7、未熟な男に法を説く
「イタリアのサルデーニャ島に生まれました。日本で言う、置縄県 (おきなわけん)のような離島です。その州都、カッリャリで育ちました。漁業が主要産業で、観光地でもあります。でも、置縄ほど経済は活発ではありません。中心部のローマやナポリに比べれば、地味な所ですよ。その分静かに暮らせるので、僕には住みやすかったです。要するに、良き田舎です」
「ご両親も日系人だとおっしゃっていましたね」
「ええ。みんなイタリア生まれのイタリア育ち。外見以外は普通にイタリア人なんです。父親は漁師。母親は僕を生んだ二年後に、病気で他界しました」
「あっ、そうなんですね…。ごめんなさい」
「いえ、全然大丈夫です。僕も普通の小学生でした。十四時半に帰宅したら、昼食。日本の感覚だと遅いんでしょうけど。それから宿題したり、遊んだりして、気がつけば夜…という感じで。日本の小学生と、さほど変わらないです。勉強は好きでしたから、成績は良くて」
「なにがキッカケで、研究の道へ行かれたのですか?」
「知り合いの医薬博士に誘われたんです」
「誘われた?」
「ええ。僕が小さい時、近所に住んでいた子供と仲良くなりましてね。初めて会ったのは、その子が五歳で、僕が十歳。近所には小さな子供がいなかったから、すぐに仲良くなりました。道端でカルチョ…日本で言うサッカーの真似事をして遊んでました。体を動かすのが好きな子でね。髪も短くしていたから、よく男の子に間違えられていました」
「あっ、その子は女の子なんですね」
「はい。その子が十歳になった時、僕はその子の家庭教師になったんです。イタリアって、塾が無いですから」
「えっ、無いんですか?」
「塾のような、学校教育を補填するような施設の概念が無いんです。だから来日した時に塾があると知って、驚きました。子供の勉強は、周囲の大人が面倒をみるというのが普通です。勉強を教えているうちに、その子の親が僕の学力を感心してくれるようになりました。それがイタリアの薬学博士、シルビノ・ラッティーン博士なんです。聞いた事は?」
「もちろん知ってます! 医薬界だけじゃなく、医療関係全体で有名な方ですから」
「博士に僕の学力と医薬研究の才能を見初めて頂きました。ラッティーンさんは僕が十七歳の時に、自分の研究チームに入れて、教育をしてくれました。高校の授業が終わればラッティーンさんの子供の家庭教師・次に研究チームで勉強と仕事…というのが日課になりました。高校・家庭教師・研究。どれもみんな大好きで楽しい事だったんで、充実してましたね」
「ラッティーン博士は高名な方ですけど、田舎で活動されていたのですか?」
「そうです。研究の事で都市に出向くことはあっても、基本的にはサルデーニャ島で生活をされている方でした。理由は二つあるんです。地元愛が強い人で、島以外で生活したくなかった。もう一つは家族愛も強い方でしたから、妻や子供と離れて暮らすなんて事は、考えられなかったみたいですね。でもそれが博士の原動力でしたから、業界にとっても良かったんです」
「博士はジョルノ先生みたいに、個人で活動をなさっていたのですか?」
「いえ、サルデーニャ島にはカリッサという大学があるんです。そこの医学部・薬学部で教鞭をとっておられました。同時に研究も行っていました。学内どころか、島全体から尊敬をされていましたね。勿論、僕も大尊敬していました」
「確かラッティーン博士の功績って色々ありますけど、最近では網膜色素変性症 (もうまくしきそへんせいしょう)の治療に貢献されましたよね? 治療薬に必要なたんぱく質を確立したという。ウチの会社のタンパク質科学研究部に、仲の良い子がいるんです。その子が『五年前の当時、私の大学内も大騒ぎになりました』って言ってました」
「日本でも、そうなっていたんですね。世界中の医学・医薬の世界で称賛されましたから」
「もしかして当時、ジョルノ先生も関わっていたのですか?」
