6,終焉(しゅうえん)は黎明(れいめい)の始まり
翌日のお昼。鞠子はいつも通り、食堂のカウンター席で結佳が来るのを待っていた。
鞠子にとって昼休みは、結佳と過ごせる楽しい時間である。
だが、今日に限ってはイライラしていた。カウンター席に肩を丸めて座り、スマートフォンの画面を凝視して怒っている。鞠子は内心で思っていた。
「(あのバカ、ショートメールぐらい送ってこい! せっかく電話番号を教えてやったのに!)」
すると鞠子の左耳のすぐ横から、ささやき声がした。
「あれぇ? もしかして、まだ返事こないの?」
鞠子は驚き、声がした左を向いた。スーツ姿で立っている結佳の顔を見て、思わず叫んだ。
「ユっ、ユイさん!」
鞠子は『バチン!』と音をさせて、スマートフォンをテーブルの上に置いて伏せた。
ジョルノの事を考えていた鞠子は、突然現れた結佳を見て慌てた。
「ユイさん! これは違うんですぅ! 返事なんて待ってませんから!」
そんな様子を見て、結佳はキョトンとしていた。
「返事って?」
「だって、ユイさんが『返事』なんて言うから」
「いや、冗談だって。キクを横から見てたら真剣にスマホの画面見てるし、私に気付かないし。適当な事を言って、ちょっとからかっただけだよ。今日は研究の書類じゃなくて、スマホを見ているから、どうしたのかなと思ってさ」
結佳にそう言われ、鞠子は安心した。
「あっ、なんだ。アハハ」
「あっ、もしかして図星だった? 誰々? 誰の連絡を待ってるの? 猛烈にキクにアプローチしてきた薬事部の男の子? それとも最近、合コンに行ったとか? 教えてよ!」
「アハハ、残念ながら違います。私は当分、『恋人』はユイさんがいいんです」
「うん、それは私もだよ」
結佳はそう言うと、鞠子の左横に座った。そして笑顔で言った。
「もし恋人ができたら、私にも会わせてよね。私が見極めてあげるからさ」
「うん、お願いしますね」
鞠子の前には定食が置かれている。結佳の前には、紙コップに入った食堂に備え付けのお茶だけだった。鞠子は不思議に思って聞いた。
「あれ? ユイさん、お昼ゴハンは?」
結佳は背もたれに深くもたれ、面倒そうにため息をついた。
「今からレシに会うの。だからお昼抜き」
結佳は、うわずった声で言った。
「へっ、へぇ~。そ、そうなんですね」
「ん? どうかした?」
「い、いえ! どうもしませんよ。でもジョルノに会うのに、どうしてお昼ゴハンを食べたらいけないんですか?」
「一緒にお昼を食べるかもしれないから、食べれないんだよね」
「『かもしれない』っていうのは?」
「もしかしたら、デート展開になるかもって事。そうなったら、食事できなきゃダメでしょ? 今日、実際に会ってみないと分からないけどね。でも、今日はデート展開に持ち込んで、堕としてみせるよ。まぁ、手でもつなげばイチコロじゃない?」
「てっ、手をつなぐ…? なるほど、そういう作戦なんですね」
結佳は不思議そうな顔をして聞いた。
「ねぇ、どうしてなの?」
「どうしてって?」
「キク、アンタ今、『ジョルノ』って言ったよね? どうしてレシの名前を知ってるの?」
「…え? いや、えっと、その…。ユイさん言ってましたよぉ、やだなぁ~」
「言ったっけ?」
「えーっと…ほら! この間、イタリア料理の店に行ったじゃないですか? その時、酔っ払ったユイさんが、電車で居眠りしながら言ってたんですよ。『ジョルノめ~』って。それで覚えちゃったのかな」
「あっ、あの時か。ゴメンね、酔いつぶれちゃって」
「いいんですよ、ユイさんが楽しめた証拠だから」
「証拠って?」
「ユイさんの酒量って、楽しさのバロメーターなんです。楽しいと思ったら、ガンガン飲むじゃないですか? 会社の付き合いだったらチビチビだけど、私とだったら底なしですもん」
「アハハ、それは言えてる。飲んでる相手が仲良かったり、話が楽しかったりしたら、量は増えるね。一応は自覚あるんだどね。楽しいとブレーキが利かなくなるもん」
「ちょっと! 自覚あるんだったら節制してくださいね! 私とだったらいいけど、悪い奴と飲んで酔いつぶれたら危ないんですから!」
