第4話 ここで最高の魔女になってやろうぜ!
都市アリステラの中心街は、傾きかけた陽光に照らされて、石畳の色を温かいオレンジに染めていた。広い大通りには露店が並び、商人たちの呼び声、買い物客の笑い声、遠くから聞こえる竜の鳴き声が入り混じる。
ルーシェとスカーレットは、人混みを縫うようにして歩いていた。
「って感じで、輸送竜やアタシらには目もくれず後ろの積荷コンテナ取って帰ってったんだよ」
スカーレットが両手を広げて、空に向かって状況を説明する身振りをした。
「それぐらい奪いたくなるもの……はっ! 埋もれるほどのお菓子の山!」
通りの一角、色とりどりの焼き菓子を山積みにした露店の前で、ルーシェが目を輝かせていた。バターと砂糖の甘い香りが、夕方の風に乗って漂ってくる。
「そりゃお前だけだろ……」
スカーレットが半ば呆れたように呟いた。
ルーシェは菓子の山から一瞬名残惜しそうに視線を引き剥がし、両手を握りしめてスカーレットに向き直った。
「それよりこっちもすごかったんだよ! ヴァレンタリアさんとミスティークさんが、こうブワァー ピカッ ドーーン! って!!」
両手を大きく広げ、ジェスチャーを交えて再現する。
「そりゃさっきも聞いたよ……」
さっきから、もう何度目だろうか。ルーシェはヴァレンタリアの戦闘を思い出すたびに同じ説明を繰り返している。
それでも、スカーレットの口元には、苦笑混じりの笑みが浮かんでいた。
「あれが、アタシ達の入学するアリステラ・アカデミー現最強の魔女だからな」
その言葉に、スカーレットの声も少し柔らかくなった。彼女自身、ヴァレンタリアの戦闘の凄まじさを目の当たりにしている。ルーシェがあれほど感激するのも、無理のないことだった。
「道は長いねぇ……頑張ろうねスーちゃん!!」
ルーシェがスカーレットの手を握り、満面の笑みを向けた。
スカーレットは一瞬、その手を見つめてから、軽く握り返した。
「ああ、頑張ろうな」
通りを少し進むと、人の流れは一段と密になった。学園都市の中心部に近づくにつれて、行き交う人々の数も増えていく。
「す……スーちゃん。私はもう、人が多すぎて……めまいが……」
ルーシェがスカーレットの腕にぐったりと寄りかかった。視線は虚ろ、足取りも怪しい。輸送竜での襲撃よりも、この人混みの方が彼女には堪えているらしい。
スカーレットは慣れた様子でルーシェの肩を支え、人混みの中を巧みに進んでいく。
「ルーシェは田舎出身だからなー。この街はアカデミーもあるし特に人が集まりやすい、早めに慣れといた方がいいぜ」
口調はぶっきらぼうだが、スカーレットの歩く速度は明らかにルーシェに合わせて落ちていた。
「あ、あれ美味しそ〜」
眩暈の主張はどこへ行ったのか、ルーシェの目が再び輝いた。視線の先には、串に刺さった焼き肉を売る露店がある。香ばしい煙が鼻先を撫でていく。
「それでいいのかよ」
スカーレットが半笑いで突っ込んだ。自由なルーシェの単純さに、彼女もどこか救われた表情をしていた。
しばらく歩き続けると、通りの角に古めかしい建物が見えてきた。スカーレットはそこで足を止めた。
「んで、アタシはここで宿取ったけどルーシェは?」
「やど?」
ルーシェがきょとんとした表情で首を傾げた。
スカーレットは本日何度目かの呆れ顔だった。
「入学式は明日だぞ?まだ部屋が空いてりゃいいけど……」
ルーシェが慌てて宿の中に駆け込んだ。スカーレットも溜息をつきながら後に続く。
「あの! お部屋空いてますか?」
宿の受付には、丸い体型の中年女性——宿のおかみが立っていた。ルーシェの勢いに少しのけぞりつつも、申し訳なさそうに首を振った。
「ごめんなさいね〜。今日は新入生の子達がいっぱいで、空き部屋はないのよ」
「うぅ……どうしようスーちゃん……」
ルーシェがしょんぼりと振り返った。半泣きである。
「ったく。 おばちゃん、アタシの部屋にこいつも入れたいんだけどいくら?」
「あっ、私が払うよ」
ルーシェが慌てて鞄に手を伸ばした。
「気にすんな。ま、一応ルーシェは命の恩人だからな」
スカーレットの声には、軽い口調の下に、確かな温かみがあった。輸送竜での戦いを、彼女もまた覚えている。
おかみが、ふっと優しい笑みを浮かべた。
「あらまぁ、宿代は一人分でいいわ。その代わり、明日から頑張るのよ」
「おっ、流石アリステラの宿屋は気前がいいねぇ」
スカーレットが片眉を上げて笑った。
「ありがとうございます!」
ルーシェがおかみに向かって深く頭を下げた。柔らかな夕陽が、宿の玄関先に二人の影を長く伸ばしていた。
宿の部屋は、二人で使うには少し狭かった。
壁にかけられた油絵は色褪せていたが、温かみのある室内。窓の外からは、夕食時の街の喧騒が遠く聞こえてくる。
ルーシェは机に鞄を置き、両手を伸ばして大きく息を吐いた。
「ふぅぅ……今日は色々あったね」
