14、あなたに会いたかった
十日ほど経った十二月九日。この日はJリーグ2部の全日程が終わった日だ。
時刻は二十時。セブアライブ大栄のホームスタジアムにノミアとジョルノはいた。
夜空の下に、三百六十度から照明が照らされているピッチ。その中心にノミアは立っていた。ベンチコートと呼ばれる、ヒザ下まである白くて分厚いコートを着ていた。
ノミアから二メートルほど離れて、ジョルノが立っている。灰色のジャンバー着て、その下には白いカッターシャツを着ている。下半身はジーンズだ。
ノミアはうつむき加減で言った。
「あ、あの---」
ジョルノは笑顔で言った。
「良かったですね」
ノミアは顔を上げた。
「えっ?」
「チームの優勝とJ1昇格が決まりましたね。おめでとうございます。皆さんおっしゃってますよ、『弓玀ノミアのおかげだ』って。大活躍でしたものね。得点王もお取りになったし。最優秀選手やベストヤングプレイヤーとか、合計で七冠だったでしょうか? 素晴らしいです」
ノミアは笑顔で答えた。
「うん、ありがとう。Jリーグ史上最高の『助っ人外国人』って言われてるよ。パッと見た感じは日本人だから、『外国人選手』がピンとこないサポーターも多いみたいだけどね。そうだ! JFAにクレームが殺到しているって知ってた?」
「日本サッカー協会にクレーム? 何故ですか?」
「『どうして弓玀ノミアを日本代表に招集しないんだ!』ってさ。私はイタリア人だってば!」
「アハハ、なるほどね。そういう話で困る気持ちは、僕も少しだけど分かります。初対面の人は、僕が『イタリア人だ』って言っても信じてくれないから」
「アハハ、お互い苦労するね。日本代表のイメージカラーも、イタリアと同じ青なんだよね。だから悪い気はしないけど」
そう言い終えると、ノミアはベンチコートを脱いでピッチに落とした。ノミアの姿は、白いユニフォーム姿に変わった。寒いはずだが、ノミアは少しも震えない。
その姿を見たジョルノは焦って言った。
「ちょっと! それじゃあ寒いでしょう? コートを着ないと! …あれ? どうしてユニフォーム姿なんですか? 今日で試合は全部終わったんでしょう?」
「見てほしかったの。試合をしている姿もいいけど、ユニフォーム姿の私を、ピッチでゆっくり、近くで見てほしかった。もうシーズンも終わったしね。だから来てもらったの」
「そう…」
「あっ! 誤解しないでよ! 言葉で引っ掛けて、『ほらっ! やっぱり貴方はソーマさんだ!』なんて言うつもりは、もうないから。ジョルノ…さん。ジョルノさんに見てもらいたいだけ」
「うん、分かりました」
「私が、このチームを選んだ理由は幾つかあるの。一つは、ジョルノさんが住んでいる街がホームタウンだった。もう一つは私が子供の頃…、えーっと…、サッカーを教えてくれた『近所のお兄さん』が、憧れていたプロチームのユニフォームが白だったの。だから白が着たかった。それに白は、白衣の色でしょう? 私はお父さんの白衣姿が好きだった。それに『ソーマさん』の白衣姿も素敵だった。だから、白が好きなの」
「そうなんですね…。似合いますよ。うん、似合っています」
「本当? お世辞じゃなくて?」
「違いますよ。似合っていますし、可愛いですよ。『ソーマさん』も、今の弓玀さんをご覧になったら、そう思うのではないでしょうか?」
「うん! そうだと嬉しいな」
ノミアはジョルノの近くまで歩み寄り、言った。
「私さ、今日であのアパートを出るの。このままホテルに直帰するから、もうアパートには帰らないんだ。突然でごめんね」
「そうなんですか…」
「あ、一応は残念そうな顔をしてくれるんだね。嬉しいな」
「一応じゃないですよ、残念です」
「荷物は私の秘書や業者が、後日に引き取りに行くからね。だからジョルノさんと会うのは、これが最後。最後だから、お願いが一つあるの」
「なんでしょうか?」
ノミアは強く懇願した。
「抱きしめてほしい」
「えっ?」
