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第9話 挑発

【ララ視点】


 図書室から瑛《えい》先輩を連れ出した私は、先輩の腕にぴったりと自分の腕を絡ませたまま、放課後の校舎を歩いていた。

「おいララ、もう図書室は出たんだから腕離せって。目立つだろ」

「えー?いいじゃないですか。私、先輩と一緒に歩けてすっごく嬉しいんですから」

 照れて視線を逸らす先輩の顔を覗き込みながら、私は内心でガッツポーズをキメていた。

 押しに弱い先輩の反応は、完全に私の計算通りだ。このまま一気に外へ連れ出して、放課後デートの既成事実を作ってしまおう。


 そう思いながら中庭へ続く渡り廊下に差し掛かった時、私の視界の端に、見慣れた人物の姿が映り込んだ。

(……あ)

 渡り廊下の陰、下駄箱の近くの柱の陰から、こちらをじっと見つめている女子生徒。

 明るい茶髪のハーフアップ。瑛先輩の幼馴染、桃芽《ももめ》萌真《もま》先輩だ。


 彼女の目は、私と腕を組んで歩く瑛先輩に釘付けになっていた。

 その表情には、明らかな動揺と、隠しきれない嫉妬、そして焦りの色が濃く浮かんでいる。


(ふふっ、分かりやすい。……ちょうどいいわ、ここで完全にトドメを刺しておこっと)

 私は萌真先輩の嫉妬と焦りを正確に観察し、心の中で冷たく微笑んだ。そして、わざと瑛先輩の腕を強く引き、萌真先輩の目の前へとまっすぐ歩いていった。


「あっ、萌真先輩じゃないですか!お疲れ様ですぅ!」

 私が明るく声をかけると、萌真先輩はビクッと肩を震わせた。

「えっ、あ、う、うん。お疲れ様……ララちゃん」

「おいララ、お前急に引っ張るなよ……あ、萌真」

 瑛先輩も気まずそうに視線を泳がせている。二人の間に流れるこの絶妙な気まずい空気感。まさに私にとって最高のステージだ。


 私は満面の小悪魔スマイルを浮かべ、萌真先輩の目を真っ直ぐに見つめた。

「萌真先輩って、瑛先輩とは、ただの『お友達』ってことでいいんですよね?それとももう、それ以下の存在だったりして?」

「えっ……!?」

 突然の直球な質問に、萌真先輩は息を呑み、言葉に詰まった。

「そ、それは……」

「ですよね!だって、最近お話しされて無いようですし、ましてや恋愛感情なんて全然ないですよね!」


 畳み掛けるような私の言葉に、萌真先輩の顔から血の気が引いていくのがわかる。

 私は瑛先輩の腕にさらに胸を押し付けるように密着し、決定的な一言を放った。


「じゃあ、私が頂いちゃいますね♡」


 萌真先輩の瞳が、絶望に大きく見開かれる。

「先輩、小夜嵐川《さよあらしがわ》の蔵通りにあるカフェ、一緒に行きましょ!私、あそこの新作スイーツ食べたかったんです!」

「ちょ、お前、俺まだ帰るとは言って……」

「いいからいいから!萌真先輩、じゃあお先に失礼しまーす!」


 私は瑛先輩の腕を強引に引き、中庭を抜けて正門へと向かって歩き出した。

 背後で立ち尽くす萌真先輩の絶望した顔を思い浮かべながら、私の心の中には圧倒的な勝利の余韻が広がっていた。


 +++


【萌真視点】


「じゃあ、私が頂いちゃいますね♡」


 ララちゃんのその言葉が、頭の中で何度も何度も、呪いのようにリフレインしていた。


 この一週間、瑛のいない登下校は色を失ったように味気なくて、一人で歩く紅葉坂がやけに長く感じられた。

 教室で遠くから彼の背中を見つめるたび、あの日「うっそーん」と逃げてしまった自分の不器用さを呪って、夜はベッドで何度も枕を濡らした。


 自業自得だと分かっている。でも、いつかまた呆れたように笑いかけてくれると、心のどこかで都合よく期待していたのだ。その甘い幻想が、今、音を立てて崩れ去っていく。


 中庭に取り残された私は、ララちゃんに腕を引かれて歩いていく瑛の背中を、ただ呆然と見送ることしかできなかった。

 足が鉛のように重くて、声が出ない。

 胸の奥が、ギリギリと雑巾を絞られるように痛い。


(頂いちゃう……?瑛を……?)


