8、誘惑と困惑
ジョルノの悲鳴が響いた。
「ちょっとぉ! こんなの出来ませんってば! 無理ですよぉ!」
二人はバッティングセンターに来ていた。ジョルノはゲージに入り、バットを振っていた。
ジャケットを脱ぎ、ネクタイも外している。カッターシャツの袖は、まくり上げられていた。
結佳はジョルノのジャケットとネクタイを、腕にかけながら見ていた。
「アハハ! バッティングぐらい出来ないとモテませんよ! 教えた通りにやってみて!」
●
三十球を終えると、ジョルノが肩で息をしながら、フラフラでゲージから出てきた。
「はぁはぁ…。もう勘弁してください」
「やれやれ、軟球の八十キロなのに。情けないなぁ。本当に初めてなんですね」
結佳はそう言うと、自分もジャケットを脱いだ。預かっていたジョルノのジャケットに重ねると、ジョルノに押し付けるように渡した。
「お手本をしっかり見ていてくださいね」
結佳はそう言うとゲージに入った。少しヒールのある靴とスカート姿だったが、難なく打ち返していく。『カーン!』という音が、気持ちよく響いた。
綺麗に舞い上がっていくボールに、ジョルノは見とれていた。
「うわーすごいっ! 上手ですねぇ」
「フフッ、まだまだ腕はなまってないっ!」
結佳は三十球すべてを綺麗に打ち返し、ゲージから出てきた。
ジョルノは感心して言った。
「お見事でした」
「感心している場合じゃあないですよ。もう一度、ゲージに入ってください」
「まだやるんですかぁ?」
●
さらに三十球を打ったジョルノは、疲れ切ってバッティングセンター内のベンチに座っていた。しばらくすると、水のペットボトルを二本持った結佳が来た。
「はい、お疲れ様。これどーぞ」
「ありがとうございます」
ジョルノはペットボトルを受け取るとすぐに、蓋を開けて飲んだ。
「美味しいです。水を美味しいって感じます。不思議ですね」
ジョルノョルノの横に座った結佳も、水を一口飲むと言った。
「『良い経験』だったでしょう? 今度、研究してみたらいいのでは?」
「やってみようかな。『普通の水が美味しく感じるのはなぜか』。なんてね」
「フフッ、楽しみにしてますね。ジョルノ先生は、普段は運動はされないのですか?」
「しないですね。アパートからほとんど出ないし。出歩くのは食事と買い物くらいです」
「でも子供の頃は、近所の女の子とサッカーをされていたのですよね?」
「真似事をしていただけで、ちゃんとサッカーをしていたとは言えませんね。女の子の方は、夢中になってましたけど。僕は本当にスポーツは苦手なんです」
「へぇ~。野球で言うと、『キャッチボールもできません』って感じですかね?」
「『きゃっちぼーる』ってなんですか?」
「あれ? イタリアに野球ってないんですか?」
「ありますよ。プロリーグもあります。でも、日本ほど盛んではありません。イタリアはカルチョ(サッカー)ですね。野球とはケタ違いの人気ですから」
「日本では逆ですよ。野球の方が人気があるんです。日本を代表するスポーツです」
「へぇ~、そうなんですね」
「ジョルノ先生は六十球打って、綺麗に打てたのは三球くらいでしたね。0割0分五厘だ」
「ん? それどういう意味ですか? 野球用語ですか?」
「フフッ、なんでもないですよ。でも、やってみてどうでした?」
「大変でしたけど、楽しかったですね。上手く打てたのは三球くらいでしたけど、その感触が手のひらに残っているんです。気持ち良いですね」
「ですよね。飛んで行く打球を見るのもいいけど、やっぱり感触が気持ちいいから」
「すごいお上手ですよね。普段からされているんですか?」
「いや、まさか。昔はストレス発散で来てましたけどね。もう仕事が忙しくなってからは、機会は激減しました。今日も五年振りくらいかな?」
「五年のブランクがあって、あの出来なんですか? すごいな…」
「七歳の頃から中学生までやってたんです。しかも中学からは硬球で。だからですよ」
「『こうきゅう』ってなんですか?」
「あっ、えーっと、上級者向けの野球だと思ってください。女でそれをやっているのって、珍しいんですよ。でも、好きだからやってました。硬球の野球って激しいスポーツで、体中にアザやキズが出来たりするんですけど、構わずやってました。好きだったから」
「そうなんですね。それでたまにバッティングセンターに来ると」
