第3話「Heinrich Vogt」
書斎の机のいちばん下の引き出しから、古い封筒が出てきた。
表に、母の字で「戸籍」と書いてある。角が擦れて、紙は少し黄ばんでいた。黄ばみ方にはむらがあった。引き出しの奥と手前で、光の当たり方が違ったのだろう。長いあいだ、誰にも開けられないまま、そこにあったのだ。
「それは、もう捨てていいと思うわ」
母はファイルを整理する手を止めずに言った。手を止めずに言うのが、母のやり方だった。止めて言えば、それが捨てていいものではないと、自分でわかってしまうからだ。
「見てからにする」
中には、役所の書類の控えが何枚かと、写真が二枚入っていた。控えの紙は、今のものより厚く、ざらざらしていた。私はそれをめくらずに、写真のほうを先に取った。
一枚目の写真の中で、母はネイビーのスーツを着ていた。隣に父が立っている。金色の髪はまだ豊かで、眼鏡の奥の目は、カメラではなく母の横顔のほうを向いていた。母だけがカメラを見て、口角をきちんと上げていた。写真に写るために整えた笑みだった。母はその日一日、その笑みを保ち通したのだろう。
裏に、ボールペンで日付が書いてあった。
一九九四年六月十七日。
私が十歳になる、三か月前だった。
◇
先生に初めて会ったのは、その年の春だった。
学校の帰り、校門の外に母が立っていた。ネイビーのコートに、手には紙袋。母は私を見つけると、胸の前で小さく手を上げた。母が迎えに来る日は、決まって前の晩、台所で本を開いている時間が少し長かった。その本が何なのか、母は説明しなかった。私も聞かなかった。
「今日はね、寄るところがあるの」
「どこ?」
「先生のところ」
先生、と言うとき、母の声がほんの少し高くなった。上げて、すぐに下げる。上げてしまったのを、自分で恥ずかしがっているような上げ方だった。
夜の台所で母が開いている分厚い本の背にも、同じ名前が何度か出てきた。Heinrich Vogt。私には読めなかったけれど、形は覚えていた。H の縦棒が二本、i の点が二つ、g の下の輪がひとつ。私はその名前を、絵のように覚えていた。その日、私は初めて、その名前が人の口から発音されるのを聞くことになる。
本郷の大学に近い、古いマンションの三階だった。エレベーターはなかった。黒い鉄の手すりは、ところどころ塗装が剥げていた。母は私の前を歩き、ときどき振り返った。三階に着くまで、母は一度も手すりを持たなかった。
ドアが開くと、コーヒーと、甘いような焦げたような煙の匂いがした。パイプ煙草の匂いだと知ったのは、ずっとあとのことだ。そのときの私には、この部屋の持ち主の匂いだということしかわからなかった。わからないまま、私はその匂いを深く吸っていた。
先生は奥の机で、何かの紙を読んでいた。私たちに気づくと、眼鏡を外して立ち上がった。外した眼鏡は机に置かず、左手に持ったままだった。なぜかその持ち方を、私はよく覚えている。
背が高かった。私が知っているどの大人よりも高かった。髪は金色で、窓からの光を受けて、ところどころ白く透けて見えた。目は、プールの底のような青だった。見ていると、だんだん遠くなるのに、目が離せない青だった。
「はじめまして」
先生は日本語で言った。言葉の終わりが、少しだけ丸くなる日本語だった。言葉と言葉のあいだにも小さな丸があって、私はそのたびに息を継いだ。
それから先生は私の前にしゃがみこみ、目の高さを合わせた。お父さまがボストンへ行く日に、玄関でそうしたのと同じ高さだった。同じ高さなのに、同じではなかった。お父さまは、しゃがむときも少し急いでいた。先生は急がなかった。急がない人は、体が大きく見えるのだと、私はそのとき知った。
「江里子さん、ですね」
「はい」
「いい名前だ。エリー、と呼んでもいいかな」
江里子だから、エリー。教室の誰とも違う響きだった。外国の女の子の名前みたいで、少し格好いいと思った。
「はい」
先生は私を抱きしめた。大きな腕だった。ジャケットから、パイプとコロンの混じった匂いがした。私は体を固くしたまま、どうしていいかわからずに立っていた。抱きしめられている時間は、私が思っていたより長かった。
先生は私を放すと、右の頬にキスをし、それから左の頬にもキスをした。乾いた音が、近くで二度した。