 今まで、瑛が私の隣にいるのは『当たり前』だった。

 私がどんなにくだらない嘘をついても、「うっそーん」とおどけて逃げても、瑛はいつも呆れながら許してくれていた。

 その優しい場所が、私だけのものだと思い込んでいた。


 気付けば、私は無意識のうちに二人の後を追いかけていた。

 紅葉坂《もみじざか》を下り、小夜嵐川《さよあらしがわ》の蔵通りへ。

 柳並木と白壁の土蔵が続く風情ある街並みは、放課後の高校生たちの定番のデートスポットだ。

 私は電柱や柳の木の陰に身を隠しながら、前を歩く二人をストーカーのように尾行していた。


 やがて二人は、観光客向けのオシャレな和カフェのテラス席に座った。

 私は少し離れた建物の陰から、窓越しに二人の様子を覗き込んだ。

 ララちゃんは、ニコニコと可愛らしい笑顔で瑛に話しかけている。そして、小さなラッピング袋から手作りのクッキーを取り出すと、それを自分の指でつまみ、瑛の口元へと運んだ。


「あーん♡」


 窓越しだから声は聞こえないけれど、ララちゃんの口の動きでわかった。

 瑛は一瞬戸惑ったように顔を赤くしたが、やがて観念したように口を開け、そのクッキーをぱくりと食べた。


「……っ!!」

 その瞬間、私の中で、何かが決定的に弾け飛んだ。

 目の前が真っ暗になるような、激しい焦燥感と、ドロドロとした黒い嫉妬。

 私がいつも逃げて、隠して、誤魔化してきたもの。

 瑛が他の女の子に触れられ、他の女の子に向かって笑いかけている。その事実が、狂いそうなほどに嫌だった。


(いやだ……取られたくない。瑛は、私の……)

 そこで初めて、私は自分の本当の気持ちから逃げられない状況に追い込まれた。

 私が「うっそーん」と言って嘘をついていたのは、傷つくのが怖かったからじゃない。

 この関係が壊れて、瑛を失うのが何よりも怖かったからだ。


 ララちゃんの存在によって、私はついに強制的に自覚させられてしまった。

 私は、瑛のことが好きだ。

 幼馴染としてじゃなく、一人の男の子として、どうしようもなく好きなんだ、と。


 +++


 カフェの窓ガラス越しに二人の姿を見つめたまま、私はポロポロと涙をこぼしていた。

 自分の不器用さが憎い。素直になれなかった自分が恨めしい。

 もう、手遅れなのだろうか。


「あーあ。油断してるから、後輩に取られそうになってんじゃん」


 不意に、背後から呆れたような声が降ってきた。

 驚いて振り返ると、そこにはサッカー部副部長の舘《たち》哲人《てつと》くんが立っていた。

 浅黒い肌に爽やかな笑顔を浮かべているが、その瞳はすべてを見透かしているように鋭かった。


「て、哲人くん……!ち、違うの、これはその、町内会のパトロールで……」

 私は咄嗟に涙を拭い、またしてもくだらない嘘で誤魔化そうとした。

 でも、声は震えて、自分でも情けないほど弱々しかった。


 哲人くんは小さくため息をつくと、私の頭にポンと大きな手を乗せた。

「お前が本当に欲しいものは、嘘なんかじゃ守れないぜ」

「……っ」

「失敗したっていいだろ。失敗したら、何度でもやり直せばいいんだよ」


 哲人くんは、少しだけ自嘲するように笑った。

「俺だって、昼休みのメガ盛り焼きそばパン、完食できずにぶっ倒れたけどな。でも、諦めてねぇよ」

「え……?」

「俺は次こそは成功させてみせるぜ。ただそれまでに、またバイトで金を稼がなきゃならんがな」


 一万円の巨大パンに再挑戦するための決意。

 あまりにもアホらしい宣言だったが、その真っ直ぐな言葉は、今の私の胸に深く刺さった。


(失敗したら、何度でもやり直せばいい……)

 そうだ。

 嘘で誤魔化したまま、勝手に諦めて、後輩に奪われて泣いているなんて、私らしくない。


「……ありがと、哲人くん」

 私は顔を上げ、しっかりと前を向いた。

 涙はもう止まっていた。ララちゃんになんか、絶対に負けない。

 これ以上好き勝手に動かれてたまるものか。

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