第8話 ディアナって子、知りませんか?
箱庭の正門前に、新入生たちが集められていた。
夜の侵入で見た、月明かりの神秘的な箱庭とは違う。朝の光の下、正門は佇み、その奥へと続く道が新入生たちを招いている。ルーシェの胸は、期待で破裂しそうだった。
正門の前に、二人の女性が立っていた。一人は、生真面目そうな面持ちで、書類を手にしている。
「そ、それでは、本日より、新入生への箱庭の開放を行います……!」
緊張した声で、彼女が口を開いた。
「……既に竜学などで習っているかと思いますが……竜は皆さんを簡単に殺せてしまう存在です。くれぐれも、対応を間違えないように気を付けてください」
その言葉に、先ほどまで笑顔だった新入生達の顔が青ざめていく。
「広大な土地のため、何かあった場合でも、私達が駆けつけるには時間がかかってしまいます。原則的に、自分の身は自分で守るよう、お願いします」
新入生たちの間に、緊張が走る。と、その隣に立つもう一人の女性が、軽く手を振って割って入った。
「はいはいオトちゃん、いつもながらに脅しすぎ」
砕けた、気さくな口調。先の女性とは対照的に、肩の力が抜けている。
「ここで暮らしてる子達は、まぁほとんどが優しい子だから、そんなに気負わなくていいよ」
新入生たちの強張りが、少しほぐれる。だが、彼女は人差し指を立てて続けた。
「ただ一つだけ。君達が竜を選ぼうとしていると思うんだけど——逆でさ」
その目が、新入生たちを見渡す。
「竜が、君達を見極めてるんだよね。そこを間違えてると、上手くいかないかもしれないから、頭に入れておいてね」
ルーシェの脳裏に、声がよぎった。「キミを待っていた」と告げた、ディアナの声。竜が、選ぶ。その言葉が、妙に胸に響いた。
後ろで、スカーレットが小声で呟く。
「オトハさん。悪気は無いんだろうが、こりゃ初日は、あんまり人残らなそうだな……」
慎重な注意と、気さくな励まし。どちらも竜の危険性を裏打ちしていて、怖気づいた新入生も少なくないようだった。だが、ルーシェは違った。
「うーん! 楽しみだねスーちゃん、フリルちゃん!」
夜の侵入を共にした三人。ルーシェの隣にはスカーレットと、それ以降よく会話をするようになったフリルがいた。
「……いつも通り」
フリルが、ぽつりと応じる。相変わらず感情の読めない横顔。
スカーレットが、二人を交互に見て、苦笑した。
「周り見てると、この不思議ちゃん二人を頼もしく感じるよ」
恐れを知らないルーシェと、既に箱庭に入り浸っているフリル。この二人と一緒なら、確かに心強い。スカーレットは、そう思い始めている自分に気づいていた。
「……い、以上が、箱庭での諸注意になります」
オトハが、書類を畳んで、声を張り上げた。
「それでは、開放です! 皆さんが良い出会いに恵まれますように……!」
開かれた正門が、新入生たちを迎え入れる。それぞれが、緊張と期待を抱いて、箱庭へと足を踏み入れていった。
「さてと、まずはどこから行くか」
箱庭に入ったスカーレットが、伸びをしながら言った。
「フリルは、あいつのところか?」
フリルは小さく頷いた。
「……また後で」
短くそう言って、フリルは一人、森の奥へと消えていく。彼女は、既に相棒を決めているようだ。
「ルーシェは……ディアナって竜を探すんだよな?」
「うん! だからスーちゃんは、私に構わず自由に動いていいよ!」
「あいよ。じゃあ後でな」
スカーレットは軽く手を上げ、それから、ふっと笑った。
「お前なら、きっとディアナに会えるぜ」
だが、広大な箱庭で、一頭の竜を探し当てるのは、容易ではなかった。
「あの!ディアナって子、知りませんか?」
ルーシェは、出会う竜に片端から尋ねて回った。言葉が通じることに竜たちは一様に驚きつつも、応じてくれる。
《ディアナ?あの子は、決まった場所に居ないからねぇ……》
一頭の竜が、首を傾げる。別の竜は、思い出すように言った。
《ディアナちゃんは氷の力を使うから、火山の方には行かないんじゃないかなー》
また別の竜は、こう告げた。
《ディアナか。あいつはクールな奴だから、雪原エリアにでもいるんじゃないか?》
クールで、氷の力を使う竜。断片的な情報を頼りに、ルーシェは箱庭を駆け回った。
「うぅ……何という寒さ。寒暖差で砕け散りそうだよー……」
雪原エリアに辿り着いたルーシェは、凍えながら歩いていた。吐く息が白い。だが、それらしい竜の姿は見当たらない。
途方に暮れていると、近くにいた一頭の竜が、くすりと笑う気配がした。
《ふふ、君がルーシェだね?ディアナなら、森林エリアの湖で待っているよ》