私は目を瞬いた。テレビで見た外国の映画では、家族や親しい人たちが、そうやって挨拶をしていた。母がそばにいるので、間違ったことではないのだと思った。
気づくと、私は数えていた。一、二、三。四でやめた。数えるのは失礼なことのような気がしたからだ。それでも、頭のどこかで数は続いていた。五、六。
「ドイツでは、こうやって挨拶するのよ」
母が、少し早口で言った。母が早口になるのは、何かを急いで説明したいときだった。説明しなければ、その場が少し困ったことになるときだった。そのときの私には、そこまではわからなかった。母がそう言うなら、そうなのだろうと思った。
部屋には、濃い色の木の家具が並んでいた。背の高い本棚、重そうな机、壁の古い時計。ドイツから船で運んできたのだと、母が教えてくれた。海の上を、本棚や机や時計が揺られてくるところを、私はうまく想像できなかった。匂いも、光も、音も、私の知っている家とは少しずつ違っていた。それが嫌ではないことが、少しだけ不思議だった。
先生は、テーブルの上に箱をひとつ置いた。蓋に、SAWADE と書いてあった。
「ベルリンで、いちばん古いチョコレートのお店だよ」
蓋を開けると、ひとつずつ紙に包まれた小さなチョコレートが、きれいに並んでいた。金色と、深い赤と、黒。順番に並んでいるわけではないのに、なぜか整って見えた。
「好きなのをどうぞ」
私は、いちばん端の金色のひとつを取った。口に入れると、苦かった。いつまでたっても、なかなか甘くならなかった。苦い、と思った瞬間、私は母の顔をちらりと見た。母は、私がどうするかを見ていた。目は笑っていたけれど、その下に、何か硬いものがあった。
「子どもには、少し苦いかもしれないね」
先生は笑った。
私は首を横に振った。
「おいしいです」
本当は、まだ苦かった。でも、そう言えば先生が嬉しそうにするのがわかった。だから、そう言った。
大人は、子どもが「おいしい」と言うと嬉しそうにする。嬉しそうにされると、子どもはまた「おいしい」と言う。そうやって繰り返すうちに、子どもは本当の味を言わなくなる。その日、私はその最初の一歩を踏んだのだと思う。
「エリーは、えらいね」
先生がそう言うと、母が私の頭を撫でた。いつもより、少しだけ強い手だった。
窓のそばで、母が先生に小声で何か言った。先生は母のほうを見ずに、私を見たまま、うなずいた。母の言葉に、母ではなく私を見てうなずく。その順番が、少しだけ不思議だった。
「三人で住む家を、探しているんだ」
三人。
その言葉で、胸の奥が明るくなった。私たちの家には、母と私しかいなかった。母が夜遅くまで勉強しているあいだ、私は一人でテレビを見ていた。ときどき音を小さくすると、台所から母の鉛筆の音が聞こえた。聞こえると、一人ではない気がした。でもそれは母の音で、私の音ではなかった。
大人がもう一人いれば、母は何でも一人で決めなくてよくなる。
それが、嬉しかった。
三は、二より多い。多ければ多いほどいいのだと、私は思っていた。三という数字が、二より少しだけ窮屈な数字でもあることを、私はまだ知らなかった。
◇
婚姻届を出した日、母は私に紺のワンピースを着せた。幼稚園の受験のときに母が選んだのと同じ、白い襟のよそゆきだった。鏡の前で、母は何度も私の襟を直した。そのたびに、母の冷たい指が首の後ろに触れた。
区役所の窓口で、先生は書類に署名した。大きな手で、ゆっくりと、一文字ずつ。私は隣の椅子に座って、その字を見ていた。Heinrich Vogt。先生の名前は、私の名前よりずっと長かった。先生は、その長い名前を、途中で一度も休まずに書いた。
母はその横に、自分の名前を書いた。丁寧というより、慎重な字だった。それから同じ窓口で、もう一枚、名字を変える届けを出した。出す前に、母の手が一度だけ止まった。止まった理由を、母は言わなかった。
届けは二枚とも、その場で受理された。窓口の女の人が「おめでとうございます」と言い、母は深く頭を下げた。母にしては、少し大げさな深さだった。
今なら、わかる気がする。母は誰よりも、その「おめでとうございます」を、自分に言ってもらいたかったのだ。
区役所を出ると、六月の空が白く曇っていた。
「これで、お母さんはフォークト博美よ」
「私は?」
「エリーも、もうすぐ同じ名前になるわ。裁判所の手続きが済んだらね」
裁判所、という言葉を、私はうまく飲み込めなかった。母の顔を見上げると、晴れていた。晴れているのに、どこか急いでいる顔だった。