「嘘で良いの。嘘で良いから、私の事を恋人だと思って・強く抱きしめてほしい。ダメかな?」
ジョルノは申し訳なさそうに言った。
「…それはできないです」
「…何故?」
「恋人じゃない女性を、抱きしめたりはできません。ごめんなさい」
「そっか、そうだよね。それは残念だけど、嬉しくもあるの。だってソー…、ジョルノさんは女性に対して真面目だから。断るのも『ジョルノさんらしいな』って思えるから」
「ごめんなさい」
「ううん、いいの。あと、大事な報告があってさ。私達二人にとって、とても良い話だよ」
「へぇ~、なんですか?」
「見つかったの」
「えっ?」
「北九条颯真さんが、見つかったの」
ジョルノは驚いて言った。
「みっ、見つかった? 北九条颯真が?」
ノミアはキョトンとして言った。
「そうだよ。ソーマさんを探してたら、見つかった。なにか変かな?」
「い、いや…。そうですね。見つかったんですね。それは良かったです。」
「フフッ! それでこの間、会ってきたの。背は百八十センチくらいあって、スタイル抜群! 面白いジョークも交えながら、会話が上手い人でさ。ジョルノさんとは真逆の、爽やかなイケメンだったよ。カッコ良かったな~」
「へ、へっ、へぇ~」
「私、ソーマさんと再会したら、絶対に言いたい事があったの」
「なんです?」
「謝りたかったの。ソーマさんには、大きな夢が二つあった。一つはプロサッカー選手になりたい。もう一つは、薬科研究の博士になって活躍したいっていうね。でもね、私がその夢を潰しちゃったの。二つともダメにしちゃった。だから謝りたかったの」
「そう…」
「だから、謝った。心の底から、本当に申し訳なく思っていたからね。深々と頭を下げて言ったの。『ごめんなさい』って。『貴方の夢を壊してしまった』って」
「…」
「そうしたら、なんて言ったと思う?」
「えっ?」
「私が謝ったら、ソーマさんはなんて言ったと思う?」
「いや、そんなの僕には分かりませんよ」
ノミアは真剣な表情で言った。
「想像で良いの。貴方がソーマさんだとしたら、なんて答える? お願いだから聞かせて!」
「…言えません」
「えっ?」
「そんな大切な事、全然関係の無い僕が気安く言えませんよ。想像もつきませんし」
ノミアはガッカリした表情になり、肩を落として言った。
「うん、そうだよね。ごめんなさい、無理言って」
「いえ、いいんです」
「ジョルノさんには、迷惑ばかり掛けちゃったね。それも謝らないとだね」
「迷惑…ですか?」
「うん。スタジアムでビールの売り子を勧めたり・結婚を迫ったり・アパートに押し掛けて隣人になったり…。迷惑だったでしょう? ごめんなさい」
ノミアが深々と頭を下げると、ジョルノは優しく言った。
「そんな事はありませんよ。僕は楽しかったです」
ノミアは頭を上げて言った。
「楽しい?」
「ええ。ビールの売り子は大変でした。人付き合いが上手くない僕にとっては、本当に難しくて苦難の連続。でも慣れてきたら、この仕事の楽しさを知れました。キッカケを作ってくれて、感謝していますよ」
「そんな、感謝だなんて。ただ、ジョルノさんに違う世界を見てほしい気持ちもあったの」
「結婚を迫られたのは困りましたけど、心の何処かで喜んでいる自分もいたんです」
「喜んでくれていたの?」
「はい。貴方みたいな可愛らしい女性にプロポーズされる。そんなの、どんなに格好の良い男でも、なかなか無いですよ。だから嬉しかったし・照れましたね」
「へへっ、照れていたんだ」
「弓玀さんがアパートに来てからは、よく僕の部屋に遊びに来てくれましたね」
「迷惑じゃなかった?」
「そんな事はありません。楽しかったですよ。あの頃は丈璃乃さんと玖口との関係が破綻しかけていたんです。とても落ち込んでいた時期だったので、弓玀さんの存在は支えになっていましたよ。ありがとうございました」
「ううん、少しでもジョルノさんの支えになっていたのなら嬉しいな」