「大丈夫だよ。親しくない人となら、そもそも飲む気が失せるタイプだもん」
「うん、ならいいんですけどね。ところでさっきの昼食の話なんですけど、お昼ゴハンを食べないで行って、レシはもうお昼ゴハンが済んでいたらどうするんですか? 飲食店に一緒に行って、ユイさんだけ食べるとか?」
「まさか、そんな訳にいかないでしょ? 『ちょうど良かった~。私もお昼は済ませてきたんですぅ~』って言えばいいんだよ」
悲しそうな表情になって鞠子は言った。
「とことんレシに合わせないといけないんですね。そんな風に、ユイさんが神経を擦り減らしているトコロを考えると辛いんです。ユイさんほど仕事が出来て、人望もある人がどうしてって…。私は何もしてあげられないから、もっと辛いんです」
結佳は優しく鞠子の頭を撫でた。
「キクはいっつも私の心配をしてくれるね。ありがとう、嬉しいな」
「へへっ、私はユイさんに頭を撫でられるのが好きです」
「そんなに心配しないで。キクが一番心配しているのは…『アレ』だよね?」
「…はい」
「それはもう、絶対にしないから。心配しないで」
鞠子の様子が落ち着いたようなので、結佳は頭を撫でていた手を降ろした。
そして子供を安心させる為のような、穏やかな口調で言った。
「今日のレシは気難しいから、苦労はすると思う。でも真面目な奴だから、安心して待ってて」
「…もし、そうなったらどうするんですか?」
「えっ?」
「今回のレシが入社と引き換えに、ユイさんの体を求めてきたらどうするんですか?」
結佳は驚いた後、少し吹き出しながら言った。
「フフッ、大丈夫! あいつはそうならないよ。私だって応じないし。大丈夫だって」
鞠子の語気が、段々と強まっていく。
「どうして言い切れるんですか?」
「私さ、商社時代も含めたら、十四年くらい営業関係の一線で働いてきたんだよ? 人を見る目はあるつもり。アイツは女に弱くて従順なタイプだから。安心だって」
「でも! でも! でも! やっぱり男ですよ! いつどうなるか分かりませんよ!」
「…どうしたの? キク、今日のアンタは変だよ」
「えっ? いや、その…。とにかく気を付けてくださいね」
「私が体中に、物騒な物をたくさん仕込んでいるの知ってるでしょう? 部屋とかで二人っきりになった時は、常に警戒しているし。だから安心して。ねっ?」
鞠子は小さな声で、ボソリと言った。
「いや、私が言っているのは『襲われる』という意味じゃなくて---」
「ん? キク、なにか言った?」
「いっ、いえ! とにかく気を付けて! 一緒に歩く時も手をつないだりしたらダメですよ! ちゃんと距離を取ってくださいね」
「別に手をつなぐぐらい平気だけどね。アイツ性格は変だけど、清潔な雰囲気だし。ルックスも悪くはないから、恥ずかしくもないし」
「それでもやっぱり、手をつないだりしない方がいいかもです。そうだ! なんだったら、私が行きましょうか?」
「キクが?」
「確か今回のレシって二十四歳なんですよね? 私と三つ違うだけだから、同世代同士で意気投合するかもですよ。私はユイさんほど美貌も色気もないから、メロメロにできる自信はないですけど。あっ、気遣いもできないけど…」
「『ベスト三』が謙虚にならないでよ。アンタは凄い可愛いんだから! それより、さっきから何言ってんの? 『手をつなぐな』って消極的な事を言ったかと思えば、『私が行く』ってメチャクチャ積極的になってるし。大丈夫? 何かあったの?」
「いえ、そういう訳じゃあないんですけど」
「安心して待っててよ。きっといい報告できるからさ」
「じゃあ約束してください。今日の接待が終わったら、連絡くださいね。絶対ですよ! 何時になってもいいですから」
「うん、分かった。スカウト成功したよって・私は無事だよってメールするね」
「いえ、通話がいいです」
「困った子だねぇ。分かったよ、ラブコールするからね」
「はいっ!」
●
時刻は十四時を過ぎた。結佳はジョルノのアパートに向かって歩いていた。特にアポイントメントは取っていない。しかし十中八九、研究に閉じこもっていると結佳は推測していた。
