第9話 だってもう、私たちバディでしょ?
次の瞬間、地面が一気に遠ざかった。
「わぁ……っ!」
風が、全身を打つ。ディアナが一打ちで宙へ駆け上がり、箱庭の緑が、みるみる眼下へ落ちていく。ルーシェの胸は 高鳴っていた。果ての空。母の待つ場所。今、自分は確かにそこに近づいた。
「それで、どうやって二人を止めるの?話し合いでなんとかなりそう?」
風に負けじと、ルーシェは前方の二頭へ目を凝らしながら問いかけた。争いながら飛ぶジェイリーンと、もう一頭。その姿は、まだ遠い。
《それは難しいな。特にジェイリーンみたいなタイプであれば、力を示すしかない》
ディアナの声が、風の中でも涼やかに届く。
「うーん。何とも厳しい竜社会……」
《多少の怪我ならすぐ治るから、手荒になるのも仕方ない。 しかしこの先は……》
ディアナの言葉が、途中で止まる。ルーシェも、前方の変化に気づいた。
二頭の竜が向かう先——空気が揺らいでいる。熱気だ。陽炎立つような大気の歪み。そして、その源にあるものを見て、ルーシェは声を上げた。
「火山だ!」
噴煙を上げる、箱庭の火山エリア。赤黒い岩肌と、立ち上る熱。争う二頭は、まさにその真上へと、もつれ込んでいくところだった。
《ジェイリーン……私が追ってくると分かっていて、ここを選んだな》
ディアナの声が、わずかに硬くなった。氷の力を操るディアナにとって、灼熱の火山は不利な戦場。ジェイリーンは、それを承知で、この場所へ逃げ込んだのだ。
熱気が、早くもルーシェの肌をじりじりと炙り始める。ディアナの鱗からも、冷たさが少しずつ奪われていくのが、跨る体に伝わってきた。
「ディアナ、大丈夫?」
ルーシェは、思わず彼女の首筋に手を添えた。
《私は私の正義で動くだけだ》
ディアナは、前を見据えたまま、静かに答えた。
《それでも、着いてくるか?》
それは、最後の問いかけだった。これから飛び込むのは、ディアナにとって分の悪い戦い。竜同士の、容赦のない力のぶつかり合い。ルーシェ自身も、無事では済まないかもしれない。
しかし、ルーシェは迷わなかった。
「もちろん!だってもう、私たちバディでしょ?」
風の中で、はっきりと言い切る。ディアナの背に乗ると決めた時から、答えは決まっていた。
《それは——この後の結果次第だな》
ディアナの声に、ほんのわずか、笑うような響きが混じった気がした。だが、確かめる間もなく、その身体が加速する。熱の渦巻く火山へと、白銀の竜は迷いなく突っ込んでいった。
二頭の竜は、火山の火口を見下ろす岩場の上空で、なおも睨み合っていた。
ルーシェを乗せたディアナが追いつくと、片方の竜が、嘲るように牙を剥いた。
《来やがったな、ディアナ!苦しいだろうよ、この火山は!》
ジェイリーン。人間への拒絶を剥き出しにした、あの竜。灼熱を味方につけ、勝ち誇るような気配を放っている。
対するもう一頭——ミラドーナを英雄視していた竜が、苛立たしげにルーシェ達へ向き直った。
《どうして水を差す!こいつはミラドーナも人間もバカにしている、箱庭に居ちゃいけないんだよ!》
二頭は、ディアナが割って入ってもなお、互いへの敵意を収めない。痛みから始まった諍いは、もはや止めどない憎しみの応酬になっていた。
《どちらも頭を冷やせ。英雄譚は、我々の中に亀裂を起こす為にあるのではない》
ディアナ自身もミラドーナの英雄譚に思うところがあるはずだった。それでも、その名のもとに竜たちが争うことを、彼女は良しとしない。
だが、二頭の竜は、聞き入れなかった。
《面白れぇ!火山で頭を冷やすのは誰か、決めようじゃねぇか!》
