表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/24

20.朝月夜に君を想う(4)

翠旺(すいおう)ちゃん! 怪我したって聞いたけど、大丈夫? 無理すんなよ」



 つい先ほどまで、邪神だ、国家転覆だ、反撃だ、などと深刻な話題ばかりだったところに、(よう)次官の軽い雰囲気は、良い意味で翠旺を脱力させた。清顕(せいけん)が眉間に盛大に皺を寄せる。


(りゅう)女官(にょかん)だろう。楊次官」

「はははっ! 陛下はいらっしゃらないんだし、良いじゃないですか」


 彼は祓魔(ふつま)の上層部の中で、清顕の唯一の同世代であり、部下である翠旺にも気安く接してくれる。清顕は顔を(しか)めるが、楊次官──楊 泰成(たいせい)はどこ吹く風と笑っている。

 そんな彼が一瞬だけ驚いた表情をしたのは、翠旺がいつもの化粧をしていないせいだろうか。思えば、素顔で彼に会うのは初めてだった。

 彼も姿を消す術を自身に掛けている。翠旺たちを認知出来るのは、(そん)妃や邪神・寿天(じゅてん)を除けば、よほど力を持った術師だけだろう。

 翠旺は、ヘラリと笑う楊次官の肩を叩いた。


「行きますよ、楊次官」

「ほいほーい。……そんなに睨まないでくださいよ、統括官。翠旺ちゃんは俺がしっかり守りますから」


 清顕はじっとりと湿った目で副官を見つめていたが、やがて溜め息を吐いて二人を送り出した。










 広大な後宮には、あたこちに霊廟(れいびょう)や小さな道観(どうかん)がある。ただ、それらの地下に皇宮(こうぐう)の外に繋がる道があったことを、翠旺(すいおう)はこの日初めて知った。

 その時のやり取りを思い出し、翠旺は思わず苦い表情になる。



「皇宮に外敵が侵入することは、予測される出来事だからな。女たちを血(なまぐさ)(いさか)いに巻き込まぬよう、外に出られる道がある。代々の皇后にしか知らされぬ通路で、万が一話が漏れた際には別の経路が造られる」


 皇帝は悪戯っぽく笑って言ったが、隣で話を聞かされていた清顕(せいけん)は、頬を引き()らせた。重大な情報を知ってしまい、緊張を隠せない彼に、皇帝は何とも楽しそうな目を向けていた。苦笑する翠旺にも物言いたげな目線を寄越した皇帝は、「くれぐれも内密にな」と念を押した。



 さて、後宮の外、北西の門の手前に、その地下道の入り口はあった。

 真夏の湿気に()えた匂いを発する道を、翠旺は楊次官と共にゆっくりと進んで行く。二人並んで歩くのが精一杯の広さの通路で、(よう)次官は時折足を止めて様子を伺った。土をならした簡素な地面には所々に木の板が敷かれ、不規則な足音を響かせる。

 前後左右に警戒を向けながら、楊次官はふと口を開いた。


(りゅう)女官(にょかん)。……先ほどはふざけて言ったが、本当に無茶はするなよ」


 常の陽気さが嘘のような真剣なその声に、翠旺は思わず目を丸くする。肩の怪我は痛み止めで誤魔化しているが、未だ本調子ではない翠旺の様子を、彼はひと目で見抜いたようだった。

 楊次官は真っ直ぐに前を見据えながら、言葉を続けた。


「あんまり、統括官を心配させないでやってくれ。……まあ、統括官もお前に散々心配を掛けただろうから、お互い様なんだがな」

「楊次官……」

「お互いを大切に思うなら、自分のことも大切にしろ。どれほど悔やんでも、取り返しのつかないことはあまりにも多いんだぞ」


 彼はかつて、将来を誓った恋人を不慮の事故で亡くしている。街歩きの最中、些細な喧嘩の末にはぐれた直後のことだったそうだ。その言葉はあまりにも重い。

 先月の事件で多くの部下を失った清顕も、そのことをひどく悔やんでいたと聞く。遠因となる報告を行った自分自身を、翠旺は責めることしか出来なかった。


(──人の生命は、儚い)


 神妙な面持ちになった彼女の頭を、楊次官は小さく笑って軽く叩く。翠旺が顔を上げると、彼はふと瞬きをして周囲を見回した。


「……おっと、抜け道だ。この辺?」

「あ、多分。その道を十歩ほど進んだら行き止まりで、そこから上に出られるんだとか。霊廟の地下の、秘密の空間に繋がってるみたいです」


 碧霞元君(へきかげんくん)(まつ)る小さな(びょう)の地下にあたる空間だそうだ。ちなみに、地上の碧霞元君の廟の隣には、西王母(せいおうぼ)を祀る大きな霊廟がある。