「えっ……」
森林エリア。それは、ルーシェが箱庭に入って、最初に通った場所のすぐ近く。
「くぅ……まさか、入り口付近だったとは。下暗し……!」
ルーシェは急いで来た道を引き返した。
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森林エリアへ戻る途中、ルーシェは、ただならぬ気配に足を止めた。
何頭かの竜が、一箇所に集まっている。その中心で、若い新入生の少女が、青ざめて震えていた。
「あ……あの……ごめん……なさい」
少女の前で、一頭の竜が、苛立たしげに尻尾を打ち振っている。
別の竜が、なだめるように間に入った。
《落ち着きなって!尻尾踏まれるなんて、よくある事じゃないか》
だが、踏まれた竜は収まらなかった。
《許せるか!そもそもアタイは、この不自由ない環境で生きていたいだけだ!それなのに人間がチョロチョロと、人間に服従なんて、バカのする事さ!》
吐き捨てるような言葉。ルーシェは、その竜の声に滲む、棘のような感情を聞き取った。その場の痛みや怒りだけではない。根本的な人間への拒絶心。
その言葉に、なだめていた竜の気配が変わった。
《あんた! それは……英雄ミラドーナへの侮辱だよ!15年前を知らないからって、許されないよ!》
英雄ミラドーナ。聞き慣れない名。だが、15年前という言葉が自然と竜人の襲撃事件と結び付く。
《人間の力を借りなければ何もできない奴の何が英雄だ!どいつもこいつもいつまでも、過去の同じ事ばかり話して!》
二頭の竜の間に、火花が散る。痛みから始まった小さな争いは、いつの間にか別の——竜たちの間にくすぶる、根深い対立へと姿を変えていた。
ルーシェは、震える少女に駆け寄った。
「あなた!早くこっちへ!」
少女の手を引き、その場から遠ざけようとする。だが——
《おっと、逃さねぇよ!腕の1本が、覚悟の最低ラインだ!》
人間への拒絶を剥き出しにした竜——その鋭い視線が、ルーシェと少女を捉えた。爪が、振り上げられる。
ルーシェは少女を庇い、咄嗟に身を固くした。
その時。
風を切って、青白い何かが割り込んだ。
振り下ろされた爪が、氷の障壁に阻まれ、弾かれる。ルーシェの前に、一頭の竜が舞い降りていた。白銀の鱗。冷たく澄んだ、氷の気配。
《ジェイリーン。君とは相容れないが——ミラドーナの英雄譚が嫌い、という点だけは同意するよ》
《ディアナ! テメェは!》
その竜が、静かに、しかし鋭く告げた。攻撃を防がれたジェイリーンと呼ばれた竜が、怯む。
だが、その隙だった。
もう一頭の竜が、ジェイリーンの動揺を突いて、横合いから牙を突き立てた。
《ディアナはともかく、あんたみたいなのがミラドーナを悪く言うのは、腹が立つんだよ!》
《グアァ……クソッ!》
不意打ちに、ジェイリーンが体勢を崩す。怒りに任せて反撃し、二頭は激しくもつれ合った。互いを傷つけ合いながら、その巨体が、地を蹴る。
翼が広がり、二頭は争ったまま、空へと舞い上がっていく。
ルーシェの前に降り立った白銀の竜が、ゆっくりと振り返った。
ルーシェには、もう分かっていた。その澄んだ気配。あの夜、闇の中で自分を呼んだ声と、同じもの。
「あなたが、ディアナだよね? あの夜、私に呼びかけてくれた」
《ああ。君が、ルーシェだな》
ディアナの声は、夜と変わらず、クールで、けれど確かな温度を持っていた。
《話したい事があったんだが——今は、ジェイリーン達を止めなければならない》
ディアナの視線が、空へと向かう。争いながら遠ざかっていく二頭の竜。このままでは、互いに傷つくだけでは済まない。箱庭の他の竜や、新入生たちまで、巻き込みかねない。
「だったら!私も連れていって!」
ディアナが、わずかに目を見開く。
「あの子たちを止めたい気持ちは、同じだから!」
竜たちの諍いの声を、ルーシェはずっと聞いていた。痛み、怒り、そして拒絶。あの竜たちを、ただ放ってはおけない。傷つけ合うのを、止めたい。それは、ディアナと同じ願いだった。
ディアナは、ルーシェをじっと見つめた。そして、ふっと、息を漏らすように言った。
《分かった。いや——ずっと前から、分かっていたか》
その言葉の意味を、ルーシェはまだ知らない。ディアナが、なぜそう言ったのかも。だが、ディアナはもう、ルーシェを受け入れていた。
《乗ってくれ。舌を噛まないように》
ディアナが、身を低くする。ルーシェは、迷わずその背に手をかけた。
初めて触れる、相棒となるべき竜の背。冷たく、力強い。
ルーシェが跨ると同時に、ディアナの翼が大きく広がり舞い上がった。




