと人差し指を立てた。
「作品を良くするには、他の人の意見が、絶対いると思うんよ。一人で悩んでても、結局あかんかったやん。お互い読み合って、意見を言い合ったらええと思わへん?」
あまりにも正論で、朔人は言葉に詰まった。
ルールには、禁止されていない。そして、一人で数字を睨んでいるだけでは、何も変わらなかった。
「……最優秀者は、一人だけだぞ」
「分かってる」
葵は、あっさりと頷いた。
「その時はその時やん。まずは、二週間生き残らなあかんし」
少しの沈黙のあと、朔人は、小さく息を吐いた。
「……分かった。組もう」
「ほんま? やった!」
葵が、勢いよく手を差し出した。朔人は、その手を握った。
*
「じゃあ、さっそく作戦会議しよか」
葵は噴水の縁に座り直し、指を一本立てた。
「まず基本のおさらいね。朔人くん、昨日も戦ったやろ? 何か気づいたことある?」
「……使える言葉が、どんどん減ってる」
「そう。ここで大事なのが、武器の名前と、炎とか氷とかの言葉なんよ」
「武器と、炎や氷?」
「たとえば『炎の剣』って言うたら、『炎』と『剣』、両方が使い切りになるんよ。だから、次に『氷の剣』って言っても、剣はもう使えへんから発動せえへん。『炎の槍』って言っても、今度は炎が使えへんから、これも発動せえへん」
朔人は、目を見開いた。
「武器だけじゃなくて、炎も、二回目は出ないのか」
「そう。炎のことを言いたいなら、別の言葉に言い換えなあかんの。獄炎とか、業火とかね。紅蓮とか煉獄は、もう誰かに使われてしもたけど」
「じゃあ、剣も、刀とか短刀とかに言い換えるしかないのか」
「そういうこと。剣、刀、短刀。それぞれ別の言葉やけど、使ったらもうそれっきりやね」
(……だから、昨日の昼、あんなに連続で空振りしたのか)
「ただ、全部が使えへんくなるわけやないんよ」
「使える言葉も、あるのか」
「うん。『貫け』とか『降り注げ』みたいに動かす言葉と、『銀色』とか『巨大な』みたいな色や形容。それに、『一トン』とか『十階建て』みたいな数もね。出すものは一回、動かし方は何度でも、って覚えとき」
「出すものは一回、動かし方は何度でも……」
朔人は、その言葉を口の中で繰り返した。
そこで、朔人はふと引っかかった。
「……やけに詳しいな。あんた、戦ってないんだろ?」
「戦ってへんから、詳しいんよ」
葵は肩をすくめた。
「ここに来てから、ずっと物陰に隠れて、いろんな人の戦いを見てたから。誰がどんな言葉を使って、何が不発になったか。三日間、ずっと見て、聞いて、覚えてたんよ」
朔人は、言葉を失った。
逃げ回っていただけだと思っていた。けれど、葵は、ただ怯えていたわけではなかった。
(観察。……それも、作家の力だ)
「あんた、すごいな」
「逃げてる間、暇やったからね」
葵は照れたように笑って、話を戻した。
「かなり厳しいやろ?」
「つまり」
朔人は、整理するように言った。
「新しい武器や戦い方を、常に探し続けなきゃいけない、ってことか」
「そういうこと。しんどいで」
葵は苦笑した。
「それと、もうひとつ大事なことがあるんよ」
地面に落ちていた枝を拾い、土の上に、ざっくりと図を描く。
「比喩はね、威力を足せるの。ただ、長いとか綺麗とかで強くなるわけやないんよ。大きさとか重さとかを、はっきり盛った分だけ、出てくるもの自体が強くなるの。たとえば、『岩をも砕くハンマー』と、『大地をも割るハンマー』なら、どっちが強いと思う?」
「後ろのほうだな」
「やろ? 砕くものが、岩から大地になった分、ハンマーの威力が上がってるんよ」
朔人は頷きかけて、すぐに眉を寄せた。
「でも、その『ハンマー』も、一回使ったら……」
「そう。それに『岩をも砕く』も『大地をも割る』も、使ったら二度と使えへん」
葵は枝の先で、地面をとんと突いた。
「だから、ここぞの表現は、切り札として取っとかなあかんの。普段の戦いは地味な言葉でしのいで、ほんまにやばい時にだけ、とびきりを使う」
「……切り札、か」
朔人は、噴水の水面を見つめた。
昨日までの自分は、思いつくまま、強そうな言葉を使い捨てていた。初日は、それで勝てた。でも、そのせいで、今、苦しんでいる。
(取っておけば、よかったんだ)
「どう? 作戦、立てられそう?」
「ああ」
朔人は、顔を上げた。
「やってみよう。二人なら、何か見つかるかもしれない」
「よっしゃ」
葵は、元気よく立ち上がった。
「じゃあ、まず朝ごはん食べながら話そ。仮想空間でもお腹すくんかな」
「……すくのか?」
「すくやろ。知らんけど」
笑い声が、誰もいない公園に響いた。
並んで歩く葵の背中を見ながら、朔人はふと思った。
(最優秀者は、一人だけ。……それでも、今は)
その先は、考えないことにした。




