3、お姉さんが教えてあげる♡
翌日の朝七時。ジョルノは目の前に置かれた食事を見て、血の気が引いていた。
「こっ、こんなに今から食べるんですか?」
「そんなオーバーな言い方しないでくださいよ。そんなに量はないでしょう?」
ここは駅前にある大手牛丼チェーン店『よし屋』のカウンター席。ジョルノと結佳は隣り合わせで座っていた。二人が頼んだのは牛丼ではなく、朝食メニューの『焼き魚定食』だ。ご飯・生卵・味噌汁・焼き鮭が並んでいる。
定食を見て固まっているジョルノを見て、結佳は言った。
「ジョルノ先生は国籍はイタリアでも、日系人のご両親の元で育ったのでしょう? じゃあ食生活は日本式じゃあないのですか?」
「いえ、イタリアの食生活を基本としていました。『なるべくイタリアという国に馴染んでほしい』と、親は思っていたようですから」
「そうなんだ。じゃあお箸は使えます?」
「いえ、あまり経験はありません。でも大体分かるので、なんとかしますよ」
「なら良かったです。とにかく食べましょうよ。別に食べれない物が置いてある訳じゃあないんですから」
結佳は食事の前で手を合わせ、言った。
「Buon appetito (ブオナアッペティート)」
ジョルノはその言葉に釣られ、不思議そうに結佳を見た。
結佳は困った表情になり言った。
「あれ? 間違ってました? 『頂きます』って言ったつもりなんですけど」
「間違っていないです。急にイタリア語を言うから驚きました」
「なんだ、よかった」
結佳は視線を料理に戻した。次に焼き鮭を箸でつまみ、一口食べた。
そして笑顔で言った。
「うん! Buono! (ボーノ! → 美味しい) 私、鮭が好きなんですよね~」
ジョルノは手を合わせずに言った。
「はぁ。じゃあ、僕も食べますよ。Buon appetito」
そう言うとジョルノは、渋々という感じで箸を持った。…が、持ったまま固まってしまった。
心配した結佳は言った。
「どうしました?」
「お箸が一本しかないんですよ。店員さんに、もう一本もらおうかと思って」
「いや、それ割り箸ですからね。二つに割ってくださいよ」
「箸を割る? こうですか?」
ジョルノは両手で箸の左右を持ち、箸を曲げようとした。
結佳は焦って言った。
「だから違いますって! それじゃあお箸が折れちゃいますよ! 中心を持って、左右に引っ張るんです!」
「言っている意味が分からない…」
「困った人だなぁ」
結佳はジョルノから割り箸を取り上げると、手早く『パキッ』っと二つに割って返した。
「すごい! お箸が二本になった!」
「やれやれ、割り箸は初体験でしたか。とにかく食べてくださいね」
結佳は簡単ではあるが、ジョルノに箸の使い方を教えた。そして自分の食事を再開しようとしたのだが、またもジョルノが固まっている事に気が付いた。
「ジョルノ先生、今度はなんですか?」
「これはなんでしょうか?」
結佳はジョルノの視線の先を追った。
「生卵ですね」
「これをどうしろと言うのですか?」
「お箸でといてから、ご飯にかけて食べるんですよ」
「生のまま食べるのですか? 今から焼くのかと思っていました」
「それじゃあ目玉焼きでしょうが! これは『卵かけご飯』と言うんです」
「Uova indiavolate(ウーバインディアボラーテ → 目玉焼き)の方が良いのですが…」
「なんの事が分かりませんけど。ともかく、そこに醤油があるでしょう? 生卵のお皿に、少し回しかけてください」
「ショウユ? うーん…」
「醤油がどうかしました?」
「コラトゥーラの方が良いのですけどね」
「なんですか、それ?」
「イタリア人にとってのショウユみたいなものですよ。魚や塩を原料とした調味料です」
「へぇ、そんなのあるんだ」
ジョルノは、少し離れた所にいる店員に言った。
「あのー、すみません。コラトゥーラください」
結佳は慌ててジョルノに言った。
「そんなのありませんよ!」
ジョルノの近くに来ようとしていた店員に、結佳は頭を下げた。
「すみませ~ん、なんでもないですぅ」
「あ、コラトゥーラは無いんだ」
結佳は少し語気を強めて言った。
「ジョルノ先生、ともかく今は醤油で食べてください!」
「分かりました、すみません」
「生卵は初めてでしたか。他のはどうですか?」
「えっと、納豆と味噌汁も初めてです」
「そうなんですね。ともかく食べてみてください。絶対に美味しいから」
●
時刻は七時五十分。二人はコンビニのイートインコーナーに居た。カウンター席にジョルノ一人が座っている。前はガラス張りで、道行く人達がよく見える。後ろに結佳がやってきたのに気付いたジョルノは、スッと立ち上がって隣の椅子を引いた。
結佳はお礼を言った。
「あら、ありがとうございます」
「いえ」