「色々で片付けるには惜しい体験だったな」
スカーレットはベッドに腰を下ろし、靴を脱ぎ捨てた。長い一日の疲れが、彼女の表情にも滲んでいる。
二人はしばらく無言で、夕暮れの光が部屋の壁に映る橙色の模様を眺めていた。
やがて、スカーレットが口を開いた。
「それで、ルーシェは何でアリステラに……いや、魔女になろうと思ったんだ?」
ルーシェはベッドの上で膝を抱え、しばらく窓の外を見つめてから、ゆっくりと答えた。
「私のお母さんはね、果ての空に行ったんだって、私を育ててくれた人が言ってたの。だから、私も上に行かなきゃいけないんだ」
シンプルな決意。理由を多く語らない、ただ『行かなきゃいけない』と言い切る、ルーシェらしいまっすぐな言葉。
スカーレットは数秒、その横顔を見つめていた。
「なるほどなぁ。そりゃ随分高いゴールな訳だ」
声には茶化す響きはなく、ただ静かな納得があった。
ルーシェはこくりと頷いた。胸元の母のペンダントを両手で握りしめる。夕陽が銀の鎖を細く光らせた。
「アタシはさ……」
スカーレットが、自分の番だとばかりに天井を見上げた。窓の外、最後の陽光が屋根の向こうに沈んでいく。
「……ってもう寝てるし」
スカーレットの視線が、ベッドに戻った。
ルーシェは、ペンダントを握りしめたまま、すでに目を閉じていた。安らかな寝息が、部屋の静寂を埋めている。膝を抱えた姿勢のまま、まるで疲労が一気に押し寄せたかのように。
スカーレットは小さく笑った。
立ち上がり、自分の毛布を一枚取って、ルーシェの肩に優しくかけた。ペンダントが彼女の指の間に光っているのを見て、しばし立ち止まる。
それから、自分のベッドへと戻った。
「まぁいいか、今日はありがとなルーシェ。お前と出会えて良かったよ」
呟きは、眠るルーシェには届かなかった。だが、誰かに伝えるためではなく、自分自身に確かめるための言葉だった。
スカーレットも、ベッドに転がった。
窓の外、街の灯が一つ、また一つと点り始めていた。
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カーテンの隙間から差し込む朝陽が、部屋を金色に染めていた。
「……っ……もう朝か。早いなルーシェ」
スカーレットが目を擦りながら、窓辺に立つ少女の後ろ姿を見た。窓は大きく開け放たれ、朝の冷たい風が部屋に流れ込んでいる。ルーシェは両手を広げて、その風を全身に受けていた。
「おはようスーちゃん。今日は何かを始めるには最高の風が吹いてるよ」
振り返ったルーシェの顔は、朝陽を浴びて輝いていた。昨日の襲撃の疲れも、慣れない街の人混みも、もう何も残っていない。ただ、新しい一日を迎える喜びだけが、その表情を満たしていた。
スカーレットはベッドの上で身を起こし——そして、しばし固まった。
「そりゃ良かった。で、その格好はどうした?」
「全身で風を感じてるんだよぉ」
ルーシェが無邪気に答えた。何が問題なのか分かっていないらしい。
スカーレットは額に手を当てた。深い、深い溜息が漏れた。
「そうか。とりあえず服を着ろ、風邪引くぞ」
「はーい」
ルーシェがあっさりと窓を閉め、服に着替え始める。スカーレットはその間、自分の身支度を始めた。
宿を出て、二人は街の北側へと歩いていた。
朝の街は、夕方とはまた違う活気に満ちていた。出勤前の人々が忙しく行き交い、パン屋からは焼きたての香りが漂い、空には早朝の便を運ぶ輸送竜たちが悠々と飛んでいた。
そして、街の北端を抜けると——視界が、開けた。
それは、街の建物群の向こうに、巨大な石造りの城のようにそびえていた。複数の塔が天に向かって伸び、上空には多くの竜が悠々と巡回している。学園の周囲を取り巻く広大な敷地、その奥には朝霧に煙る山並みまで見えた。
「おおぉ……これが……!」
ルーシェの足が止まった。両手を口元に当てて、見上げた瞳が朝陽に煌めいている。
「アリステラッ……アカデミー!!」
声は、半ば叫びに近かった。すれ違う通行人が振り返るほどの。
「街の建物と比べても別格にデカいなー」
スカーレットも、視線をその威容に向けて呟いた。彼女もまた、実際に目にするのは初めてだ。その表情には、隠せない興奮があった。
ルーシェが胸の前で両拳を握り、足踏みするように身を弾ませた。
「うーん、楽しくなってきた! 今すぐ走り出したい気分だよ!」
軽快な朝の風が、彼女の髪をふわりと舞い上げる。
「待っててね新しい友達。そして私のバディ!」
その声は誰のことを呼んでいるのか、ルーシェ自身もまだ知らない。だが、確かに、果ての空の誰かに向けた言葉だった。
スカーレットがルーシェの肩を軽く叩いた。
「っしルーシェ、ここで最高の魔女になってやろうぜ!」
「おー!!」
二人は、朝陽に向かって、その壮大な学び舎へと歩き出した。




