第17話 私はそんなに良い子じゃないよ
山の背が、幾重にも連なって足の下を流れていく。白銀の翼が一度大きく空を掻くたび、緑の斜面も灰色の岩肌も、まとめて後ろへ遠ざかった。
ディアナの背に跨ったルーシェは、杖を膝に預けたまま、遠くへ目を細めていた。
「シャーリーさんの話だとこの辺りなはずなんだけど…………」
「この広大な山岳地帯から1匹の鳥を見つけるなんて出来るのか?」
「もちろん! アテはないけど確信はあるよ!」
返事の代わりに、白銀の翼が大きく空を打つ。呆れたのか乗ってくれたのか、背の上からでは相棒の顔は見えない。
その時、視界の端で何かが光った。
鳥そのものより先に、まとった光り物の方が目に飛び込んでくる。羽根の隙間から垂れた鎖や硝子の粒が日を弾きながら、ルーシェの目の前に飛び込んだ。
「あっ!! 今の子だよ絶対!」
「ルーシェ、あいつが口に咥えているのは」
鳥の嘴の先で、見覚えのある小さな星が揺れていた。
「私の一つ星魔女バッジっ! いつの間にか取られてる!」
叫んでから見下ろした制服の胸からは、確かに輝きが消えている。
「くっ、叩き落とす……!」
膝の下で、鱗の冷たさが一段深くなる。ルーシェは慌てて白銀の首筋を叩いた。
「待って! 氷塊なんて当てたら死んじゃうよ」
「弱肉強食、自然の摂理だ」
「でもあの子、ペンダントは持ってなかった。 巣までエスコートしてもらわないと」
冷気が、渋々といった調子で引いていく。
「ならどうする?」
「見失わないギリギリの距離を保って追いかける」
「簡単に言ってくれる……」
「大丈夫、ディアナならできるよ」
ぼやきながらも、翼はもうその通りに動いていた。
光る鳥は、木の影を縫って飛ぶ。ディアナはその小さな影を、追い詰めもせず、見失いもしない距離に置いたまま、大きな身体で同じ軌道を描いていった。
翼が空を掻く。斜面が傾いて迫り、また離れる。風が穏やかにルーシェの髪を巻き上げる。膝に伝わる涼しい鱗と、羽ばたきに合わせて上下する揺れに身を任せていれば、それで済んでしまう。
眼下では山肌の緑が影を落とし、谷底の細い川が光の線になって流れていく。遠く、川の光る辺りに赤い屋根の群れが霞んでいた。
こんなにも静かな空を、ディアナと飛ぶのは初めてだった。その心地良さに、ルーシェは思わず目的を忘れそうになる。
「あっ、あそこに降りたみたい」
鳥が、切り立った岩場の中腹へ吸い込まれていった。岩棚の一つに、枯れ枝を組んだ塊が見える。あれが巣か、とルーシェは目を凝らした。
「このまま行くか?」
「二手に分かれよう。私は下から行くから、逃げそうになったら上から捕まえて」
「了解した」
ディアナは岩場の裾へ滑り降り、翼を畳まないまま脚だけを地に触れさせた。ルーシェが背から飛び降りるのを待って、再び空へ上がっていく。白銀の翼は、鳥の目に入らないところまで高く小さくなった。
岩場は、見上げるほど高い。ルーシェは杖を足元へ向けた。
押し出した風が靴底を蹴り上げ、ルーシェの身体をひとつ上の岩棚へ運ぶ。着地の勢いを殺す前に次の風を起こして、また一段。岩肌を跳ねるたびに、鳥のまとう光が近づいてきた。
最後の一段を越えると、巣の前で光り物を並べ直していた鳥が、こちらへ首を向けた。ルーシェは杖を突きつける。
「さぁさ、観念しなされ泥棒さん!」
鳥はひと呼吸だけルーシェを見た。それから、羽根の光を撒き散らして横へ飛んだ。
「そっちは、向かい風!」
杖を振る。岩棚を横に走った突風が、鳥の進路へ正面から叩きつけられた。押し戻された鳥は羽を乱して別の隙間へ向かうが、ルーシェはそこへも風を送り込む。左を塞ぎ、右を塞ぎ、行き場を探す鳥が、岩棚の上で一周した。
「残った道は真上だけ、ディアナ!」
鳥が、垂直に飛び上がる。
その先の空に、影が落ちた。
まっすぐ落ちてくる白銀の輪郭が、途中で光に飲まれる。光は膨らむのではなく、縮んでいった。その中から人の形が抜け出して、両腕を前へ伸ばしたまま、鳥もろとも岩棚へ降ってくる。
ルーシェの目の前に、銀色の髪の少女が膝を折って着地した。両手の中で、鳥が暴れている。
「捕まえた……!」
「やった! 流石はディアナ!」
鳥を包んだ指は、外から見ても分かるほど緩く重ねられていた。
巣は、岩棚の奥に枯れ枝で組まれていた。その内側で、日を受けた光り物が一斉に瞬く。硝子の欠片やボタン、銀の匙に鎖の切れ端まで、光るものなら何でも集めてあった。一番上に、盗まれたばかりの星章が載っている。
「返してもらうよ、私の魔女バッジ」
星章を拾い上げて、制服の胸に留め直す。ディアナが両手を開くと、鳥は一声鳴いてひとつ上の岩へ逃げ、そこからこちらを見下ろした。
「しかし、よくこれだけ溜め込んだものだな」
ディアナが横から巣を覗き込む。ルーシェは杖を置いて、光り物の山に両手を突っ込んだ。掻き分けていく指先に、細い鎖が絡む。
「あった! ティナちゃんのペンダント!」
引き上げた鎖の先で、小さな飾りが日を返した。ルーシェはそれを両手で包んで、相棒へ高く掲げる。
「他のはどうする? 盗品か落とし物か、或いは捨てられた物か区別はつかないが」
「そのままでいいんじゃないかな。どうしてもって人はアカデミーに依頼を出すだろうし」
「……意外だな。君の事だから全て持ち主に返したいと言い出すかと思ったよ」
ディアナが、藍色の瞳を少しだけ見開く。
「ふっふーん。私はそんなに良い子じゃないよ。 目の前の人は助けるけど、世界平和だとか知らない誰かのために頑張るとかそういうタイプじゃないの」
ペンダントを握った手を、ルーシェは空へ向けた。山の上には、遮るもののない青が広がっている。
「私は必ず果ての空へ行く。だから、この道で交わるほんの一握りの出会い全てに意味があると信じてる。ただそれに全力で向き合ってるだけだよ」
ディアナは、しばらく何も言わなかった。それから、口の端だけで笑う。
「やはり君は面白いな。ついていくのが大変そうだ」
「私とバディを組んだんだから、ずーっと隣に並んでてもらうからね!」
「ああ、望むところさ」
涼しい声とは裏腹に、鱗の尻尾が一度大きく揺れる。ルーシェは相棒の手を掴んで、今言った通りに自分の隣へ引き寄せた。




