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17.朝月夜に君を想う(1)

「なんなのよ、いったいどういうつもりで……!」

「離しなさい! ……きゃあッ」




 翌朝、混乱の続く後宮のあちらこちらで、女性たちの甲高い悲鳴が響き渡っていた。


 (りゅう) 翠旺(すいおう)(こう) 清顕(せいけん)は、小部屋の(すみ)で溜め息を吐いた。


 昨日、武器を持った宦官を引き連れ、突如皇后の寝室に乗り込んできた(そん)慧妃(けいひ)たちは、病床に伏す皇后を人質に取った。病み上がりの妻に毒刀を突き付けられ、皇帝は()(すべ)もなかった。

 彼らの後ろに大人しく従う皇帝から引き離され、翠旺と清顕は、皇后の宮の一室に軟禁されている。周囲には数名の見張りがおり、身動きが取れない状況だ。

 皇后陛下の元には、孫慧妃の息のかかった医官が遣わされ、監視付きで看病が行われているという。それだけが、唯一の吉報だった。








 後宮の内外で呼応し、蜂起(ほうき)した寿天(じゅてん)教徒の集団は、「金食い虫である後宮の解散」、「瀆職(とくしょく)役人の追放」、そして「信教の自由」を訴えた。武装した一団が、皇帝を昊極殿(こうきょくでん)──皇帝の夜の住まい──に連れ込み、現在はそこに立てこもっている。

 生活に余裕があるとは言えない下級宦官、端女(はしため)たちがそのお題目に反応し、集団の末尾に加わっているのが気配で分かった。

 注意深く外を伺っていた清顕だが、舌打ちをして翠旺の隣に戻ってきた。


「……駄目だな。一夜明ければ監視の目も緩むかと期待したが、むしろ増えている」


 乱暴に腰を下ろし、前髪をぐしゃぐしゃとかき乱す幼なじみを、翠旺は黙って見つめていた。


 寿天教徒は──孫慧妃は、翠旺たちを死なせるつもりはないのか、水や粥といった最低限の食糧を差し入れてきた。毒を警戒したものの、部屋に紛れ込んできたネズミに一口やったところ、ピンピンしてる。彼らは黙って(さじ)を取り上げた。


 清顕は種々の呪符を、翠旺は二胡(にこ)呼鳥(こちょう)の紙束を取り上げられ、何も出来ずにいる。

 落ち着かなげな清顕をじっと見上げ、翠旺はポツリと尋ねた。


「……ねえ、清顕。寿天って、異国の神が起源の邪神だったよね?」

「ん? ああ」


 眉を寄せた彼の真横に移動し、翠旺は不安の面持ちであたりを見回した。


「……変な気配がする。怨霊のものとは違うけど、なんて言うか……、空気が重苦しくて、呼吸がしづらい」


 清顕はふと瞬きをし、翠旺を真似るように周囲の気配を探った。しかし、彼は何も感じられないのか、困惑の面持ちで翠旺に向き直る。


「俺には感じられないが……。翠旺がそう言うなら、そうなんだろう。あるいは、これから現れるか」

「うん……」


 医官付きの小姓の装いの翠旺は、()せた群青の衣の袖をぎゅっと握り締めた。清顕は翠旺の頭を軽く()でたあと、外の気配を伺いながら口を開く。


「……寿天はもともと、西域の女神が起源とされている。世界を壊しかねない荒々しい神だが、一方で、溢れる母性も持ち合わせている。我が国で寿天が一時、『苦しむ庶民を救う女神』と持てはやされたのは、その印象が大きかったんだろう」


 もっとも、寿天教徒を取りまとめる教祖一派は、民を救うどころか喜捨(きしゃ)を強要し、私腹を肥やしていたわけだが。


 忌々(いまいま)しげに呟いた清顕は、壁に頭を打ち付ける勢いで天を仰いだ。


「──陛下は、ご無事だろうか」


 珍しく気弱に顔を(しか)めた幼なじみの指先を、翠旺はぎゅっと握り締める。その手は驚くほどに冷たい。


(ちゃんと寝てないから……)