 行き止まりの先、()びつきかけた扉を引くと、(きし)みながらゆっくりと開いた。現れたのは、成人男性の肩幅にはギリギリの空間で、壁には梯子(はしご)のようなものが打ち付けられている。

 楊次官はその梯子を一息に登り切り、天井をコツコツと叩いた。


「土天井に偽装されてるが、木の扉だな。……俺が良いと言うまで待ってなよ」


 軽快に告げた楊次官が天井の扉を押し開け、注意深く周囲を伺う。


「……大丈夫そうだ。上がってきて」


 天井の上に出た楊次官に促され、翠旺も梯子に手を掛けた。左肩を庇いながら登っていくと、楊次官が手を伸ばして引き上げてくれる。

 そこは、皇帝に話を聞いていた通り、木の壁と床の、質素な空間だった。部屋の片隅には、女性が腰を屈めるほどの低い階段が上に伸びている。

 長身の楊次官が、「腰やりそう……」と苦笑して、その先を見上げた。


「……ほんじゃまあ、もうひと頑張りといきますか。陛下の仰る秘密の場所は、西王母の廟の裏だよな?」

「そうですね。遷都(せんと)の際、土地神を祀る地下廟が、その地下にあるって言われました」

「また地下なのね……」


 楊次官はまだ二十五歳だというのに、どこか(じじ)むさい仕草で腰を叩いて嘆いた。













「……統括官。後宮に散っていた寿天(じゅてん)教徒が、一部を除いて昊極殿(こうきょくでん)に集まっています」

「分かった。警戒を続けろ」


 部下の報告を受け、清顕(せいけん)(まなじり)を険しくして目の前の建物──皇帝の住まいである昊極殿を見上げる。見張りを命じた部下たちは、音もなく持ち場に戻っていった。


 女神の弱点となりうる、かつての恋人の魂を探すため、翠旺(すいおう)たちが後宮に向かってから、清顕はずっと昊極殿に張り付いていた。

 邪と聖、二つの面を持つ女神は、何かが混ざり合う時間にもっとも強さを持つ。それは(そん)氏が儀式を行った夕刻と夜のあわい、次は朝と夜が重なる明け方だろう。それまでに、翠旺たちが戻ってきてくれれば良いが。


(あんな怪我を負ったあいつに、頼らざるを得ないとは……)


 清顕は胸中(きょうちゅう)に渦巻く苛立ちに、自身の拳を握り締める。


 本当は寝台に縛り付けてでも、休ませたかった。結界の中に閉じ込めて、傷ついた心身に誰も触れさせたくなかった。

 小さな身体からあんなに血を流して、精神的な衝撃を受けて──


(──双子の、姉妹)


 翠旺には「考えるな」と告げたが、どうしても、彼の思考は孫氏の側近となった宦官の言葉をなぞってしまう。


 奴らは、翠旺の何を知っているというのか。孫 香蕾(こうらい)とは何者なのか。


 孫氏が翠旺を見る瞳には、どこか狂的な光があった。(けが)れを好む神の(にえ)とするためだろう、血が繋がっているという(すいおう)躊躇(ためら)いなく刃を突き立て、その一方で陶酔(とうすい)したように彼女を見つめていた孫氏。

 邪神を降ろし、この国を掌握して、孫氏が次に求めるものは。


(これ以上、翠旺には近付けさせない。……誰にも渡さない)


 国の行く末を左右する重大な局面で、私的な思いに囚われていることを恥じる余裕もないほど、清顕は幼なじみを傷つけられた怒りに全身を燃やしていた。その思いは蒼い炎のように彼に(まと)わりつき、感覚を鋭敏に研ぎ澄ませていく。


沙慈(さじ)孝良(こうりょう)。夜が明けるにつれて、邪神は力を増していく。……逆を言えば、夜が深い今、もっとも力が弱まっているはず。今のうちに、昊極殿一帯に破邪(はじゃ)の術を仕込むぞ」