ジェイリーンが、爪を構える。
《結局あんたも、15年前を知らない子供って事だね》
もう一頭が、吐き捨てる。その矛先は、ジェイリーンではなく、止めに入ったディアナに向けられていた。
「うえぇ!なんか、2対1になってますけどディアナさん!」
ルーシェが、慌てて周囲を見回す。いつの間にか、二頭の竜の敵意が、こちらへ集まっている。仲裁に入ったディアナが、両方から狙われる格好になっていた。
《問題ない。君と私——こちらも、2人だ》
ディアナは、動じなかった。翼を広げ、迎え撃つ構えを取る。
《来るぞ!》
ディアナの声と同時に、二頭の竜が、左右から襲いかかってきた。
灼熱の中、ディアナが身を翻して躱そうとした、その時だった。
何の前触れもなく、二頭の竜の眼前に、極彩色の光がぱっと弾けた。
《なっ……!?》
虚を突かれた二頭が、空中で動きを止める。その光の中から、軽やかな声が響いた。
「悲劇と喜劇の立役者、ミザリィ様の登場だー!」
弾けるような名乗りと共に、一頭の竜が割り込んできた。あの夜、洞窟で見た竜。当然その背には——
「おまたせルーシェ……助けにきた」
無口な少女が、静かに跨っていた。表情こそ変わらないが、その手は確かにミザリィの首に添えられている。
「フリルちゃん! それにその子も!」
ルーシェが目を輝かせた。あの洞窟の竜が、今はフリルを背に乗せ、堂々と空を舞っている。二人は——いや、一人と一頭は、ついに正式なバディになっていたのだ。
ルーシェには、その竜の声が、はっきりと聞こえた。賑やかで、自信に満ちた、楽しげな声が。
《ミザリィ、悪戯しか頭に無い君に助けられる日が来るなんて思わなかった。それに、人間と契約しているとは……》
冷静なディアナも、流石に驚いているようだった。
「エンターテイナーのボクには、そろそろこの庭が狭く感じていたってワケだ。それに、その子はフリルの友達だからね」
ミザリィは悪びれもせず、得意げに胸を反らした。狭い箱庭に飽き、新しい刺激として人間との契約を選んだ。いかにも、面白いこと好きのこの竜らしい理由だった。
《とにかく、感謝する。 ついてこいジェイリーン、君の相手は私だ!》
ディアナが、ジェイリーンへと狙いを定め、翼を翻す。挑発を受けたジェイリーンがその後を追って、真っ直ぐに向かってくる。
残されたフリルとミザリィはもう一頭の竜を見る。
「さてと、グローサ。キミの相手はボク達ってワケだけど、随分と怒っているみたいだね」
ミザリィの賑やかな声音の裏に、戦いを前にした竜の鋭さが、ちらりと覗く。
《ミザリィ。折角人間と契約したんだ、変な事に首突っ込まず、とっとと帰りな》
グローサが、低く唸る。だが、ミザリィは応じなかった。長い尾を、ぴんと立てる。
「ふぅむ。聞いての通りだフリル。ボク達の初舞台、準備はいいね?」
「いいよ」
フリルが、短く頷く。それから、ぽつりと付け加えた。
「でも、私は他の竜が何を喋ってるか分からないから」
《悪戯好きの子供は、叱ってやらなきゃねぇ!》
グローサが、空を蹴った。ミザリィとフリルが、それを迎え撃つように身構える。
遠ざかるフリル達を、ルーシェは心配そうに見つめる。ルーシェ達は、既にジェイリーンを引き連れて火口の反対側へと駆けていた。
「ディアナ、フリルちゃんたちは……!」
《心配ない。あの2人なら、後れは取らないさ》
ディアナは前を見据えたまま、言い切った。その声に迷いはない。ならば、自分たちは自分たちの相手に集中するだけ。ルーシェは前へ向き直り、杖をぎゅっと握った。