先生が、私の肩に手を置いた。見上げると、先生は私を見下ろしていた。その目は、何かに合格したときにだけ大人が見せる目に、少し似ていた。どこかで見たことのある目だと思った。どこで見たのかは、思い出せなかった。
「私の娘だ」
先生はそう言った。
その言葉を、私は帰りの電車の中で、何度も頭の中で繰り返した。私の娘だ。お父さまがボストンへ行ってから、誰かの娘だと、そんなふうにはっきり言われたことはなかった。そのことに初めて気づいて、少しだけ胸が痛んだ。電車の窓に映る自分の顔を見ながら、お父さまの顔を思い出そうとした。思い出した顔は、もう少しぼやけていた。
新しい家は、西片の坂の上にあった。古い木造の二階家で、庭に大きな柿の木があった。
引っ越しの日、先生は門柱に、自分で表札を取りつけた。黒い板に、白い文字で VOGT。取りつける前に、先生はポケットから小さな水平器を出した。透明な管の中で、気泡がゆっくりと真ん中に止まった。この人は、表札まで水平に取りつける人なのだと思った。
その下に、母が「フォークト博美」と書き足した。母は時間をかけて、一画ずつ丁寧に書いた。私の名前を書く場所は、まだ空いていた。見ているうちに、その空きが急に広く感じられた。
四つのアルファベットが、夕方の光を受けて光っていた。
「私も、これになるんだね」
「そうよ」
母は私の手を握った。
「嬉しい?」
「うん」
本当に嬉しかった。そう言った自分の声が、少しだけ高くなるのを聞いた。母が聞きたい声を、私の声が先に選んでいた。嬉しかったのは本当だ。でも、その嬉しさが私だけのものだったのかどうかは、今もわからない。
握り返すと、母の手が少しだけゆるんだ。
教室で「フォークトさん」と呼ばれる自分を想像した。外国の名前だから、少し目立つかもしれない。でもそれは、テレビにも出る、世界的に有名な先生の名前だった。有名、という言葉を、私はそのころ、嬉しいことのいちばん上に置いていた。
その夜、新しい家の食卓で、先生は私を「エリー」と呼んだ。母も、すぐにそう呼ぶようになった。
「エリー、ごはんよ」
「エリー、宿題は終わったの?」
母が先生を呼ぶときは、結婚しても「先生」のままだった。
「先生、お茶にしますか」
結婚したのに、先生。母の声で聞くその呼び方を、私は少し不思議に思った。
私は、先生を何と呼べばいいのかわからなかった。母が先生と呼ぶから、私も心の中ではずっと先生と呼んでいた。声には出さない、先生。そういう名前を持ったのは、それが初めてだった。
食事のあと、先生が言った。
「エリー。お父さん、と呼んでくれたら嬉しいな」
母が、私の顔を見た。少し急な見方だった。背筋が伸びた。先生は笑っていた。その笑いの奥に、区役所の前で見た、あの合格したときの目があった。私は少しだけ目をそらした。
少し考えてから、言ってみた。
「……お父さん」
自分の声なのに、自分の声ではない気がした。
先生は目を細めて、ゆっくりうなずいた。
母が、ほっとしたように笑った。台所へ立つとき、母の膝が少しだけ笑った。母も緊張していたのだと、そのとき初めてわかった。
◇
書斎で、私は一枚目の写真を封筒に戻した。書類の控えは、もう見なかった。見れば、日付や手続きの順番がはっきりしてしまう。はっきりしたものは、もう記憶から逃げてくれない。それが、その日はまだ怖かった。
封筒の中には、もう一枚、写真が残っていた。引っ越しの日に、門柱の前で撮ったものだ。紺のワンピースの私が真ん中に立ち、母が隣で笑っている。表札の VOGT の文字が、私の頭のすぐ上に写っていた。
先生は少し後ろに立って、私の両肩に手を置いていた。
指の長い、爪の整った手だった。肩に体重をかけていない手だった。だから写真では、そっと置かれているように見える。私は長いあいだ、それを、やさしい手だと思っていた。
「このころは、よかったわね」
いつの間にか、母が後ろから写真をのぞきこんでいた。母の息が耳の後ろにかかった。私は少しだけ体をずらした。母は気づかなかった。
私は返事をしなかった。
母の言う「よかった」が、誰にとってよかったのか、私はまだ決められずにいた。写真の中では、十歳の私がいちばんよく笑っていた。
写真の中では、ただの父親の手に見えた。
写真の中では。