それにジョルノの部屋に固定電話は無く、スマホの番号も教えてもらえていない。結佳としては行くしかない。結佳は歩きながら思った。
「(十四時かぁ。しかしお腹って空くもんなのね。少しだけ食べておけばよかった)」
お腹が空き気味で疲れそうだったが、ジョルノの部屋の前に来ると一変する。
ニコリと笑顔を作って、インターホンを押した。…が、反応が無い。
「(留守かな?)」
何度か押してみるが、反応は無い。隣の一〇二号室(研究室)も同様だった。
『ジョルノは女には弱いが、自己主張はする。居留守など使わず、堂々と会って言い返す』
結佳はそう思っているので、ドアを見ながら悩んでいた。当然、笑顔も消えていた。
「(本当に留守なのかな? どうしよう? 少し待ってみようか…?)」
すると、結佳の後ろから声がした。
「丈璃乃さん、いらしてたんですね。良かった」
結佳が振り返ると、ジョルノが立っていた。ジャンバーにジーパンという格好で、手にはやや大きい手提げの紙袋を持っている。若干だが、息を切らせていた。
ジョルノを見て、結佳は言った。
「あっ、ジョルノ先生、こんにちは」
ジョルノに会えて安堵した結佳だったが、違和感も覚えていた。ジョルノが外出していた。何を買いに行っていたのか知らないが、今、戻ってきた。それ自体は不自然ではない。問題はその様子と発言である。
少しだが息を切らしている。そして言った『いらしていたんですね。良かった』という発言。
これらを鑑みると、『外出していたが、私に会う為に急いで帰ってきた』と、なる。
結佳はそれが信じられないでいた。それに十四時くらいに自分が来る事も、ジョルノには確証が無いはずだ。そして一番驚いたのは、その表情である。初めて会った時のような警戒心丸出しの怪訝な表情ではない。決して笑顔ではないが、不機嫌そうでもない。普通である。
結佳は自分から話を切り出そうとすると、ジョルノから言い始めた。
「丈璃乃さん、結論から申し上げます。私はスカウトには応じられません。貴方の事情や考え方は理解したつもりです。その上での結論です。どうかご理解ください」
ジョルノは会釈程度に頭を下げ、そのまま止まった。それでも、結佳を動揺させるには十分な態度だった。
「ちょっ、ちょっと待ってください! どうしたんですか?」
結佳が聞いても、ジョルノは頭を下げたままだ。これまで通り、ジョルノは面倒くさそうに対応するだろうと思っていたので、あまりに潔い態度に結佳は戸惑った。
「すみません…」
「頭を上げてください。ジョルノ先生が断るのは普通の事です。謝らなければならない理由は一つもありません。とにかく頭を上げてください」
結佳はジョルノの両肩を軽く持ち、ゆっくり持ち上げた。ジョルノの表情は辛そうだった。
「ジョルノ先生、とにかく冷静になってもらって、もう一度ゆっくり---」
結佳が言い終える前に、ジョルノは言った。
「いえ、ハッキリ意思表示をします。その気もないのに、これ以上先延ばしには出来ません。丈璃乃さんの時間を、無駄にさせたくないんです」
「どうしても?」
「はい、ごめんなさい」
「そうですか…」
結佳は暗い表情になり、うな垂れた。レシピエントの前で、スカウトマンが取るべき態度ではない。順調に物事が運んでいると思い込んでいた結佳は、ショックを隠し切れなかった。
うな垂れたまま、結佳は声を絞り出して言った。
「理由を伺ってもいいですか?」
「理由?」
「私、何を間違えましたか? 今後の為にも聞かせてください」
「間違えていません。貴方に不満なんてありません」
「もう終わったので、ご遠慮なく言ってください。強引過ぎたトコロですか? わざとらしくボディタッチなんてしたからですか? 先日お電話を頂いたのに、ご返事をしなかったから? でもそれは、私がジョルノ先生の電話番号を知らないからなんです」
「電話? ああ…それは気になさらなくて良いですよ」
結佳は顔を上げた。
「えっ?」
「それはさておき、僕は本当に丈璃乃さんに対して不満も文句もありません。誰が来て・どう勧誘されても、僕は今の生活は変えられないんです。それだけです。ただ---」
