第30話 不意打ちのキス
【瑛視点】
彼女の驚いたような小さな吐息を飲み込み、少しだけ強引に、でも大切に味わうように。
萌真は一瞬ビクッと身を強張らせたが、やがて観念したように俺の肩に手を回し、目を閉じて受け入れてくれた。
蝉時雨が降り注ぐ公園の中、時間だけがゆっくりと溶けていく。
どれくらいそうしていただろうか。
息が苦しくなり、俺がゆっくりと唇を離すと、萌真はとろけたような瞳で俺を見上げ、肩でぜぇぜぇと荒い息を吐いていた。
その艶やかな表情に、俺の理性のストッパーはさらに崩壊しそうになる。
「……っ、もう一回」
「えっ?ひゃうっ……んんっ!」
俺は彼女が止める間もなく、再びその柔らかい唇に自分の唇を押し当てた。
今度は先ほどよりも深く、熱く。
俺の独占欲が、彼女の全てを味わい尽くすように重なっていく。
「んっ……ふぁ……え、瑛……っ、んっ」
二度目のキスを終えると、萌真は限界を迎えたように膝から崩れ落ちそうになった。俺は慌てて彼女の腰を支える。
萌真は涙目になりながら、真っ赤な顔で俺の胸をぽこぽこと叩き始めた。
「ば、バカ瑛!今ここで、実演しなくていいから!」
「お前が煽るようなこと言うからだろ。ノルマは達成したけど、ご褒美は別腹だ」
「ご褒美ってなによぉ……!もー、本当に心臓もたない……っ」
照れ隠しで文句を言いながらも、俺の腕の中から逃げようとはしない萌真。
その素直で可愛い姿に、俺は思わず声を出して笑ってしまった。
「ははっ、悪かったって。でも、明日からのノルマがもっと楽しみになったよ」
「明日はもう絶対言わないもん!ストライキするもん!」
俺の胸に顔を埋め、グリグリと額を押し付けてくる萌真。
そんな甘いやり取りを繰り広げ、俺たちだけの完璧な時間が流れている――そう思っていた、まさにその絶妙なタイミングだった。
「……外で何やってるの。ただでさえ気温が熱いってのに、そんなにくっついて」
背後から、真夏の熱気を一瞬にして凍らせるような、氷点下の声が降ってきた。
「……っ!!」
「うおっ!?」
俺と萌真は、バネ仕掛けのおもちゃのようにバチンッと互いの体を弾き離し、声のした方へ勢いよく振り返った。
公園の入り口の歩道。
そこに立っていたのは、スーパーのレジ袋を下げ、陸上部のジャージ姿に身を包んだ、萌真の妹の桃芽眞美だった。
黒髪のショートボブを揺らし、その知的な目つきが、木陰で密着していた俺たちを、ゴミでも見るかのような冷ややかな視線で射抜いている。
「ま、眞美!?な、なんでここに!?」
「なんでって、お母さんに頼まれてお醤油買いに行ってた帰りだけど。……っていうか」
眞美は呆れ果てたように深くため息をついた。
「白昼堂々、公園の木に押し付けて何やってるの?アラ塩ぶっかけ告白で、大衆の面前でイチャつくのに味を占めたってわけ?」
「えっ?眞美ちゃんの耳にも、もうその噂が?!それにち、違うの!これはわざわざ外でとかじゃなくて、瑛が急にノルマがどうとか言い出して!」
「俺のせいにするな!お前が俺を焚きつけて煽ってきたからだろ!」
「はいはい、どっちでもいいけど。近所の人に見られたら、お姉ちゃんたちだけじゃなくて、私まで『アラ塩の妹』って指差されるんだからね。迷惑かけないでよね」
ぐうの音も出ない正論と辛辣なツッコミ。
俺と萌真の顔面は、先ほどまでの甘い熱とは違う、極度の羞恥心で大爆発しそうなくらい茹で上がっていた。
「……もう、早く帰ってきなよ。麦茶、冷蔵庫で冷やしてあるから」
眞美は呆れたように肩をすくめると、くるりと背を向けて、呆れ混じりの足取りで家の方へと歩き出していった。
後に残されたのは、蝉の声が響く公園と、顔を真っ赤にして立ち尽くす俺たち二人。
「……あー、もう。また眞美に見られた」
「……俺たち、あいつに怒られてばっかりだな」
俺が頭を掻きむしると、萌真は「うぅ……」と涙目になってその場にしゃがみ込んだ。
「瑛のバカ……。家帰って、どんな顔して眞美に会えばいいのよ……」
「知るかよ。……ほら、帰るぞ。ぶどうソーダ飲んで頭冷やそうぜ」
俺が手を差し伸べると、萌真は「むぅ」と唇を尖らせながらも、その手をしっかりと握り返してきた。
相変わらずドタバタで、誰かに見られては恥をかく、不器用な俺たちの関係。
だけど、繋いだこの手の温もりだけは、絶対に嘘じゃない。
俺たちは真っ赤な顔を見合わせて小さく吹き出すと、真夏の太陽の下、いつもの紅葉坂へと続く道を歩き出した。




