第41話 魔界のルール
【瑛視点】
「な、なに……?」
「我の身も心も全てを、あなた様に捧げます」
俺はわざとらしく口角を上げ、彼女の耳元へと顔を寄せた。
そして、演劇部で鍛えた低く甘い声色で、彼女の耳の穴を直接くすぐるように囁いた。
「召喚したからには、ただではお帰しいたしませぬゾ」
「っっっ!!」
俺の言葉と、腰をホールドする力強い感触に、萌真の顔が一瞬にして沸騰したように真っ赤に染まった。
サキュバスの妖艶な仮面は音を立てて崩れ去り、あっという間にいつものピュアで打たれ弱い桃芽萌真が顔を出す。
「ま、待って!ストップストップ!あの、サキュバスにも門限が……!」
「悪魔に門限?おかしいですなぁ。ルールを守る悪魔ですか」
「あ、あるの!魔界の厳しいルールが!だから、今日の召喚はこれくらいにして……っ!」
完全にタジタジになり、俺の腕の中から逃げ出そうとジタバタ暴れる萌真。
だが、俺はガッチリと腰を掴んだ手を離さなかった。
むしろ、逃げようとする彼女の動きが、太ももへの摩擦を生み出し、俺の理性をさらに削り取っていく。
「遅いですゾ。もう契約は成立いたしました」
「えっ、ちょ、え、瑛……んっ!」
俺は彼女の抗議の言葉を、自分の唇で塞いだ。
夕暮れの公園。人気はないとはいえ、ここは屋外だ。そんな背徳感が、キスをさらに熱くさせる。
最初は軽く触れるだけのふわっとキス。だが、萌真が驚いて小さく口を開いた隙を突き、俺はためらうことなく彼女の口内へと舌を滑り込ませた。
「んっ……ぁ……っ」
甘い吐息が漏れる。
俺は主導権を完全に握り、逃げようとする顔を固定して、さらに深く、何度も舌を絡ませた。
昨日の自室での寸止め宣言から一転、抑え込んでいた欲望がキスという形で溢れ出す。萌真の甘い唾液を味わい尽くし、彼女の舌を休ませることなく攻め立てる。
「ふぁ……え、瑛……っ、んちゅ……っ」
激しいキスの応酬に、萌真の腰から完全に力が抜けたのがわかった。
彼女は俺の首に回していた腕にすがりつくようにして体重を預け、荒い呼吸を繰り返している。
俺が唇を離すと、銀色の糸が切れては繋がり、萌真はとろけたような瞳で俺を見つめ返してきた。
「はぁ、はぁ……っ、瑛の、バカ……」
「お前が誘ってきたんだろ。サキュバスなんだから、もっと俺の精気を吸い尽くしてみろよ」
「もう、吸えない……キャパオーバーだもん……っ」
涙目で睨んでくる萌真が可愛くて、俺は再び彼女の唇に吸い付いた。
ちゅっ、ちゅっ、と何度も角度を変えて深くキスを交わす。夕焼け空の下、時間も場所も忘れて、俺たちは互いの熱に完全に溺れていた。
――その、絶頂の甘い空気の真っ只中だった。
『ザッ、ザッ、ザッ、ザッ』
静かな公園に、リズミカルな足音が近づいてくるのが聞こえた。
俺たちは、唇を重ね合わせたまま、その足音が自分たちのすぐ横でピタリと止まったことに気づいた。
「…………」
嫌な予感がした。
俺は萌真の唇からゆっくりと顔を離し、足音のした方へと恐る恐る視線を向けた。萌真も、俺の膝の上にまたがった体勢のまま、ギギギ……と錆びた機械のように首を回す。
そこに立っていたのは。
スポーツウェアに身を包み、首からタオルを下げた、見慣れた黒髪ショートボブの少女。
「…………」
たまたま体力づくりで夕方のランニングをしていた、萌真の妹の中学三年生――桃芽眞美だった。
「「……っ!!?」」
俺と萌真は、完全にフリーズした。
背もたれのないベンチで、俺の太ももの上に萌真がまたがり、腕を首に回して密着し、今まさにディープキスを交わしていたという、言い逃れ不可能な絶対的現行犯。
眞美は、額の汗をタオルで拭うことも忘れ、氷点下マイナス百度とも言えるような、極寒の冷徹な視線で俺たちを射抜いていた。
「……あ、ま、眞美……っ!?」
先に我に返った萌真が、俺の膝の上から転げ落ちるようにして慌てて立ち上がった。
俺もバネが弾けたようにベンチから立ち上がり、乱れた服の裾を無意味に引っ張る。
「こ、これは違うの!瑛がサキュバスを召喚するって言い出して、私が魔法陣に……!」
「お前がノリノリで膝の上に乗ってきたんだろ!俺はただ契約に応じただけで……!」
顔を真っ赤にして、パニック状態で意味不明な弁解をまくし立てる俺たち。
しかし、姉の嘘を見破る冷徹な眞美に、そんな苦しい言い訳が通用するはずもなかった。
眞美は、大きく、そして深々とため息をついた。
「……完全に、公然わいせつ罪じゃない」
静かな公園に響き渡ったその言葉は、鋭いナイフのように俺たちの心臓をグサリと刺し貫いた。
「こ、公然わいせつ……っ!」
「ひぃっ!け、警察沙汰!?」
震え上がる俺たちを他所に、眞美はさらに呆れ果てたような、蔑むような視線を姉の萌真へと向けた。
「あのさぁ。家の中で変な設定でイチャつくのは百歩譲って見逃してあげてたけど。外で、しかもこんな開けた公園で、上に乗っかってベロチューとか、頭沸いてるの?」
「ベ、ベロチューって言わないでぇぇぇっ!」
萌真は両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込んでしまった。
俺も弁解の余地がなく、ただ冷や汗を流して立ち尽くすしかない。
「……私ヤだよ。『アラ塩破廉恥女の妹』ってレッテル張られるの」
眞美からの、トドメの強烈なダメ出しだった。
「うわああああん!ごめんなさーい!破廉恥でごめんなさーい!」
「お、俺が悪かった!もう外では絶対にしないから!な!?」
泣き叫ぶ姉と、必死に頭を下げる幼馴染の彼氏。
眞美は「はぁ……本当にバカップルなんだから」と呆れたように肩をすくめると、もう俺たちには一切関わりたくないと言わんばかりに、再び前を向いてランニングを再開してしまった。
「待って眞美!お母さんには、お母さんにだけは言わないでーっ!」
「俺の親にも絶対内緒にしてくれーっ!」
夕焼け空の下。
俺たちは、遠ざかる妹の背中を追いかけながら、顔から火が出るほどの羞恥心と共に、必死に命乞いのような叫び声を上げるのだった。