「今後はどうするのですか? 世界中からオファーが来ているのでしょう?」
「うん。Jリーグも多いけど、ユベントスやレアルマドリード、バイエルンミュンヘンもきてるのかな? 話は代理人がしているから、私は詳しくは分かんない」
「すごいっ…。 まさに世界を股にかけた活躍ですね。素晴らしいと思います」
「私の理想は---」
「ん?」
「私の理想はさ、世界の色々なビッククラブでプレーして、二十五歳で結婚してサッカーを引退。そしてクラファルのCEOになる。夫には薬科研究を頑張ってもらってさ、二人で医薬界に貢献したいなって思ってた。子供は女の子と男の子。二人にサッカーを教えて…って感じだった。それが夢だったの。でも、上手くいかないね」
「いや、まだでしょう?」
「えっ?」
「その夢ですよ。まだ第一歩の『ビッグクラブでプレー』が始まろうとしているトコロでしょう? これからじゃないですか」
「あっ、そうか。アハハ…」
数秒沈黙した後、ノミアは言った。
「ジョルノさんは、これからどうするの? この間、引っ越すって言ってたよね?」
「ええ。アパートの管理人の後任が決まったらですね」
「新しい住所、決まったら教えてもらえる?」
「…」
「あっ、もうこれ以上、困らせたらダメだよね。女々しくてごめんなさい」
「いえ、良いんです。ご用事が済んだようでしたら、僕はそろそろ---」
「これでもう貴方には会わない。約束する。だから貴方も一つだけ約束してくれないかな?」
「なんでしょうか?」
「私の事を気にかけていてほしいの。私はこれから、世界的なビッグクラブに移籍する。そうしたら、ネットで簡単にチームの情報が閲覧できるでしょう? 試合に出場したとか・得点を挙げたとか。この世界の何処かで、私がサッカーを頑張っているんだって、知ってほしいの。貴方の中で、私の存在を消さないでほしいんだ。お願いだから!」
ジョルノは迷く事無く、すぐに答えた。
「勿論です。言われなくても、そうするつもりでした」
「えっ?」
「僕と弓玀さんは、この街で『初めて出会い』ました。その子はサッカーのスター選手だった。忘れられませんよ。ネットのチェックどころか、TV中継を観戦します。応援しますからね」
「うん、ありがとう! ありがとうソー…、ジョルノ・ヴェロネージさん」
「さあ、本当にもう帰りましょう。夜も遅いですからね。ロビーで待っていますから、着替えてきてくださいね。そこでお別れをしましょう」
ジョルノはそう言うと、ノミアに背を向けて歩き始めた。その後ろ姿をノミアは見つめていた。
ジョルノとの距離が離れるほど、目に涙があふれ始めた。
ジョルノのとの距離が十メートルほど離れた時、ノミアは叫んだ。
二人の他は誰もいない静寂なピッチに、ノミアの大声が響いた。
「ソーマさんっ!」
その瞬間、ジョルノはピタリと歩みを止めた。
その背中に向かって、涙目のノミアは言った。
「また…会いにきてもいい?」
ジョルノはゆっくりと振り向いた。明らかに不機嫌そうな表情で、右手で後頭部をガリガリとかいた。そして呆れたように、『ふーっ』っと大きなため息をついた。
そして次の瞬間、満面の笑顔になって言った。
「何言ってんの? そんなの当たり前だろう? いつでも来いよ! 待ってるからな、ノミ!」
「ソーマさん…! ソーマさぁんー!」
ノミアはジョルノの胸に飛び込んだ。ジョルノを両手で抱きしめると、ジョルノもノミアを抱きしめた。力強く抱きしめた。ノミアの耳元で、ジョルノは言った。
「Quanto mi dispiace… (クァント ミ ディスピアーチェ)」 → すまなかったな
「この感触は! その言葉は! ソーマさぁーん!」
ノミアはジョルノの胸の中で号泣した。
イラスト:migmag
Finalmente sono riuscita avederti,Soma.
Non ho piu rimpianti,grazie di tutto Addio.
