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13、最愛の友へ

 あれから一週間が過ぎた十一月三十日。今日は朝から土砂降りの雨。時刻は十四時を過ぎた。

ジョルノは自室の一〇一号室にいた。その室内には意外な来客が立っていた。

ジョルノは、その来客に向かってバスタオルを手渡した。

「それ使えよ。洗ってあるやつだから」

受け取った来客、鞠子きくこは大雨で濡れた衣服や手足をタオルで拭き始めた。

「うん、ありがとう、ジョルノ。突然アポ無しで来てごめんね」

上着はオフホワイト色のダウンジャケット。下は厚手のデニムだ。

鞠子は雨を拭き終えたダウンジャケットを脱いだ。すると、ジョルノがそれを取り上げた。

「あっ、ちょっと! なにすんの?」

「代わりにこれを着とけば? クリーニングはしてあるから」

ジョルノは、自分が研究室で使う白衣を鞠子に渡した。ダウンはハンガーで壁に掛けた。

「ありがとう、着させてもらうよ」

鞠子は白衣姿になった。二人はちゃぶ台の周りに座った。隣同士で座っているので、距離は近い。ジョルノは熱い日本茶を湯呑みに淹れて、鞠子の前に置いた。

「体、冷えただろう? 飲めよ。今、暖房も入れたから」

「う、うん」

鞠子は体を拭いたバスタオルを膝に掛け、湯呑みを両手で持ってお茶をすすった。

「くわ~、温まるぅ!」

「今日は平日だぞ? 仕事は?」

「アハハ…、サボっちゃった。風邪ひいたって、嘘の電話してさ」

「おいおい、しっかりしてくれよ。何やってんだ?」

「いいじゃん。月に二日くらいしか休まないで、有休も使わず、毎日、終電近くまで残業。会社勤めのほとんどが、そんな生活だったんだよ。たまにはサボらせてよ」

「まぁ、それなら良いか」

「ところで、どうして白衣姿なの?」

「さっきまで、仕事をしていたからだよ」

「へぇ~。誰かの依頼? 何を研究しているの?」

「依頼じゃなくて、個人的な研究。『セプロラビィの解明』だよ」

「そうなんだ! で、どうよ? 解明できた?」

「あのな、『クロスワードパズル解けた?』みたいなノリで言うな。解明なんてできねぇよ」

「アハハ…。それはそうと、もういないかと思ってた。いたから少し驚いたよ」

「いないって?」

「鑑定の日、『姿を消す』って言ってたからさ。もう引っ越したかもって思ってた」

「俺にだって、準備は必要だよ。裏稼業とはいえ、引き受けている仕事はあるし、アパートの管理人だって、オーナーが新しい人を雇うまでは辞める訳にはいかないし。スタジアムのビールの売り子だって、あと少し出勤予定があるし。つのは、責任を果たしてからだな」

「…いなくなるのは、もう決まりなんだ」

「そうだ」

「何処へ行くの?」

「う~ん、決めてないけど。イタリア語が使えるスイスかクロアチアってところかな?」

「そう…。ノミアには、その事は言ったの?」

「言った」

「へぇ、意外。黙って行くのかと思ってた」

「同じアパートに住んでるんだから、バレるって。それに俺は、夜逃げするんじゃないから」

「あのさ、どうして今日、私を家にあげたの?」

「どうしてって、お前がウチに来たからだろ?」

「あげてくれないかと思ってた。居留守を使われるかもしれないってね」

「いや、だからなに言ってんの? 友達が俺を訪ねて来たんだから、普通あげるだろ?」

「友達? 私って、ジョルノにとって友達なの?」

「お前が俺の事を軽蔑しているのは知っているけど、俺にとっては、お前は友達なんだよ」

「私にとっても、ジョルノは友達だよ。もう軽蔑なんてしていない。昔の事は、何か事情があったんだって信じてる」

「そうか。ありがとう、玖口。」

「あ、アンタに真剣にお礼言われるなんて、どうしたらいいか分かんないや。アハハ…」

鞠子はもう一度、お茶をすすった後に言った。手に湯呑みは持ったままだ。

「ノミアはどうしているの?」

弓玀ゆみらさん? まぁ普通だよ、普通。まるでDNAディエヌエー鑑定の日は無かったみたいにね」

「普通?」

「うん、普通。今まで通りにサッカー選手をしている。普通に俺に接してる。俺の部屋にたまにきて、食事していく。どうでもいい話を、笑いながらする。今までと変わらない。ただ…」

「ただ?」

「俺の事を名前で呼ばなくなった。『おーい』とか『ちょっとー』って呼ぶな。あと、婚約の話もしなくなった。ショックを隠そうと無理してる感じがする。見ていて痛々しいよ」

