15、夢は目の前にある
十二月十三日。夜の九時を過ぎた。白衣姿の鞠子は、誰もいない会社の食堂にいた。
背もたれに体を預けて、だらりとした体制で座っている。
ペットボトルの飲料を一口飲み、スマートフォンで電話をかけた。
「もしもーし」
《あっ! やっと電話くれたー。朝から何度も電話をしていたんですよ》
電話の相手はノミアだった。
「ごめんねー。バカな親友から面倒な物を託されちゃってさ、研究が立て込んじゃって大変なの。ライフワークバランスなんて目指してたのに、今じゃあ社畜に逆戻りだよ」
《土曜日なのに仕事なんて大変ですね。やっと今、終わったんですね?》
「違うよ。一息ついているだけ。カプチーノを飲んでね。あと二時間は仕事するかな? アンタ、将来はCEOになるんでしょ? 労働者の働かせ過ぎにも気を配ってよね」
《は、はいっ! 気を付けます!》
「フフッ、冗談だよ。で、どうしたの? なにか急用なの?」
《報告があるんです。鞠子さんには知らせておきたくて》
「あら、なにかな?」
《先日、会ってきたんです。『ソーマさん』にね》
「へぇ…」
ノミアは、スタジアムでジョルノと過ごした顛末を、鞠子に話した。
「ふーん、ジョルノはソーマだと認めたんだぁ。本当の意味で、再会できて良かったね」
《あのー、鞠子さん。おかしくないですか?》
「なんの事?」
《新データの盗用したのは、ソーマさんじゃなくて、お父さんだった。鞠子さんはそれを教えてくれた時、『絶対に誰にも言わないでっ!』って、私に念を押しましたよね? それをソーマさんに話したんですよ? 驚いて・怒らないとダメなんじゃないですか?》
「あっ、そっかー。コラ! 喋っちゃあダメじゃないっ! …これでいいかな?」
《まったくもう…。でも、今になって冷静になって考えてみたら、おかしいなって思い始めたんです。だからあの日のお話をしたくて、お電話をしたんです》
「ん~? あの日って、いつだっけ?」
《この間、鞠子さんが『ノミアが言ってたカツ丼屋さんに、二人で行こうよ』って、誘ってくれた日の話です。その後で行ったバール、『フロリアン』で教えてくれたでしょ? 新データを盗用したのは誰なのか・私がラッティーン家に引き取られた、本当の理由…。『真実』を知った私は激情にかられました。そして数日後にソーマさんをスタジアムに呼び出して、謝りました》
「みたいだね」
《結果、私はソーマさんとの縁を、これからも保つことができました》
「良かったじゃん。なにか問題あるの?」
《最初は鞠子さんが言った通り、私が『なにも知らずに、これから一生を過ごすのは気の毒だと思った』から、真実を話してくれたと思ったんです》
「その通りだよ」
《でも、違うでしょ? 私の性格からして、真実を知ったら大胆に行動すると思った。つまり、私が『ソーマさんに謝りに行く』というのは、鞠子さんの計算の内だったんです。なんとしてでも、私とソーマさんを和解させたかった》
「計算ねぇ…。ともかく、『ジョルノとノミアが決裂したままでいてほしくない』とは、思ってたよ。二人は私の友達だからさ。まぁ、結果的に和解して良かったね」
《私が分からないのは、鞠子さんが私とソーマさんを和解させようとした理由です。結果的には、『縁を保つ』という事で、私達は落ち着きました。でも極端な話、私達が『駆け落ち』する可能性もゼロじゃない。そうすれば、世界的な医療危機や経済危機に陥るかもしれなかった》
「だからさー、結局は『親戚のような関係』で収まったんでしょう? 問題無いじゃん」
《そんな危険を冒してまで、私とソーマさんを和解させた理由。それは---》
「それは…?」
《結佳さんの為ですか?》
「…」
《やっぱり…。沈黙は『Si(シィー → イタリア語でイエス)』って事ですね?》
「…」
《ソーマさんは私との関係が解決しないと、ずっと気に病んだ生活を送ったかもしれない。すると恋愛も含めた人間関係を、二度と構築しない人生を送る可能性があった。結佳さんとソーマさんの関係を進展させたかった鞠子さんは、絶対に私とソーマさんを和解させたかったのでは…?》
「…うん。そこまで気付いているなら認めるよ。ユイさんとジョルノの距離を縮めたかった。極端な言い方をすれば、仮にノミアとジョルノの仲がズタズタになったとしても、ユイさんとジョルノが進展するなら、それで良いと思ってた」
《私が知りたいのは理由です。世界的な危機が発生する危険を冒してでも、結佳さんとソーマさんを結ぼうとする理由。それが分からないんです》
「簡単だよ。世界中の他人が何人も死ぬ事より、ユイさんが大切で大好き。それだけだよ」
《そんな…。鞠子さんは、医薬研究者でしょ? 人命を助ける仕事なのに---》
鞠子はノミアが言い終えるのを待たずに言った。
「非難してくれていい。でも、私は医薬研究者の前に、ユイさんの親友なの」
