7 第一夜
――俺は、夢の中にいた。
車は、片側二車線の二十三号線を流れに乗って走っている。
空は紫の宵闇に変わる頃で、西の空にまだほのかな夕焼けの名残が残っている。
ダッシュボードの時計の時刻は、18:56。全開の窓から入る強い風が火照った体を冷やしてくれ、気持ち良かった。二十三号線を走る車は多く、片側二車線の道は車の赤いテールライトが連なって流れている。
俺は、ただその流れに乗って、流されていた。
ただ何も考えたくなかった。
……そうだ。あの時の俺はそうだった。でも、今もう一度しっかりと考えるんだ。自分にできることを。
改めて俺は車内に目を走らせ、ハンドルを握り直した。
これは夢だ。俺は夢の中にいる。しっかりしろ。
俺は左手で自分の頬を叩いた。
パシッ! と小気味いい音。
そういう行動をとれたことに驚くと同時に慌てた。これで目を覚ましたら元も子もないじゃないか。幸い、車を走らせるこの意識は、しっかりと「現実」の俺のもので、夢の場面はそのままいつも通りに続いた。
ラジオから天気予報が流れ、明日の気温は三十五度になると男のアナウンサーが告げていた。
その時、後部座席に置いていたカバンの中で微かな音がした。
携帯だ。SNS着信の音。
今まで、こんな音に気づかなかった。
もしかして今別れたばかりの雫じゃないのか……、でも、あの日の記憶に、そんな事実はない。
……ん? 待てよ。あの日「送信取り消し」の文字は見たんじゃなかったか。
八年前の記憶はすでにあやふやで霧の中だった。
雫からは数日、音沙汰がなかったので俺の方から送った覚えだけがある。
あの時、送信が取り消されていたとしたら……、雫は何を言ってきてたんだろう?
今なら、それを確かめられる。
車のハンドルを握りながら、俺はすぐにでも携帯を確かめたかった。
車は隙間なく連なり流れている。カバンは後部座席だ。車を停めないと……
前方に少し広い路肩が目に入った。そこを過ぎると、簡単に停められそうにない。
俺はウインカーを出すと、ブレーキを強く踏み減速させた。
車間の詰まっていた後続車が、急ブレーキのタイヤ音を響かせ回避する。
俺の車は路肩に滑り込み、急停車する形で停まった。
後続車は、なんとか事故を起こさず、そのまま流れていってくれた。
ふー、今のはやばかった。
俺は遅まきながらハザードランプを点灯させ、大きく息を吐いた。背中を嫌な汗が流れる。
時計の文字が18:59に変わった。
あと一分もない。“夢”はいつも十九時の時報を聞く前に途切れてしまう。
俺はシートベルトを外すと後部座席のバックを取る。携帯を出すと、SNSアプリに受信の赤いマークがついていた。
開けると、やはり雫からだった。
すぐに雫の欄をタッチする。
その時、時計の数字が変わった。
――俺は瞼を開ける。
夢から戻った。
現実の見慣れた白い天井が暗がりの中にぼんやり見える。色のない世界にまた戻ってきた。
さっきまでの夕暮れの世界は、あんなに鮮やかだったのに……。
目を閉じると、まだ赤いテールライトの車の流れがはっきりとよみがえる。
時刻を確かめると、午前一時半だった。
雫の言葉が、届いていた。
だが、それを確かめるところまではいけなかった。
あれはどんな言葉だったんだろう。
もういない……雫のあの時の言葉、それがどうしても知りたかった。
その夜、なんとかもう一度夢を見れないかと、寝ようとし続けたが無駄だった。
明け方に少しうたた寝をしたが、夢は見なかった。これまで同様、やはり夢は一日に一度しか見れないようだった。
今日は金曜、ひどい睡眠不足と耳鳴りまでしだしたこの状態では、まともに仕事をできそうになかった。何より、このことをじっくり考える時間が欲しかった。
俺は、職場に休みの連絡を入れると、その日一日、昨夜見た夢について、もう一度整理し直し、考えてみることにした。
朝食のトーストをかじりながら、濃いコーヒーを淹れてブラックのまま胃に流し込んだ。窓から入る朝陽でようやく頭がしっかりしてくる。
改めて夢について書いたノートを見直した。
夢の中、夕べの俺は自分の意思で動いた。動くことができたのだ。
これはどういうことだ。
八年前に雫と別れた、あの日、俺はそのまま車で自分のマンションまで帰った。その後は飯も食わず、一人酒をしこたま飲んで寝た。それが八年前の俺の行動だ。
だったらあの夢はなんだ。これまでは、ただあの日のことを思い出しているだけだと思っていた……が、違った……。
変わったんだ。
何よりも夢の中なのに、「現在の俺」の意思で動くことができた。これはどういうことだ。
過去のあの時に、「現在の俺」がいた……、過去にいた……のか。
俺はこの新しい発見に興奮していた。
夢は毎夜、見たくなくてもやって来る。
今夜だ。今夜の夢がすでに待ち遠しかった。今夜からの三日間、金土日は仕事を気にせず、夢のことに集中できる。
俺は、もう一度、夢にみた世界を書き出し、その3分の間のことを色々と考えて、夜が来るのを待った。昼に少し寝ることはできたが、夢はやはり見なかった。
その夜、俺は勢い込んで八時過ぎからベッドに入ったが、なかなか寝付けず、ようやく十時過ぎ、眠りに落ちた。




