2、丈璃乃 結佳(たけりの ゆいか)は退かない
二人は隣の一〇二号室にいた。ドア横に付いている表札には、『南里 二郎』と書かれているがダミーである。実際はジョルノ専用の研究室だ。広さはジョルノの一〇一号室と変わらない。だが、冷蔵庫やタンスなどは無い。その為、ジョルノの部屋よりは実質的に広い。
結佳は感心した声を上げた。
「へぇ~。狭いけど、ちゃんとした設備があるんですね。驚きました」
「別に褒めなくてもいいですよ。貴方の様な大企業とは比べ物になりません」
「いや、一人で使っていると考えたら、十分過ぎると思います。それに綺麗ですよね。使い込んであるけど、手入れもちゃんとしている。部屋全体も綺麗。性格でてるなぁ」
結佳はゆっくりと室内を歩き、見て回り始めた。ジョルノは玄関近くの壁にもたれかけ、そんな結佳の様子を見ている。
ジョルノは結佳に尋ねた。
「この部屋の機械、名称を言えますか?」
結佳は焦る事も悩む事もなく、普通に答えた。
「言えますよ。右手のプラッテ(実験台)に置いてあるのがセパレーションファンネル(分液漏斗器)・エバポレーター(熱交換器)・カラムクロマトグラフィー(反応混合物分離器)。左手に置いてあるのが、デジケーター(化学物質乾燥機)ですよね? あっ、ラフトチャンバー(局所排気装置)もあるんだ。危ない事もするんですね」
「へぇ…」
「あっ、分からないと思ってました? 私、仕事は熱心ですから。勉強は怠りませんよ。しかしまぁ、よく部屋いっぱいに研究室を作りましたね。これは内緒ですか?」
「世間にはね。でも、オーナーには許可を取っています。このアパートは個人経営なんでね。オーナーにさえ了承をもらえれば、問題ありません」
「了承って? 『研究室作らせてくださーい』『はいどーぞ』とはならないでしょう?」
「実験室の事は、家賃に『少しだけ上乗せ』して払って、納得してもらっています」
「少しだけ…ね。そこは問題ないです。オーナーさんとジョルノ先生が納得しているなら、それでいいんですけどね。口止め料ってトコですね」
「言い方が悪いです。家賃だって言っているでしょ?」
「あら、ごめんなさい」
結佳は色々な器具を見ながら、ジョルノに言った。
「どうしてですか?」
「なんの事です?」
「どうして、私に研究室を見せたのですか? ジョルノ先生が優秀な薬品研究者なのは、いくら会話で確信を持ったとしても、私としてはやはり物理的な証拠を見たい。貴方の自宅の横にあるこの研究室は、それに十分過ぎます。こちらとしては有難いですけどね」
「貴方、私に色々と質問されましたが、本当は分かっていたのでは? 僕の所に来たのは知りたいというよりは、答え合わせに来たって感じなのでしょうね」
「分かっちゃいました? でも、ジョルノ先生の性格や研究室の事などは知りませんでしたよ」
「貴方、さっき言いましたよね? 『案件に関係する資料を幾つも入手して調べた』って。サラリと言ってましたけど、それがどれほどの苦労が必要なのかは、私には想像がつきます。策略を練り・下げたくない頭を下げ・金も使い・非合法な行動も必要になる。危険な目にもあったでしょう? でも成功させた」
「嬉しいな。私を優秀だと思ってくれたんですね?」
「いえ、狡猾だと思ったんです」
「ずる賢いって言いたいのですか? 酷いなぁ。私だって傷つきますよぉ」
「褒めたつもりですけど。それに、その物怖じしない性格。僕は貴方と話していて思いました。『その狡猾さが僕に向いたら、面倒な事になりそうだ』と。だったら、知られて困らない程度なら、知ってもらった方がマシです。放っておいて、さらに徹底的に調べられたら面倒だし」
「つまり、『敵対するよりは仲良くした方が良い』と思った?」
「違います。『敵対したくない』と思ったんです。『仲良くしたい』なんて思っていません」
「遠慮がないなぁ。ま、今日のトコロは、この位で引き揚げようかな。お邪魔しました」
結佳は軽く会釈をすると、ドアに向かって歩き始めた。その様子を見ていたジョルノが疲れた表情でため息をついていると、結佳はジョルノの前で立ち止まった。
結佳はジョルノの左肩に、右手のひらをポンッと置いた。そしてフッと笑って言った。