「ただ?」
「スカウトに応じないと決めている以上、早く伝えなければと思いました。貴方は、仕事に対して真面目で真摯な方だから。僕の事は見切りをつけて、他に注力してほしいんです」
「キツイですよ。そんなオブラートに包んだような言い方しないでください。『しつこいんだよ、帰れ』って怒鳴られた方がマシです。それなら幾らでも喰らいつくんですけどね。でも、ジョルノ先生は女にそんな酷い事はおっしゃいませんから。お世辞を言われるようになったら、もう終わりです」
「お世辞ではないです」
結佳の目は潤んでいた。笑顔だったが、辛さとショックを隠しきれていない。
「いえ、良いんです。この数日、無礼に振舞ってしまってごめんなさい。貴方をスカウトしたのは報奨金や会社の利益が目的でした。でも…信じてもらえないかもしれませんけど、ジョルノ先生がウチに来てくれたら色々な研究が進んで、大勢の患者が救われるとも思っていたんです」
それは結佳の本心でもあった。そして続けて言った。
「もう来ませんから安心してくださいね。ジョルノ先生の研究で、病気で苦しんでいる患者と家族が救われると思います。今後も尽力なさってください。では---」
結佳は深々と頭を下げた後、この場を去ろうとした。すると、ジョルノが呼び止めた。
「あの、まだ私の用事は済んでいないんです」
結佳は肩をピクリとさせて、振り返った。
「用事って?」
「今日のご予定はどうなってます?」
「まぁたった今、空きましたよね。ジョルノ先生にフラれましたから」
「では、僕に付き合ってもらえませんか? 夕方までお願いしたいのですが」
「は?」
結佳は考えた。どういう意味だろうか? スカウトの話を、改めてしようということか? それとも単に『僕とデートをしてください』と言っているのか? ジョルノの真意を、結佳は計りかねていた。だが、結佳にとっては『首の皮一枚つながった』と思えた。断る理由はない。
「はい、良いです。付き合います」
「ありがとうございます。少しお待ち頂けますか? 隣の一〇二号室で座っててください。もう鍵は開けれますよね?」
「はい。すみませんけど、開けれます」
ジョルノは自室の一〇一号室に入った。結佳は一〇二号室のロックを簡単に外し、入室した。結佳はパイプ椅子に座り、考えた。ジョルノは何を考えているのか? 目的はなんなのか?
夕方までという事は、『夜にするような事』が目的ではないだろう。
だが、結佳がまず浮かんだ疑問は、『お待ち頂けますか』という言葉だ。
出かけるなら、持っていた紙袋をアパートに置けば済むのでは? 何を待てと言うのか?
十分後。頭の整理はまだついていないが、玄関のドアが少し開いた。
そこに立っているジョルノが言った。
「お待たせしました」
結佳は外に出て、ジョルノと向かい合った。先程のジャンバー姿とは違い、スーツ姿だった。以前の牛丼店で着ていた物とは違い、少し高級感のある素材だった。白いカッターシャツに、灰色のジャケットとスラックス。紺色のネクタイをしていた。身長百六十六センチで少し低めのジョルノだが、細身の為か、スーツは似合っている。
そんなジョルノの姿を見て、結佳は少し驚いていた。
「へぇ、似合いますね。以前着てたのも似合ってましたけど、これも良いかな。それにパリッとして綺麗ですね」
ジョルノは、少し照れ気味に答えた。
「ありがとうございます。この間着ていたのは、かなり古い品なんです。これは今買ってきたので綺麗なんです」
「今買ってきた?」
結佳はさらに戸惑った。発言通りに受け取ると『私と出かける為に服を新調してきた』…と、なる。そんな事がありえるだろうか? ジョルノになんの得があるのか? 色々な疑問を頭の中で考えていた。
ふと気付くと、ジョルノのネクタイが曲がっていた。スーツを着慣れていないのだ。
「ジョルノ先生、ネクタイが曲がってますよ」
結佳はジョルノのネクタイを両手で持ち、直し始めた。ジョルノはまた照れた。
「あ、すみません」
