第13話 答えは、果ての空にある
学長が二人を連れてきたのは、アカデミーの中庭だった。
噴水の水音が響く広場の中央に、それはあった。台座の上に据えられた、大きな像。翼を広げた一頭の巨大な竜と、その背に立ち、杖を掲げた一人の魔女。二人して、遥かな空を見据える姿の像だった。
ルーシェも、入学からの日々で何度か前を通った。だが、足を止めて見上げたのは、これが初めてだった。
「これは、15年前の大侵攻の折、この地を守った英雄を讃えた像だ」
学長の声が、静かな中庭に落ちる。
「竜人の軍勢が空を覆ったあの日、戦況を覆したのは、一組の魔女と竜だった。侵略部隊を率いる竜人を、二人は討ち取った。結果としてそれが決め手となり、地上は守られたのだ」
学長は、像の竜を見上げた。
「この竜の名は——ミラドーナ」
ディアナの肩が、小さく震えた。
「これが……母の姿」
周りの竜たちから幾度となく聞かされ、そのたびに疎ましく思ってきた英雄譚。その主の姿が、今、目の前にあった。大きく、強く、気高い翼。会ったことのない母は、空へ向かって、翼を広げていた。
「やっぱり、ディアナに似てるね」
隣で像を見上げていたルーシェが、ぽつりと言った。ディアナは答えなかったが、その藍色の瞳は、像から離れなかった。
「そして、ミラドーナと共に戦ったこの魔女の名は——ルージュ・アイオライト」
その姓に、ルーシェの息が止まった。
「それって……」
「ルーシェ君。君の、母親だ」
噴水の水音だけが、静寂の中に響いた。
ルーシェは、像を見上げた。竜の背に乗り、杖を掲げる魔女。きっと初めて見る母の顔。すごい魔女だった——村の人たちがそう言うだけで、決して詳しくは教えてくれなかった、その理由が、空を指してそびえ立っていた。
「そ……それじゃあ……私のお母さんと」
「私の母は」
「「バディだった……!?」」
二人の声が、重なった。ディアナに残された伝言。なぜ会ったこともない竜が自分の名を知っていたのか——昨日から胸に刺さっていた棘が、ゆっくりと消えていく。母たちは、相棒だった。自分たちと、同じように。
「そうだ、お母さんは果ての空に行ったって聞きました。本当なんですか?」
ルーシェが、縋るように学長を見る。学長は、ゆっくりと頷いた。
「……戦いの後、ルージュは私にこう言った」
その目が、遠い日を映すように細められる。
「『竜人とは何者か。なぜ我々と敵対するのか。奴と刃を交え、各地を巡り確信した。この地上は、語り継がれた歴史は、何かを隠している。答えは、果ての空にある』と」
「答えは……果ての空に」
ルーシェは、呆然と繰り返した。入学式で、学長が新入生に投げかけた言葉。あれは、母の言葉だったのだ。
「生まれて間もない君達を私や周りの者に託し、彼女達は空へと向かったよ」
「じゃあ、本当にお母さんは、果ての空にいるんだ」
果ての空に行ったきり帰らない母。ずっと、その言葉の意味を知らずにいた。母は消えたのではない。答えを、探しに行ったのだ。相棒と共に。
「アカデミー設立を発案したのも、ルージュだった」
学長は、像の台座に、そっと手を添えた。
「しかし、ルーシェをアカデミーに呼んだのは私の考えだった。ミラドーナの言葉といい、まるで、こうなる事が分かっていたような……」
その呟きは、二人に向けたものというより、遥かな誰かへ向けたもののようだった。
ルーシェは、胸元のペンダントを握りしめた。冷たい金属が、掌の中でじんわりと温もりを帯びていく。それから、隣に立つ相棒を見た。
「ディアナ、今はっきりと決まったよ。私の目指すべき場所が」
「奇遇だな、私も同じだよ」
ディアナが、口の端を上げる。二人の視線が、像の見据える先——高く青い空へと、揃って向けられた。
「お母さん達はきっと待ってるんだ。私たちが揃って、会いに来る事を!」
「勝手に置いていって追ってこいなど、文句の一つも言ってやらなきゃ気が済まない」
言葉は正反対で、想いは同じだった。ルーシェは笑い、ディアナの尻尾は機嫌よさげに揺れていた。
その様子を、学長は静かに見守っていた。かつて同じ空を指した魔女の面影を、その娘達に重ねながら。
「ルーシェ、ディアナ。君達なら辿り着けるはずだ。いや——君達でなければ、辿り着けない」
風が中庭を渡り、若葉の匂いを運んでいく。学長は像を見上げ、誰にも聞こえない声で、そっと呟いた。
「そうだろう、ルージュ」
英雄の像は、何も答えない。ただその視線の先で、英雄たちの発った空が、どこまでも高く、青く広がっていた。