「そう言いたいトコロですが、それはありません。当時の僕はラッティーン博士の研究を手伝わせて頂いていましたが、その頃はまだまだ駆け出しです。助手どころか、助手の助手も満足に務まりませんでした。チームにはいましたが、実質、見学していただけです」
「そうでしたか。惜しいですね」
「あの研究の中心人物は、みんな出世して、世界的に有名になった人もいますからね。僕もあの時に実力があれば…とは思いますけど。こればっかりは仕方ないです。それに研究にはお役に立てませんでしたけど、歴史的な研究の過程を間近で見れた。とても勉強になりましたからね。それで十分です」
「そうですか」
「そんな事もありましたけど、三~四年間、ラッティーン博士の下でみっちり勉強しました。あの、きっと御存知でしょうけど---」
「はい、ラッティーン博士は亡くなりましたね。もう四年くらい経ちますかね」
「長い間、病気を患っていらっしゃいましてね。僕は博士の事を尊敬して慕っていましたからショックでした。博士がいなくなったら、もうイタリアにいる気を無くしてしまって」
「何故ですか?」
「博士のチームのメンバーって、イタリアの医薬業界では有名なんですよね。僕のような末端の研究員でも、そこそこ名は知れてしまいました。仕事をしていると、どうしてもそれが付いてくる。自由もなくなってきましてね。嫌気がさしてきたんです」
「有名な芸能人の子供が、『●●さんの子供が小学校入学!』みたいに、マスコミに追われてしまうようなものですか?」
「あっ、そんな感じです。『放っておけよ! 俺と親は関係ない!』って思うでしょ? だから、自分の事を知らない街、いや、いっそ外国に住もうと思ったんです」
「なるほど。それで日本っていうのは、ジョルノ先生にとっては自然な流れですね」
「ええ。日本語を話せますし、日系人だから外見も目立たないだろうし。日本の医薬業界の研究は、世界的に見てもトップレベル。迷いませんでした」
「そうなんですね。そこまでは分かるんです。でも---」
「でも?」
「非合法な裏業界で研究をされるのは何故なんですか? 会社員のような仕事のスタイルが苦手だっていうのは、本当だと思います。でも、それなら個人で活動する『プロ契約』でも良いのになって思うんですけど…。表に出てくるおつもりはないんですか?」
「無いです」
「どうしてでしょうか?」
「個人でやったって、結局は一緒ですよ。不自由になります。個人で責任を負うプロスポーツ選手を見てて、自由に見えます? それになんと言ってもお金ですよね。中抜き一切なしだから、桁違いにもらえますし」
「嘘だ」
「えっ?」
「ジョルノ先生は、お金の為じゃない。イタリアでのお話を聞いても・今の仕事への打ち込み方を見ていても、お金じゃないって分かります。だから分からなくて」
「僕もそう思いますよ」
「えっ?」
「丈璃乃さん、貴方の事です。こんなにも一生懸命仕事をなさっているのは、本当に報奨金の為ですか? 違う目標があるのではないですか?」
「いっ、いえ! お金です。ジョルノ先生をスカウトできたら二千万円ですからね。それが百パーセントの動機です。お金が目標の全てです」
「へぇ…。じゃあそういう事にしておきます」
「本当ですってば…」
ジョルノが壁の時計に目をやると、十七時を過ぎていた。ジョルノは言った。
「さて、そろそろ出ましょうか」
「あっ、はい!」
●
会計を済ませ、二人は店の前で向かい合っていた。結佳は軽く会釈をした。
「御馳走様でした。美味しかったです」
「それなら良かった。あの、一つ聞いてもいいですか?」
「なんでしょうか?」
「どうして僕を口説かなかったのですか?」
結佳は慌てた。
「くっ、口説く? ジョルノ先生を? 私が?」
「はい、スカウトの件です」
仕事の事と分かり、結佳は体の力が抜けた。
「あっ、そっちね…。いえ、思ってましたよ。いつスカウトの話を切り出そうかって、ずっと隙を見計らっていました。最初はね」
「最初は?」
