第15話 誰もが囚われている。未知と脅威を隠すあの空に
その建物は、本校舎の裏手に、少し離れて立っていた。
石造りの、細長い塔のような造り。壁を這う蔦が、窓枠の縁を緑で縫っている。派手さはないけれど、佇まいがどこか静かで、近寄ると自然に背筋が伸びるような建物だった。
「ここは、別棟か?」
「そう!3組以上でチームを組んだら専用の私室が貰えるらしいんだけど、それがここ。そして今回私たちが目指すのは一番上の階だよ」
ルーシェは扉を押し開けて、真っ先に階段へ向かった。上の階ほど格上のチームが使う——入学して間もない頃、誰かがそんな噂をしていたのを覚えている。
一段、また一段。踊り場を回り込むたび、廊下に並ぶ扉の数が減っていく。上の階ほど部屋が大きく、そして少なくなっていくらしい。
「一番上、つまり今のアカデミーで最も優秀なチームという事か」
「うん。 きっとあの人ならアカデミーの事何でも知ってるはずだよ」
最後の段を上りきる。最上階の廊下には、扉が一枚しかなかった。
その扉の前には、先客がいた。
制服を着た生徒が一人、扉に手をかけ、細く開いた隙間に顔を寄せている。胸元で、2つの星が光っていた。
「あぁ……今日も美しいですリア様……」
「……あのー、ここってヴァレンタリアさんのチームの部屋で合ってますか?」
真後ろから声をかけると、その背中が跳ね上がった。
「なっ!? 貴方いつの間に!」
振り返った生徒が、慌てて扉を閉め、それを背にして両手を広げる。
「ちょっとヴァレンタリアさんに用があって」
「……リア様は見ての通り忙しいんです。貴方達のようなファンの相手をしている暇はありません」
息を整えた彼女は、一瞬で表情を作り直していた。丁寧な言葉遣いなのに、圧が凄い。まっすぐ向けられた視線に、ルーシェは思わず半歩下がった。
「別にファンって訳じゃ……」
早々にファンと決めつけられ、日頃そのような事が多いのだとルーシェにも容易に想像できた。
その隣で、ディアナが涼しい顔のまま一歩前に出る。
「ヴァレンタリアはここにいるんだな。では入らせてもらう」
「なっ、お待ちください! リア様の平穏は、2年にして既に二つ星、期待の神童バレッタ・エヴァリーがお守りします!」
「くっ……流れるような自己紹介!」
名乗りの淀みのなさに、ルーシェは呻いた。あれは間違いなく、何度も口にしている名乗りだ。2年生で二つ星といえば、学年でも指折りの実力者ということになる。それが、こんな扉の前で番犬をやっている。
両手を広げたバレッタは、一歩も動かない。ディアナの藍色の瞳と、真正面からぶつかり合っている。
膠着したところへ、扉の向こうから声がした。
「バレッタ? 他に誰か来てるのか?」
「瑣末な事ですリア様! 不埒な生徒はこのバレッタが今に追い返してみせます」
答えながら、バレッタは扉に体を密着させる。だが次の瞬間、その扉は内側へ向かって開いた。
支えを失った背中が、たたらを踏む。開いた戸口から、見知った顔が覗いた。
「む、ルーシェじゃないか。私に何か用か?」
「ヴァレンタリアさん! そうなんです、ちょっと聞きたい事があって」
「そうか。ちょうど休憩しようと思っていたんだ、入ってくれ」
「はい! ありがとうございます」
「なっ!? なななな……」
バレッタの口が、言葉にならない音を鳴らしている。ルーシェが横を通り抜けても、その姿勢のまま固まっていた。
ヴァレンタリアは、机の上から書類の束を取り上げると、それを彼女の腕の中へそっと収めた。
「そうだバレッタ、すまないがこの資料を学長に届けておいてくれないか?」
「は、はい! その任務、バレッタにお任せください!」
