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ドラグノアの魔女 〜竜約の少女と果ての空〜  作者: inami。
第一章 アリステラの魔女達

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第10話 熱い勝負は嫌いじゃないが

 火口の縁を回り込むようにして、ディアナはジェイリーンと対峙した。

 眼下では、溶岩が脈打つように赤く光り、噴き上がる熱気が視界を歪ませている。羽ばたくたびに、灼けた空気が肌を刺した。ルーシェは杖を握り直し、汗の滲む額を腕で拭う。

 

《どうしたディアナ! 枷が付いてりゃ、満足に飛べないか!》

 

 ジェイリーンが、嘲笑うように吼(ほ)えた。枷とは、背に乗せたルーシェのことだ。まだ人間を乗せて飛ぶ事に慣れておらず、ディアナは本来の力を出せてない。火山という不利な戦場と合わせて、ジェイリーンはこちらの弱点を的確に突いてきていた。

 ディアナは答えず、急上昇でジェイリーンの一撃を躱す。だが、その動きは、いつもより明らかに重い。熱が、氷の竜から刻一刻と力を奪っている。

 

《少し暑いな……ルーシェ、私達が勝つための作戦を考えた。協力してくれ》

「流石ディアナ! もちろんだよ!」

 

 ルーシェは即座に頷いた。何をするのかはまだ分からない。けれど、ディアナがそう言うなら、信じて従うだけだ。ディアナが、じわじわとジェイリーンを誘うように、火口から離れる方角へ針路を取り始めた。

 

《コソコソと作戦会議なんかしてさぁ!》

 

 その意図を悟られまいと、ルーシェは杖を構えた。風の感触を、手のひらに探る。

 

「ウィンド・スピア!」

 

 詠唱と共に、杖の先から圧縮された風の槍が放たれる。狙いは正確ではない。だが、ジェイリーンの注意を引き、足止めするには十分だった。

 

《チッ、弱い人間が割って入るな!》

 

 風の槍を翼で払い、ジェイリーンが忌々しげに睨む。その声に滲む、人間への拒絶。ルーシェはそれを聞き流さなかった。

 

「どうしてそこまで、人間を嫌うの!?」

 

 問いかけは、半ば叫びだった。竜たちの声を聞けるルーシェには、ジェイリーンの拒絶が、ただの敵意ではないような気がしていた。その奥にある、傷のようなものを知りたいと思っていた。

 

《人間は嘘つきだ……!》

 

 ジェイリーンの咆哮が、熱風を震わせた。

 

《そんな奴らとの共存を正しいとする竜も、その象徴のミラドーナも、全部腹が立つんだよ!》

 

 吐き出された言葉には、思想や信条を超えた、生々しい感情がこもっていた。憎しみというより、裏切られた者の痛み。ルーシェが言葉に詰まると、前を飛ぶディアナが、静かに口を開いた。

 

《やはり君は、半年前の事を、まだ……》

「知ってるの? ディアナ」

 

 ルーシェが問い返すと、ディアナは前を見据えたまま、淡々と語った。

 

《半年ほど前、彼女は一人の学生と親しくしていた。しかし、ある時を境に、その学生は箱庭を訪れなくなった。それ以上は知らないが——恐らく、契約間近だったはずだ》

「そんな……どうして」

 

 ルーシェの胸が、ぎゅっと締めつけられた。人間を信じようとして、心を開きかけて。そして、ある日突然、その相手は来なくなった。理由も告げられないまま。ジェイリーンの頑なな拒絶は、その傷の裏返しだった。

 

《ディアナ! もう、そんな事はどうでもいいんだよ!》

 

 ジェイリーンが、過去を振り払うように吼えた。

 

《所詮は人間と竜。言葉も通じなきゃ、分かり合えもしねぇ!》

「きっと、何か理由があったはず!」

 

 ルーシェは、叫んでいた。

 

「教えて、その子の名前!」

 

 その学生にも、来られなくなった事情があったのかもしれない。それを確かめもせず、ジェイリーンが一人で傷を抱え続けているのなら——ルーシェは、それを放っておけなかった。竜であれ人間であれ、頭ごなしに切り捨てることなど、できなかった。

 

《遅いんだよ、全部!》

 

 ジェイリーンの怒りが、頂点に達する。

 

《いい加減に黙らせて……ハッ!?》

 

 その時、ジェイリーンの言葉が、不自然に途切れた。

 灼けるような熱気が、いつの間にか、消えていた。代わりに肌を撫でるのは、刺すような冷気。激情に駆られたジェイリーンはようやく気づいた。ディアナに誘い込まれるうちに、戦場はとうに火山を抜け、白く凍てつく雪原エリアの只中に移っていた。

 

《そうだなジェイリーン、そろそろ終わりにしよう》

 

 ディアナの声に、力が戻っていた。氷の竜にとって、この極寒こそが、本来の領域。

 

《随分と、涼しくなっただろう》

《ここは……いつの間に!?》

 

 ジェイリーンが、初めて狼狽を見せた。怒りに我を忘れている間に、最も不利な戦場へと、自ら踏み込まされていたのだ。

 

《君は、頭に血が上ると、周りが見えなくなる》

 

 ディアナが、翼を大きく広げる。その全身から、冷たく澄んだ魔力が立ち上り始めた。

 

《ルーシェ……嫌いな人間の魔法を受け続け、嫌な過去の話をされれば、そうもなる》

 

 ルーシェの攻撃。そして、ルーシェが投げかけた、過去への問い。そのどちらもが、ジェイリーンの心を波立たせ、冷静さを奪うための布石だった。ジェイリーンは、自分が誘導されていることにも気づかず、不利な雪原へと突き進んでいた。それがディアナの作戦だとも気付かずに。

 

《クソッ……ディアナッ!!!》

 

 遅まきながら危険を悟ったジェイリーンが、身を翻そうとする。だが、もう遅い。風に乗った冷気は、既に彼女の翼を、四肢を、凍てつかせ始めていた。

 

《熱い勝負は嫌いじゃないが、少し頭を冷やすといい》

 

 ディアナの声が、静かに響いた。

 

《グラシス・コフィン!》

 

 澄み渡る魔力が、爆発的に解き放たれた。

 ジェイリーンの巨体を、無数の氷の結晶が包み込んでいく。もがく翼が、吼える喉が、見る間に分厚い氷へと閉ざされていった。やがて、灼熱のような怒りを持った竜は、雪原の中央に、巨大な氷の棺となって、静かに横たわった。

 怒りも、憎しみも、その傷も。すべてを抱えたまま、ジェイリーンは凍てつく眠りの中へと封じ込められた。

 雪原に、静けさが戻る。

 

「……あの子、どうなっちゃうの?」

 

 ルーシェが、おそるおそる呟いた。荒い息を吐きながら、ディアナがゆっくりと高度を下げていく。

 

《気を失っているだけだ。少し頭が冷えれば、自力で氷を割って出てくるさ》

 

 ディアナの声には、勝利の高揚も、敵への侮蔑もなかった。ただ、為すべきことを為した者の、静かな疲れだけがあった。

 ルーシェは、氷の棺の中で目を閉じるジェイリーンを見下ろした。人間を信じ、そして信じられなくなった竜。その心を溶かすには、この氷を解くより、ずっと長い時間がかかるのだろう。けれど——いつか、と思う。


 いつか、あの子の抱えた傷の真相を、確かめてあげたい。いなくなった学生の名前を、聞き出して。

 その決意を、ルーシェはそっと胸にしまった。今は、まだ。

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