「仕事の事を忘れちゃったんですよ。お話をしている内に楽しくなっちゃって。スカウトの件を忘れてしまいました。スカウトマン失格ですね。アハハ…」
「良かったです」
「えっ?」
「僕と過ごしてくれた時間を、楽しいと思ってくれて嬉しかったです」
ジョルノに目を見て言われ、結佳は照れた。
「いっ、いえ! こちらこそ、楽しい時間をありがとうございました」
「僕は貴方の事を尊敬します。僕とは仕事の環境や考え方は違いますが、一生懸命に打ち込んでおられますよね。学ぶトコロも沢山ありました」
「いっ、いえ。そんな…」
「お話しにはなりませんでしたが、貴方の目標が達成されたらいいですね。陰ながら成功を願っています。ではこれで---」
ジョルノは軽く会釈をすると、立ち去ろうとした。
結佳は慌てて止めた。
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
「なんでしょうか?」
「も、もういやだなぁ。そんな言い方をしたら、もう会わないみたいじゃないですか」
「はい、会わないです」
「安心してください。もうスカウトの件はお願いしません。ですから今後もたまにお会いして、情報交換しませんか? ジョルノ先生も、一般企業の情報は知って損はないでしょう?」
「はい、むしろ知りたいぐらいです。でも、丈璃乃さんとはもうお会いしません」
「…なぜ?」
「貴方の為になりません。僕のような裏業界の人間と接触している事が知れたら、丈璃乃さんの立場が危うくなります。警察官がMafia (マフィア)と会っているようなものです」
「まっ、マフィアだなんて!」
「貴方は僕みたいに汚れない方がいい。貴方の目標を遠ざけてしまいます。だから---」
ジョルノが言い終える前に、結佳はボソリとつぶやいた。
「…違う」
「えっ?」
結佳は怖い表情で怒鳴った。
「違う! さっきから何言ってんの! どういうつもりよ! おかしいじゃない!」
あまりの大声に、通り過ぎて行く人々が、二人をチラリと見て行く。
ジョルノは焦って結佳をなだめた。
「ちょっと丈璃乃さん、落ち着いてください!」
「いーや! 言わせてもらう! 今日のアンタの態度はなに? どうして優しくするの? 最初の頃みたいに、面倒そうにしなさいよ! なにか下心があるのかと思えば、あっさり帰ろうとするし! 訳が分からないんだよ!」
「お願いですから、声を落としてください!」
結佳はそんな頼みを聞き入れない。
「自分は汚れているだぁ? たかだか二十四年ぽっち生きたぐらいで、世の中を全部分かったみたいに言ってんじゃあないよ! 私は信じられないような社会悪をたくさん見てきた! アンタは自分のやり方で頑張ってるだけ! 汚れてなんていないの! 少しは自覚しなさい!」
結佳の迫力ある『お説教』に圧倒されたジョルノは、申し訳なさそうに言った。
「す、すみません」
やっと落ち着きを取り戻した結佳は言った。
「でも、私が一番怒っているのはソコじゃない。なにか分かる?」
「えっ、まだあるんですか? なんでしょう?」
「アンタ言ったよね? 『夕方まで時間ありますか』って。まだ夕方じゃないのに切り上げるなんて! 約束を守りなさいよ! 女を一人でポツンと置いていくなんて、それでも男なの?」
「でも、もう十七時過ぎてますが?」
「イタリアの夕方って何時なの?」
「えーっと、二十時ぐらいです。日没が、そのくらいだから」
「そうだよね? 友達から聞いた事があるから知ってたよ。じゃあ、まだ三時間あるじゃない」
「ここは日本ですよ?」
「アンタはイタリア人でしょ! だったら夕方は二十時なの! 分かった?」
「わっ、分かりました」
結佳は優しい笑顔になって言った。
「フフッ、ならよろしい。ジョルノ先生。私が以前、『日本の事を知ってほしい』って言ったの覚えてますか?」
「はい、覚えています」
「じゃあお姉さんが、また教えてあげる。良い経験させてあげるからね♡」




