表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/19

9.梅花に酔う(4)

 突如響いた歌声に、死闘を繰り広げていた涼犀(りょうさい)皇子(おうじ)清顕(せいけん)は、ピタリと動きを止めた。


 翠旺(すいおう)は二胡をかき鳴らし、古代の怨み歌の歌詞を(つむ)いだ。



 ──秋になり、木々の葉は枯れ、みすぼらしい黄色となった。


 ──父よ、母よ、私はあまりにも遠く離れてしまった。


 ──こんなはずではなかった。あなた方の愛に包まれ、幸せに生きてきた私なのに。一体どこで、道を違えてしまったのか。



茗蓉(めいよう)……?」



 震える声で、涼犀皇子は愛妃の名を呼んだ。


 彼女が唄っているのは、遠く離れた異国に嫁いだ女性が、自らの境遇を嘆く歌だ。切々と悲哀を訴えるその声は、涙雨のような二胡の響きと相まって、聴く者の心を強く揺さぶった。

 明らかに動揺を見せた涼犀皇子に、梅の木の隙間を縫って清顕の炎が襲い掛かる。

 炎の龍が怨霊の右腕に絡み付き、彼は苦悶(くもん)(うめ)きを漏らした。


「ぐっ……! ぐあぁぁあ……!」



 ──許されるなら、今すぐあなた方の元へ帰りたい。けれど、偽りの愛に身を(ゆだ)ね、私は全てを(うしな)った。


 ──今はただ一人、私は色を失った世界に生きている。どれほど怨んでも悔やんでも、もうどこにも帰れない。



「……()ッ!」


 清顕が一際力を込めて放った呪符が、残った梅の枝を根こそぎ払う。木々は文字通り()()微塵(みじん)に弾け飛んだ。

 蒼白な顔になった涼犀皇子が、目を見開く。


「馬鹿な……!」



 ──私はもう、どこにも帰れない。怨みを抱え、一人夜に彷徨い続ける。



 仄暗(ほのぐら)い感情を(ほとばし)らせる翠旺(すいおう)の歌声は、涼犀(りょうさい)皇子(おうじ)の心を確実に削り取っているようだ。顔面を蒼白にした皇子は隙だらけで、清顕(せいけん)は容赦なく術を叩き込む。


 清顕の放つ炎にあちらこちらを焼かれ、怨霊はついに、原型を留めることが出来なくなった。美しかった顔からは腐肉が剥がれ落ち、所々から乾いた白い骨がのぞき出す。


 翠旺は何度も何度も、主題の恨み節を繰り返した。

 その度に子の姿は崩れていき、やがて、ほとんど骸骨(がいこつ)と化した怨霊が悲痛な叫びを上げる。



『や、やメろ、メイよウ……! わタシたチハ、アいシアって……』


「──あなたが見ていたのは」



 二胡(にこ)を爪弾く手をピタリと止め、翠旺が冷ややかな面持ちで告げた。



「あなたが愛したのは、(しゃ)氏の顔だけ。謝氏ではないと分かっていながら、顔が似ているだけの私を、貴方は連れ去った。……結局、悲劇の主役になった自分に、酔っていらしただけでしょう」

『ダ、だマレぇエぇェぇッ!』


 ぐわりと伸び上がった黒い影を、その前に立ち塞がった清顕が()いだ眼差しで見上げる。傷だらけになった腕をすっと(かか)げ、彼は静かな声音で九字を切った。



(のぞ)める(つわもの)、闘う者。皆、(じん)(やぶ)れて、前に()り」


『メ、メイヨウ……! ワタシ、ハ──!』



 清冽(せいれつ)な風が吹き荒れ、妄執(もうしゅう)の塊となった怨霊の全身を切り裂いていく。


 続く言葉は意味を成さず、怨霊の姿は跡形もなく弾け飛んで消えた。










 重く(こご)っていた梅の香りが晴れ、清顕(せいけん)がその場にがくりと膝をついた。同時に、翠旺(すいおう)と皇帝を護っていた強固な結界が、音を立てて割れる。


「──清顕!」


 地面に両手を着いて荒い呼吸を繰り返す幼なじみに、翠旺は血相を変えて駆け寄った。あちこちから血を滲ませた背中に、おろおろと手を添える。


「清顕、清顕! だいじょ──」





「こンの、大馬鹿者がぁぁあッ!」





 特大の雷と共に、情け容赦ない拳が頭頂に振り下ろされた。脳天を貫いた痛みに、翠旺は悲鳴を上げる。


「いっ……、たぁーっ!」

「俺はもっと痛いわ! 見ろこのざまを、ズタボロなんだぞ! だから大人しくしていろと言うのに、お前は!」

「痛い、痛い痛い痛い!」


 ぐりぐりと拳で両側頭部を挟み込まれ、翠旺は痛みに悶絶(もんぜつ)する。その手に一際力を込めたあと、清顕は盛大な溜め息を(こぼ)して彼女の頭から手を離した。

 しばらく所在なく彷徨(さまよ)っていた彼の腕が、やがて真っ直ぐに伸び、翠旺の身体をきつく抱き締めた。


「……無事で良かった」


 その言葉に(こも)った真心に、その手の温かさに、翠旺は身体を震わせた。

 ほっとしたところで今更(よみがえ)ってきた感情に、翠旺の目に涙が浮かんだ。それを隠すように、翠旺は彼の胸に顔を押し付ける。

 今度は優しく彼女の頭を()で、清顕は翠旺を落ち着かせてくれた。翠旺がのろのろと顔を上げた頃、彼はゆっくりと身体を離す。そして彼は、唖然とやり取りを見守っていた皇帝に向かって(ひざまず)いた。


「時間がかかり、申し訳ございませんでした。お怪我はございませんか?」

「……お前の結界の中にいたからな。この通り、(かす)り傷一つない」


 ひらひらと手を振る皇帝に、清顕は「ようございました」と深く叩頭(こうとう)する。

 翠旺も彼を振り仰ぎ、改めて首を(かし)げた。


「あの、陛下。改めまして、二胡(にこ)をありがとうございました。……ですが、どうして陛下がここに?」


 供もいないということは、怨霊の力に偶然巻き込まれたわけではないだろう。そうなれば、清顕と二人、この空間に乗り込んできたことになる。だが、なぜ国の頂きに立つ(とうと)き方が、そんな危険を犯したのか。

 不思議そうに見上げる翠旺に、皇帝は尊大に微笑んだ。


「お前は俺の下級妃で、俺はお前の飼い主だ。……その所在を確かめる義務が、俺にはある」

「はぁ……」


 答えになっているようで、まったくなっていない。

 翠旺がますます首を傾げていると、彼はついと清顕に視線を移した。


「……さて、(こう)よ。この空間もいつまでもつか、分からぬのだろう? 早く戻るぞ」

「はっ……」


 その目線の思いがけない強さに、清顕は小さく息を飲んで頭を下げた。













 その女性は小さく溜め息をつき、窓越しに夜空を見上げた。


「梅も、燃えてしまったのね……」


 今回の梅、前回の梨。そして、夜伽を邪魔する皇后の侍女に影響されたふりで放った怨霊は、鈴蘭を媒介にしていた。


 愛や忍耐。花が示す想いを、憎い彼は、いつになったら気付いてくれるのだろうか。



「次はもっと、強い子を用意しなくちゃ……」



 静かにひとりごちた女性は、可憐な面差しに淡い微笑を浮かべる。




 その言葉はまるで、真摯(しんし)な愛の告白のような、甘く重い空気を(はら)んでいた。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