結佳はネクタイを直しながら思った。ジョルノの真意は分からない。ただ、この照れている青年に下心はなさそうだ。ほんの数時間、付き合うのも良いだろうと。
ネクタイを直し終えると、結佳はネクタイの左右辺りを、両手で軽く『ポンッ』と叩いた。
「はい! 終わり」
「ありがとうございます」
「男たるもの、スーツは着慣れておかないとダメですよ」
「はい、気を付けます。ところで今、十四時三十分なんですけど、昼食はお済みですか?」
「昼食? …えっと、ジョルノ先生はお済みなんですか?」
「いや、質問しているのは僕なんですけど」
「あっ、ごめんなさい。いえ、まだ食べていません」
「そうですか、僕も食べていないんです。御馳走しますので、御一緒してくれますか?」
「ごっ、御一緒って…? も、もちろんです。行きましょう」
二人は駅前に向かって歩き始めた。結佳は歩きながら考えていた。
「(笑顔こそないけど、優しい感じがする。調子狂うなぁ。これじゃあまるで、デ---)」
結佳の思考を、ジョルノの声が止めた。
「あの、食べたいモノとか、料理の種類とか浮かんでます? 洋食が食べたいとか、お刺身が食べたいとか? 言ってもらえたら、お店は僕が決めますから」
「ジョルノ先生は、何が食べたいのですか?」
「いやだから、質問しているのは僕なんですって」
「あ、そうでしたよね。じゃあイタリア料理が食べたいです」
「僕に気を使わなくていいですよ。また前みたいに食べ方が分からない事があるかもしれませんが、教えてくださればいいんですから」
「じゃあ、やっぱりイタリア料理です。気を使ってるんじゃあないですよ。最近、友達とイタリア料理屋さんに行ったんです。とても美味しくてね。それ以来、好きになりました。かしこまった店じゃなくて、家庭料理を食べれるお店ってありますか?」
「ありますよ。週二~三回は通うお店が。そこにしましょう」
●
二人はフロリアンに来ていた。四人用のテーブルに、向かい合わせて座っている。
木造で、オシャレな感じの内装だ。
結佳は店内を見ながら言った。
「綺麗でおしゃれな感じのお店ですね。ここは洋食屋さん? それともビアガーデン?」
「両方正解です。お昼はイタリア料理がメインで、夜はバーなんですって。何時に来ても食事できるから、重宝していますよ」
「へぇ~、このお店によく来るんだ。何かキッカケがあったんですか?」
「店の内装がイタリアのバールに似てて、入りやすかったんです」
「バール? 聞いた事ありますね。イタリアの居酒屋みたいなものですか?」
「居酒屋よりは、喫茶店が近いかな? アルコールが出てくる喫茶店と思ってください」
そうこう話していると、二人のテーブルに注文していたスパゲティが二つ置かれた。
店のマスター、ジュゼ(伊崎)が、いつもながらの豪快な声で言った。
「はい、お待ちどうさま! ジョルノ、良いご身分だなぁ。連日、女連れで店に来るなんてな。羨ましいぜ」
ジョルノは呆れた感じで言った。
「バカな事を言わないでください。こちらの方は、お仕事関係で来て頂いたんですよ」
「そうなんです。よろしくお願いします」
「いえいえ、こちらこそ。ゆっくりしていってね」
マスターが去った後、結佳は言った。
「へぇ、ジョルノ先生って、恋人がいらっしゃるんですね。前に来たというのも、その方と?」
「まさか、そんな人いません。ここで知り合った人と話しただけですよ」
「えっ? ジョルノ先生がナンパしたって事ですか? 声を掛けたんですか?」
「ナンパじゃありません。声を掛けてきたのは向こう…いや、僕になるのかな?」
「よく分かりません」
「僕もです。そんな事より食べましょう」
「あ、はい。美味しそうですね」
二人ともスパゲティを食べる事になり、料理はお互いで決め合う事にしていた。ジョルノが結佳に選んだのは『ポヴェレッロ』。卵・チーズ・ベーコンで作られた、シンプルなパスタだ。
目の前にあるポヴェレッロ見て、結佳が聞いた。
「私、これ初めてです。見たのも聞いたのも」
「ポヴェレッロは、家庭料理としては定番なんです。日本で言えば、『ごはん・味噌汁・卵焼き』というイメージですね。イタリア人の食生活を想像できるような品を選んでみました」