「そっか、ノミアとはギクシャクしているんだね。私とユイさんも、そうなんだよね」

丈璃乃たけりのさんと? どうかしたのか?」

「ケンカしたりはしてないよ。ただ、触れてはいけない話題を探り合っているというか…」

「そちらもギクシャクしてるって事か。すまないな、二人を巻き込んでしまって」

「それはいいの。私は…私とユイさんは、ジョルノとノミアに出会った事に後悔はないから」

「うん、それは俺もお前と丈璃乃さんに思ってる。弓玀さんも、そう思っていると思うよ」

「ありがと。ノミアもそう思ってくれるんなら、嬉しいんだけどね」

「ところで今日はどうしたんだ? こんな大雨の日に来たって事は、大切な話があるんだろ?」

「あ、うん。そうだよ。どうしても伝言えたい事があってね。しかも二つ」

「うん、聞くよ」

「一つ目なんだけどさ、ユイさんの事でね」

「丈璃乃さんの話か…。どうしたんだ?」

「あの日…、鑑定の日。ユイさんがジョルノに辛く当たったのは本心じゃないんだ」

「…」

「うん、納得できないと思うけど、まあ聞いてよ。あの鑑定の日。私とユイさんは、ジョルノとノミアが結ばれる日になると思ってたんだ。でも、それがあんな形になって、破綻してしまった。ユイさんは『このままじゃあ、二人が別れてしまう』って思ったんだろうね。だから、あんな態度をとったの。信じられないかもしれないけど、あれはユイさんの二人への応援なんだ。だから許してあげてくれないかな?」

「…」

「あの時、ジョルノは泣いたもんね。それぐらい怒る気持ちは分かるけど---」

「いや、なに言ってんの? 俺は怒っていない。俺が丈璃乃さんに怒るなんてありえない。怒って泣いたんじゃない。」

「じゃあ、何故泣いていたの?」

「悲しかった。丈璃乃さんに、こんな態度を取らせてしまった自分の無力さが情けなかった。俺が丈璃乃さんを追い込んだんだ。あの時言っただろう?『罪が一つ増えそうだ』って」

「えっ! 『女を殴る罪』って意味と思ってた。じゃあユイさんの気持ちに気付いていたの?」

「程度は分からないけどね。友人としてなのか・恋人としてなのか。ただ、俺の気持ちを、自分ではなく弓玀さんに向けようとしていたのは伝わってきたよ」

「ノミアとジョルノが破綻しそうになったら、普通は『じゃあ、次は自分が』ってなるんだけど、ユイさんは違うんだよね。『二人にとって、何が一番の選択なのか』って、考えちゃうの。ユイさんって人は、いつも自分の事は後回し。本当に困った人だよ」

「あまり困ってる顔に見えないけど?」

「え…? うん。まあ、そういうトコロが大好きなんだけどね」

「そうか。丈璃乃さんは良い人だもんな」

「あんたもそう思うよね。ジョルノもユイさんの事が大好きだもんね」

「は? 何故そう思うんだ?」

「あんたバカなの? あんなにブチューってキスしておいて、言い逃れできると思ってんの?」

ジョルノは後頭部を右手でかきながら言った。

「あ、あれね。自分でもよく分からない。気が付いたら、ああなってたっていうか」

「本当にバカだ。でもユイさんには恋愛巧者れんあいこうしゃよりも、あんたみたいなバカの方がいいと思う」

「もうその話はいいから! …で、もう一つの話っていうのは?」

ジョルノがそう言った途端、鞠子の表情が曇った。

「あ、うん。そうだね。言うよ」

鞠子は湯呑みをちゃぶ台に置いて、話し始めた。

「この間のDNA鑑定の件なんだけどさ。私、後日にデータを調べたの。ノミアの持ってきたUSBに入っていたDNAデータと、私の持っている、アンタのDNAデータをね」

「俺のDNAデータ? お前がそんなの持ってないだろう?」

「あるの。以前ユイさんが持ち帰った、ペットボトルから採取したんだよ。ユイさんは『指紋だけでいい』と言ったけど、一応、DNAもね。なにかの役に立つかもと思って、内緒でさ」

「指紋そのものにDNAデータは含まれないが、指紋に付着していた皮膚組織から取ったのか」

「勝手な事をしてごめんね。一つ聞かせてほしいの。鑑定の日、ジョルノは『USBに俺のDNAデータが入っているとは限らない』と言っていたよね? それは本当なの? 嘘なの?」

「両方だ」

「どういう事よ?」

「俺がイタリアをつ直前、研究室のDNAデータは消去した。だが、何処かにコピーが存在している可能性も十分にあった。だから『本物かもしれない』とも、思っていたんだ」

「ジョルノはあの時、『ノミアはハッタリを言っている』と言っていたけど?」

「お互いにハッタリをかましていた。ダメかもしれないと汗をかいていた。トランプで弱い手札しかないのに、強気な顔をしていた。二人ともね。痺れを切らした方が負け。弓玀さんも自分が手配したデータが、確実に俺のモノだという確証がなかったと思う。『秘書に指示した』とかで、人伝いに入手したんだろうし。だからあおったんだ」

