言葉が足りない
この三日間のことを、順番に思い出した。
初日は、気持ちよく勝てた。ライトノベルで読んできた言葉は、驚くほど簡単に、口から出てきた。
二日目は、少し違った。
ロゴスに続けて唱えても、発動しない言葉が出始めた。そのたびに、頭の中の引き出しを必死にかき回して、別の表現を探した。星屑のような銀の矢。凍てつく夜気の刃。どれも、読んだ物語のどこかにあった言葉だ。なんとか全部、発動してくれた。
引き出しは、まだ空じゃなかった。
でも、三日目の今日は。
(……8回だ)
今日、ロゴスと唱えたのに、何も起きなかった回数だ。朝に2回。昼の戦いでは、6回立て続けに空振りした。
定番の言葉は、もうほとんど残っていない。
朔人はメモ帳に、指を走らせた。
『剣』
その下に、思いつく言葉を並べていく。
『刀』『短刀』『脇差』『ナイフ』『小太刀』
(言い換えなら、通るのか?)
分からなかった。ロゴスを付けて唱えれば、発動するかどうかは分かる。けれど、発動してしまえば、その表現は使い切りになる。確かめる方法は、実戦しかない。
続けて、メモ帳に打ち込んだ。
『目』『瞳』『眼』『眼球』
「鷹の目のように、敵を見据えろ」と使うつもりなら——
朔人は想像した。
「ロゴス、鷹の眼球のように、敵を見据えろ!」
(……ホラーだ)
噴き出しそうになって、口を押さえた。眼球に見据えられたら、敵より先に、自分が引いてしまう。
「瞳」ならどうだ。「鷹の瞳」。悪くない。
(でも、それだって、もう誰かが使ってるかもしれない)
胸の奥が、じわりと重くなる。
言い換えれば言い換えるほど、似た形の言葉ばかりが、頭の中に積み上がっていく。刀、短刀、脇差。燃える刀、燃える短刀、燃える脇差。
(これ、ほとんど同じ言葉だよな。これで、本当に新しい表現になるのか)
気づけば、メモ帳は言葉でいっぱいになっていた。
その中に、自分でも訳の分からない行が、混ざり始めている。
『午後三時の自動ドアのように、静かに開く拳』
『眠そうな毛布が、一斉に襲いかかる』
「……何だ、これ」
自分の書いた文字を見て、朔人は思わず苦笑した。
毛布に襲われたら、むしろ平和だ。午後三時の自動ドアが開く拳って、いったい何をする拳なんだ。
こんなもの、戦いで使えるはずがない。読者にも、きっと伝わらない。
(……読者)
その単語が、頭に引っかかった。
朔人は、『小説家になりたい』に投稿した、自分の小説のページを開いた。第十三話。追放された荷物持ちが、辺境の町で力を見せる場面だ。
文章を目で追う。
『燃えるような瞳で、彼は敵を見据えた』
『燃えるような怒りが、彼の胸を満たした』
『燃えるような決意とともに、彼は剣を抜いた』
(……「燃えるような」ばっかりじゃないか)
三行続けて、同じ形の比喩を使っていた。
自分の小説でも、同じことをしていたのだ。思いつかないから、手持ちの言葉で間に合わせる。気づかないまま、同じ言い回しを、何度も、何度も。
(PVが伸びないのは、展開のせいだけじゃないのかもしれない)
胸が、ちくりと痛んだ。
けれど同時に、朔人は、昼間の戦いを思い出していた。
眼鏡の男が放った、あの比喩。
『ロゴス、朝八時の新宿駅で、最後の一人を押し込む駅員の手のように——四方から迫れ』
あれは、ライトノベルの中にある言葉じゃなかった。あの男が、自分の目で見て、自分の体で味わった光景から、取り出した言葉だった。
(俺にも、あるんじゃないか)
朔人はメモ帳の新しい行に、指を置いた。
新卒で入った会社。三年間。毎朝の満員電車。月曜日の朝礼。コピー機の紙詰まり。
(満員電車は、昼にあの男に使われたも同然だ)
別の言葉を打ち込む。
『月曜日の朝、コピー機が紙を噛んだときの——』
指が止まった。
ガガガ、と鳴って、動かなくなる瞬間。赤いランプが点滅して、誰も直し方を知らなくて、全員が一斉に目をそらす、あの空気。
(——あれは、止まる)
直感だった。あの感じを、うまく言葉にできたら、相手の動きを止められるかもしれない。
でも。
(これが、もう誰かに使われていたら)
その不安は、拭えなかった。
世の中には、何万人という人がいる。コピー機の紙詰まりなんて、誰もが経験する。ここにいる数十人のうち、誰かが思いついていても、おかしくない。
(……ああ、これだ)
朔人は、ようやく気づいた。
小説を書いているときの、あの感覚と同じだ。
自分だけの言葉を探して、探して、探して。見つけたと思った瞬間、どこかで読んだ気がして、手が止まる。
産みの苦しみなんて、ずっと他人事の言葉だと思っていた。
(まさか、HPを懸けて味わうことになるとはな)
そのとき、パソコンの時計が、0:00に切り替わった。
ブース全体に、あの女性の声が響く。
『本日の集計をお知らせします』
『本日の脱落者、4名』
(4名……)
『本日使用された表現、301件』
朔人は、メモ帳から目を上げた。
(301……)
初日は、512件だった。
減っている。使われる言葉が、減っているのだ。みんなも、言葉が足りなくなっている。
(俺だけじゃないのか)
少しだけ、救われた気がした。同時に、背中が冷たくなる。
言葉は、このまま、減り続ける。
朔人はメモ帳を閉じず、新しい行に、ゆっくりと打ち込んだ。
『明日は、自分の言葉で戦う』
画面の隅で、小さな表示が切り替わる。
『イベント終了まで あと11日』




