第2話 正門前での冷やかし
小夜嵐川の蔵通りを抜け、なだらかな坂を上りきると、俺たちが通う県立苔柿高等学校の正門が見えてくる。
創立100年を超える伝統校の校舎は、一部がレトロな木造洋館風になっていて、朝の陽ざしを受けるとなかなかのどかでいい雰囲気だ。
登校する生徒たちの波に紛れながら歩いていると、萌真が不意に俺の顔を覗き込んできた。
「あ、ねぇ瑛。ちょっと止まって」
「ん?なんだよ」
「前髪に変な寝癖ついてる。ピョコンって跳ねてて、アンテナみたいになってるよ」
「うおっ、マジか!?今朝ちゃんと鏡見たはずなんだけどな……」
俺は慌てて自分の前髪を手で押さえ、鏡の代わりにスマホの画面を反射させようと制服のポケットに手を入れた。
そんな俺の姿を見て、萌真はまたしても悪戯っぽく唇を歪める。
「うっそーんw瑛の髪、今日も完璧なナチュラルマッシュ〜♪」
「……お前なぁ。今朝だけで三回目だぞ」
「あははは!だって、瑛のリアクションがいちいち面白いんだもん。素直すぎて、からかい甲斐があるっていうかさ!」
ポンポンと毬が跳ねるように笑う萌真につられて、俺も思わず吹き出してしまった。
「悪かったな、単純で。お前のその即興のフかし、動体視力と全力疾走の次くらいには特技として履歴書に書けるんじゃないか?」
「えー?そんなの書いたら面接官に怒られちゃうよ!でも瑛を笑顔にする才能なら誰にも負けないかもね!」
そんな風に、二人で他愛もない冗談を言い合って笑い声を上げていた、その時だった。
「お前ら、朝っぱらから何イチャイチャしてんだよ」
ポン、と背中を軽く叩かれ、俺と萌真は同時に振り返った。
そこに立っていたのは、短髪で健康的な浅黒い肌をした、サッカー部副部長の舘哲人だった。
がっしりとした体格に、親しみやすい爽やかな笑顔を浮かべている。俺の友人であり、クラスでも中心的なムードメーカーだ。
「おう哲人。おはよう」
「おはようさん。で、なんの騒ぎ?正門の前で夫婦漫才でも始める気か?」
「夫婦って言うな。こいつがまたくだらない嘘をついてきたから、付き合ってやってただけだ」
俺が肩をすくめると、萌真も不満そうに唇を尖らせた。
「そうだよ!瑛が単純だから面白いだけ!哲人くんおはよう!」
哲人は、俺と萌真を交互に見比べると、ニヤニヤと意地悪な笑みを深めた。
「お前らいっつも仲いいような。付き合ってるのかよ?」
直球すぎる質問に、俺は思わずむせそうになった。
「はぁ!?俺とこいつが!?」
「な、ななな、何言ってんの哲人くん!?」
萌真の顔が、一瞬にして紅葉したもみじのように真っ赤に染まる。
「いや、だってさ。毎日一緒に登校してるし、息ピッタリじゃん。俺から見たら完全に熟年カップルにしか見えないぜ?隠さなくてもいいんだぞ?」
哲人はからかうように、肘で俺の脇腹を小突いてきた。
俺にとって萌真は、物心ついた頃からの近所の幼馴染だ。面倒を見るのが当たり前の存在で、恋愛感情なんて意識したこともなかった。
「バカ言え。こいつとはただの腐れ縁だ。だいたい、こんなすぐ嘘つくお調子者を彼女になんてしたら、毎日心臓がもたないって」
俺が笑い飛ばすと、萌真も大げさな身振りで同調した。
「無い無い。天地が三回転半しても無い」
萌真は両手を顔の前で激しく振りながら、全力で否定した。
「わざわざトリプルアクセルでひっくり返すな!」
俺がすかさずツッコミを入れると、哲人は「はいはい、ごちそうさま!」と腹を抱えて笑い出した。
「お前らのそのテンポの良い掛け合い、絶対付き合ってる奴らのそれだって。まあいいや、俺は先に行くわ。遅刻すんなよー」
哲人は爽やかに手をひらひらと振りながら、校舎の中へと消えていった。
哲人の背中が見えなくなると、俺たちの間にふっと短い沈黙が降りた。
「……あー、びっくりした。哲人くんってば、いきなり変なこと言うんだもん」
萌真は熱くなった頬を両手でパタパタと扇ぎながら、どこか落ち着かない様子で視線を泳がせている。
「全くだよな。あいつ、なんでもかんでもくっつけたがるからな。……萌真?」
ふと横顔を見ると、彼女の表情が先ほどまでの明るいものから、ほんの一瞬だけ――影を落としたように見えた。
照れ隠しの笑顔の裏側に、どこか所在なげで、寂しそうな色が微かに混じっていたのだ。
「……瑛」
「ん?」
「……ううん、なんでもない!ほら、早く下駄箱行かないと予鈴鳴っちゃうよ!」
萌真はパンッと両手で自分の頬を軽く叩くと、いつもの天真爛漫な笑顔を顔に貼り付けて、小走りで校舎へ向かっていった。
「おい、走ったら転ぶぞ!」
俺の呼びかけに、彼女は振り返らずに手を振り返した。
先ほどの、あの微かな表情の翳りはなんだったのだろうか。
あの時彼女が見せたほんの一瞬の「寂しさ」の意味とは。