「私には弟がいるんです。三人兄弟の末っ子でね。彼は野球大好きだから、バッティングしている姿を見せた事があるんです。弟が、私が上内製薬で働くようになったキッカケなんです」
そこまで言うと、結佳はハッとなって話を止めた。
「あ…私の話なんてしても仕方ないですよね。ごめんなさい」
「いえ、そんな事はないです。聞いてみたいですね」
「そうですか? ジョルノ先生も話してくださったし、私も話そうかな」
結佳はペットボトルの水を多めに飲むと、一息ついた後に話し始めた。
「私は三人兄弟の長女なんです。次女の花凛 (かりん)。この子は二歳下。そして長男の昴 (すばる)。この子はなんと、私の二十歳下」
「えーっ! そうなんですか!」
「アハハ、ビックリしますよね。私は母親が二十五歳の時の子なんですけど、昴は四十五歳の時の子供なんです。もう二十歳違うと、兄弟なんて感覚は無いんです。私も花凛も、自分の子供のように可愛がってましたね。平日の夜も休日も、昴にベッタリです。これだけ甘やかしたら、少しは尊大になるものですけど、彼は違いました。人を思いやる、本当に優しい子に育ちました。私が仕事から家に帰ると、『お姉ちゃんお帰り! 寂しかったよぉ!』って言って抱きついてくれるんです。それが何よりの癒しでしたね」
「本当に、自分の子供の様な感じですね」
「私は出産に立ち会ったから、余計にそうなんですよね。名前だって、私が考えたんです」
「へぇ、丈璃乃さんが?」
「絶対に良い名前にしたいと思って、必死に漢字を調べました。いや、あれは勉強ですね。『受験でもするの?』って言うぐらい漢字を猛勉強してました。おかげで漢字だけなら、下手な国語の先生よりも詳しくなりましたよ。ジョルノ先生は、漢字は分かりますか?」
「えっと、日本語で使う文字ですよね? それほど種類は覚えてません。少しだけです」
「弟の『昴』って漢字は『集まって一つになる』って意味があるんです。ウチの家族は、仲は悪くありません。でも『温かい家庭』っていう雰囲気ではなかったんです。『個人個人で考え方があるから、干渉しないようにしよう』みたいに、ドライな感じでした。でも昴が生まれてからは、変わったんです。彼が居る所には、自然と家族が集まるんです。するとお互いに理解するようになって、グッと距離が縮まりました。本当に彼は、私達にとって太陽のような存在だったんですよね」
結佳の話しぶりからして、ジョルノは大体の事情を察した。
「そうですか…」
「六歳の頃です。昴は小児がんを患いました。急速に悪化して、入退院を繰り返すようになったんです。野球が好きな子でね。『大きくなったら少年野球に入るんだ』が口癖でしたよ。もちろん野球はできません。でも大好きだから『野球を見たい』と言うので、車椅子に乗せて少年野球の練習を一緒に見に行きました。練習のキャッチボールを見ているだけで『すごーい!』って喜んで。そうしたら、野球部の子が近寄って来てくれました。一メートルくらい離れた所から、そっとボールを投げてくれてたんです。『キャッチボール』をしてくれたんです。昴は幸せそうでした」
「はい…」
「私が子供の時、野球をしていたと知ったら、『話してくれ』って、何度もせがまれました。『ポジションどこ?』『ホームラン打ったことある?』『試合って面白い?』ってね。ずっと質問攻めで、野球の話を聞きたがって。キラキラした憧れの目で、私を見てくれる。嬉しかったな。今の私が野球をしているトコロを見たいと言ってたのですが、流石にそれは難しいので、バッディングセンターに連れて行って、打っている姿を見せたんです。昴は爛々(らんらん)とした目で私を見ていました。『お姉ちゃん、すごーい!』って。それが最後の想い出です。八歳でした」
「そう…。弟さんが上内に入社したキッカケという事は、その頃は違う会社?」
「はい、その時は大手の商社に勤めていました。当時も仕事人間でしたけど、目標は漫然としていました。『とにかく出世するぞ』みたいなね。でも、弟の死をキッカケに考えが変わりました。『医療に関わる仕事がしたい』・『昴のように、苦しむ子を救いたい』っていう夢が生まれました。でも、私はもう二十八歳でした。医者や看護師を目指すなんて現実的じゃありません。それで考えました。私自身が医療従事者になるんじゃなくて、その人達の役に立てばいいんじゃないかって。そうすれば、間接的に患っている人の助けになれるのではと思いました」