 この小部屋はどうやら、寝ずの番の侍女の仮眠室のようだった。部屋には寝具一つのみ。翠旺は「一緒に寝よう」と誘ったが、清顕は頑なに同衾(どうきん)を拒んだ。かと言って、交代で休むことも良しとせず、明け方、硬い床で申し訳程度に仮眠を取ったのみだった。


 翠旺の寝相が悪かったのは、彼の家に預けられることの多かった、子ども時代の話だ。今はそれなりに改善したというのに、失礼な幼なじみだと翠旺は思う。


 頬を膨らませる翠旺に何を思ったのか、清顕は気まずげに目線を()らしていた。


(早く、ここから出る手立てを考えなくちゃ……)


 翠旺は空気に潜む「何か」の気配を探りながら、そっと目を閉じた。










 可憐さで知られる妃は、その愛らしい面差しに満面の笑みを浮かべ、至近距離で彼の顔を覗き込んだ。


「──陛下。私共は、それほど無茶無謀を申しているつもりはないのです。佞臣(ねいしん)を排して民の生活の苦しみを和らげ、自由な信仰を許してほしい。……陛下さえ頷いてくだされば、すぐにでも兵を引きます」


 獅英(しえい)の知る(そん) 香蕾(こうらい)は、万事控え目な麗しい淑女だった。

 それが今や、自分の意見を一方的に主張し、ふてぶてしく笑っている。

 何故か見覚えのあるその笑顔の圧に、獅英は眉間に皺を寄せていた。


 室内には、彼女以外にも、獅英の馴染みの者が何名も(たむろ)していた。御庭番(おにわばん)の上役、傍付き宦官の弟子、護衛武官。いずれも、熱心な寿天教徒だったようだ。獅子身中(しししんちゅう)の虫の数は、獅英の予測を遥かに超えている。


(誰も信用しないと、思っていたのだがな……)


 彼の認識が甘かったのだと、言うほかなかった。


 市中の捜査を任せた祓魔(ふつま)とは違い、皇宮内で寿天の噂をほとんど聞かなかったのも、道理だった。調査を命じた者たちが、彼らの協力者だったのだから。


 獅英とて、警戒はしていた。

 いくつかの組織、いくつかの派閥にそれぞれ調査を命じ、報告の矛盾に注意を払っていた。だが、敵はそれすらも予想し、手駒を細かく分散させていた。


 皇后・美芳(みほう)は、翠旺(すいおう)は、(こう)統括官は無事だろうか。

 後宮に暮らす彼の子らや、数多の妃嬪たち、皇宮に仕える文武官、宦官や女官たちは。


 獅英は昊極殿の一室で、軟禁状態にあった。

 側仕えは全て取り上げられ、武器も奪われ、手足を拘束され、玉座に縛り付けられている。解かれるのは、更衣と湯浴みの時だけ。それすらも、寿天の手の者に付き添われてのことだ。



 無様だった。



 唇を噛み締める彼を、孫慧妃は目を細めて見下ろしている。

 その目に浮かぶのが、憎悪や嘲笑、勝利の余韻であれば、まだ理解は出来ただろう。だが、彼女は嬉しげに、まるで小動物でも愛でるかのような目つきで、獅英を見下ろしている。


 孫妃は花が咲くように笑い、小首を傾げた。


「陛下。私の、お花の恋文。──受け取ってくださいましたか?」

「……なんのことだ」


 冷たく応じた彼に、御庭番たち──寿天の放った間者たちは、(かす)かに顔を(しか)める。だが、香蕾(こうらい)は彼らを制し、あざとく首を傾げた。


「鈴蘭は純潔、梨は癒し、梅は気品や不屈、藤は長寿。いずれも、陛下への愛と、従属の告白ですわ。『我々寿天の民は、李寧(りねい)の一柱として、末永く陛下をお支えします』という」

「……ならば何故、怨霊騒ぎを起こした。後宮の住人を苦しめる必要がどこにある」


 獰猛(どうもう)(うな)る獅英の頬をつっと指先で()で、孫慧妃(けいひ)はうっそりと目を細める。爪飾りをつけた細い指先は、獅英の左の目尻のすぐ側で止まり、差し込む日差しを不吉に弾いて輝いた。