Grazie mille,Soma……
(やっとソーマさんに会えた…。もう思い残すことは無いよ。ありがとう、ソーマさん…)
ジョルノは、申し訳なさそうに言った。
「ずっと認めてあげられなかった。ごめんな」
「いいの! やっと…、やっと本当に会えたんだもの! 『本当のソーマさん』に会えた! 貴方には、たくさん話したい事があって・お礼を言いたくて・お詫びを言いたくて…」
「お詫びって?」
ノミアは涙で濡れた顔を上げて、ジョルノの目を見た。
「私とお父さんが、貴方の夢を潰してしまった。人生を壊してしまった。新データを盗用したのはソーマさんじゃない。お父さんだったんだよね」
ジョルノは驚き、抱きしめていたノミアの体を離した。
「なっ…! お前、それをどうして---」
「ソーマさんは私と出会わなければ、サッカー選手になれたかもしれない。あるいは薬科研究の表舞台で活躍できたかもしれない。それなのに、イタリアを追われて・家族にも会えなくなって…。全て私のせいだよ。本当にごめんなさい」
「…」
ジョルノはズボンのポケットからハンカチを取り出し、ノミアの涙を拭きながら言った。
「ノミ、お前は大きな勘違いをしているよ」
「勘違い?」
「俺の夢は、そんなものじゃない。サッカー選手になる事でもないし・研究者になる事でもないんだ。そんなの、俺の夢じゃない」
大まかに涙を拭き終えると、ハンカチをポケットにしまった。
「じゃあ、なんなの?」
「俺の夢は、ノミ、お前の目が治る事だ。目が治って、ノミが大好きなサッカーをプレーしている姿を見る事が、俺の夢だった。そして、それは叶ったんだよ」
「その為に、ソーマさんを犠牲にしてしまった…」
「俺は犠牲になったんじゃない。お前が飛び立つための、翼になったんだよ。そしてノミは、羽ばたく事ができた。俺は本当に幸せだよ。俺にとって、ノミは家族以上の存在なんだから」
「私もだよ、ソーマさん。でもお父さんは、許されない事をしたよ。全ての罪をソーマさんに押し付けた卑怯者。私も同罪。お父さんを追い詰めたのは…そうさせたのは私なの。ソーマさんにも・お父さんにも申し訳なく思ってる。謝っても、謝り切れないよ」
ノミアがそう言うと、ジョルノは悲しそうな表情になり、両手でノミアの両肩を軽くつかんだ。
ジャンバーの下に、白いカッターシャツを着ているジョルノは言った。
「ノミ、そんな事は言わないでくれ。自分の父親の事を、『卑怯者』なんて絶対に言うんじゃないぞ。博士には、難しい選択が幾つも迫られた。それは全て、ギリギリで厳しい苦渋の選択ばかりだったんだ。大勢の患者の為…なにより最愛の娘の為なら、自分の良心ですら犠牲にしなければいけなかった。そんな苦難に立ち向かったのは、お前と医薬界の為を想ってこそなんだぞ」
「お父さんは、ソーマさんに多額のお金を払った…というか、無理に受け取らせたんだよね? 貴方を陥れる為に…」
「でもな、ノミ。それだけじゃあないんだ。あのお金は俺への謝罪であり、生活の保障だったんだと俺は思っている。あの件で俺は失職して、イタリアの社会から四面楚歌になった。でも博士からのお金のお陰で、生活は無事にできた。博士は俺の身を案じてくださったんだ」
「ソーマさん…」
「ラッティーン博士は偉大な研究者であり・娘を愛する素敵なお父さんだ。俺にとっても、もう一人の父親のような人なんだ。忘れないでくれよ」
「でもソーマさんは、お父さんを許せるの?」
「許すも何も、俺は博士を恨んでいない。俺の才能を見出して、薬科研究の世界に導いてくださった。ノミと楽しい時間を過ごさせてくださった。感謝しかないよ。お前を気遣って言っているんじゃない。心からの本心だ」
「うん…分かった。分かったよ、ソーマさん」
ジョルノは笑顔で言った。
「うん、それでいいんだ」
「でも、本当に良いの?」
「ん?」
「私、さっき言ったよね? 『また会いに来ていい?』って。ソーマさんは『いつでも来い』って言ってくれたけど、本当に良いの?」
「良いよ。どうして改めて聞くんだ?」
「私とソーマさんは、会っちゃあいけないんだよね? だから頑として、貴方は自分が『北九条 颯真』だとは認めなかった」
「そうだよ。北九条颯真と弓玀ノミアは、もう会ってはいけないんだ」
「…」
「でも、俺はさっき言っただろ? 『弓玀さんとは、この街で初めて出会いました』って」
「言ったけど?」
「北九条颯真と弓玀ノミアはイタリアで出会った。でも、ジョルノ・ヴェロネージと弓玀ノミアは、この街で初めて出会ったんだ。俺はジョルノだ。『知り合いの女の子』とたまに会うくらい、なんとかしてみせるよ」
ノミアは笑顔で言った。
「うん、ありがとう、『ジョルノ』さん。ただ…」
「なに?」
「この瞬間だけは、まだソーマさんだよね? 最後のソーマさんの時間だよね?」
「そうかもな」
「最後にもう一度、ソーマさんとして抱きしめてくれないかな?」
「うん、俺もそうしたいな」
二人は力強く抱き合った。ノミアはジョルノの胸でつぶやいた。
「さようなら、ソーマさん…。貴方の事、忘れないよ。そしてこれからは---」




