13 第七夜
水曜日、その日はもう仕事にならなかった。
パソコンの画面に向かっていても、すぐ上の空になる。
俺は考えることを諦め、とにかく単純な作業をこなすことを優先して一日を過ごした。
今日も、定時で帰る。
「じゃ、お先に」
席を立った俺を、隣の席の同僚が、ちょっと訝しげ見上げた。
何か言いたげなその視線から、逃げるように俺は部屋を出た。
JRに乗って帰路についた俺は、途中の駅、南が丘で降りた。
ここは無人の小さな駅だ。
無人とはいえ、周囲には俺たちの生まれ育った南が丘をはじめ、大規模な宅地が連なっていて利用者は多い。同じ電車から流れ出てきた寡黙な人の列は、一日の疲れをまといながらぞろぞろと改札口を目指す。
そんな背中を見送って、俺は人気のなくなった駅のプラットホームに一人残った。
8年前の雫も、ここに降りたはずだ。
向こう側に見える上り線ホーム。
薄緑の跨線橋を渡って、この無人の改札を通って行く。
俺は、幻の彼女の背中を追いかけるようにふらふらと駅を出た。
駅前は何もない殺風景なロータリー。
貧弱な植栽と自転車置き場。金網フェンスの駐車場。
駅の周囲は宅地で、似た雰囲気の家が並んでいる。
同じように「時」を過ぎてきた、くすんだ色の住宅たち。
雫の家まで、ここから歩いて10分はかかるはずだ。
俺は、夢の中でこの駅前で待つように伝えた。
あのままいって、あとどのくらいでここまで来れるだろう。
あの時、雲出大橋を渡ったところでUターンしたから、あそこからなら約8キロ。普段なら15分ほどだが、夕方の渋滞なら30分近くかかるかもしれない。
夢は延びたとはいえ、まだわずか4分だ。
30分、遠いな……。
俺は、あの夢と同じ時刻になった空を見上げた。
夕暮れの澄み渡った薄紫の空は、雲が高く、西にほんのりとした夕焼けが広がっていた。
その日も色々考えすぎて眠れず、結局寝ついたのは12時を過ぎていた。
――夢に戻った俺は、車のハンドルを握っていた。
いろいろやり始めて丁度1週間が経つ。まずは、やるべきことをきっちりこなすことに集中する。
停車、携帯、雫への送信。
《駅で待って迎えに行く》
時間が伸びた分SNSを打つ時間はある。ちゃんと待ってくれるように伝える。
俺は返事を待つことなく車を出す。次の交差点で車をUターン。もう迷いなくこなしていける。今来た雲出大橋を戻っていく。
よし、ここまで順調だ。昨日より少し時間も稼げた。
19:00、雫からの返信が来た。雫の方は駅に着いたところだから、返事はどうしてもこのぐらいの時間になるか。
《何かあった?》
俺はすぐにでも返信したかった。
だが、この渋滞の中、車を停めるような場所もなく、しかもそんなことをしていれば雫に近づくことも叶わない。
渋滞の車列が赤信号でせき止められる。
今だ。
俺は携帯をとり、素早く文字を打つ。
《話あるから待って》
信号が青になり前の車が動き出した。送信をタップすると同時に後からクラクションを鳴らされた。
慌てて発進させたが、すぐに前方の車に追いつき、また止まってしまう。
俺はハンドルをイライラと叩きながら、裏道をいく手はないかと考えていた。
なんとか少しでも雫に近づきたかった。たとえ1メートルでも。
19:03、雫からの着信。
《ここでじゃだめ?》
新しい雫の言葉だ。
雫の困ったような笑顔が目に浮かんだ。
車が動き出した。
青信号が続く。いいぞ、信号を三つ止まらずに進んで、前の車が黄信号で行儀良く停まった。
今のは行ってくれよ。
俺は、イライラとハンドルにあたる。
えっ! その時、俺は時計の方を見直した。
19:08、こんなにも進んでいた。
すごい。何が起きているのかわからなかったが、俺の車は新しく延びた時間でさらに前へ進む。
赤いテールランプの車列が動き出した。スピードが上がる。
よしいいぞ、もしかしたら、このまま……。
――夢から目覚めた。
いつもの部屋、天井。モノクロの暗がりの中に俺は戻っていた。
急いた心のざわめきで、まだ心臓が騒がしい。
もうここは現実だ……。
ふうっと大きく息を吐いて、混沌とした意識をなんとか静めようとする。
夢がまた延びた。
最後に見た時計は、19:11だった。
初めの夢から12分、大幅に延びたことになる。
すごい。……でもどうして。
なぜ延びたのか、皆目見当がつかなかった。