「民の信心を失い、寿天様は弱っておいででした。……再び、この混乱の世でお力を発揮いただくために、血と魂が必要だったのです」


 その顔つきは敬虔(けいけん)そのものであるというのに、獅英の背筋を悪寒が走った。

 彼は動揺を誤魔化しながら、香蕾を睨みつける。


「……寿天は、神なのだろう」


 彼女はにっこりと笑い、頷いてみせた。


「ええ。衆生(しゅじょう)を救う神ですわ。……ですから、一刻も早く、乱世に降り立っていただかなくてはならなかったのです」


(怨霊騒ぎは、それが真意か……)


 獅英は唇を()み締める。

 後宮は、皇都(こうと)を模して作られた。中央に皇后、北に上級妃、南東に中級妃、南西に下級妃という図は、そのまま、皇宮と皇都の民の住区の位置関係となっている。

 それを(けが)し、陰の気を増やして、邪神の降り立つ素地を整えたのだろう。


 獅英は射殺しそうな瞳で、孫慧妃を見上げた。


「……皇后の宮の事件は、何だったのだ? 花の気配はなかったと、高統括官は申していたが」

「ああ」


 こともなげに頷き、孫 香蕾は一際輝く笑みを浮かべて答えた。


「あれは、別の方に向けた、個人的な私信です。……伝わっていれば、良いのですけれど」












 窓から布の塊が落ちてきて、翠旺(すいおう)ははたと我に返った。

 清顕(せいけん)と二人、皇后の宮の小部屋に閉じ込められてしまった、三日目の夜のことだった。(かたく)なに寝台に上がろうとしない彼を、無理矢理押し上げ、翠旺は板張りの床に丸まっていた。

 物音に気付いて目を覚ましたのか、清顕も素早く寝台を降り、布に近付こうとした翠旺を制する。

 警戒心も(あらわ)出方(でかた)を伺う二人に、窓の外から素っ気ない声が言う。


「……着替えだ」


 翠旺と清顕は目線を交わし、揃って首を(かし)げた。


「食事に水に、随分と親切な監禁犯がいるものだな」


 清顕が苦笑いを浮かべている。


 ただし、ありがたいのも事実ではある。

 盛夏(せいか)の折、退魔のために走り回った二人は、汗だくになっていた。

 水はいつ差し入れられなくなるか分からず、飲み水として確保しておきたい。(かわや)だけは小部屋の続きに作られているので、困ることはなかったが、清潔さを保てないのは地味に(こた)えた。

 清顕が布包みを慎重に取り上げ、急所に当たる部分に毒物などの罠が仕掛けられていないか、目を()らしている。何度も確認し、一応は大丈夫そうだと判断したのか、彼は小さい方の上下を翠旺に手渡した。

 翠旺の正体はとっくに知られているのか、同梱(どうこん)されていた下着は女性ものだ。


「……お気遣いいただいたみたいで」


 そう呟いた翠旺は、汗染みが気になり始めた衣の帯を外そうとした。

 その瞬間、慌てふためいた清顕が声を荒らげる。


「おま……ッ! ちょっとは恥じらえ!」


 かそけき月明かりの中でも一目瞭然(いちもくりょうぜん)なほど、顔を真っ赤にして叫ぶ清顕に、翠旺もはたと我に返った。

 室内にあるのは寝台と、小さな机のみで、視線を遮るものなど何もない。

 翠旺の頬が、火を吹く勢いで赤く染まった。

 清顕が小声で何かを呟き、差し入れられた着替えを頭から被って耳を(ふさ)いでいる。

 翠旺はすごすごと部屋の(すみ)に向かい、再び帯に手にかけ──目を(しばたた)いた。


「清顕」


 袖を引かれ、もぞもぞと布から頭を出した清顕の目前に、翠旺は着替えの帯を差し出す。

 清顕は(いぶか)しげに眉間に皺を寄せていたが、やがてハッと息を呑んだ。



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