第10話 熱い勝負は嫌いじゃないが
火口の縁を回り込むようにして、ディアナはジェイリーンと対峙した。
眼下では、溶岩が脈打つように赤く光り、噴き上がる熱気が視界を歪ませている。羽ばたくたびに、灼けた空気が肌を刺した。ルーシェは杖を握り直し、汗の滲む額を腕で拭う。
《どうしたディアナ! 枷が付いてりゃ、満足に飛べないか!》
ジェイリーンが、嘲笑うように吼えた。枷とは、背に乗せたルーシェのことだ。まだ人間を乗せて飛ぶ事に慣れておらず、ディアナは本来の力を出せてない。火山という不利な戦場と合わせて、ジェイリーンはこちらの弱点を的確に突いてきていた。
ディアナは答えず、急上昇でジェイリーンの一撃を躱す。だが、その動きは、いつもより明らかに重い。熱が、氷の竜から刻一刻と力を奪っている。
《少し暑いな……ルーシェ、私達が勝つための作戦を考えた。協力してくれ》
「流石ディアナ! もちろんだよ!」
ルーシェは即座に頷いた。何をするのかはまだ分からない。けれど、ディアナがそう言うなら、信じて従うだけだ。ディアナが、じわじわとジェイリーンを誘うように、火口から離れる方角へ針路を取り始めた。
《コソコソと作戦会議なんかしてさぁ!》
その意図を悟られまいと、ルーシェは杖を構えた。風の感触を、手のひらに探る。
「ウィンド・スピア!」
詠唱と共に、杖の先から圧縮された風の槍が放たれる。狙いは正確ではない。だが、ジェイリーンの注意を引き、足止めするには十分だった。
《チッ、弱い人間が割って入るな!》
風の槍を翼で払い、ジェイリーンが忌々しげに睨む。その声に滲む、人間への拒絶。ルーシェはそれを聞き流さなかった。
「どうしてそこまで、人間を嫌うの!?」
問いかけは、半ば叫びだった。竜たちの声を聞けるルーシェには、ジェイリーンの拒絶が、ただの敵意ではないような気がしていた。その奥にある、傷のようなものを知りたいと思っていた。
《人間は嘘つきだ……!》
ジェイリーンの咆哮が、熱風を震わせた。
《そんな奴らとの共存を正しいとする竜も、その象徴のミラドーナも、全部腹が立つんだよ!》
吐き出された言葉には、思想や信条を超えた、生々しい感情がこもっていた。憎しみというより、裏切られた者の痛み。ルーシェが言葉に詰まると、前を飛ぶディアナが、静かに口を開いた。
《やはり君は、半年前の事を、まだ……》
「知ってるの? ディアナ」
ルーシェが問い返すと、ディアナは前を見据えたまま、淡々と語った。
《半年ほど前、彼女は一人の学生と親しくしていた。しかし、ある時を境に、その学生は箱庭を訪れなくなった。それ以上は知らないが——恐らく、契約間近だったはずだ》
「そんな……どうして」
ルーシェの胸が、ぎゅっと締めつけられた。人間を信じようとして、心を開きかけて。そして、ある日突然、その相手は来なくなった。理由も告げられないまま。ジェイリーンの頑なな拒絶は、その傷の裏返しだった。
《ディアナ! もう、そんな事はどうでもいいんだよ!》
ジェイリーンが、過去を振り払うように吼えた。
《所詮は人間と竜。言葉も通じなきゃ、分かり合えもしねぇ!》
「きっと、何か理由があったはず!」
ルーシェは、叫んでいた。
「教えて、その子の名前!」
その学生にも、来られなくなった事情があったのかもしれない。それを確かめもせず、ジェイリーンが一人で傷を抱え続けているのなら——ルーシェは、それを放っておけなかった。竜であれ人間であれ、頭ごなしに切り捨てることなど、できなかった。
《遅いんだよ、全部!》
ジェイリーンの怒りが、頂点に達する。
《いい加減に黙らせて……ハッ!?》
その時、ジェイリーンの言葉が、不自然に途切れた。
灼けるような熱気が、いつの間にか、消えていた。代わりに肌を撫でるのは、刺すような冷気。激情に駆られたジェイリーンはようやく気づいた。ディアナに誘い込まれるうちに、戦場はとうに火山を抜け、白く凍てつく雪原エリアの只中に移っていた。
《そうだなジェイリーン、そろそろ終わりにしよう》
ディアナの声に、力が戻っていた。氷の竜にとって、この極寒こそが、本来の領域。
《随分と、涼しくなっただろう》
《ここは……いつの間に!?》
ジェイリーンが、初めて狼狽を見せた。怒りに我を忘れている間に、最も不利な戦場へと、自ら踏み込まされていたのだ。
《君は、頭に血が上ると、周りが見えなくなる》
ディアナが、翼を大きく広げる。その全身から、冷たく澄んだ魔力が立ち上り始めた。
《ルーシェ……嫌いな人間の魔法を受け続け、嫌な過去の話をされれば、そうもなる》
ルーシェの攻撃。そして、ルーシェが投げかけた、過去への問い。そのどちらもが、ジェイリーンの心を波立たせ、冷静さを奪うための布石だった。ジェイリーンは、自分が誘導されていることにも気づかず、不利な雪原へと突き進んでいた。それがディアナの作戦だとも気付かずに。
《クソッ……ディアナッ!!!》
遅まきながら危険を悟ったジェイリーンが、身を翻そうとする。だが、もう遅い。風に乗った冷気は、既に彼女の翼を、四肢を、凍てつかせ始めていた。
《熱い勝負は嫌いじゃないが、少し頭を冷やすといい》
ディアナの声が、静かに響いた。
《グラシス・コフィン!》
澄み渡る魔力が、爆発的に解き放たれた。
ジェイリーンの巨体を、無数の氷の結晶が包み込んでいく。もがく翼が、吼える喉が、見る間に分厚い氷へと閉ざされていった。やがて、灼熱のような怒りを持った竜は、雪原の中央に、巨大な氷の棺となって、静かに横たわった。
怒りも、憎しみも、その傷も。すべてを抱えたまま、ジェイリーンは凍てつく眠りの中へと封じ込められた。
雪原に、静けさが戻る。
「……あの子、どうなっちゃうの?」
ルーシェが、おそるおそる呟いた。荒い息を吐きながら、ディアナがゆっくりと高度を下げていく。
《気を失っているだけだ。少し頭が冷えれば、自力で氷を割って出てくるさ》
ディアナの声には、勝利の高揚も、敵への侮蔑もなかった。ただ、為すべきことを為した者の、静かな疲れだけがあった。
ルーシェは、氷の棺の中で目を閉じるジェイリーンを見下ろした。人間を信じ、そして信じられなくなった竜。その心を溶かすには、この氷を解くより、ずっと長い時間がかかるのだろう。けれど——いつか、と思う。
いつか、あの子の抱えた傷の真相を、確かめてあげたい。いなくなった学生の名前を、聞き出して。
その決意を、ルーシェはそっと胸にしまった。今は、まだ。




