16 第十夜
土曜の夜、俺は自分のやることを箇条書きに並べたノートをもう一度確かめて、目をつむる。
が、やはりなかなか寝付けなかった。
長い長い夜、俺は何度も寝返りを打ちながら、その時を待った。
思考が取り止めもなく迷走し始めた俺は、映像を思い浮かべる方が眠りやすいと聞いたのを思い出した。そこで夜の間、雫とのあの砂浜のことをずっと思い返していた……。
――俺はハンドルを握っていた。
今日は心を落ち着けて、いつもよりも慎重に進めていく。
停車とともに雫への送信。そしてすぐに車を走らせ、Uターン。雫のいる南が丘駅を目指す。
最初の雫からの言葉が届く。
《何かあった?》そこからは運転しながらの返信になる。
《話あるから待って》
《ここでじゃだめ?》
《一生のお願い》――
昼の間に素早く文字を打つ練習をしている効果が出てきた。短い赤信号の停車でもなんとか短文なら打てる。
津競艇場を過ぎ、ボーリング場が見えた所で雫からの返信が届いた。
19:15、
《わかった、待ってる》
これで金曜と同じだ。
車は津の中心街が近づくにつれ動きが鈍くなった。
また赤信号で停まる。ここだ、俺は考え抜いた言葉を手早く打つ。
《サラ今どうしてる》
車が動きだす。
なんとか送信できた。時計を見ると丁度19:17に変わったところ。
金曜の夢は19;18までだった。
あと一分もない。それまでに雫、すぐに返信してくれ――。
その時、携帯のチャット欄に雫からの言葉がポンと届いた。
《その話好きじゃないって知ってるよね》
来た。
そうだよ、雫はこの話、アイドル、北美サラの話が嫌いだった。だから当然、反応早いよな。
それは中学の頃のこと、雫が当時人気絶頂だったアイドルのサラに似ているという話が広まったのだ。それを確かめに他の学年の奴らまで、休み時間になると教室に見に来る野次馬であふれた。俺たち七人は、教室の窓を閉めたり、雫を守ろうと親衛隊並みの機動力を発揮したもんだ。騒ぎは二週間ほどで終わったのだが、あれ以来、雫はサラと聞くだけで、露骨に嫌な顔をするようになった。
俺は雫の少し怒った顔を想像して、一人ニヤついてしまう。
19:20を過ぎた。
やっぱり新しい時間になった。
南が丘の駅はもうすぐそこだ。
だが、駅に向かう交差点が近づくにつれ、道は再び動かなくなった。
動いても車二、三台。流れの止まった赤いテールランプが道を埋める。
夜の暗がりがあたりを覆い。道路沿いの店のネオンや看板の灯りが煌めき出した。
時計は確実に進み、車はぴたりと動かなくなった。
19:26、時間だけがどんどん過ぎていく。
もう少しで駅への交差点なんだ。
見えた。二つ先の信号。
だが、そこが一番の難所になっているのか、信号が青になったのに、ほとんど動かないまま赤になってしまう。
次の青でやっと動く。
あと一つ、この信号を左折だ。――だが、二台前で赤になってしまった。
左折のウインカーを出す。あと少し、ここを曲がれば駅前の通り、駅まではわずかな距離しかないはずだ。
長い待ち時間。その間に時計は19:32を過ぎている。
どこまでもつか。あと少し──。
青になったが、左折の車列は動き出さない。
やばい、もう歩行者信号が点滅している。
やっと動き出した前の軽トラに、ギリギリまでつける。信号が黄色になった。
頼む、行ってくれ、と念じる。俺の願いが通じたのか、軽トラは赤になっても交差点に侵入し、左折していく。俺もそれにぴたりとつけ、そのまま強引に左折した。
駅前通りに入った俺はアクセルをグッと踏みこむ。
渋滞を抜けた駅前通りは、車も多くない。
あと少し。……信号を一つ越え、見えた。正面に南が丘の駅だ。
俺は、殺風景な小さな駅のロータリーに車を入れる。
雫は?
――――いた。駅舎のそばに立つ人影。
そこで夢は途絶えた。
――俺は夜の部屋で目覚めた。
いつもの部屋、白い天井……、だが、そこに今見た人影をはっきりと思い浮かべることができる。
雫だった。
ちゃんといてくれた。
その姿は、離れていて顔まではわからなかったが、確かに雫だ。
あのヒョロリとした小さな土筆みたいな姿は、確かに八年前の雫だった。どんな人混みでだって見つけることができる、そんな気がした。
俺はその余韻の中、一つの確信を得る。
鍵を見つけた。
夢は予想通り、ちゃんと延びた。
最後は、19:36。
昨日が19:18だったから――十八分。
やった。
今回だけで十八分、時間を稼いだ。
俺は起き上がると、ノートに今回の記録をする。
夢の中で夢の長さに関係しそうなものは何か。
俺自身の言動でないとしたら、雫の方、それもこの状況では雫の返信しかなかった。
俺は、これまでの「時間表」に、今日の雫の言葉を書き込む。
《その話好きじゃないって知ってるよね》
音数にしてみると、十八音。昨日の19:18から今日の三十六分まで延びた時間ときっちり付合する。
これがどういう意味なのかはわからなかった。だが、表にしたとき、これまでの雫の言葉と夢の増減が、なんとなく似てるなと思ったのだ。
ただ、先週金曜の、最初の雫の言葉が俺を混乱させた。
この日だけ長い文でも時間が変わっていなかったからだ。
――だが、これは過去に実際にあったものだ。この後生まれる「新しい言葉」とは意味が違う。
ということは……俺は、雫の言葉を一つずつ数えてみた。
もしかして――。
「音数……?」
俺は息を呑んだ。
これが鍵なのか?
雫の新しい過去になかった言葉が一音生まれるたびに、夢の時間が一分延びる。
正直、実際にやってみるまでは半信半疑だった。
今日は、短時間で、それも言葉数の多い返信が期待できるのは何か。そのことをずっと考えていた。
そこで思い出したのがアイドル「サラ」のことだ。俺の読み通りというか、雫は、中学の時のまんまだった。ムキになって怒り出す。
実際、贔屓目じゃなくほんとうに横顔なんかそっくりだったから、内心サラに似てるっていうのは、俺にとっては自慢できる部類の話だった。だが、雫本人は、自分のことを何も知らない人間が物見遊山で集まるというのが許せなかったようで、この話が出ると、というかサラって言葉を聞くだけで、いつも一人怒っていた。それを思い出したのだ。
俺はそんな雫に会えた嬉しさで、また一人ニヤつき、「やったー!」と声に出してバンザイをした。