「はい、それも一つのやり方ですよね」
「大手の商社に勤めて結果も残してたから、上内へは中途採用で就職できました。希望通りに事業開発部へ配属されたんです」
「それはどんなお仕事をされる部署なのですか? 僕は大学の研究室しか経験が無いので、想像がつかないんです」
「良い薬を開発している他社や医薬系の大学を探して、薬の権利を買い取ったり・一緒に開発したりする交渉をします。逆に自社の薬の権利を売ったりもします。交渉が主な仕事です。他にも色々とあるのですが、代表的な仕事がコレですね」
「なるほど」
「もう一生懸命に働きましたよ。タイムカードなんてどうでもよくて、形だけ押しているだけ。朝の七時に来て、二十一時に終わったら早い方でした。仮眠室は私物を大量に持ち込んで、自分の部屋みたいにしていました。鍵も自分専用に取り換えたりしてたんです。でも、誰も文句は言いませんでした。自惚れる訳じゃないんですけど、私が中心になったプロジェクトで、開発された小児系の新薬も幾つかあるんですよ」
「うん、分かる気がします」
「そうしたら、段々と歯止めが利かなくなってきたんですよね。コツコツ仕事をしているだけじゃなくて、もっと早くて良い方法がないかと思い始めました。そんな時にスカウト部の存在を詳しく知る機会があって…」
「応募したと?」
「はい。会社としては非公式の部署です。会社全体でも、一部の人間しか存在を知りません。私も普段は事業開発部に所属して働いています。スカウトもやりがいは感じているんです。優秀な人をスカウトするのは苦労しますが、活躍するんですよね。会社の利益の為に獲得するんですけど、優秀な人に良い研究環境を提供したいという意図もあるんです。それが医薬界全体の為にもなりますし。だから天才的な研究者を見つけては獲得していました。ハッキリ言って賄賂を渡した事もあります。本人にも協力者にもね」
「それは、会社が負担してくれるのですか?」
「まさか、自腹ですよ。でも、報奨金で元を取れるから大丈夫でした」
「僕には渡そうとしませんでしたよね?」
結佳はうつむき、少し悲し気に言った。
「ジョルノ先生を驚かせるような金額は用意できませんから。だから違う方法とか…。貴方だったら、私は---」
「違う方法って?」
結佳は顔を上げ、軽く両手を振って焦ったように言った。
「いっ、いえ! なんでもないです! アハハ…。休憩できました? そろそろ行きましょう。運動したら、お腹空きません? この後、よし屋に行きましょう」
「あ、この間、生卵と納豆を食べた所ですか?」
「はい、今日はそのお店で牛丼を食べましょう。野球は日本を代表するスポーツですけど、牛丼も日本で人気の食べ物ですからね」
●
時刻は十八時二十分。もう暗くなっていた。二人で歩いていると、本屋が見えてきた。大きい店ではない、いわゆる『町の本屋さん』だ。結佳は無意識に本屋を目で追っていた。
それに気付いたジョルノは立ち止まって言った。
「あの、本屋にご用事があります?」
結佳も立ち止まって言った。
「えっ? まぁ、あると言えばありますけど。どうしてですか?」
「今、本屋さんをじっとご覧になってたから」
「そうでした? 仕事絡みの資料を探すのが、癖になっちゃってるんですよね」
「じゃあ寄って行きません? 忙しくて、ゆっくり本屋にいる時間も無いんでしょう?」
「いえ! いいです! 付き合わせたらジョルノ先生に申し訳ないので」
「構いません。行きましょう」
ジョルノは結佳に構う事無く、さっさと本屋に向かって行った。そんなジョルノを、結佳は小走りで追って行った。
結佳はジョルノの背中を見て、戸惑ったような表情になって思った。
「(どうして? どうしてなの? ジョルノ先生…)」
●
二人は本屋に入ると、別行動を取った。結佳は本を物色してみたが、目ぼしい本は無かった。ジョルノを探すと、文庫本コーナーにいた。
結佳は声をかけた。
「お待たせしました」
「いえ、大丈夫ですよ」
ジョルノはそう言うと、持っていた文庫本を棚に戻した。結佳はその本のタイトルを見た。
「『赤毛のアン』だ。お好きなんですか?」
「ええ。この手の児童小説は好きでね。他には『若草物語』とか『あしながおじさん』とか」
