第31話 ドラキュラの霊
【萌真視点】
金曜日の放課後。
私は、古びた校舎の隅にあるオカルト研究部の部室を訪れていた。
期末テストも終わり、部活もない日で暇を持て余していた私は、特に用事もないのに部長の丹野根菜乃ちゃんの顔を見に来たのだ。
「お邪魔しまーす。……あれ?」
薄暗い部室に入ると、壁に以前は見かけなかった怪しげな十字架や、異様にリアルなニンニクのレプリカが飾られていた。
私は首を傾げながら、水晶玉を磨いている菜乃ちゃんに声をかけた。
「ねぇ菜乃ちゃん、壁のあれどうしたの?また新しい怪異を呼び出す儀式にでも使うの?」
「ああ、それね。親戚がアメリカへ行った時のお土産よ。吸血鬼避けの神聖なアイテムらしいわ」
「なんだ、お土産なんだ。でも、なんで部室に飾ってるの?」
「せっかくだからよ。でも、ここ日本では全く使い道がないのよね。西洋の怪異がこの苔柿県に現れるなんて、オカルト的にもあり得ないわ。霊的な波長が全く合わないもの」
菜乃ちゃんの冷静な解説に、私は「だよねー」と笑いながら頷いた。
日本でドラキュラなんて、映画や漫画の中だけの話だ。そんな他愛のない会話をして、私は部室を後にした。
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そして、翌日の土曜日の午後。
私の部屋には、エアコンの涼しい風と一緒に、最高に平和な時間が流れていた。
「あー、テストが終わった後の休日って、どうしてこんなに幸せなんだろう……」
私はピンク色を基調とした自室のベッドでゴロゴロしながら、お気に入りの少女漫画のページをめくっていた。
今日は両親も、妹の眞美も、家族揃ってショッピングモールへ買い物に出かけている。つまり、この家には今、私と幼馴染の相生瑛の二人きりしかいないのだ。
休日のリラックスした空気の中、ベッドに寝転がる私はペールピンクのふんわりとしたチュニックに白いショートパンツという、家の中ならではのラフで少し甘めなスタイル。対する瑛は、黒のオーバーサイズTシャツにウォッシュ加工のデニムハーフパンツという、彼らしいシンプルで男の子っぽい服装だった。
「瑛、クーラー寒くない?」
「いや、ちょうどいいよ。外はセミが鳴きまくってて地獄みたいな暑さだしな」
瑛は床のクッションに座り、壁に背中を預けて文庫本を読んでいる。
黒髪のナチュラルマッシュが、本に向かって静かに傾いている。その整った横顔を特等席で眺められるのは、彼女である私だけの特権だ。
最近の私たちは、心中塚でのドタバタや、中庭での『アラ塩ぶっかけ告白』を経て、無事に恋人同士になった。それからは、瑛のちょっと意地悪な独占欲に振り回されつつも、こうして穏やかな時間を共有できるようになっていた。
(瑛、本に夢中だな……。かっこいいけど、せっかく二人きりなんだから、もう少し構ってほしいかも)
私がベッドの上で足をパタパタさせながら、どうやってちょっかいを出そうか考えていた、その時だった。
「うっ……!」
突然、床に座っていた瑛が、喉をかきむしるようにして苦しげな呻き声を上げた。
手から文庫本が滑り落ち、バサリと音を立てる。
「えっ!?瑛、どうしたの!?急に具合悪く……」
私が慌ててベッドから身を乗り出した瞬間。
瑛は片手で自分の顔を覆い、もう片方の手を天に掲げながら、やけに響く大げさな声で叫んだ。
「まずい……!ドラキュラの霊が俺に……っ!」
「…………は?」
私は一瞬、自分の耳を疑った。
ドラキュラの霊?今、ドラキュラって言った?
「おいおい、俺の身体を乗っ取る気か……っ!くそっ、強大な西洋の闇の力が……!」
苦しみながらも、指の隙間からチラリとこちらの様子を窺っている瑛。
その見え透いた三文芝居に、私は昨日菜乃ちゃんから聞いたばかりの言葉を思い出し、すかさず容赦のないツッコミを入れた。
「ちょっと、ここ日本よ!ドラキュラなんて絶対出ないって、昨日菜乃ちゃんも言ってたもん!」
「ぐうっ……!海を渡って、日本の結界を破って侵入してきたんだ……!」
「んなわけあるかーっ!だいたい心中塚の花魁の次はドラキュラって、いくらなんでも設定がブレブレじゃん!」
私の的確なツッコミにも関わらず、瑛は全く演技をやめる気配がない。それどころか、迫真の表情のまま、ゆっくりと立ち上がった。
「瑛、もうその手には乗らないからね。どうせまた私をからかおうとして……きゃっ!?」
私が文句を言い終わるよりも早く、瑛はベッドに身を乗り出し、私の両肩をガシッと掴んだ。
そして、そのまま私の身体をベッドに押し倒したのだ。
ドサッ、とピンク色のシーツに背中が沈み込む。
「ちょっ……え、瑛……!?」
私を見下ろす瑛の切れ長の瞳には、いつもの面倒見の良い幼馴染の色は微塵もなかった。代わりに浮かんでいたのは、ゾクッとするほど色気のある、捕食者のような冷たい熱だ。
瑛は演劇部で鍛えた特技をフル活用し、私の耳元に顔を寄せると、腹の底から響くような低音ボイスで低く囁いた。
「ドラキュラの霊が憑いちまったから……お前の血を吸わないと、成仏できない」
「ち、血って……っ!」
「さぁ、その透き通るような白い肌を我に捧げるのだ!」
「っ……!?」
耳のすぐそばで紡がれた甘すぎる宣告に、私の心臓はドクンッと大きく跳ね上がった。
さっきまで「設定がブレブレ」だの「日本にドラキュラはいない」だのとツッコミを入れていた余裕なんて、一瞬にして消し飛んでしまった。
逃げ場のないベッドの上。
私の両腕は瑛の大きな手によってシーツに縫い留められ、上からは彼のがっしりとした身体が覆い被さっている。
「ま、待って瑛……これ、反則……っ」
「悪霊に反則などという概念はない。ほら、大人しく首を差し出し。血を吸われるのだ!」
瑛は意地悪く口角を上げると、逃げ惑う私の首筋へと、ゆっくりと顔を近づけてきた。




