第23話 休日のテスト勉強
【瑛視点】
日曜日。
うだるような夏の暑さを遮るように、窓にはカーテンが引かれ、部屋の中はエアコンの冷気が心地よく循環していた。
桃芽萌真の自室。ピンク色を基調とした可愛らしいクッションや、彼女の趣味である少女漫画が本棚に並ぶ、昔から見慣れた空間だ。
俺はネイビーのVネックTシャツにグレーのハーフパンツというラフな姿。対する萌真は、淡いラベンダー色のオーバーサイズTシャツに白いショートパンツを合わせ、そこから伸びる素足を無防備に覗かせるという、可愛らしくも隙だらけのリラックススタイルだった。
そして、今の俺たちを取り巻く空気は、以前の『ただの幼馴染』だった頃とは決定的に違っていた。
「……あー、もうダメ。脳みそが完全に溶けたぁ……」
ローテーブルに向かってシャーペンを走らせていた萌真が、突如として机に突っ伏し、情けない声を上げた。
明るい茶髪のハーフアップが、テーブルの上にぺしゃんと広がる。
「おい、まだ開始から一時間も経ってないぞ。来週から期末テストだっていうのに、そんなんでどうするんだよ」
「だってぇ、歴史の年号なんて生きていく上で必要ないもん!織田信長が何年に何したかなんて、スマホで調べれば一秒でわかる時代だよ!?」
「そういう問題じゃないだろ。ほら、顔を上げろ。このページが終わるまで休憩はなしだ」
俺が呆れながらシャーペンのお尻で彼女の頭を軽く小突くと、萌真は「うぅー」と唸りながら渋々顔を上げた。
中庭での公開告白と、数百人のキスコールの中で唇を重ねてから、数日が経つ。
晴れて恋人同士となった俺たちの関係は、学校中――いや、舘哲人をはじめとする友人たちの生温かい見守り(という名のイジり)を受けながらも、順調に甘い日々を更新していた。
変わったことといえば、萌真が以前のように、照れ隠しですぐに『うっそーんw』と言って注目を集めようとすようなことがなくなったことだ。
もちろん、根がお調子者で不器用な性格は変わっていないが、今の彼女は俺に向かって真っ直ぐにぶつかってきてくれる。
そして、俺自身にも大きな変化があった。
それは、どうしようもないほどの『独占欲』だ。
(……今まで、散々逃げられ続けてきたからな)
俺は参考書に視線を落としながら、内心で自嘲気味に息を吐いた。
彼女のつく、くだらない嘘に付き合い、真剣な思いを伝えては茶化され、すれ違ってきた日々。その反動なのか、こうして恋人という確かな繋がりを手に入れた今でも、俺はどこかで『触れていないと、またこいつがどこかへ逃げてしまうんじゃないか』という根拠のない焦燥感に駆られることがあった。
面倒見が良くて冷静な幼馴染。俺は周囲からそう見られているし、自分でもそう思っていた。
だが、実際の俺は、萌真が思っている以上に嫉妬深く、彼女を自分だけのものにしておきたいという男としての本音を隠し持っていたのだ。
だからこそ、俺はあの心中塚のドタバタ騒動の時に編み出した『ある手段』を、日常的なスキンシップの口実として大いに活用するようになっていた。
「……あ、そうだ。瑛、ちょっと喉渇かない?私、下に行ってジュース取ってくるね!」
突然、萌真が何かを閃いたように顔を輝かせ、ローテーブルから立ち上がろうとした。
「ジュースなら、さっきお前が自分で持ってきた麦茶がそこにあるだろ」
「えっ?あ、ほんとだ。……でも、麦茶じゃなくて、もっとこう、甘い炭酸が飲みたい気分っていうか!」
「言い訳が苦しいぞ。ただ勉強から逃げたいだけだろ」
「ち、違うもん!脳に糖分を補給するための、戦略的撤退だもん!」
プクッと頬を膨らませて抗議する萌真。
しかし、その視線はチラチラと、部屋の隅にあるベッドの上に放り出されたスマホへと向けられている。完全に集中力が途切れている証拠だった。
「ったく……お前なぁ」
「えへへ、5分!5分だけ休憩させて!お願い、瑛先生!」
萌真は両手を合わせて拝むポーズをとると、俺の返事を聞く前にベッドへとダイブした。
ボスンッ、と柔らかい音がして、彼女の華奢な体がマットレスに沈み込む。そして、うつ伏せの体勢のままスマホを手に取り、嬉しそうに画面をスクロールし始めた。
「……5分経ったら絶対に再開するからね。あ、このバッジ可愛い。今度のお出かけの時、これ付けていこうかなー」
完全に勉強モードから脱落し、足をパタパタとさせながらくつろぐ萌真。
俺は手元の参考書をパタンと閉じ、ゆっくりと立ち上がった。
「おい、萌真。お前、何か忘れてないか」
「んー?なにー?瑛も見る?この雑貨屋さんの新作、すっごく可愛いんだよ」
スマホの画面に夢中で、背後に近づく俺の気配に全く気づいていない萌真。
俺は音を立てずにベッドの縁に膝をつき、無防備に寝転がる彼女の背中を静かに見下ろした。
そして、わざと声のトーンを一段階落とし、耳元のすぐ近くで低く囁いた。
「おや、今度は萌真に『サボり魔の悪霊』が憑いているな?」
「……ひゃっ!?」
突然至近距離から聞こえた俺の声に、萌真がビクッと肩を跳ねさせた。
俺はそのまま、うつ伏せになっている彼女の背中に覆い被さるようにして、背後からギュッと強く抱きしめた。