 背後に控えた部下たちは、清顕を驚いたように見つめた。彼はそんな部下を真っ直ぐに見つめ、ひとつ頷いてみせる。


「神を殺すわけにはいかない。だから、争いを好み、人を傷つけ喜ぶ邪の部分を、弱らせる」

「で、ですが、相手に気付かれれば……!」

「だからお前たちを呼んだんだ」


 二人がハッと息を飲む。

 この場にいるのは、清顕にはまだ馴染みの薄い部下たちだ。幾つもの死線を共にくぐり抜けた部下は、先日の事件で、彼が守りきれずに無惨(むざん)に死なせてしまった。


 もう二度と、あんな思いはしたくない。


 彼らは、攻撃の力よりも、守る力に長けた術士だった。


「いざとなれば、何よりも自分と陛下、後宮の妃嬪(ひひん)様方を守ることを優先しろ。……破邪の術の準備は、沙慈、手伝ってくれ。孝良は俺たちの姿を敵から隠し通せ。術の発動は、翠旺たちが例の魂を(たずさ)えて戻って来たら。あまり準備の時間はない。

──やるぞ」


 清顕は二人の配下を見つめ、力強く言った。













「……しっかし、よくもまぁ、こんなに溜め込んでたものですねぇ」


 祓魔(ふつま)の長官・() 綜哲(そうてつ)は、鋭い三白眼を細めて笑った。


 ここは昊極殿(こうきょくでん)の離れ、普段、翠旺たちとの密談の際に使う小部屋だった。

 側近たちの目すら(あざむ)いて、皇帝自身が部屋のあちこちに隠していた数々の書籍に、御庭番(おにわばん)の精鋭宦官たちが目を丸くしている。


 小部屋には皇帝・(とう) 獅英(しえい)のほか、彼の「何でも屋」たる祓魔の杜長官とその副官、御庭番の宦官でぎゅうぎゅう詰めになっていた。入り切らない残りの御庭番たちは、闇夜に(まぎ)れて周囲を警戒している。

 獅英は開き直るように言ってのけた。


「……官僚たちは俺のことを、ろくな後ろ盾も持たない腑抜(ふぬ)けの皇帝と甘く見ていたからな。証拠集めは容易(たやす)かったぞ。民の救済を口実に不正は働くわ、邪教復活を支援するわ、散々だ。……さすがに目に余る者は、さっさと(さば)いたがな」

「恐ろしいお方だことで」


 彼の父帝は、高官や宦官の不正を許さず、自身の威光(いこう)を損ねるものに容赦がなかった。

 祖父帝も政治に熱心とは言えなかったが、彼が大切にする国や文化を汚す者は、躊躇(ちゅうちょ)なく罰していた。

 だが、彼らはいずれも有力な后妃(こうひ)の子として生まれ、絶対的な権力を持っていた。父の跡を継いだ義兄たちは、奸臣(かんしん)たちの見極めを受ける前に、病や事故で相次いで生命を落とした。

 中級妃の子である獅英だけが、即位前も即位後も、軽視され続けてきたのだ。


(高官たちも、寿天教徒たちも。馬鹿にするのならすれば良い。……最後に勝つのは、この国を守るのは、俺だ)


 獅英は獰猛(どうもう)に笑い、呼び寄せた者たちを前に不敵に告げる。


「昊極殿を不当に占拠した寿天教徒は、高統括官が警戒している。奴らを抑え込む要となるものは、劉女官が捜索に向かった。

俺たちは、夜明けと共に、皇宮(こうぐう)間近に迫った逆賊(ぎゃくぞく)どもを叩く」

「……お手持ちの戦力は、いかほどで?」


 皇帝の言葉に(ひる)祓魔の官や、御庭番の宦官たちの中、既に作戦を聞かされていた杜長官だけは平然として尋ねた。獅英は肩を(すく)めて、傲然(ごうぜん)と笑う。


杜長官(おまえ)が掌握している祓魔は、信用して良いな? あとは、ここに集まった御庭番と、外廷(がいてい)との狭間で立ち往生している武官三十名だな。

外廷の高官どもは、どちらに転がるか、高みの見物を決め込んでいる」


 ざわつく周囲をものともしない獅英に、杜長官もよく似た獣の笑みを浮かべて答えた。


「なるほど? 全ては、陛下の弁舌にかかっているわけですな」

「ただの筋肉馬鹿じゃないことを、存分に見せ付けてやる。……頼りにしているぞ」


 獅英の言葉に、祓魔と御庭番、普段は互いにぶつかりがちな両組織の者たちが、額を突き合わせて作戦会議を始める。その様をじっと見つめながら、杜長官がふと、獅英の耳元で(ささや)いた。


