第4話 休日の苔柿座
翌日の休み。
俺は家族と一緒に、掛古木市の中心部にある苔柿座へ来ていた。
江戸時代から続くこの木造芝居小屋は、現在では市営劇場として歌舞伎や伝統芸能の巡業が行われている。俺の家族は昔から伝統芸能や舞台鑑賞が趣味で、こうして休日に連れ立って観劇に訪れるのが我が家の定番の過ごし方だった。
「ほら瑛、あんたの分のおやつ。もうすぐ始まるわよ」
「おう、サンキュ」
母から手渡されたのは、地元の和菓子屋が作る名物『花魁桜どら焼き』だ。桜餡と求肥がぎっしり詰まった上品な甘さで、苔柿座の売店でも大人気の品である。
木造建築特有の木の香りと、周囲の観客たちのざわめき。どら焼きを頬張りながら座席で開演を待つこの時間が、俺は結構好きだ。
やがて照明が落ち、拍手と共に定式幕が引き開けられる。
今日の演題は『縮緬情話浮名乃滝』。
この苔柿県では有名な、江戸時代に実際にあったとされる無理心中の話だ。
舞台の上で繰り広げられるのは、狂気に満ちた愛憎劇。
主人公の伊之助は、地元の特産品である高級絹織物『苔柿ちりめん』を扱う大手問屋「播磨屋」の跡取り息子。真面目で世間知らずな彼は、遊郭随一の売れっ子花魁である夕顔に一目惚れし、身代を傾けるほど通い詰めてしまう。
だが、気風が良く客あしらいに長けた夕顔にとって、伊之助は大勢の客の一人に過ぎなかった。やがて彼女の、別の豪商への身請けが決まりかけると、伊之助の純情はどす黒い情念へと変貌していく。
『他の男の腕に抱かれるくらいなら……いっそ、来世で結ばれてやる!』
絶望し、逆上した伊之助の叫びが、木造の芝居小屋にビリビリと響き渡る。
俺は演劇部で裏方兼役者をやっていることもあり、思わず前のめりになって舞台に見入っていた。
中学時代、文化祭の劇で急遽代役を務めて絶賛されて以来、俺は自分の中にある『迫真の憑依型演技』という特技に密かな自信を持っている。だからこそ、舞台上の役者が放つ圧倒的な熱量に、役者としての魂が激しく揺さぶられていた。
舞台はいよいよクライマックスを迎える。
伊之助は夕顔を、俺たちの家がある紅葉坂のさらに奥山へと連れ出した。
『どうして……どうしてわっちを道連れにするんでござりんすか!やめておくんなし!わっちは、まだ……!』
嫌がって抵抗する夕顔の手首を、伊之助は自らが商うちりめんの反物で固く縛りつける。
そして、そのまま小夜嵐川の滝壺へ、無理やり道連れに身を投げるのだ。
水しぶきを上げる滝の音響と、悲痛な三味線の音色が重なり合い、幕が引かれる。
客席からは割れんばかりの拍手が巻き起こった。
「いやぁ、今日の伊之助役、凄まじい気迫だったな」
終演後、苔柿座から外に出た父が感嘆の声を漏らす。俺も深く頷いた。
「ああ。あの思い詰めた低い声色とか、狂気に憑りつかれたような目つき……めちゃくちゃ勉強になったよ。次、部活で似たような役回りがあったら真似してみようかな」
「瑛なら完璧に演じきりそうねぇ。あんた、一度役に入り込むと普段の冷静さが嘘みたいに熱くなるんだから」
母が笑いながら茶化してくる。
確かに俺は普段は面倒見が良く冷静な方だと自覚しているが、ノリが良くて一度火がつくと徹底的にやり切ってしまう負けず嫌いなところがある。特技である声色を変える技術と相まって、今日の伊之助の怨念めいた迫力は、俺の演技の引き出しにしっかりと刻み込まれた。
夕暮れに染まる町を家族と歩きながら、俺はふと町の外れの小高い丘の方角を見遣った。
あの丘にある竹林に囲まれた古びた塚こそが、さっき舞台で見た無理心中伝説の舞台――『心中塚』だ。
古寺が併設されていて檀家の墓も多数あるその場所は、地元の高校生にとっては定番の心霊スポットであり、肝試しの名所として知られている。
(あのすさまじい執念……本当にあそこに、伊之助の悪霊が出てもおかしくないかもな)
俺は舞台の余韻を噛み締めながら、そんなことをぼんやりと考えていた。