《どういう意味でしょうか?》
「フロリアンで、簡単にだけど話したよね? 私とユイさんの事」
《はい。命の恩人で、大親友なんですよね。それとDNA鑑定の日、私が帰った後の事も》
「あの日以来、ユイさんは元気が無いの。最初は単なる恋煩いだと思ってた。『ジョルノとの仲が決裂した事が辛いんだろうなっ』て。でもそんなレベルじゃないって、すぐに分かったの。上の空どころか、もう覇気が無いんだよ。生命力を感じないというか。人伝いに聞いたんだけど、仕事もミスばかり。完璧主義で社内中から尊敬されているユイさんがだよ? 私に愚痴も言ってくれないし。もう怖くなってきてさ。一生、ユイさんはこのままなんじゃないかって」
《…》
「『世界的危機』なんて事を考えたら、私が『ノミアとジョルノを和解させる』という行動は、どうしてもできない。ユイさんが一人で苦しんでいるのを、ただ見ているだけしかできない自分が歯がゆかった。そんなある時、ユイさんを見ていてクセに気付いたの」
《クセ?》
「そう、動きのクセ。ユイさんにクセって無いんだけど、最近始まったのに気付いた。少しでも間が空くと、左手で自分の左頬をさするの。そして視線は遠くを見ている感じになっちゃう」
《左頬って、それは…》
「そう、DNA鑑定の日。ジョルノにキスされた左頬。あの感触が忘れられないんだよ。それで分かったの。これはもう、ジョルノを完全に『愛している』んだなって。ユイさんをこの苦しみから救うには・最悪の事態を避けるには、ジョルノとの恋を成就させるしかないって決意したの」
《おっしゃっている事は分かりましたし、おかげで私とソーマさんは和解できたから感謝しています。でも結佳さんを助ける事は、世界的な危機よりも優先させるべき事なんでしょうか?》
「じゃあノミアに聞きたい。面識のない他人百人の命と、ジョルノの命。『どちらかを選べ』と言われたら、貴方悩むの? 他人百人を選ぶの?」
《悩みません。ソーマさんを選びます》
「うん、そうだよね。医薬関係者としても・人としても間違っているって非難されても仕方ない。でも、それでも譲れない『大切な人』っているんだよ。それがユイさんなんだ。ユイさんには言った事あるんだ。『私はユイさんの為なら、悪魔にでもなってやる』ってね。そして、私はそうなった。それだけの話だよ」
ノミアは、安心したような口調で言った。
《そうですか…、そうだったんですね》
「どうしてそんなにユイさんの事を聞きたがるの?」
《知りたかったんです。結佳さんが、どのくらいソーマさんの事を大切に想っているのかを》
「どういう事?」
《知っての通り、私とソーマさんはたまに連絡をとったりする程度ならなんとかしますけど、交際や結婚はできません。だから、誰かに彼を幸せにしてほしいんです。それができるのは、結佳さん。だから---》
「分かったよ。品定めをしてたんでしょ? 花嫁候補の人間性を確認したかったんでしょ? 私から『世界的な危険を冒してでも、助けたい人』という言葉を聞いて、安心したんでしょ?」
《ごめんなさい。回りくどい聞き方で結佳さんを疑って。我ながら酷いと思います。でも---》
「ノミアも『ジョルノの為なら、悪魔にでもなる』って事なんだよね。私と一緒だ」
《うん、そうなんです》
「でもね、ノミアがユイさんの事を疑うのと同じように、私もジョルノを疑ってしまう。本当にユイさんを幸せにしてくれるのか、多少は不安もあるよ」
《それはそうですよね。まだソーマさんと知り合って、日が浅いから》
「私も少しはジョルノの事を理解しているつもりだけど、幼なじみのノミアなら知り尽くしていると思うんだ。そんなノミアが『良い人だ』ってジョルノを慕っているなら、私は安心してユイさんを任せられるよ」
《私もです。鞠子さんが結佳さんの事を、家族以上に慕っている。結佳さんって素晴らしい人なんだなって、分かりました。安心してソーマさんを任せられます》
「もう私達、あの二人の親みたいになってるね」
《アハハ! 本当だ》
「ユイさんは弟が他界してから、自分を責めるようにして、身も心も削って働いてきたの。だからこの辺りで、気持ちも体も安らげてあげたいんだ。あっ、『結婚して家庭に入る』って意味じゃないよ。あの人は仕事そのものは大好きだし、生き甲斐だからさ」
「はい、そうですよね」
「ノミアだって、ジョルノに同じ気持ちでしょう?」
「ええ。ソーマさんにも安らぎを与えてあげたいです」
「私にもノミアにも、夢ってあるでしょ? 私はセプロラビィの解明だし、ノミアはサッカーで活躍する。でもそれは、これから追い求める夢。その前に、私には身近な夢があるの」
《はい、それは私もです。私と鞠子さんの夢は、きっと同じです》
「そうだね。叶えたいよね。いや、叶えてみせるよ」
《はい。きっと叶うと信じてますし、私も叶えてみせます。見守ってるだけなんて嫌ですから》




