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その週末の仕事帰りに、津の駅前の飲み屋で大輔と待ち合わせた。
居酒屋チェーンの店の扉を開けると、週末の店内はよく賑わっていた。
先に来ていた大輔が俺を見つけて手を上げる。
「よお、久しぶり、なんだコタ、ひどい顔してんな。大丈夫か?」
「ああ、ちょっと色々と立て込んでてな」
俺たちは、ビールのジョッキで三年ぶりの再会の乾杯をすると、枝豆をつまみながら、互いの近況を話した。
久しぶりに会った大輔は、ずいぶんぽっちゃり体型になっていた。名古屋で、営業をしているというのは聞いていたが、あちこち接待やらなんやらで、忙しそうだった。名古屋の街なら任せとけと、美味い店を色々紹介してくれた。
「お前、そんだけ食べ歩いてるから、その体型なんだろ。久しぶりに見て誰かと思ったぞ」
「ああ、さすがに俺も気をつけなきゃと思うんだが、なんせ付き合い多いもんでな」
大輔は俺たち七人グループの中で、いつもみんなを笑わせて場を盛り上げる役をしていた。横で見ていてこいつが相当気をつかってるのは気づいていたが、いつも先頭きってみんなの前を行くこいつのおかげで、俺たちはいつも笑っていられた。
「それでな、雫のことだけど……、驚いたよな」
俺は、ただ「ああ」としか返せず、二人の間に重い沈黙が少しあった。
大輔は、ビールをグッと飲み干し、追加を注文すると、ちょっと居住まいを正すように真面目な顔で話し出した。
話をする大輔の眉間の皺が妙に目について、こいつも俺の知らない時間の中で苦労して、歳をとったんだと思った。
「雫、結婚したって言っただろ」
「ああ、それは聞いた。あいつが結婚したのって、もう六年ほど前だっけ」
「お前もその頃だったな。その後、三十手前で、パタパタと続いたよな。マリアと、梨沙もしたし。唯が三十の時か……誠吾はまあ特別っていうか、学生のうちにだもんな」
「ああ、誠吾は参ったよな。あいつが一番遅いと思ってたのに、俺らの中で一番だもん。しかし学生結婚するとは思わなかったけどな。おまけに子供もすぐに三人できて」
「みんな結婚しちまって……一人もんは俺だけだぜ」
大輔は、少し遠い目をしてまたビールを飲んだ。
俺は、自分が離婚したことは言わず、明るくするつもりで、あえて茶化すように言った。
「お前、もしかして、あの頃まだ雫に未練あったのか」
「お前、それは言ってくれるな。あれはどうしようもなかったんだ。俺の中でケジメっていうか、まさに青春だよ。まあダメだっていうのは最初からわかってたんだけどな。
あー、とにかくだ、その雫の結婚した相手のことだ。これは地元の唯からの情報なんだけどな」
七人の中では唯だけが今も地元の親元にいる。唯は家のドラッグストアを手伝っていて、店の方も繁盛し、忙しいようだという。
唯の能天気な馬鹿笑いがよみがえってくる。
「あいつ今も実家にいるだろ。今回も真っ先に雫の実家へ行ってくれたんだけどな。六年前もさ、雫が結婚した時。祝いを持って雫ん家に行ったんだと。そん時の様子がだ、どうも祝いらしくなかったっていうんだ」
「え、どういうこと」
「家行ったらさ、あそこの母ちゃんが出てきてだな。突き返すんだと。なんもめでたくもないから、いらないって」
「ええ、また剣呑な」
俺は雫からの話で、彼女と母親の関係については知っていただけに、そういう感じになることもありうるとは思ったが、しかし、またなんだってそんな風に言うのか? と唸った。
「なあ、お前も変だと思うだろ。自分の娘の結婚だぜ、あそこの母ちゃん、ちょっと厳しすぎるっていうのは、知ってたけどさ、あんまりだろ。それで唯も、さすがにちょっと怒って、なんでですか? って聞いたんだと」
大輔は、来たばかりの新しいビールジョッキをぐいと一飲みすると、声をひそめるようにして、話を続けた。
「それでその母ちゃんがいうにはだ、その雫の相手っていうのが、どうもどうしようもない奴だっていうんだよ」
「どうしようもないってどういうことだよ?」
