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ドラグノアの魔女 〜竜約の少女と果ての空〜  作者: inami。
第一章 アリステラの魔女達

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第2話 飛べない下等な旧人類が!

「よい、しょっと。ふぅ……」

 

 ルーシェはコンテナの上面によじ登り、両膝をついて態勢を整えた。

 客を乗せたコンテナの天井は、ぴたりと輸送竜の腹に密着している。輸送竜はコンテナを抱える形で飛んでいた。

 

 ルーシェは慎重に身を起こし、輸送竜の体側面に手を伸ばした。鱗の隙間に指をかけ、よじ登る。一段、また一段。意外と足場はある。鱗は瓦のように重なり合い、握りやすい縁を作っていた。

 横殴りの風がルーシェの全身を打った。髪が暴れ、目を開けているのもやっとだ。

 

「風も、泣いてる」

 

 呟きが風に攫われていった。

 最後の一登りで、ルーシェは輸送竜の背の上に出た。

 

 そこは、思っていたよりずっと広かった。巨大な翼竜の背中は、小高い丘の頂のように広がっている。両脇には大きな翼が、力強く空気を捕らえては放している。風を受けるたびに、背全体がわずかに沈み、また持ち上がる。

 

 生きている。

 

 生き物の上に立っている、という実感が、初めてルーシェの胸に押し寄せた。

 ルーシェは膝をつき、輸送竜の背中に両手を当てた。温かい鱗の下から、確かな鼓動が伝わってくる。怯えた、速い鼓動。

 

《こわい……こわい……》

 

 確かに聞こえた。先ほど客室で聞いたのと同じ声。だが今は、もっと近い。もっと、自分の中に響く。

 

「ねえあなた! 私の声聞こえてる?落ち着いて、何が怖いのか教えて!」

 

 ルーシェは精一杯の声を張り上げた。風に負けないように、けれど怒鳴るのではなく、優しく。

 しばしの間。

 

 そして──

 

《……君は、ボクの言葉が分かるのかい? 人間なのに》

「もちろん! 私はルーシェ、きっとあなたの力になれる」

 

 胸に手を当てて、もう一度声をかける。

 輸送竜が、ほんの少しだけ動きを安定させた。少なくとも、激しい身震いは止まっている。背中の上に立つルーシェにも、その変化がはっきりと伝わった。

 

《ルーシェ……ボクたちは運が悪かったんだ。もうすぐあいつらが奪いに来る……空の上から》

「……あいつらって、何かが上から襲って来るって事?」

 

 ルーシェの表情が引き締まった。

 

《そうだよルーシェ……この空は自由じゃない。雲の上にはいつだってあいつらの世界があるんだ》

 

 雲。ルーシェは思わず見上げた。視界の上、青空に浮かぶ無数の雲。あの上に、何かが潜んでいるのだとしたら──

 

「よく分からないけど、任せて。私が守ってあげる。だからあなたはアカデミーまで飛ぶ事に集中して」

 

 ルーシェは輸送竜の背に手のひらを押し当てた。鼓動が、少しずつ落ち着いていく。

 

 心配そうに窓の外を見ていたスカーレットの目に、不意に逆さ向きのルーシェの頭が飛び出してきた。

 

「ルーシェ! やったな! 輸送竜の揺れが収まった!」

「スーちゃん、私の鞄から杖取ってくれない?」

「え?  ああ、お前も早く中に戻れよ」

「まだ、安心は出来ないみたい」

 

 杖を受け取ったルーシェは再び竜の背へ登った。

 

「この風、もう大丈夫だ」

 

 ゆっくりと立ち上がり、空を仰ぐ。

 ルーシェは、杖を構えた。


 

 風の流れが、ふいに変わった。

 雲の合間から、黒い影が降りてくる。最初は鳥かと思った。次に、人かと思った。だが、どちらでもなかった。

 革質の暗い翼。剥き出しの肌に走る鱗状の文様。鋭い角と、人間離れした目。そして──人間より一回りも二回りも大きな体躯。

 

「あれだな? 例のブツを積んだ竜は」

 

 風に乗った声が、思ったよりも近くから聞こえてルーシェの心臓が一拍跳ねる。

 

「護衛の魔女も付いてねぇ。こりゃ随分と簡単な仕事だな」

 

 別の声。複数いる。ルーシェは杖を握り直しながら、輸送竜の背の上で身を低くした。逃げ場はない。

 

