第29話 松ドン
【瑛視点】
「……そういえばさ、萌真」
「んー?なにー?」
汗ばんだ首筋をハンカチで拭きながら、萌真が無防備にこちらを向く。
俺はわざと声を一段階低くして、ゆっくりと切り出した。
「あの『アラ塩ぶっかけ告白』の時……お前、全校生徒の前で『瑛の好きなところ100個』言ってやるって豪語してたよな?」
「ぶっ!?」
萌真が盛大に咽せ、慌てて口元を覆った。
「げほっ、ごほっ……!な、ななな、何言い出すの急に!?」
「いや、哲人の話を聞いてて思い出したんだよ。確かあの時、第16位の『無防備な寝顔っ!』で止まってただろ」
俺が中庭でのセリフを引用すると、萌真の顔が一瞬にして赤ぶどうのように真っ赤に染まった。
「わーーっ!ストップ!ストップ!その話はもう終わり!完全封印した黒歴史だから!」
萌真は両手で耳を塞ぎ、ぶんぶんと首を横に振る。
だが、俺は逃がすつもりはなかった。
「終わりなわけないだろ。あと84個、残ってるよな?」
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「なっ……!?」
萌真はベンチから弾かれたように立ち上がり、ジリジリと後ずさりをした。
「ち、違うもん!あれは悪霊を祓うための、その、除霊の儀式っていうか!不可抗力だったんだよ!」
「不可抗力で『無防備な寝顔っ!』なんて言えるかよ。あれは紛れもなく、お前の心の底からの叫びだったはずだ」
「うぅ……っ!」
図星を突かれたのか、萌真は両手で顔を覆い、「うわーん、私のバカー!」と叫びながら公園の奥へと逃げ出そうとした。
だが、特技が全力疾走の彼女とはいえ、動揺しきった今の動きはあまりにも単調だ。俺は素早くベンチを蹴って立ち上がると、数歩で彼女に追いつき、その腕をガシッと掴んだ。
「あわっ!?」
「逃がさないって言っただろ」
俺はそのまま彼女の手を引き、公園の真ん中にそびえ立つ大きな松の木の幹へと彼女の背中を押し付けた。
ドン、と鈍い音が鳴る。
俺は両手を木の幹につき、萌真を完全に俺の腕の中に閉じ込めた。逃げ場を塞ぐ、いわゆる『壁ドン』ならぬ『松ドン』の体勢だ。
「ちょ、え、瑛……っ!ち、近っ……!」
真夏の太陽を遮る濃い緑の天蓋の下、俺たちの距離はゼロに等しかった。
萌真のぱっちりとした大きな瞳が、極限まで見開かれている。俺の顔が至近距離にあることで、彼女の顔面はすでに沸騰しそうなほど真っ赤に染まっていた。
荒くなった彼女の呼吸が、熱を帯びて俺の肌に伝わってくる。
「……あの時、哲人が余計な煽りを入れたせいでうやむやになったけどな。俺はしっかり続きを聞く権利があると思ってるんだ」
「け、権利ってなに……っ、もー、イジワル言わないでよぉ……!」
涙目で抗議してくる萌真の顔は、どうしようもなく庇護欲をそそる。だが、ここで引く俺ではない。
「イジワルじゃない。俺はお前の本音をもっと知りたいだけだ。……だから、今日から毎日一個ずつ言え。残りの84個、全部言い切るまで俺の気が済まないからな」
「ま、毎日一個!?そ、そんなことしたら、私、毎日恥ずかしさで熱出ちゃうよ!」
「それはお前の問題だ。ほら、今日は第17位の番だぞ。早く言わないと、このまま離さないからな」
俺がわざと意地悪く囁き、さらに一歩距離を詰めると、萌真の肩がビクンと大きく跳ねた。
完全にキャパオーバーを起こしているようだ。
「……ぅぅ」
彼女はギュッと目を閉じ、小さく唸り声を上げた後――ふいに、俺の服の裾を掴もうと手を伸ばしてきた。
そして、俺が木の幹についていた右手に、自分の小さな手をそっと重ねてきたのだ。
指と指が絡み合う、恋人繋ぎ。
ぎゅっと、少しだけ汗ばんだ彼女の手が、俺の手に力強く握りしめられる。
「……萌真?」
予想外の反撃に、俺がわずかに目を見開いたその時だった。
萌真は真っ赤な顔をゆっくりと上げると、背伸びをして、俺の耳元に顔を近づけてきた。
彼女の髪から、甘いシャンプーの香りがふわりと鼻をかすめる。
「……第17位」
耳のすぐそばで、消え入りそうなほど小さな、でも甘く震える声が響いた。
「……不意打ちで、キスしてくるところ」
――ドクン、と。
俺の心臓が、今まで聞いたことのないような大きな音を立てて跳ね上がった。
「っ……!」
それは、ただの言葉以上の破壊力を持っていた。
恥ずかしさの限界を突破しながらも、逃げずに俺の手を握り、あえて俺の理性を揺さぶるような甘い告白をしてきたのだ。
俺の中の『面倒見の良い冷静な幼馴染』という仮面が、音を立てて砕け散るのがわかった。
「……お前、それ……」
「い、言ったよ!これで今日のノルマは達成だもん!だからもうおーしまっ!?」
萌真の言葉を、最後まで言わせなかった。
理性を完全に吹き飛ばされた俺は、彼女が離れようとしたその瞬間に、空いていた左手で彼女の腰を強く引き寄せ、そのまま唇を塞いでしまった。
「んっ……ぁ……っ」
木漏れ日の下、俺たちは深く唇を重ね合わせた。