「私、男の子を口説くの嫌いじゃないんで。また明日ね」
●
翌日の朝九時。ジョルノは一〇二号室の研究所に入った。そこで見たのは驚きの光景だった。
結佳がパイプ椅子に座り、脚を組み、右手に持ったマグカップでコーヒーを飲んでいる。
服装は昨日と同じ、スーツ姿。空いている左手で、軽く手を振った。
「あっ、ジョルノ先生。おはようございまーす」
「あっ、おはようございます…なんて言うと思います? なにやってんですか?」
「コーヒー飲んでます。コーヒーメーカーなんてあったんですね。ビックリしちゃいました。昨日は気付かなかったなぁ。あっ、砂糖は使いませんでしたよ。私ブラック派なんで」
「貴方の嗜好なんて聞いてませんが…。ところで、どうやって入ったのですか?」
「この部屋だけは他と違って、ロックは指紋認証式にしてるんですね。でも、あんなの簡単に突破できますよ。こういう場合はアナログな鍵の方が、逆に強固でお勧めですよ」
「いや普通の人は、指紋認証を軽々と突破できませんけどね」
「あーっ、酷いなぁ。私が普通じゃないとでもおっしゃるのですか?」
「どうやって僕の指紋を? 僕は昨日、貴方の動きは警戒していたつもりです。怪しい動きは無かったと思っていましたが」
「ああ、そんなに難しい事はしていません。頂いたお土産から採取しただけですよ」
「お土産? ペットボトルの事ですか? ベットボトルから指紋を? …だから常温を選んだ?」
「ええ。濡れていたり・冷たかったりしたら、指紋って劣化しますから。まあその時は、研究室も指紋認証ドアの事も知りませんでしたよ。ただ、ジョルノ先生の指紋は欲しいと思っていたんですよね。資料などの証拠品に、指紋が残っていたら裏が取れるし」
結佳の話を聞いて、ジョルノは血の気が引いてきた。
「貴方、本当に恐ろしいですね。もう絶対に、敵に回したくないと思い始めました」
「私は徹頭徹尾、ジョルノ先生の味方です。安心してくださいね」
「どーだか…」
ジョルノはコーヒーメーカーの場所まで行こうとしたら、結佳に呼び止められた。
「あっ、コーヒー淹れようとしています?」
「だったらなんです?」
「私が淹れましょうか?」
「結構です」
「あっ! 『女にお茶くみをさせてはいけない』とか考えてます? さすがフェミニスト!」
「違います。毒でも入れられたら、たまったもんじゃない」
「酷いなぁ、もぅ…」
ジョルノはカプチーノを淹れ、マグカップを実験台の空いている箇所に置いた。パイプ椅子を近くに置き、座った。服装は昨日と同様の、白い半袖のシャツとジャージ。その上に研究用の白衣を着ていた。結佳もパイプ椅子に座り、マグカップを両手で支えるように持っている。
結佳は少し大きな声で言った。
「あのー! そんなに離れて座らなくてもいいじゃないですか!」
二人の距離は三メートルくらい離れていた。
結佳は聞いた。
「あっ、それも女性への気配りの一環ですか?」
「違います。怖いからです。もう信用ならない」
「味方だって言っているのに」
「やれやれ…」
堂々と居座る結佳を見たジョルノは困った表情で、右手の人差し指で右のこめかみを軽くグリグリと押した。
それを見た結佳が聞いた。
「それってクセですか?」
「クセ?」
「ほら、人差し指でこめかみを押しているでしょう? 回すようにグリグリと。それですよ」
「あっ、そんなのしてました? 気付きませんでした」
「自覚が無いのなら、本当にクセですね。たぶん、困った時に出るのかもしれませんよ」
「その原因を作っている貴方に言われてもねぇ…。まぁ、今後は気を付けますよ。特に貴方の前では、絶対に出さないようにしないと」
「いや、私は困らせてるつもりはないんですけど…」
二人は沈黙し、静かな研究室で二人でチビチビと飲み物を飲んでいた。
すると、結佳が言った。
「ジョルノ先生。私の事は気にしないでいいですから、始めてください」
「何をですか?」
「お仕事です。研究ですよ。その為に、この部屋にいらしたのでしょう?」
「だったら、早く帰ってほしいですね。貴方がいたんじゃあ、何もできません」
「もうそろそろ、私に慣れてくださいよ」
「慣れるどころか、ピリピリしてきますよ」
「う~ん、じゃあ緊張を解く為に、世間話でもしましょうか?」