「まず、同じ中学校に勤める同僚らしいんだけどな。そいつが、どうも借金があるっていうんだ。しかも家にきた時に挨拶もろくにできない奴って話だ。
借金のことがわかったんで、雫の親父さんが怒ってさ、怒鳴りつけたらしいんだけど、そこでも何も言えず、最終的には雫の親父さんが整理させたって話だ」
「また、それは最初から大変だな……、なんで……」
「ああ、俺も思った。なんで雫、そんなのと一緒になったんだろって」
「しかもな……」
大輔はちょっと口ごもった。
「亡くなったときもな。その旦那がまた借金つくってたのがわかって、雫。家出て実家へ帰るとこだったって」
「そんな……」
一瞬、俺の頭はフリーズし、すぐに激しい怒りに変わっていた。
「何やってんだよ、雫……」
やり場のない怒りに、俺は、ただ拳を強く握りしめた。
俺たちは、しばらく黙りこくって、ただビールを口に運んだ。
味のしなくなったビールの泡は、細かく漂い、消えていく。
店の喧騒が、空々しく、白い社の向こうから聞こえ、自分だけが、どこか別の所にいる感じがした。
それから俺たちは、仲間の近況なんかを話した。大輔は懸命に話を盛り上げようとしてくれたが、どうしても俺がそれに乗れず、俺たちは再会を約束して別れた。
店を出て、帰りの電車を待ち、プラットホームのベンチに座っていると、あいつとこうしてこの津駅の同じベンチで話したのを思い出した。
電車がホームに入って来て、中から多くの人が溢れ出てくる。
酔った俺の目は、人混みの中に雫の姿を自然と探していた。
電車がギューンというモーター音を響かせて駅を出て行った。
後には、人もまばらになった夜のホーム。
それでも俺は、もう何年も前の彼女の幻が、まだそこに見つかりはしないかと探すのをやめられなかった。
乗るはずの電車が一本、出ていった。
俺は夜のホームを沢山の人たちが流れていくのを、酔った頭でぼんやりと見ていた。
なんだよ。幸せになったんじゃないのかよ。
結婚して、しんどかった家をやっと出て、幸せになるんじゃなかったのかよ。
もう、いない。この世界のどこにも……
酔った俺は、泣いていた。
涙が溢れてきて止められなかった。
自分でも信じられないくらい、泣けてきた。
8年前に会ったきりの彼女の死が、ようやく現実のものとして、俺の中に入ってきた。
通勤帰りの女性に見られて、俺は顔を伏せ両手を膝にうつむいた。
それでも涙は止まらず、ポタポタと灰色のホームに黒いシミを作っていった。
帰り道は長く、俺は暗い海中を漂うようにして自分の部屋にたどり着いた。
――その夜、俺はまたあの夢を見た。
同じ夢、雫と会った、あの日の夢だ。
この夢を見るようになったのは、一月前。そう、雫が事故にあったという土曜日、その日からだ。それからずっと同じ夢を見ている。
大輔の話を聞くまで、なぜ同じ夢を、それも雫と別れた後のあの時のことを夢に見るのか全くわからなかった。
会ったあの日が九月だったから、同じ季節が来て無意識に思い出したのかと考えたりしていた。だが、雫が亡くなった日を聞いて、腑におちる。
それがきっかけ……とでもいうのだろうか。
でも、なぜこの同じ夢を見続けるんだ?
結局、わからない。
それまで、雫のことを夢に見た記憶はなかった。
いつも仕事に疲れ、夢すら見ることもなくなって久しい。
早朝六時にマンションを出て、夜遅くに帰る毎日だ。部屋には寝に帰っているだけ、缶ビールあおって毎夜倒れるように眠りにつく。俺はそんな日々を送っていた。
それが、あの日の夜中過ぎに、夢で目覚めた。
久しぶりに見た夢は、懐かしい海の風の匂いをまとっていた。
八年も前のあの日の、宵闇の帰り道、車窓から吹き込む夜風を全身で感じることができるほどリアルな光景。
それは、雫と会った後、一人帰る車内の夢。
それから俺は毎夜、同じ夢の中に居続けている。
仕事に疲れているのに、寝入って二時間ほど経つと、決まってあの夢を見、目覚めるのだ。
なぜなんだ。雫、なぜ俺はこの夢に囚われているんだ。
俺は、暗がりの天井を見上げていた。