「あれは……人?」

 

 呟きは、自分でも驚くほど小さかった。確かに人型をしている。だが、人ではない。何か別のもの。何か、人であった何か。

 

「チッ、飛べない下等な旧人類が! この背中の翼が見えねぇのか!!」

 

 最も近くにいた竜人が、いきなり翼を一打ちした。空気が裂ける音。次の瞬間、不可視の衝撃波がルーシェに向けて飛んでくる。

 

「くっ、いきなり攻撃をしてくるなんて……でも!」

 

 杖を振り上げ、咄嗟に風魔法を展開する。母から教わった基礎の基礎。風の壁が衝撃波と相殺し、ルーシェの足元で空気が渦巻いた。


「右に傾いて!」

 

 ルーシェは輸送竜に呼びかけた。輸送竜は躊躇いなく姿勢を変える。巨大な翼が片側を畳むようにして、機体全体が斜めに滑り込む。次に来た竜人の振り下ろしを、その巨体ごと躱した。

 ルーシェは輸送竜の背に伏せて姿勢を保つ。鱗の角を握りしめ、振り落とされまいと必死にバランスを取る。風が、悲鳴のように耳元を吹き抜けていく。

 

「うわっ!?  あれは、竜人? 上はどうなってんだルーシェ」

 

 風の合間から、スカーレットの声が飛んでくる。輸送竜が大きく傾いたのに驚いたのか、窓から身を乗り出しているのが声の鮮明さで分かる。

 

「竜の背から動けなければいい的だなぁ!」

 

 別の竜人が、ルーシェに向かって突進してくる。ルーシェは輸送竜の背の上で素早く姿勢を変え、杖を構え直した。狙いを定めるよりも先に、相手の動きを乱すことだけを考えて。

 

 風魔法を解き放つ。

 

 竜人の翼の片側に風の渦が叩き込まれ、攻撃の軌道が逸れる。決定打にはほど遠い。だが、今のルーシェに出来ることはこれぐらいだった。

 そして、不意に下から放たれたスカーレットの精密な魔法が、動きを止めた竜人に直撃した。

 

「うおっ!?」

 

 竜人が体勢を崩し、コンテナをギロリと睨む。

 

「あ……当たっちった……ナイスコントロール、アタシ……」

 

 スカーレットの声が、半ば呆れたように響いた。明らかに本人も驚いている。


「防戦一方だとしても、アカデミーまで近づければ……」

 

 そんなルーシェの期待を砕くように、更に新たな影が上空から降りてくる。先に降りてきた二体よりも、明らかに重い気配を纏った竜人。腕に何か──大きな剣のような武器を携えている。

 

「旧人類が……なす術なく地に落ちる様を笑ってやる!」

 

 竜人の視線が、輸送竜の爪──コンテナを掴んでいる接合部に向いた。ルーシェの背筋が凍る。あの繋ぎ目が断たれれば、コンテナは支えを失う。たちまち客室ごと落下する。

 

「コンテナの繋ぎ目を狙えばッ!」

 

 竜人が剣を振り上げ、輸送竜の更に下へ急降下する。

 ルーシェは咄嗟に輸送竜の背中の縁から身を乗り出した。コンテナの繋ぎ目を守るには、自分が下方に向かって魔法を撃たねばならない。背の縁にしがみつき、片手で杖を構える。

 突っ込んで来た竜人がブレスを吐いた。

 剣を振るうかと思った瞬間、その口から、暗赤色の炎のような息が吹き出された。標的はコンテナではなく、コンテナを守ろうと身を乗り出したルーシェ自身。

 

「しまった! うわっ!」

 

 ルーシェは咄嗟に風魔法を展開した。風の壁。だが、ブレスの威力は彼女の防御を瞬時に貫き、衝撃波だけがルーシェを吹き飛ばす。

 直撃は免れた。だが、輸送竜の背の縁にかけていた手が、離れた。

 

 身体が宙に投げ出される感覚。

 世界が、回転する。

 太陽も、雲も、輸送竜も、すべてが渦のように回転してルーシェの視界を流れていく。

 

 (落ちる……落ちていく……)

 

 落下していく自分を、もう一人の自分が冷静に見ているような感覚。

 

 (でもどうする事もできない)

 

 杖を握る手から、力が抜けていく。

 

(だって私には、あの竜のように翼がないのだから)

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