死なないで
「協力者が独断専行。止めますか?」
「止められないよ」
入江は部下の言葉に苦笑で返した。
マンションは残り五層。捕らえた及川の手の者から聞き出した内容によると、『火花』の発生装置も最上階とのこと。
入江は情報を反芻して指示を出した。
「構わず完全制圧を続けろ」
「しかし」
「いい」
部下の反論を遮って、入江はマンションを後にした。
後は彼が終わらせてくれる。
そんな信頼のような感情を抱え、入江は鋭い目をした。
「監察区外の隊に片付けの準備をと伝えろ」
気配を断って移動することしばし。
俺は、最上階へたどり着いていた。錠のついた扉を蹴り開ける。スイートルームだったそこの奥に、目を向ける。
「……及川獅郎か」
俺の言葉に答えることなく、その男は俺を睥睨してきた。
大柄な肉体に鋭い目つき。なるほど、それなりの修羅をくぐったような目を感じる。しかし、俺はそれを獅子の風格などではなく、ハイエナの貪欲さに思えた。
「……」
及川獅郎はなにも答えない。傍に控えた幾人かの護衛に促されるように、荷物を背負って窓へ乗り出していた。パラグライダーだろう。
俺は、刹那も待つ気はなかった。
次の瞬間には近くの護衛から無力化している。
慌てて態勢を整える護衛たちに、及川獅郎が口を開く。
「殺せ」
言うがまま、窓から飛び降りた。
離れていく。
俺は護衛たちを全て無視して、後を追う。
俺の背には、パラグライダーも何もない。
構わず、窓から飛び出した。
「な……っ!」
護衛たちの驚愕を背に、縦にばかり伸びた木々をへし折りながら落下した。
着地には問題ない。
及川獅郎は、少し離れた。近くにある別の建物の屋上。
だが、追いつける距離だった。
僅かに痛めた足も気にすること無く、俺は駆けた。
◇◆◇◆
階段を上がり、物陰に身を隠す。息遣いを抑え、気配を薄める。
この監察区に囚われて、こんなことばかり上達してしまった自分に苦笑を漏らした。
でも、この技術もあの人に教えてもらった大切なこと。
それだけで、少しだけ、誇らしく思う。
……これから、自分の意志を示す。
それだけなのに、震えが止まらない。
こんなにも難しいものか。こんなにも恐ろしいものか。
でも――
◇◆◇◆
俺がそこにたどり着くと、そこには及川獅郎が立っていた。
こちらを睥睨してくるその視線は、狂気を秘めていた。
俺のように。
「アンタはゴミ溜めの外から指示だけ出したほうが良かったんじゃないか?」
俺がへらへらとそんなことを言うと、及川獅郎はふんと鼻を鳴らした。
「私こそ、こんな汚らわしい場所など来たくなかった」
「潔癖そうだからな」
「そうだ。貴様のような屑と話すだけで怖気立つ」
「まあ、ここに来た時点で、おまえもゴミの仲間入りなわけだ」
俺のその言葉に、及川獅郎はあからさまに顔をしかめた。
「一緒にするな。私はここを潰して更に上へと行く」
「もう旨みはなくなったか」
ピクッと反応した。俺は分かりやすいその男に、嘲笑を向ける。
及川獅郎は、低い声で尋ねてくる。
「どういう意味だ」
「マッチポンプももう限界だろう。それで今度は監察区復興を餌に資源を集める。もちろん、監察区は復興ではなく、消滅、なんだろうが」
中で生きる、人々ごと。
全て抹消し、新たなスタートを切るために。
「話が早い。邪魔をするな」
「する。こっちも自分勝手な理由がある」
話は終わりだ、と俺は言う。
一歩、踏み出す。
殺気があふれる。
及川獅郎は、否応なく死を意識するだろう。
「取引を――」
「財閥を寄越せ。さもなければ応じない」
心にもない要求に、及川獅郎は顔を歪める。財閥の力を増やすために生きた男が、応じるはずがない。
それでいい。
「死ね」
俺は足を踏み出し、距離を詰めていく。
一歩。二歩。
そこで。
「……こんなところで何してる?」
俺は目の前に立ちはだかった奴を見て言う。
そいつは、毅然とした表情で俺を見た。
「殺してはいけません。柊一郎さん、貴方はこれ以上心を壊しちゃ、だめです」
そいつはそんなことを言い、俺を妨げる。
そいつ――怜美は俺に向かって、こんなことを言うのだ。
「柊一郎さん、私は、あなたに、あなたの心に死んでほしくないです」