「世間話?」
「そうですねぇ、最近受けた依頼の話とか聞かせてくださいよ」
「いや! それは世間話じゃなくて、確信に迫った話でしょうが!」
「アハハ、そりゃそうだ」
「依頼内容を他言なんかしたら、もう終わりです。裏の世界にもルールはあります。改めて聞かなくても、貴方も調べているんでしょう?」
「そうですけど、ジョルノ先生がタッチしている確証が欲しいんですよね。じゃあ、医薬業界の話をしますから、医薬学者としてのご意見を聞かせてください。ならいいでしょう?」
「まあ、それならいいですが」
「最近、話題になっていた毒素『ドツリヌストキシンB』。有効な手段が無いと言われてきました。でも最近、完全な解毒はできないものの、威力を弱める事が出来るという論文が発表されたんですよね。この調子なら、特効薬ができるのも時間の問題と言われています。確か、山黒忠司教授だったかな? 小規模な薬科大学の創薬研究者の教授さん。御存知ですよね?」
「知りません」
「それと、iga(アイジーエー → 免疫)を劇的に高め、しかもコントロールできるという薬の開発が始まったそうですよ。実現したら風邪から五類相当に至るまで、あらゆる感染症に対応できるって話です。まだまだ時間が必要でしょうけどね。これは確か中小企業の医薬品会社、竹旗製薬。そこの創薬研究部がコツコツと研究を重ねていたらしいです。
それがある時を境に、グッと開発が進んだ」
「…」
「この人達には共通項があるんです。とても高い志がある。才能もある。人格的にも優れている。ただ、資金や環境が恵まれていなくて、研究に注力できない。『あと少し助けや閃きがあれば、飛躍できるのに』っていう感じでした。メディコアリアは、困っている研究者を放っておけないのかな? 良い人なんですね、ジョルノ先生って」
ジョルノは黙ったまま、飲み物を飲んでいた。
それを見た結佳は、不満気に聞いた。
「あの~、御感想を言ってもらえませんか?」
ジョルノはマグカップを置くと、面倒くさそうに答えた。
「僕から言わせれば、そいつは良い人ではないですね。困っている人を相手にしているというよりは、一番金になりそうな相手を選んで仕事をしているという感じに思えますよ」
「ふーん。まぁ、良い仕事をするんなら、動機はお金でも構わないですけどね。ジョルノ先生が、今のようなお仕事のスタイルを選んでいるのは何故ですか?」
「何故って?」
「先生くらいのスキルの持ち主なら、どんな企業でも引く手引くてあまたでしょう?」
「気楽だからですよ。決まった時間に出勤しなくていいし、誰にも考えを合わせなくていいし、頭も下げなくてもいいし、飲みたくない酒を飲む必要もない。それだけやっても、収入の半分は税金で持っていかれる。もうバカらしくてね。みんなよくやっているなと思います。僕はなんの保証もない生き方ですけど、今の気楽さ・自由さには代えられません」
「それは本音っぽいですね。それがウチのスカウトを断った理由ですか?」
「もう一つありますよ」
「あら、なんでしょうか?」
「貴方がいるからですよ。同じ会社で働くなんて、気が休まりません」
「キツイなぁ。今おっしゃった理由も、確かにその通りなんだと思います。でも私は、それだけではないだろうなと思っていますよ」
「は?」
「例えば…、前に働いていた会社で、とても酷い目にあった。それで会社勤めなんて、二度としたくたいと思った…とか?」
「惜しいけど、違います」
「惜しい?」
「以前は組織で働いていて、辞めました。でも、『酷い目にあった』とは思っていません」
「へぇ。是非、そこを詳しく---」
ジョルノは結佳の話をさえぎるようにして、立ち上がった。
「さて、帰ってください。部外者がいたら、本当に何もできないんです」
「つれないなぁ。でも帰りますよ。長々といても逆効果だろうし。コーヒーご馳走様でした」
「いーえ」
結佳は飲み終えたマグカップを流し台の中に置くと、ジョルノの方へ歩いてきた。
そして前に立つと言った。
「ジョルノ先生。私ね、メディコアリアの事を調べていた当初は、さぞかし鼻持ちならない人物なんだろうなぁと想像していました。裏取引で大儲けする、強欲な奴なんだろうなって。でも調べていくうちに変わっていったんです。どの事例も、困っていたり・立場の弱い人や組織に協力しているように見えたんです。スカウトの仕事だからというのもありましたけど、個人的にもジョルノ先生に興味が沸いたんですよね」
