第21話 鋭いガラスの破片
【瑛視点】
「おい待てバカ、萌真!やめろ!!」
俺は悪霊の艶やかな声色も、狂気を孕んだ態度も完全にかなぐり捨てていた。
完全に素に戻り、顔中にへばりついた塩も気にせず、血相を変えて立ち上がる。
そして、ベンチを蹴り倒す勢いで萌真の元へ飛び込み、彼女の手から鋭いガラスの破片を力ずくで叩き落とした。
「っ……あぶねぇだろ!何考えてんだお前!!」
俺はそのまま萌真の華奢な体を、壊れ物を扱うように強く、きつく抱きしめた。
心臓がバクバクと五月蝿く鳴っている。もし一歩遅れていたら。もし本当にこいつが自ら首を傷つけていたら。
取り返しのつかないことをしてしまったという激しい後悔が、俺の頭の中を駆け巡っていた。
「嘘だ!俺だ萌真!悪かった!」
「え、瑛……?」
「全部嘘だ!悪霊になんて憑りつかれてない!この前のお前の嘘コクを引きずってて、試してただけなんだ!本当にごめん!」
全校生徒が見守る中庭のど真ん中で、俺は泥と塩に塗れながら、必死に幼馴染に謝罪の言葉を並べ立てた。
プライドも羞恥心も、もうどうでもよかった。
ただ、この腕の中にいる萌真が無事であれば、それでよかったのだ。
「お前の本気は伝わった!俺が悪かった!だから、もうあんなバカな真似はやめ――」
その時だった。
俺の胸に抱きしめられていた萌真が、ゆっくりと顔を上げた。
そして、俺の耳元に唇を寄せると、吐息が掛かるほどの至近距離で、ポツリと囁いたのだ。
「うっそーんw」
……は?
耳を疑った。
今、こいつ、なんて言った?
「……知ってたよ、バカ瑛」
俺が呆然と腕の力を緩めると、萌真は悪戯っぽく目を細め、ニヤリと小悪魔のような笑みを浮かべていた。
その顔には、先ほどまでの悲痛な思い詰めた表情など微塵も残っていない。
「し、知ってたって……お前、俺の演技に気づいてて……?」
「当たり前じゃない。私が瑛の表情を見間違えるわけないでしょ?塩まみれで下向きながら、肩揺らしてニヤニヤしてたの、丸見えだったんだからね」
してやられた。
俺は完全に絶句した。
いつも俺がくだらない嘘に付き合って騙されたフリをしてやっていたのに。今回は完全に逆だ。こいつは俺の演技を見破った上で、さらにその上をいく『自害未遂の演技』を仕掛けてきやがったのだ。
「お前……どんだけ心臓に悪いことしてんだよ!本気で焦ったじゃねぇか!」
「これで瑛の嘘演技と引き分けね!人の純情をからかった罰よ!」
えへん、と胸を張る萌真。
俺は安堵と脱力感で、その場にへたり込みそうになった。
だが、萌真は逃げなかった。
いつもなら「騙されたー!」と叫んで逃げ出していくはずの彼女が、俺の制服の裾をぎゅっと握りしめ、真っ直ぐに俺の目を見つめてきた。
「でも、好きなのはガチだから」
「……っ!」
その声は小さかったが、はっきりとした熱を帯びていた。
嘘でも冗談でもない、純度百パーセントの本音。
彼女の大きな瞳が、俺の答えを待つように揺れている。
「おいおいおい!なんだよ今の展開!完全に一本取られてんじゃねぇか瑛!」
静まり返っていた中庭に、哲人の嬉しそうなヤジが飛んだ。
それを皮切りに、状況を理解した周囲の生徒たちから、ドッと歓声が沸き起こる。
『やばい、今の彼女の逆襲超かっこよかった!』
『てか彼、完全に主導権握られてるじゃん!』
『早く返事してやれよー!』
数百人のギャラリーが、ニヤニヤしながら俺たちを取り囲んでいる。
もう主導権は完全に握り返され、逃げ場なんてどこにもなかった。
いや、最初から逃げるつもりなんてなかったんだ。
不器用で、照れ隠しですぐに嘘をついて逃げ回っていたこいつが、全校生徒の前で大声で俺の好きなところを叫び、最後には退路を断って本気をぶつけてきてくれた。
なら、俺が男を見せないでどうする。
俺は観念して腹を括った。
塩まみれの顔を拭い、俺の服の裾を握りしめている萌真の両手を、そっと包み込むように握り返す。
「……萌真」
「な、なに……?」
萌真の顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。
俺は大きく息を吸い込み、中庭中に響き渡る声で叫んだ。
「俺もお前のことが好きだ!それもガチでだーーー!!」
しんと、一瞬だけ時が止まったような静寂。
そして次の瞬間。
『うおおおおおおおおっ!!』
『ヒューーーッ!!おめでとう!!』
『最高かよお前ら!!』
中庭を揺るがすほどの、割れんばかりの大歓声が巻き起こった。
拍手と指笛が鳴り響き、哲人なんて「やったな瑛!」とベンチの上に立ってガッツポーズをしている。
「えっ、あ、ええええっ!?」
萌真は顔をゆでダコのように真っ赤にして、パニック状態に陥っていた。
俺はそんな彼女を力強く引き寄せた。
「キース!キース!キース!」
誰かが始めたコールが、あっという間に中庭全体に伝染していく。周囲から数百人のキスコールが鳴り響き、初夏の青空にこだました。
「えっ、ちょ、瑛!?みんな見てるのに、キスコールって……!」
「今さらだろ。お前が始めた公開告白なんだから、最後まで付き合えよ」
俺が意地悪く微笑むと、萌真は涙目になりながらも、逃げようとはしなかった。
ギュッと目を閉じ、小さく頷く。
俺はそっと彼女の頬に手を添え、その柔らかい唇に、自分の唇を重ねた。
『キャアアアアアアッ!!』
『うおおおおおぉぉぉっ!!』
鼓膜が破れそうなほどの歓声に包まれながら、俺たちはキスをして結ばれた。
かけられた塩のしょっぱさなのか、彼女の涙のしょっぱさなのか分からない、忘れられない味。
くだらない嘘と茶番から始まった俺たちの関係は、こうして最高の形で、新たなステージへと進むことになったのだった。




