第7話 冷たい拒絶
【萌真視点】
自分の部屋に飛び込むなり、私はドアに背中を預けてズルズルと床にへたり込んだ。
心臓が、耳の奥でうるさいくらいにバクバクと鳴っている。息が荒くて、全身がカッと熱い。
「……馬鹿。私の、大馬鹿……っ!」
誰もいない部屋に、ポツリと自分の声が落ちた。
両手で顔を覆うと、さっきの光景が頭の中で鮮明にフラッシュバックする。
『俺は……萌真といて楽しいし、華やぐし、これって……好きってことかも』
夕日に照らされた、相生瑛の真剣な瞳。
冗談でも茶化しているわけでもない、真っ直ぐで誠実なあの声。
私がずっとずっと、心の底から欲しかった言葉だった。
なのに。
『う、うっそーんw』
口から飛び出したのは、いつもの最低な防衛本能だった。
恥ずかしさと、予想外の展開へのパニックで完全にキャパオーバーを起こした私は、あろうことか瑛の真剣な思いを笑いで茶化し、あまつさえ彼をその場に置き去りにして全力疾走で逃げてきてしまったのだ。
「あああああ……っ!なんで、なんであそこで逃げるのよ!素直になればよかったじゃない!」
ベッドに這い上がり、枕に顔を押し付けて手足をバタバタとさせる。
でも、いくら後悔したって、あの一瞬はもう戻ってこない。
『本音を隠すために嘘でコーティングしてたら、いつか本当に伝えたいことが相手に伝わらなくなるよ』
『そのうち後悔するよ』
頭の中に、妹の眞美の冷ややかな声が蘇る。
眞美があれだけ忠告してくれていたのに。私のこのくだらない『嘘をついておどける癖』が、いつか大切なものを壊してしまうと警告してくれていたのに。
私は、本当に取り返しのつかないことをしてしまったんだ。
「どうしよう……瑛、怒ってるよね。あんな真剣な顔してたのに、私に笑われたら……傷つくに決まってる」
胸がギュッと締め付けられて、息が詰まるように痛い。
ポロリと、目尻から情けない涙がこぼれ落ちた。
でも、ひとしきり泣いて冷静になってくると、心のどこかで都合のいい言い訳を探し始めている自分がいた。
(……でも、瑛のことだし。私のこういうダメなところ、昔から全部わかってくれてるし……)
瑛は面倒見が良くて、優しい。
私がどんなに突拍子もない嘘をついても、最後には呆れたように笑って許してくれる。
だからきっと、明日になれば「お前、昨日すげえ勢いで逃げたな」って、笑ってくれるはずだ。
またいつも通りの、くだらなくて楽しい幼馴染の関係に戻れるはず。
「そうだよね……明日、ちゃんといつも通りに笑いかければ……絶対に大丈夫」
すがるような思いで自分にそう言い聞かせ、私は祈るように目を閉じた。
+++
翌朝。
私は緊張でガチガチに強張る体を奮い立たせ、玄関の扉を開けた。
朝の澄んだ空気が頬を撫でる。紅葉坂の石畳の坂道に視線を向けると――。
「……っ」
そこには、いつもと変わらない様子で、ポケットに手を入れて立っている瑛の姿があった。
ちゃんと、私のことを待っていてくれたのだ。
その姿を見た瞬間、胸につっかえていた重い塊がスッと溶けていくのを感じた。
(よかった……!見捨てられてない!)
私は心の底からほっと安心し、大きく息を吐き出した。
大丈夫。瑛はいつも通りだ。なら、私もいつも通りに振る舞えばいい。
気まずさを吹き飛ばすために、私はとびきりの笑顔を作って坂道を駆け下りた。
「おっはよー!瑛!」
「……おう」
瑛の返事は、少しだけトーンが低かった。
でも、私はそれに気づかないふりをして、いつものように『嘘』を口にした。
これで笑って、「うっそーん」って言って、いつもの朝が始まるんだ。
「ねぇ瑛、聞いてよ!さっきニュースで言ってたんだけどさ、地球に超巨大な隕石が近づいていて、明日みんな消滅するんだって!」
私は大げさに両手を広げて、すぐに嘘だとバレる話を深刻そうな顔を作ってみせた。
「……」
「ん?ねぇ瑛、聞いてる?」
「……へぇー」
返ってきたのは、ひどく冷たく、無機質な声だった。
瑛は私の方を見ようともせず、ただ前を向いたまま、感情の乗らない相槌を打った。
「えっ?は、反応薄っ。地球消滅だよ!?普通もっと驚くでしょ!消滅までに何しようとか、何食べようとか」
私は必死に明るい声を出し、彼の顔を覗き込もうとした。
その時、瑛がピタリと足を止め、ゆっくりと私の方を向いた。
「どうせ嘘なんだろ?」
その瞳には、いつもの呆れ混じりの優しさも、ノリを合わせてくれる面白がる色も、何一つなかった。
ただ静かな、冷たい拒絶だけがあった。
「もういいよ、そういうの」
突き放すようにそれだけを告げると、瑛は再び前を向き、歩き出してしまった。
「あ……」
喉がヒュッと鳴って、言葉が詰まった。
『もういいよ』。
そのたった一言が、鋭い刃物みたいに私の心臓を深くえぐった。
いつもなら、「騙された!」とか「お前なぁ」って笑ってくれるのに。
私のくだらない茶番に、付き合ってくれるのに。
(違う。もう、いつも通りじゃないんだ……)
昨日の夕方、私が彼から逃げ出したあの瞬間に、私たちの『当たり前』は完全に壊れてしまったのだ。
背中を向けて歩いていく瑛の姿が、ひどく遠くに見えた。
呼び止めることも、言い訳をすることもできず、私はただ俯いて、押し黙るしかなかった。
小夜嵐川の蔵通りを抜けて、苔柿高校に到着するまでの長い道のり。
私と瑛の間には、ただの一度も会話が生まれることはなかった。
足音だけが、虚しく響いていた。