「そうなんだ。面白かったですか?」
「生まれ育ったカッリャリはのんびりした町だったせいか、僕ものんびりした性格になっていましたからね。自然と本を読むようになっていました。どれも穏やかな物語で好きなんです」
「ジョルノ先生は本を読まれるかなとは思っていましたが、児童小説とは思いませんでした」
「丈璃乃さんは? 本を読む子でしたか?」
「それが全然。中学校までは野球漬けでした。今思えば、読んでおけば良かったと思いますね」
「今からでも遅くないのでは?」
「今では家に帰ったら、寝るのが最優先になっちゃって。本なんてとても読めません」
「それは僕も同感です。あと僕の場合、もう一つ大きな理由がありまして---」
「あら、なんでしょう?」
「難しすぎます。日本語で書かれた小説なんて、読めません」
「あー、そうだ! ジョルノ先生はイタリア人だ。普通に話してたら、忘れちゃいますよ」
「ま、本が読めるくらいの、時間に余裕がある生活を目指したいですね。お互いに」
「ホントですね。仕事ばかりじゃあ、ちょっとね」
●
結佳は本屋を出た。一緒に出てきたと思っていたジョルノが、まだ出てこない。
二~三分後、慌てて出てきた。
「お待たせしました」
「いえ」
ジョルノは結佳の前に立つと、茶色の小さな紙袋を手渡した。
「どうぞ」
結佳は両手で受け取った。
「これは?」
「赤毛のアンです。さっきの文庫本。今日付き合ってくださったお礼です」
「そんな! お礼だなんて」
「丈璃乃さん、今は寝食を惜しんで働いておられて、大変だと思います。でもいつか、貴方の『弟のような子を救いたい』っていう夢は叶うと思います。その頃には時間の余裕も多少はできるのでは? そうなったら、是非これを読んでください。絶対に面白いから」
「…」
結佳は両手で持った紙袋を見ながら、辛そうに言った。
「もうそろそろ、タネ明かしをしてもらえませんか?」
「え…? どういう意味ですか?」
「私に優しくする理由です。ジョルノ先生にとって私は、面倒でしつこいスカウトマン。冷たくあしらって普通です。なのに、今日はどうしたんですか? 以前お会いした時とは別人じゃないですか。下心も全然感じないし。その上に、私に対して尊敬しているかのような言葉や振る舞いをする。私にはそれが疑問というか、心苦しいんです」
「理由ですか? 別に隠す必要はないし、誤魔化しもしません。お話ししますよ」
結佳は紙袋から目を離し、ジョルノを見た。
視線が合うとジョルノは言った。
「反省したんです」
「反省?」
「先日、友達と…えーっと、あいつは友達なのかな? うん、友達です。そいつは職場の先輩と仲が良いらしいです。その二人の話を聞いていました。仕事上の話をしてくれたんですけど、二人とも、とても過酷な環境で働いているんです。毎日が戦争みたいなね。凄いなと思って、尊敬しました。それで気付いたんです。僕って、何も知らなかったんだなって」
「知らない?」
「世間知らずって事です。僕はまともな社会経験って無いんです。高校から博士の研究を手伝っていましたが、半分は学生みたいな状態でした。その後、日本に来て個人で裏取引き。研究そのものを頑張っている自負はありますが、社会で揉まれた経験が無い。世のサラリーマンの人達が…丈璃乃さん達が、どれほど身を削って頑張っているか分かっていなかった。その友達はサラリーマンなんですけど、『人間サブスク』なんて酷い言葉を言ってしまったんです。それで色々と叱られました。丈璃乃さんにも失礼な事を言ってますよね。ごめんなさい」
「いえ、そんな。突然押し掛けたのですから、憮然とした態度で当然ですよ」
「友達に言われました。『相手に優しく振る舞えない人に、大した未来はやってこない』って」
「えっ?」
「どうかしました?」
「いっ、いえ! なんでもありません。(その言葉、昔キクに言った覚えがあるけど…。まぁ偶然よね)」
「そう言われてショックだったけど、その通りだなとも思いました。だからスカウトの件をお断りをするにしても、キチンと振る舞わなければと思ったんですよね。でも、今の僕は『人に優しく』なんて感覚を忘れてしまっていましたから、友達に教えてもらったんです」
「お友達はなんと教えてくれたんですか?」