「で、仮にそれが僕だとして、実際に話してみてどうでした?」
「想像していたよりもずっと、気難しくて面倒くさい人でした」
「でしょうね」
「でもそれ以上に、仕事に対して真剣で、真面目なんだと分かりました。ちょっとやり方が違いますけどね。こういう人に、ウチの会社で働いてもらいたいですね」
「困った人ですよ、貴方は」
「言っておきますけど、私がジョルノ先生の事を気に入った理由は、仕事に対する姿勢だけじゃあないですからね」
「なんでしょうか?」
「さっき、コーヒーを自分で淹れたのは、『私じゃあ信用ならないから』っておっしゃいましたけど、本当は女に淹れさせるのは気が引けたからでしょう? ジョルノ先生は女に優しくて真面目。そういうトコロが気に入ったんです」
結佳はそう言うと笑顔になった。そして右手の人差し指で、ジョルノの右頬をツンと押した。
ジョルノは驚き、顔を赤くして言った。
「なっ、なにをするんですか!」
ジョルノは右手で、結佳の手を振り払った。
手を払われた結佳は言った。
「アハハ! そういうトコロ。女に弱いというか・真面目なトコロ。気に入ってます」
ジョルノは目を伏せ、右手のひらで右頬をさすりながら言った。
「まったくもう」
「女を泣かした事あります?」
「はぁ? 唐突に何を言いだすんですか?」
「私の見たトコロ、ジョルノ先生は女に弱い。さらに言えば、女の涙にはもっと弱い。女に泣かれたらどんな風になるのかなって、単純に興味が沸いたんです」
ジョルノは呆れ顔で言った。
「女性を泣かせた事なんてありません」
「へぇ~、そうなんですね。私も男に対して泣いた事なんて無いですね。泣かせた事は何度もありますけど」
「でしょうね。さっきから僕は心の中で、ずっと泣いてるから分かりますよ。早く帰ってください」
「もう、ホントにジョルノ先生はキツイなぁ」
結佳は口調を普通に切り替えて言った。
「あの、この部屋に入った時から気になっている事があるんですけど」
「なにか?」
「これですよ、これ」
結佳は実験台のスミに置かれていた、小さなクッキーの箱を指差して言った。
「ジョルノ先生って間食するんですね。甘い物が好きなイメージが無いから、少し驚きました」
「間食? おやつって事ですか? 朝食ですよ、それ」
「朝食? ああ、朝食後にクッキー食べたりするんですね」
「違いますよ。クッキー二~三枚と、コーヒー。それが朝食です」
結佳の表情が、少し険しくなった。
「うわぁ、ジョルノ先生って偏食なんだ。食生活はちゃんとしないと---」
「偏食って? それが普通ですよ」
「少しのクッキーが朝食? でも、それじゃあお腹が空くでしょう?」
「十時三十分位に、また食べますね」
「その時には、パンとかをしっかり食べると?」
「いや、クラッカーぐらいですね」
「…本当に? お昼はちゃんと食べるんですよね?」
「サンドイッチ一つ程度ですね、十四時位に」
「十四時! じゃあ夕食は?」
「二十時三十分位が基本ですね。量は沢山食べます」
「うーん、やっぱり偏食ですね」
「違います。イタリア人の食生活は、これが普通です。私から見たら、日本人が変ですよ。朝から量が多すぎる。沢山食べたら、体調が重くなりますよ」
「へぇ、イタリアの人って、日本人と食事のリズムが違うんですね。…よし!」
「なにが『よし!』なんですか?」
「ジョルノ先生って、暇は有りますよね? 自由業というか、ニートと紙一重なんだから」
「酷い言い方をしますね。まあ、全否定はしませんが」
「日本の諺に、こういうのがあるんです。『押してもダメなら引いてみな』ってね。聞いた事あります?」
「いえ。諺や漢字は苦手です」
「要するに、作戦を変えるって事ですよ。これ以上、『スカウトに応じてください』と百回言っても効果は無いですから。また明日来ますね」
ジョルノは困り果てた表情で言った。
「明日ぁ? また来るんですか?」
結佳は不敵な笑みになって言った。
「お姉さんが、色々と教えてあげる。楽しみにしておいてね♡」