「へぇー、そうなんですね」
一方、ジョルノの前には、結佳が選んだ『ナポリタン』が置かれていた。
赤い色をしたスパゲティだ。ジョルノは怪訝な顔をして見ていた。
「これが悪名高い『ナポリタン』ですか…。赤くて気持ち悪いなぁ…」
「えっ? そんな評判なのですか?」
「そもそもイタリア人は、料理にケチャップなんてほとんど使いません」
「あっ、そうなんですね。ナポリタンって日本発祥って聞いた事があるんです。だからイタリア人のジョルノ先生に食べてもらおうと思ったのですが…。選択が良くなかったですね、ごめんなさい。私のポヴェレッロと代えましょうか?」
「いえ、良いんです。食べた事がないので、いつかは挑戦したいとも思っていましたから」
二人は、スパゲティを食べ進めた。まずは結佳が感想を言った。
「美味しい! 大味な感じがしますけど、これなら頻繁に食べても飽きないかもですね」
ジョルノも言った。
「ナポリタンも美味しいですよ。パスタにケチャップって合うんですね。喰わず嫌いでした」
そう言い合うと、二人は視線を合わせてフッと笑った。
結佳はハッとして思った。
「(あ…れ…? 接待というより、普通に楽しい感じがしてきたような…)」
結佳はテーブル全体を見渡した後、ジョルノに質問した。
「ジョルノ先生。テーブルに粉チーズやタバスコがありますよね? イタリア人って、こういうの使わないって聞いた事あるんですけど、本当ですか?」
「はい、使わないですね。これは日本独自の食べ方です。さらに言えば、スパゲティをフォークに巻く為に、スプーンに置いてクルクルとかもしません。お皿の上で巻きます。日本に来た当時は、ビックリしましたから」
「へぇー、そうなんですね」
「と言っても、僕も人の事を言えなくなりましたが」
ジョルノは割り箸でスパゲティを食べていた。
結佳はクスリと笑った。
「フフッ本当だ。イタリア人が割り箸でスパゲティを食べてる。日本人の私がフォークなのに」
「以前、使い方を教わったでしょう? それを覚えてましたらから、昨日から少しづつ練習しているんです」
結佳は少し驚き、内心で思った。
「(練習? 私が教えた箸の使い方を?)」
二人は食事を終えた。
ジョルノは遠慮気味に言った。
「あのー、アルコールは頼まないでくださいね。ソフトドリンクにしてください」
「えっ? いえ! 頼みません! 勤務時間中ですから。でも、何故そう思ったのですか?」
「だって、壁に貼ってあるアルコールメニューを凝視なさってるから」
「え? 私、見てました? アハハ、カッコ悪いな。お酒が大好きなものですから」
「あっ、そうなんですね。じゃあ、ノンアルコールでも良いですか? 気持ちの問題ですけど」
「はい、じゃあそれで。でも全然違いますよ。ジュースよりは嬉しいかもしれません」
「じゃあ、もらってきます。待っててくださいね」
ジョルノはそう言うと、立ち上がってカウンターの方に歩いて行った。
この店は、飲み物はセルフで取りに行くシステムだ。結佳は慌てて言った。
「えっ! 取りに行くんですか? 私が行きますよ!」
そう言ったがジョルノは返事をせず、立ち去ってしまった。
一分ほどで、ジョルノは帰ってきた。手にはグラス二個と、イタリアの代表的なビール『モレッティ』の、ノンアルコール品の瓶が持たれている。結佳は恐縮して言った。
「すみません」
ジョルノはグラスをテーブルの上に置き、着席すると言った。
「いえ、いいんです。じゃあ---」
ジョルノがノンアルコールビールを結佳のグラスを注ごうとしたら、結佳が焦って止めた。
「ちょっとストップ! お酌はいいです。私がしますから」
「あ、嫌でした?」
「嫌という訳じゃないんですけど---」
「丈璃乃さん、これは接待じゃないんです。友達同士が食事をしているようなものです。だから、そんなに恐縮しないでください」
「とっ、友達?」
「『~の、ようなもの』です」
「はっ、はい。分かりました。じゃあお願いしますね」
結佳は両手でグラスを持ち、ジョルノのお酌を受けた。