「無理して豪華な事を用意しても、お互いに疲れるだけ。小さな『楽しい・嬉しい』を積み重ねればいいんだと言ってました」
「ん? どういう事でしょう?」
「『食事は相手の好きなものにする。出かけ先は、相手の行きたい所に行く。あまり悩ませないようにする。話をするのではなくて、話を聴くようにする』…とかね。他にも色々と教えてくれたんですけど…。ダメでしたね。ごめんなさい」
今までジョルノの目を見て話していた結佳だったが、少し顔を下げて視線も落とした。
手に持っていた文庫本を、肩にかけているショルダーバッグに入れた。
「あの…、もう牛丼を食べに行くのは止めておきましょう」
結佳の低い声を聞いて、ジョルノも気落ちした。
「あ、はい。そうですよね」
結佳は顔を上げ、笑顔で言った。
「飲みに行きましょう! ちょこっとなら良いでしょう?」
「飲みに行くって? 自動販売機で飲み物を買って、水分補給をするって事ですか?」
「なにをしょーもないボケをかましているんですか! お酒を飲みに行くんですよ! そこで夕食も食べましょう」
「急にどうしたんですか?」
「あれぇ? 何を戸惑ってるんです? 私の『嬉しい・楽しい』を叶えるんじゃなかったんですか? ジョルノ先生とお酒が飲みたい。それが今の私の『嬉しい・楽しい』です。叶えてくれますよね?」
「はっ、はい!」
「よろしい。じゃあ行きましょう」
結佳はそう言うと、ジョルノの左横に立った。そして右手をジョルノの左腕に回した。
ジョルノは焦って言った。
「ちょっ、ちょっと丈璃乃さん!」
「私の希望を叶えるんでしょ? これもそうなので。アハハ!」
顔を赤らめているジョルノを見て、結佳は可愛らしいと思った。
「ジョルノ先生、一つ質問です」
「なんでしょうか?」
「さっき文庫本をくださったのは、お友達のアドバイスがあったからですか?」
「いえ、違います。本を見ていたら、丈璃乃さんとの会話を思い出して。それでどうかなって思ったんです」
「フフ、そうなんだ、嬉しいな。ありがとうございます。いつか必ず読みますね」
結佳はそういうと、右手の力を少し強めた。そして言った。
「じゃあ行きましょうか」
二人は腕を組んだまま、ゆっくりと歩き始めた。
ジョルノは聞いた。
「何処へ行きましょうか?」
「さっきのバール、フロリアンへ戻りましょう。壁のメニュー見てたら、興味が沸いていたんです。イタリアのお酒って飲んでみたいな」
歩きながら結佳は言った。
「ジョルノ先生は、さっき反省したり・謝ったりしてくれましたが、そんな必要はないですよ」
「どうしてですか?」
「職場の後輩に、ジョルノ先生の話をしていたんです。その時に私、言ったんですよね。先生の事を『世間知らず』とか『単純』とか。悪口を言ったんです。ごめんなさい」
「あっ、そうなんですね。いえ、大丈夫です。気にしないでください。でも、なぜ話してくれたんです? 言わなければ分からなかったのに」
「ジョルノ先生が『反省してる』だの『ごめんなさい』だの言うからでしょう? そんな潔い態度を取られたら、居ても立ってもいられませんよ」
「丈璃乃さんって真面目なんですね。意外と」
「意外は余計ですっ!」
「アハハ、冗談です。でもいいですね、仲が良くって」
「ん?」
「その後輩さんですよ。愚痴が言えるって事は、仲が良いんでしょう?」
「うん、良いですよ。見た目も性格も、本当に可愛くってね。しかも仕事に一生懸命なトコロがキュンと来るんです。私が男だったら結婚してるな」
「アハハ、それ、僕の友達も言ってました」
「あ、さっきのお話の?」
「ええ。その友達は、職場に仲の良い先輩がいるんですって。『私が男だったら結婚する』って言ってましたよ」
「あ…、そのお友達は女性なんだ」
「そうですけど、なにか?」
「ううん! なんでもないですよ。ジョルノ先生はお酒初めてなんですよね? 私が飲み方を教えますからね」
●
時刻は二十二時になっていた。飲み終えた二人は店を出て、ジョルノのアパートへ向かっていた。
ジョルノはシラフ同然だったが、結佳は一人では歩けない状態になっていた。ジョルノが肩を貸して、なんとか歩いている。
ジョルノがぼやいた。
「だから言わないことじゃない。飲み過ぎですよ、何度も止めたのに」
「へへーっ。ジョルノ先生も、頑張って飲んでましたね。よくできました」