結佳とジョルノは隣並びで座った。後ろから見て、結佳が左・ジョルノが右。
「はい、どーぞ」
結佳はそう言うと、ジョルノの目の前にトンっと紙コップを置いた。
「ありがとうございます。あれ? これはカプチーノですか?」
「そうです。やっぱりお好きなんですね。カフェのようにはいきませんけど、ペットボトルよりは美味しいと思いますよ」
ジョルノは結佳に尋ねた。
「『やっぱり』って?」
「帰国子女の友達に聞いたんです。イタリア人ってカプチーノが好きだって。昨日も研究室で飲んでいらしたでしょう? だからお好きなのかと思いまして。私は初めてなんですけどね」
結佳は紙コップのカプチーノを一口飲んだ。
「あら、想像ほど甘くなくて美味しいです」
ジョルノは結佳の服装を見て言った。
「今日は平日ですけど、お休みですか?」
結佳は半袖で薄い肌色のブラウスと、黒のロングスカートを着ていた。
「ええ。日曜出勤をした時の代休なんです。それより、ジョルノ先生に少し驚きました」
「驚く? 何がでしょうか?」
「まず、渋々ながらも一緒に朝ごはんへ来てくれた事。それに、その服装」
「服装?」
上は白いカッターシャツに、紺色のジャケット。、下は黒のスラックス。これでもしネクタイをしていたら、営業のサラリーマンと間違われるだろう。
「まさかちゃんとした服装で来てくれるとは思いませんでしたよ」
「別にしたかった訳じゃありません。女性と出かけるなら仕方ないですよ」
「仕方ないって?」
「だらしない格好をしてたら、女性が恥ずかしいでしょうから。迷惑でしょ? そんなの」
結佳はニコリとして言った。
「女への気遣いか。うん、私ジョルノ先生のそういうトコロ、気に入っていますよ」
ジョルノは気恥ずかしそうに、視線を外した。
結佳が続けて言った。
「さっきの食事はどうでした? お口に合いました?」
「はい、とても。生卵や納豆は覚悟が必要でしたが、美味しかったです」
「そう、それなら良かった。あの朝食が大丈夫なら、大抵の和食に馴染めますからね。朝の七時に、あの量を朝食として食べたのは初めてですか?」
「初めてです。びっくりしましたけど、意外に食べれるものですね。胃がもたれて、この後大丈夫かなと心配しましたが、スッキリしています」
「私から言わせると、朝食がクッキー数枚の方がビックリで心配です。明日からの朝食はどうなさるのですか?」
「まぁ…。たまには、ああいうのを食べようかと思います」
「あっ、嬉しいな。『もう食べません』なんておっしゃるかもと思ってましたから、お連れした甲斐がありました。あ、そうだ。お箸の使い方、練習しておいて損はないですよ」
ジョルノはカプチーノを一口飲むと言った。
「このコンビニのイートインコーナーは、どういう意味ですか?」
「意味って?」
「さっきの朝食は、和食と日本人の食事習慣を教えてくれたんですよね?
でも、このコンビニでカプチーノを飲む理由が分からないんです」
「ジョルノ先生、前を見てください」
二人はガラス越しに、外の様子を見た。色々な人が、絶え間なく通り過ぎて行く。
結佳は外を見ながら言った。
「何が見えます?」
ジョルノも前を向いたまま答えた。
「何って、人ですよね? みんな今から仕事に行くって感じの人達です。」
「そう、ほとんどがサラリーマンです。このあいだ、ジョルノ先生が『絶対やりたくない』って言っていたサラリーマンです。私もそうだし」
ジョルノは結佳の方を向いて、普通の表情で言った。
「怒っていると言いたいのですか?」
結佳はジョルノの方を向き、慌てた様子で右手を軽く振った。
「違います違います! ジョルノ先生に、日本のサラリーマンの事を知ってほしかったんです」
「日本のサラリーマン?」
「ええ」
二人は再び前を向き、通り過ぎる人々を見た。
そして結佳は外を見ながら言った。
「よく『九時 → 五時』なんて言いますけど、実際は違います。十二時間労働が普通ですよ。いや、それ以上の人もザラです。週休二日も守られてない会社も多いんです。『リモート』やら『フレックスタイム』やらで、労働者の利便性を高めようなんて時期もありましたが、定着しませんでした。『とにかく会社の為に働け』。これが、この国のサラリーマンの姿です」
「そんなに過酷なんですか?」
「あっ、知りませんでした? 来日してからずっと研究生活なら無理ないですね。イタリアにも韓国にも、世界中にサラリーマンはいるでしょうけど、日本が一番過酷じゃないかな?」
「へぇ…」
「だから小さな島国の日本が、世界と互角に渡り合えたりするんですよ。例えばG7(主要国首脳会議)なんて、参加しているのはアジアでは日本だけですから。中国ですら入っていない」
「改めて言われてみるとそうだ。アジアは日本だけですね」
