喪われたもの
「そ、んな……」
『戦巫女』の彼女はそう呟くと、呆然としてその場に座り込んだ。その場にいる者たちも同様に信じられないような面持ちで目の前の大穴を見つめている。それを機と見て逃げ出そうとする部下たちを、『銀閃』が拘束アイテムで縛り上げていた。これでもう、部下たちは迷惑行為ができないだろう。
そして、目の前の大穴。
そこに落ちていったレンと呼ばれる青年を慕う者たちが、こちらへ怒りの視線を向けてくる。そこには青年に対する確かな信頼が見えて、自分は少し羨ましかった。
その怒りがこちらに向けられる。しかし大穴は自分のところへ行くのを難しくしている。これをチャンスとして、自分は傍らで眠るメルファを担いで背を向けた。
「メルファさん、すいません」
トラウマとも言うべきことを思い出させ、精神的に負荷をかけてしまったことに、深く謝罪を示す。それに、メルファは寝顔を安らかにした気がした。
自分は再び後ろを振り返る。そこには即死トラップのように見える大穴。
広場の幅いっぱいに存在するそれは、このダンジョン『虚空の淵』の最深部へと続く。
死ぬわけではない。しかし、自分は知っていた。並の人間では即死トラップのようなものだと。そして、ゲームクリアの鍵がそこにあることを。
『虚空の淵』の最深部は、まるで『異界』のようだと聞く。
彼なら。
あの『異界』を生き抜いた彼なら。
このゲームを作り上げた神の、裏をかくことが出来るかもしれない。
神が、到達し得ないと判断して残したままの、力を手にするかもしれない。
「レン……いや、柊一郎くん」
自分の同類でありながら、一線を画した存在に、自分はこの事件を任せた。自分は、自分を犠牲にしてでも、このゲームをクリアに導いてみせる。
肩に負う、この女性のために。
背後で怨嗟の声を受け止めながら、自分は攻略組の“敵”となったことを実感した。これで攻略組の団結を促し、少しでも目標に近づくために。
◇◆◇◆
レンくんが落ちた。
奈落へ続く大穴。
そこに、落ちた。
「そ、んな……」
私は全身から力が抜け、その場に座り込んでしまった。背後でなにか騒がしいが、それも確認できないほど、私は混乱していた。
あの、レンくんが?
きっとすぐに帰ってくる。
落ちてしまった……!
まとまらない思考をそのままに、私は呆然と前を見つめた。そこには『無彩』のユアンが背を向けてその場を後にするところだった。
あの人のせいで。
憎しみが沸々と湧いてきた。しかし、
「……」
そうではない。悪いのは自分だ。
動きの鈍かった自分。
判断能力の欠如した自分。
守られる存在としての自分。
それらが、レンくんを。
「……っ!」
私は手のひらを地面にたたきつけた。ゲーム内で軽減されている痛みでも、ものすごく痛い。
私は、一つ決意した。
強くなる。心も身体も。
それと同時に、私は心を閉ざした。
目の前でレンくんを失ったショックに、耐え切れなかった。
◇◆◇◆
それから事態は収束へと向かった。
『虚空の淵』は壊滅。幹部や構成員は例外なく『建築家』が作った牢屋へと繋がれ、自由を奪った。そして事情を知らずに傘下に加わろうとしていた一般人たちには事情を説明し、街に戻ってきてもらう。その際には少額の罰金を徴収し、けじめを付けた。その徴収金は、生産職の資金に回された。
しかし、攻略組御用達だった生産職は一人いなくなった。フィールドの一軒家も店を開くことはなく、その痕跡は薄れつつあった。
『解放軍』はその勢力を大きくすることに傾注していった。ゲームクリアのための戦力増強といえば聞こえがいいが、その実、一人の青年が消えたことに不安を感じていたのだ。
そして、『愚者の盾』は今までの任務をこなすと同時に、独自に《生命樹》の調査を進めていた。
全ては、彼らの恩人である『旦那』のために。
『戦巫女』、『銀閃』もそのなかで尽力していた。なかでも『戦巫女』の仕事は凄まじく、周りの人間の心配する声も聞かず、動いていた。
彼女は壊れてしまったのだと、周りは言った。
事実、彼女は以前のようなゆったりとした雰囲気を消してしまっていた。代わりに出てくるのは厳しく自他を律する行動である。当然、周りの空気もいいものではなくなり、次第に『愚者の盾』は緊迫感を持つようになってしまった。
そんな事実を見て、消えた青年の親友は悲しげに漏らした。
「どこに行っちゃったの……レン」
◇◆◇◆
暗い……。
昏い……。
冥い……。
体中を蝕む殺気のような気配。ドロリと体内に溶け込み、俺の精神を侵そうとしてくる。
俺は、それをぼんやりとしたまま感じて、
懐かしい安堵感に浸っていた。
俺は死んだのだろうか。
攻略組は鬨の声を上げているだろうか。
ミンのやつははしゃいでいるだろうか。
……彼女は、笑顔でいるだろうか。
俺は深く考えることを放棄した。
この安心感に身を委ね、俺は彼女のことをつらつらと思っていた。
やることもない。
自分の状況を把握は出来ていないが、まあいい。
少しの間、寝てしまおう……。
そうして、俺の意識は現実を離れる。
そのまま、意識の底へと沈んでいった……。
この世界は仮初のものである。生身の体を持つわけでもなく、スキルというシステムによって他力本願に生きる世界である。
ここで、少し場面転換を行おう。仮初の世界から、現実へ。現在から過去へ、時間をも戻そう。
それは追憶とでも言うのかもしれない。
しかし、それは容易く思い返すことなどできない、封じられたものだ。
けれども、これから紡がれるのは、ある青年の起源である。
そして……紛れもなく現実でのことである。