姿勢が、音を立てて直った。書類を胸に抱いたバレッタは、深々と一礼して、階段を駆け下りていく。その足音が遠ざかるのを扉のところで見送ってから、ルーシェはようやく部屋の中を見回した。
部屋は、思っていた通り綺麗に整頓されていた。
中央に大きな机が一つ。壁には地図と、依頼書らしき紙が何枚も留められている。奥の窓は天井近くまであって、四角く切り取られた空がよく見えた。最上階だけあって、箱庭も一望できる。
ヴァレンタリアは椅子を勧めると、自分は机の縁に軽く腰を預けた。
「それで、話というのは」
どう切り出そうか、ここへ来るあいだずっと考えていた。半年前まで箱庭に通っていたのなら、去年の入学生という可能性が高い。
「ヴァレンタリアさんは、2年生のシャーリーさんという人を知ってますか?」
「ふむ、シャーリー・ヘイズか。彼女は半年前から休学中の生徒だが、何故君が?」
名前だけでなく、その生徒の情報まで記憶されていた。生徒会長というのは、こんなにも生徒のことを覚えているものなのかとルーシェは呆気に取られる。
「箱庭にいた竜の一頭が、シャーリーさんと契約間近だったみたいで。 休学の理由って分かりますか?」
「ああ。彼女は元々病弱だったようで、ちょうど半年前に体を壊し、アカデミーに通う事も難しくなり休学という形になった。その後回復したとは聞いているが、まだ気持ちの方が追いついていないのかもしれないな」
裏切りではなかった。
来られなくなったのだ。来たくても。
ジェイリーンが半年抱え込んできた棘は、まるごと勘違いだったことになる。
気がつけば、椅子から腰を浮かせていた。
「あの! 私、シャーリーさんに会って直接話を聞きたいんですけど」
「ふむ。君は何故、知りもしない生徒にそこまで肩入れするんだ?」
ヴァレンタリアの声から、雑談の柔らかさが消えていた。試すというより、確かめるような問い方だった。
嘘をつく理由もない。ルーシェは、まっすぐ顔を上げた。
「私、契約してない竜の言葉が分かるんです。だから、きっと勘違いで悲しい思いをしてるジェイリーンを放って置けなくて」
「全ての竜の言葉が……そうか。 分かった、彼女の家の場所を教えよう」
言葉の途中に、短い間があった。
驚かれるだろうと身構えていたのに、返ってきたのは頷きだけだった。ヴァレンタリアは机に向き直り、紙を一枚引き寄せると、さらさらとペンを走らせる。
「やった! ありがとうございます」
差し出された紙には、アカデミーから南へ抜ける道と、川沿いの家の位置が、簡単な線で描かれていた。ルーシェはそれを受け取って、ディアナへ笑顔を向ける。そしてそのまま部屋を後にした。
扉を閉める間際、頭を下げるとヴァレンタリアは軽く手を上げて応えてくれた。
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足音が階段を下りきって、聞こえなくなる。
ヴァレンタリアはしばらく扉を見つめてから、窓辺へと歩いた。眼下では、小さくなった後輩の背中が、相棒と並んで門の方へ駆けていく。竜の言葉が分かるのだと、少しの躊躇いもなく言い切った顔を思い返す。薄々感じていた彼女の特異性が確信に変わった気がした。
学長から託された言葉が、胸の奥で重さを増していく。あの子を導いてやってほしい、と、あの人は言った。
剣を握れば、この学び舎で並ぶ者はいないと自負している。だが、あの真っ直ぐさが向かっていく先は、たぶん同じ場所にはない。
「ルーシェ・アイオライト。彼女を導く事が、果たして私に出来るだろうか……」
答えは出ない。ヴァレンタリアはふと空を見上げ、手を伸ばす。
「誰もが囚われている。未知を、脅威を隠すあの空に」
その胸の4つの星は、光を歪に跳ね返し輝いていた。