「それはもう、サラリーマンのおかげ…は、極論かもしれませんけど、体どころか命を削って働いているサラリーマンの貢献は大きいですよ。官僚や公務員も含めてね」
結佳はそう言うと、ジョルノの方を見た。それに気付いたジョルノも結佳を見た。
結佳は視線が合うと言った。
「ジョルノ先生。なぜ朝ごはんを食べに行ったり、こんな話をしたりしたと思います?」
「えっ? いや、分かりません」
「知ってほしい。『貴方がいる日本は、こんな所なんだ』って知ってほしかったんです。『世間知らずの博士』のままウチに来ても、上手くいきませんよ」
「だから、行かないですって」
「正直に言いますね。私のスカウトには報奨金がでるんです。成功すると、対象者の年俸の半額ぐらいを基準にしてもらえます。ジョルノ先生は年俸五千万くらいになるだろうから、私には二千万円以上の報奨金がもらえるんですよね」
「それは凄い。それなら、必死にもなりますね」
「最初はそうでした。報奨金の為に貴方を口説いていました。でも、今は違うんです。報奨金が理由の全てじゃない。ジョルノ先生と同じ会社で、一緒に働きたいと思い始めています」
「僕とですか?」
「ジョルノ先生のように、桁違いの才能を持った人って、普通の人と感覚が違うんですよね。悪い言い方をすると、『変な人』です。みんなこだわりが強くて、仕事仲間に『バカ』だの『帰れ』だの、中傷を平気で言ったりします。周囲の人と上手くやっていけない。要するに、『扱いずらい人』。でも、それで良いと思っているんです」
「えっ? 良いんですか?」
「はい。それは『悪人』って訳じゃあないですから。普通の人と感覚が違うってだけなんです。人と感覚が違うからこそ、誰も思いつかないようなアイデアが浮かんだりするんですよね。特別な才能がある人は、常識の枠にはめたらダメなんでしょうね」
「なるほど」
「でもね、私はもうウンザリしています。何人かスカウトして会社に入ってもらいましたけど、おかしな人が多いです。天才なんですけど、その傲慢で周囲を顧みない態度に、ウチの社員は疲弊しています。でも、ジョルノ先生は違いますからね」
「僕ですか? 自慢じゃないですけど、僕もかなり偏屈だと思いますけどね」
「アハハ、本当に自慢じゃないですね。確かにジョルノ先生は、人付き合いが苦手。それは分かります。でも、それが自分で分かっているから、周りに迷惑をかけないように心掛けているのでは? 孤立した生活をしているのは、業界のしがらみにとらわれない裏側で仕事がしたいから。それもあると思います。もう一つは、自分が身勝手な性格だと分かっているから、他人を巻き込みたくないって事ですよね? 私のスカウトだって、もっと強硬に断ってもいいはずです。そうしないのは、女の私をなんとか傷つけないよう、言い方や方法を模索してくれているんじゃないですか?」
「…」
「その上、ジョルノ先生は女性に誠実です。『女に甘い』と、『女性に誠実』は違いますよ。根本が真面目で優しい人なんだと私は思っています。だからジョルノ先生なら、周囲と上手く…とまではいかなくても、大きく揉めたりせずにやっていけると思っています」
テーブルの上に置いてあったジョルノの左腕。その前腕に、結佳はそっと右手のひらを添えた。
「ね? だからジョルノ先生、ウチに来てください。組織に入れば面倒もあります。でも、利点もありますよ。先生も一人ではやりづらい事があるんじゃないですか? ウチの会社を利用してやるってお気持ちで良いんですから」
ジョルノは少し頬を赤くして、自分の左腕に添えてある、結佳の手を見ていた。
結佳は続けて言った。
「前にも言ったけど、私、君の事が気に入っているんだよ。女性慣れしていないのに、なんとか誠実に接しようとするトコロが可愛く感じるんだよね。何かあったら、絶対に私がなんとかしてあげる。絶対に守ってあげるから。君と一緒に仕事がしたいな」
ジョルノはそっと左手を引っ込めた。表情は困り切った顔をしていた。そして右手の人差し指で、右のこめかみを軽くグリグリと押した。
右手を降ろすと、ジョルノは言った。
「丈璃乃さん」
「あっ、初めて名前で呼んでくれたね。嬉しいな。結佳で良いよ」
「おっしゃりたい事は分かりましたが、それでも僕は応じられません。ご理解下さい」
結佳は即答した。
「嫌だ」
「えっ?」
「私の人生のモットーは『満腹』なの。欲しい物は全部手に入れないと、気が済まない」
「貴方ねぇ---」
「あっ、欲しい物って報奨金だけじゃないよ。貴方も私は欲しいと思っているんだからね」
ジョルノは返答しようとしたが、言葉が詰まったようだった。
「困らせちゃってゴメンね。まぁそんなに結論を急がないでよ。時間はあるからさ」
結佳はジョルノ背中に、右手をそっと当てた。
「今日はカプチーノ飲んだら帰るね。三日ほど来ないけど、また来るよ。君と沢山お話がしたいから」




