白紙の音
この作品には自死表現が含まれます。
苦手な方はお控えください。
十一月に入った。
朝、自転車を漕ぐと結構肌寒い。
夏が終わる頃までうるさいくらい鳴いていた蝉もいつの間にか姿を消していて、代わりに風が木々を揺らす音が耳に残るようになっていた。
季節は勝手に進んでいく。
丈がいなくなっても、誰が取り残されても、そんなことは関係ないみたいに。
教室へ入る。
窓際を見る。
丈の席があった場所はもう何もない。
だけど最近は、その空白を見ることにも少し慣れてしまった。
慣れたくなんかなかったのに。
「おはよー」
響が手を振る。
「おー」
晃平も軽く手を上げる。
いちこも少し前から学校へ戻ってきていた。
まだ以前みたいにはよく笑わない。
けれど教室にいる。
それだけで少し嬉しい。
全員が少しずつ前へ進もうとしていた。
たぶん、大輝以外は。
視線を向けると窓際で本を読んでいる。
いつも通りだ。
でも、何かが違う。
最近ずっとそうだった。
話しかければ返事はするし、笑いもする。
けれど、どこか遠くにいる。
そんな感じだった。
昼休み。
購買戦争に敗北した晃平は菓子パンをかじりながら机に突っ伏していた。
「焼きそばパンが……」
「また負けたの?」
響が呆れたように笑う。
「三連敗」
「弱すぎ」
「購買のおばちゃんに顔覚えられてるレベルだからな」
大輝がぽつりと言った。
みんなが笑う。
大輝も少しだけ笑った。
その顔を見て。
晃平は少し安心した。
けれど、笑った顔はすぐ消えた。
また本へ視線を落とす。
まるで壁があるみたいだった。
帰り道。
ギターショップの前で晃平は足を止めた。
ガラス越しに並ぶギターを見る。
父親の影響で始めたギター。
好きだった。
人前で弾くのは嫌だったけど。
家で一人で弾く時間は好きだった。
誰にも見られない場所で、誰にも期待されない場所で。
それくらいがちょうどよかった。
昔からそうだった。
目立つのは苦手だ。
失敗するのも怖い。
だから無難に、ほどほどに。
平々凡々に。
そうやって生きてきた。
人生なんてそれで十分だと思っていた。
なのに、最近。
丈の言葉が何度も頭に浮かぶ。
『晃ちゃんギター上手いのに隠しすぎ』
ノートの落書き。
あの字、あの言葉。
思い出すたびに胸の奥がざわつく。
「隠しすぎ、か」
ガラスに映る自分を見る。
情けない顔だった。
丈だったら何て言うだろう。
たぶん、笑う。
そして、背中を叩く。
『やれよ』
って。
根拠もなく言う。
あいつはそういう奴だった。
だから腹が立つ。
死んだ後まで、勝手に人の人生に入り込んでくる。
夕暮れの空を見上げる。
オレンジ色だった。
あの日と同じ色。
『なぁ、自分の人生に色が付けられるとしたら何色にする?』
答えられなかった質問。
今も答えは分からない。
でも、ひとつだけ分かることがあった。
このままじゃ嫌だな。
丈がいなくなって、みんな変わろうとしている。
自分だけ立ち止まったままなのは嫌だった。
ポケットのスマホを取り出す。
連絡先を開く。
少し迷う。
そして、ある番号を押した。
呼び出し音。
一回。
二回。
三回。
『もしもし?』
聞き慣れた声だった。
「親父」
少しだけ緊張する。
「今度さ……」
深呼吸する。
「ギター、詳しく教えてほしいんだけど」
電話の向こうで。
少しだけ沈黙があった。
そして。
父親が笑った。
『もちろん』
その声を聞いた瞬間。
胸の奥で何かが少しだけ動き出した気がした。
まだ小さいし、形もない。
でも、確かにそこにあった。
夕暮れの風が吹く。
晃平は空を見上げる。
オレンジ色の空は、ほんの少しだけ前より綺麗に見えた。