「陛下。(こう)統括官も(りゅう)女官(にょかん)も、優秀な自慢の部下です。……ただ、あまり買いかぶり過ぎぬよう。彼らが間に合わないことも、まるで歯が立たないことも、十分に有り得ます」


 冷静な壮年の男の声音に、しかし、獅英は鷹揚(おうよう)に頷く。


「分かっている。もしもの時は、せいぜい無様に足掻(あが)くさ。──その際は、こいつらのことを頼むぞ。(たお)れるのは俺一人で良い」

「ご冗談を」


 間髪入れずに答え、杜長官は目を細めて笑った。


「貴方様という太陽がお隠れになるのなら、私の目も、翌日の朝陽を映すことはございませんよ」


 その言葉に、獅英は微かにたじろいで彼を見やる。(したた)かな祓魔の長官は、まだ若い皇帝を真っ直ぐに見据えて続けた。


「参りましょう、陛下。──勝利を掴みに」









 翠旺(すいおう)は、焦りのあまり冷や汗をかいていた。


(なんで……!?)


 土地神を祀ったという地下廟(ちかびょう)、入り組んだその脇の小部屋には、確かに「何か」が隠されていた跡があった。

 だが今、そこには何の存在も感じられず、がらんとした闇が広がるばかり。

 (よう)次官は翠旺を落ち着かせるように、彼女の肩を軽く叩いた。


「落ち着いて、翠旺ちゃん。『何か』はいたんだよな? その気配は追えない?」

「試してみたんですけど……。無理です。何も残ってない。もしかして、幽丞帝(ゆうしょうてい)が封印場所を変えたのかも……」


 思わず唇を噛んだ翠旺は、瞬間、襲いかかった目眩に足元をふらつかせた。薬の効果が切れかかっているのか、左肩に熱いような鋭い痛みが走る。

 慌てた楊次官に支えられつつ、翠旺は目まぐるしく思考を巡らせた。


「でも、隠すなんてどこに? 後宮で、ここ以上に安全な場所なんてない……」

「陛下が仰るには、時折、地下道は作り直されるんだよな? もしかして五十年前、道自体が変えられたのかもしれない」


 冷静な楊次官の指摘に、翠旺は勢いよく顔を上げる。思いがけず近い距離にお互いの鼻先があり、楊次官が上体を大きく()()らせた。


「うおっと! 高統括官に殺される!」

「……はい?」


 翠旺は(いぶか)しむが、楊次官は「なんでもない」と首を振る。翠旺の背から手を離し、不意に彼は真顔に戻って言葉を続けた。


「──で、どう思う? 地下道の存在を知るのは、歴代の皇帝陛下と皇后陛下だけなんだよな? それなら、大掛かりな工事は出来ないし、ここまでの道のどこかに、分岐(ぶんき)があるかも知れない」

「怪しいのは、ここに繋がる道と分かれて伸びていた、あそこですよね……」


 翠旺は顔を(しか)めつつ答えた。

 時間の余裕がない。事前に話し合った作戦では、皇帝は夜明けに行動を起こすと言っていた。あまりあちこちを探し回っていては、間に合わなくなる。


「幽丞帝……」


 ふと楊次官が呟き、翠旺は「え?」と首を(かし)げた。彼は普段の軽薄な印象から一転、真剣な眼差しで宙を睨んでいる。


「基本的には芸術保護に熱心で、それ故に、邪教を許さない苛烈(かれつ)さを持った皇帝。その後宮では騒動も多かった。……その方が、もっとも寵愛した相手は」

「……()静嬪(せいひん)


 翠旺も目を見開く。


 上級妃付きの侍女でありながら、皇帝に寵愛されたために周囲の嫌がらせを受け、心を病み、自ら生命を絶った女性。

 幽丞帝はなぜ、どこで彼女を見初(みそ)めたのか。


 その主たる上級妃の宮の近くに、頻繁に出向くことがあったからではないか。


「彼女が仕えたのは、後宮の東に住まう賢妃(けんひ)です。……そちら方面に伸びる地下道があれば!」


 勢い込んで声を弾ませる翠旺に、楊次官も頷く。


「可能性は高い。……さっきの道、位置関係から考えて、東側に伸びていた」

「行きましょう!」


 顔を輝かせた翠旺に、楊次官は何故か顔を引き()らせ、顎に手を添えた。


「翠旺ちゃんに無理させるのと、おぶって走るのと、どっちがましか……」

「……はあ?」


 訳の分からないことを口走る上官に、翠旺は再び首を傾げた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