第14話 端的に言えば暇を持て余している
朝の箱庭が、二人の少女を迎える。
風の向かう先。陽を吸って温まりはじめた岩場の上に、探していた影があった。
畳まれた翼と、丸太のように太い四肢。岩に顎を預けて微睡んでいた巨体が、近づいてくる足音に気づいて、片方の目だけをうっそりと開けた。それから、心底うんざりしたという風に、長い息を吐く。
《ハァ……何の用だよ》
「おはようジェイリーン! 今日もいい風だね!」
挨拶が答えになっていないことを、ルーシェは少しも気にしていなかった。両手を振りながら岩場の下まで駆け寄る。ジェイリーンの目が、じろりと細められた。あの雪原から、まだ幾日も経っていない。刺々しさが抜けきっていないのは当たり前で、それでも追い払われないだけで上出来だった。
「以前言ったはずだ。君が親しくしていた学生について調べると」
隣に並んだディアナが、静かに言った。人の姿になってからも、この相棒の声は変わらない。涼やかで、余計な飾りがない。
《本気で言ってたのか?》
「本気も本気だよ!」
ジェイリーンが、のそりと頭をもたげた。岩の上に落ちていた影が動き、ルーシェの足元まで伸びてくる。長い首をめぐらせて、この竜は二人を交互に見下ろした。追い払うでもなく、応じるでもなく。ただ、面倒なものを見る目だった。
《お前1年だろ? 授業はどうした》
「今行われている竜学や竜約術の授業は竜と契約する為のものだ。 既に私との契約を果たしたルーシェは出席が免除されている」
「優等生ですので」
ルーシェは胸を張って、胸元の星章を指で弾いてみせた。金属の粒が小さく鳴る。ディアナが横目でこちらを見た。かわりに、話を続ける。
「本来なら学外の依頼を受ける事が推奨されているが、友人が一つ星になるのを待っている為それも出来ない」
「がんばれスーちゃん!」
この場にいない友人に向かって、ルーシェは拳を握って声援を送った。今頃スカーレットは竜学の授業を受けているはずだ。彼女が魔女になる日は遠くない、ルーシェはそう信じていた。
「つまり、調査をするには絶好の機会。端的に言えば暇を持て余している」
最後の一言は、あまりにも身も蓋もなかった。だが、隣にいるルーシェは得意げに頷いた。
ジェイリーンの喉から、鼻を鳴らすような音が漏れた。呆れたのか、笑ったのか。判別はつかなかったけれど、少なくとも、牙は剥かれなかった。
ルーシェは岩場に一歩近づいて、両手を胸の前で合わせる。
「お願い! 頑張って探すから教えて欲しいの!」
返ってきたのは、沈黙だ。
ジェイリーンは遠い何かを思い出しているようだった。視線をルーシェから外し、遠くの空へ向ける。風が渡り、草の海が音を立てて傾いだ。竜の翼の縁が、落ち着かなげに小さく持ち上がっては、また元の位置に戻る。それを何度か繰り返した。
やがてジェイリーンは首をこちらへ戻すと、値踏みするようにルーシェを見下ろした。ここで目を逸らしたら終わりだと思って、ルーシェは見上げ返す。しばらく、視線がぶつかったままになった。
先に折れたのは、竜のほうだった。太い喉の奥から、ひどく低い声が転がり落ちてくる。
《……シャーリーだ、アイツの名前は》
「おぉ、意外とあっさり。 ありがとう!」
《別に渋るようなモンでもねぇからな。 それに期待もしてねぇ、忘れてくれていいぜ》
「ううん、絶対にたどり着いて見せるから!」
ジェイリーンは、それきり顔を背けてしまった。岩の上に顎を戻し、翼をぴたりと畳み直す。太い前足の爪が、意味もなく岩肌を一度だけ引っ掻いた。硬い音が、朝の空気に短く響く。
その音を、ルーシェは返事として受け取った。
忘れてくれていいなんて言われて、はいそうですかと忘れられるわけがなかった。
ルーシェは踵を返し、来た道を駆け出した。露に濡れた草が靴を濡らすのも、もう気にならない。すぐ後ろから、ディアナの小さな溜め息と、追いかけてくる足音が続いた。
背後で、竜が身じろぎする気配がした。振り返ってみたけれど、ジェイリーンはやはり顔を背けたままで、こちらを見てはいない。
それで良かった。この間は敵意を見せていた彼女に、少し近づけた気がしたから。
箱庭から戻ると、校舎は授業の真っ最中だった。
廊下には人の姿がなく、閉じた扉の向こうから、教師の声と、答える生徒たちの声が、くぐもって漏れてくる。窓から差し込む光が、磨かれた床に長い四角を並べていた。その光を踏みながら、ルーシェは腕を組んで、わざとらしく唸ってみせる。
「さてさて、無事に名前を聞けた訳ですがどうやって調べましょうか」
「教師の誰かに聞きたいところだが今は授業中、終わるまで待とうか?」
ディアナが、閉じられた教室の扉を横目で見ながら言った。もっともな案だ。在学していた生徒のことなら、教師に聞くのが一番早い。
けれど、ルーシェは待っていられる気分ではなかった。せっかくジェイリーンから引き出した名前が、待っているあいだに冷めてしまう気がした。
ルーシェは足を止めて、窓の外へ目をやった。中庭の向こう、木立の陰に、本校舎とは別の建物の屋根が覗いている。
「先生じゃなくても生徒に詳しそうな人……一人心当たりがあるよ」