「いつもこんなに飲んでいるんですか?」
「今日は飲みたかったんですよ。ジョルノ先生のせいです」
「どういう事ですか?」
「どうもしませーん」
●
ここはジョルノのアパート一〇一号室。入室した途端、結佳はガクッと膝をついた。意識があまり無いのか、目が虚ろだ。ジョルノは折り畳まれていたマットレスを広げ、結佳を仰向けに寝かせた。次にジャケットを脱がせて、壁にハンガーで掛けた。
ジョルノは跪いて、結佳に掛布団をかけた。首元まで布団を持ってくると、結佳の寝顔が間近に見える。綺麗な女性が目の前で、静かな寝息を立てていた。ジョルノも男である。悪い感情が芽生えない訳ではない。だが、ジョルノはそれを振り切った。
両手で自分の頬を軽くぺシッと叩くと言った。
「よしっ…」
ジョルノは足音を立てないようにそっと歩き、部屋の蛍光灯を消し、常夜灯に切り替えた。部屋の中は、うっすらと見える程度の暗さになった。
ジョルノは部屋を出て、外から鍵を掛けた。音を立てないように注意したつもりだが、わずかに『カチッ』と音がした。その瞬間、結佳がパチッと目を開けた。
表情は嬉しそうだった。
「フフッ、流石がジョルノ先生。さて、今日は楽しかったな。お休みなさい…」
数時間が過ぎた。結佳はムクリと上半身を起こすと、『んーっ!』と体を伸ばした。薄暗い中をゆっくりと立ち上がると、部屋の電気のスイッチを探した。見つけて電気を点け、部屋を明るくした。この部屋に来るのは二度目だが、改めて部屋を見渡した。
寝ていたマットレス・小さな冷蔵庫・小さな洋服タンス。それぐらいしか目立った物はない。
「本当に何もない部屋だなぁ…」
マットレスの横に自分のショルダーバッグがあった。マットレスの上に座り、バッグを手にしようとすると、バッグの横に水のペットボトルがある事に気付いた。それを嬉しそうに飲んだ。
「まったく気が利きますね、ジョルノ先生」
半分を飲み終えると、バッグの中からスマートフォンを取り出した。時刻は夜中の三時。画面を開くと、何十件もの通話着信とメール。
結佳はハッとした。
「しまった~、キクへの連絡を忘れてた!」
最終の着信は、二時四十分。流石に鞠子も、もう寝たと思った。とにかく、結佳は慌ててメールを送信した。『連絡が遅れてごめん・無事だから』という事を知らせておいた。
時刻はまだ三時。始発電車までいさせてもらう事にした。まずはスマートフォンをバッグにしまった。そしてふと部屋のスミを見ると、小物があった。
そこに置いたというよりは『乱雑に扱ったから、そのまま』という感じだ。
「あれはなんだろう?」
それを拾い上げ、じっくり見た。小さくて薄い、ピンク色の可愛らしい柄の箱。少しへこんでいるが、ビニール包装がしたままの未開封品。チョコレートなどのお菓子と見間違えそうな、可愛らしい小箱だ。しかし結佳はすぐに、この小箱が何か分かった。
「なっ、ななななな、なんでっ! なんでココに避妊具があるの?」
動揺した結佳だったが、冷静に考えてみた。ジョルノは成人男性である。自宅に避妊具があっても不自然ではなく、なんの問題も無い。
結佳が浮かんだ疑問と不安は、『何故、これが自分が寝ている近くにあったのか?』と、いう事だ。ジョルノは今日、自分と関係を持とうとしていたのか? だが、それはすぐに否定された。
そういう気持ちがあるなら、この部屋に来るように自分から誘うはずだ。だがジョルノは、昼食が終えた時点で解散しようとしていた。お酒も自分が誘わなければ飲みには行かなかった。以上の事から、この仮説は消えた。
次の仮説は、『ジョルノに恋人がいるのでは?』という事だ。さっき話していた『女性の友達』は、実は恋人なのではないか? そうなら、別に問題はない。
「そっかぁ、恋人がいたんだ。そっかそっか…」
疑問は腑に落ちたが、結佳は肩を落としていた。
「あ…れ? どうして私、ガッカリしてるんだろう? 孤独な研究生活をしている男の子に、恋人がいた。良い事じゃない」
結佳は、これは見なかった事にしようと決めた。元通り、部屋のスミに避妊具を置いておく事にした。その時、改めて避妊具のパッケージが目に入った。両手で持ち直し、じっくりと見た。
「この柄、何処かで見た覚えがあるんだよね…」
数秒考えこんだ後、すぐに気が付いた。
「思い出した! これって…、これって!」