「ハハ…なんか照れますね」
ジョルノはお酌を終えると、椅子に座った。結佳もジョルノのグラスにビールを注いだ。
「ありがとうございます。嬉しいです」
結佳は、ジョルノの意外な言葉に驚いた。
「(うっ、嬉しい?)」
少しドキリとした後に、結佳は言った。
「じゃあ、乾杯しません? せっかくですし」
「いいですね、やりましょうか。何にしましょう?」
「う~ん、本当は『上内製薬入社おめでとうございます』が良かったんですけどねぇ」
「あ…そうですよね」
「フフッ、冗談ですよ。『お互いの仕事の発展を願って』なんてどうです?」
「はい、ではそれで」
二人で言った。
「乾杯」
二人はグラスをコツンと当てて、ノンアルコールビールを一口飲んだ。
結佳は言った。
「ジョルノ先生は、普段お酒を飲まれるのですか?」
「飲みません。飲んだ事が無いんです」
「一度も?」
「はい」
「へぇ~! それはビックリです」
「『酔っ払う』という感覚を知らないから、酔っている人を見てると、羨ましくなりますね」
「飲めないのは、アレルギーがあって、体調が悪くなるとか?」
「そうじゃないです。仕事柄ですよね。研究職をやっていると、飲めないんです」
「え? ウチの会社は研究員だらけですけど、普通に飲んでますよ」
「翌日が休みだったらいいんじゃないですか? 僕は働き方が特殊ですからね。会社勤めじゃないから、平日・休日なんて感覚がないんです」
「お休みは、どうやって取っているのですか?」
「休みって、『二十四時間以上、仕事をしていない』って意味でしょうか?」
「へっ? ま、まあ言葉にすればそうですけど。もう私達会社員とは感覚が違いますね」
「だとしたら、七~八年間ぐらいは休日を取ってないかもしれません。高校四年生ぐらいから、企業の研究などに参加していましたから」
「高校四年生?」
「あっ、日本の高校は三年制でしたっけ? イタリアは五年制なんです」
「そうなんですね。知らなかった」
「学生と足掛けの時期もありましたけど、十七歳から研究職をしてました。イタリアでは十八歳から飲んでも良いんですけど、飲もうとしなかったんです。研究に差し支えるので」
「差し支える?」
「少しでもアルコールが残ってたら、感覚が鈍ると思うんです。タクシードライバーが、仕事の前日に飲まないのと同じですよ」
「でも、深酒をしなければ、翌日には抜けるでしょう?」
「仕事が終わって二十二時に飲んだとして、翌日の仕事開始が八時。抜けてますかね?」
「休日無しで、毎日長時間労働って感じですけど…。そんな生活をずっとされている?」
「別に好きでやってるから、苦になりませんよ。人付き合いで飲み会に行ったりする方が、よっぽど苦なんですよ。僕はね」
結佳は青ざめた表情で言った。
「ジョルノ先生、ごめんなさい。私、貴方に『ニートみたい』とか『世間知らず』って言いましたよね。酷い事を言いました。何も分かっていないのは私の方でした。すみません」
「えっ? そんな事はありませんよ。それに私も会社員の人達に対して、失礼な事を言いました。だから気にしないでください。今も言ったように、苦じゃないんです。プラモデルを好きな人が、一日中プラモデルを作っていても苦じゃないのと同じですから」
「そんな謙遜しないでください。あの、ジョルノ先生。先生の日本に来る前の経歴って、伺ったらダメでしょうか?」
「イタリアでの経歴って事ですか?」
「スカウトは関係無いんです。単なる興味です。先生の事は、調べれば調べるほど、その功績は素晴らしかったです。他の追随を許さないぐらいに。でもイタリア在住の時期は、全然調べがつかなくて。外国の調査って簡単じゃあないんです。ダメでしょうか?」
結佳は拒否されるのを覚悟で聞いたが、ジョルノの返事はあっさりしたものだった。
「いいですよ。話します」
「えっ? あ、はい。ありがとうございます」
「でも普通ですよ。みんな僕の事を、買い被り過ぎだと思います」
「みんなって?」
「あっ、なんでもないです。話しますけど、退屈ですよ。欠伸なんてしないでくださいね」




