第1話 朝の通学路
ここ、苔柿県掛古木市は、江戸時代から高級絹織物や水運で栄えた歴史ある地方都市だ。
情緒あふれる古い町並みと現代的な商業エリアが隣り合っているが、俺の家がある紅葉坂エリアは、石畳や白壁の蔵が残る風情ある住宅街となっている。
俺、相生瑛、高校三年生の毎日は、いつも幼馴染のくだらない茶番から始まる。
朝の澄んだ空気の中、毎日の登校ルートである坂道に立って、俺はいつも通り待ち合わせの相手を待っていた。
「おーい、瑛!お待たせオッハー!」
声の方へ視線を向けると、幼馴染の桃芽萌真が家からパタパタと小走りで出てくるのが見えた。
明るい茶髪のセミロングをハーフアップにまとめた彼女は、ぱっちりとした大きな瞳を輝かせながら俺の前に立ち止まった。
「おせーよ萌真。もう行くぞ」
「ごめんごめん!ちょっとテレビ見てたら遅くなっちゃって」
「一日の中の一番忙しい時間帯に、見たらダメだろう」
「えへへ、ワリィ。それよりさ、今日も朝からめちゃくちゃ暑くない?」
「まあな。今年は特に猛暑になるらしいし」
「だよねー!ねぇ瑛。今年の夏、暑いから私、角刈りにする」
唐突な宣言に、俺は思わず立ち止まって彼女の顔を二度見した。
「マジか!女子で角刈りって聞いたことないぞ」
「うっそーんw」
萌真は悪戯っぽく舌を出して、ケラケラと笑い声を上げた。
「未来永劫する予定ない〜♪」
「お前なぁ……朝っぱらからくだらない嘘で時間取らせるなよ」
俺が呆れたようにため息をついた、ちょうどその時だ。
「おはよう、瑛くん」
背後から冷ややかな声が降ってきた。振り返ると、黒髪のショートボブを揺らした萌真の妹、眞美が立っていた。中学三年生の彼女は、姉とは対照的にクールで現実主義な性格をしている。
「お姉ちゃん、またバカなこと言って……いつまでも子供なんだから」
「な、なによ眞美。朝の爽やかなコミュニケーションじゃない」
「どこがよ。瑛くんも瑛くんだよ」
眞美は呆れたように肩をすくめ、俺に真っ直ぐな視線を向けてきた。
「簡単に騙されすぎだよ瑛くん」
「いや、俺は別に騙されてるわけじゃなくて、幼馴染の情けとしてノリを合わせてやってるだけで……」
「お姉ちゃんの嘘なんて、0.1秒で見破ってスルーするのが正解なのに。瑛くんがそうやって甘やかすから調子に乗るんだよ」
眞美の辛口な正論に、俺は苦笑いするしかなかった。
「うっそーんって笑って誤魔化す癖、本当にみっともないから直した方がいいよ。じゃあね」
陸上部らしく、眞美はキビキビとした足取りで坂道を下っていった。
「あーあ、眞美のやつ、相変わらず可愛げがないなぁ。お姉ちゃん傷つくわー」
「傷ついてる顔には見えねえけどな。ほら、俺たちも遅刻するぞ」
俺たちは連れ立って、いつもの通学路を歩き出した。
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紅葉坂を下りきると、小夜嵐川沿いの蔵通りに出る。
柳並木と白壁の土蔵が続く水運の街並みは、放課後になれば甘味処やカフェに集まる高校生たちのデートスポットになるが、朝の時間は静かで落ち着いていた。
「それにしても、毎日毎日よく飽きずにポンポンとそれっぽい嘘を思いつくよな」
俺が言うと、萌真は石畳の継ぎ目をケンケンパのように跳び跳ねながら振り返った。
「えー?嘘じゃないよ、エンターテインメントだよ!友を笑顔にするための、私のささやかな努力!」
「角刈り宣言のどこがエンターテインメントなんだよ」
「瑛の受け入れる土壌がまだ育ってないだけ!そうだ、私さっきテレビ見てたっていったじゃん……」
萌真は急に声のトーンを落とし、周囲を気にするように俺に身を寄せてきた。
「それがさぁ……校長先生が盗撮で捕まったらしいよ」
「は?うちの校長が?」
俺たちが通う県立苔柿高等学校は、創立100年を超える伝統校だ。そのトップが、まさかの不祥事。
「マジか!あの人が?結構ショックだわー」
「だよねー。今朝のニュースでやってたの。『苔柿高校の校長が、駅の階段で……』って、全国ネットで顔写真付きで報道されててさ!私、朝ごはんのトースト落としそうになっちゃった!」
「嘘だろ……あの人、全校集会でいつも『生徒は我が子同然』とか熱く語ってたじゃん!俺、あの校長の話が好きだったのに……ってか、今朝のニュースでやってたなら、学校着いたら大騒ぎになってるんじゃ……」
俺が本気で動揺した顔をして見せると、萌真の顔がパァッと明るくなった。
「うっそーんw」
萌真はビシッと俺に指を突きつけ、お腹を抱えて笑い出した。
「するはずない〜♪私あの人の事、尊敬してる〜♪」
「……お前なぁ。今朝のニュースでやってたなんてリアルな設定盛るから、本気で信じちまったじゃないか。またやられたよ」
「あははは!だって瑛、すーぐ信じるんだもん!『結構ショックだわー』って、顔面蒼白になってるの超ウケる!」
涙目になりながら笑う萌真を見て、俺は内心で小さく息を吐いた。
天真爛漫でお調子者の彼女は、こうやってすぐにバレる嘘を言っては『うっそーんw』と言って笑いをとるサービス精神のつもりなのか、そんな癖がある。
本当の彼女は照れ屋で、ピュアで、非常に打たれ弱い。素直になれない不器用さを隠すための自己防衛みたいなものだと、昔から一緒にいる俺には分かっていた。
だからこそ、俺はついついノリを合わせてしまうのだ。俺は演劇部で裏方兼役者をやっていることもあり、彼女のフリに対して『騙されたリアクション』を迫真の演技で返してやるのが、密かな楽しみにもなっていた。
「笑いすぎだろ。ホント、お前のその『うっそーん』って癖、眞美の言う通り子供っぽいからそろそろ辞めろよな」
「いいじゃない!私の嘘は、誰も傷つけないハッピーな嘘限定なんだから!」
胸を張って豪語する萌真の笑顔は、呆れるくらい眩しかった。
こんなくだらない茶番を繰り返すのが、俺たち幼馴染の当たり前の日常だ。