「煽る?」

「鑑定検査直前に『これが不一致だったら、もう貴方とは会わない』って、ノミアに念を押しただろう? これで多少は焦りを誘えたみたいで、効果があったと思う」

「『ノミア』って呼び捨て…? じゃあ、あんたは---」

「で、鑑定の結果はどうだったんだ?」

「USBとペットボトルのDNAは一致した。アンタはソーマ。『北九条 颯真』なの…?」

「そうだ。俺は颯真。北九条颯真。ノミアの言う『ソーマさん』だ」

「やっぱり…! でも、何故そこまでかたくなに認めなかったの? 颯真である事は、あんたにとってもノミアにとっても悪い事じゃないと思うけど」

「それは…」

「話してくれないかな? 私とユイさんは、もう当事者だと思ってる。特にユイさんは、ジョルノとノミアの幸せの為なら、悪魔にもなるような人だよ? このまま何も知らないで別れるのは不憫過ふびんすぎるし、私も悲しいの」

「…分かった。でも、俺が話すことは、『事実』とは限らない」

「えっ? 本当にあった事とは限らないって言うの?」

「それに、『真実』とも限らない」

「嘘をついているかもしれないって事? どういう事よ? 私、分からない」

「誰にも思い入れせず、客観的に聞いてほしい。あくまでも、判断するのは自分。いいか?」

「…うん」

「俺の事は、ある程度は聞いているのか?」

「うん。ユイさんから大まかに聞いたし、ノミアも話してくれたよ」

「俺が十歳の時・ノミアが五歳の時に知り合って、一緒にサッカーを楽しむようになった。十五歳で彼女の家庭教師になり、十七歳でラッティーン博士の大学の研究室に入れてもらった。ここまでは、俺とノミアの間に認識の差はないと思う」

「そうなんだね」

「博士は本当に素晴らしい人だった。日本人の俺を差別せず、将来性と実力を評価して、研究室に入れてくださった。周囲からは陰で反対もあったんだ。『アジア人を入れるのはどうか』って。でも博士は『実力があれば、肌の色は関係ない』と、おっしゃってくださったんだ。博士が俺を登用してくださらなかったら、今の俺はいない。それは断言できる」

「うん」

「博士は色々な薬の開発に貢献なさっていたが、最重要と言えるのが、『網膜色素変性症もうまくしききそへんせいしょう』だ。養子であるノミアが患っている病気でもあるし。博士も若い時から尽力していたが、難関でな。なかなか進展せず、ずっと苦労しておられた。そして俺が二十歳なった頃だった。博士と助手である俺は、ある医薬大学に意見交換に行った。その大学で、俺達二人はたまたま網膜色素変性症の臨床データを見かけた。仮にここでは『新データ』と呼んでおこう。それは素晴らしい考察と意見が添えて書いてあるデータで、俺は嬉しかった。『こんなに優秀なデータがあれば、薬の開発に進展があるかもしれない』って思った。博士にその事を話すと『素晴らしい!』と喜こんでおられた」

「アンタのアパートで聞いた時は『俺がデータを盗んだ』って言ってたけど、それの事?」

「…」

「ジョルノ?」

「俺と博士は、『あと一ヶ月もあれば、あの大学から新データの発表があるだろう』と話していた。そして、治療薬の開発が加速するに違いないと喜んでいた。ノミアの病気が治るかもしれない偉大な第一歩だから、俺は待ち遠しかったよ。ところが三週間後、事態は急転換した」

「急転換って?」

「ウチの大学…カリッサ大学の研究室、つまり博士の研究室から新データが発表されたんだ。それがキッカケで新薬はその数週間後、開発された。博士は各方面から大絶賛されたよ」

「ちょっ、ちょっと待ってよ。それって---」

「当然、その大学の教授からは猛抗議がきたよ。でも、博士が多額の『補償』を支払って、納得してもらった。その大学のデータと博士のデータは、偶然にも『似ていた』。世間に話せば盗用だと『誤解』を招きかねないので、内密にして頂いたんだよ」

「ジョルノ、ちょっと待って---」

「でも、そんな大それた秘密は隠し通せるもんじゃない。博士の研究室から発表された新データは『盗用ではないか?』と、そんな噂が業界で少しづつささやかれ始めた。でも博士の人間性の素晴らしさは業界人ならずとも知れ渡っていたから、疑われる事は無かったよ。次に流れ始めた噂は、『博士ではなく、博士の部下や助手がデータを盗んできて、博士に提供したのではないか?』とね」

「一つ目の噂は自然だけど、二つ目の噂はかなり具体的だね。そんなの偶然と言うよりは、恣意的しいてきに流そうとしないと広まらない噂だと思うけど…って、まさか?」

「数日後、俺の銀行口座に二百三十万ユーロ(約五億円)が振り込まれた」

「え?」

「研究室内でそれは知れ渡った。博士の助手や部下の中で、網膜色素変性症に最も注力していたのは俺だ。その俺の口座に、不自然な額の入金があった。もう疑いの余地は無かった」

「ラッティーン博士は、なんと言ったの?」

「『ソーマ、残念だ。こんな事になってしまって…』と言って、悲しんでおられた」

「そっ、それって---」

「そして俺をかばってくれた。他の研究員を説得してくれた。『ソーマが悪いのではない。ソーマが私に提供したデータを、盗用だと見抜けなかった。私に責任がある。だからソーマを責めないでやってくれ』とね」

「それは庇ったんじゃなくて---」

「相手の教授には金銭的な補償もしたが、もう一つ条件を示した。『当該の研究員を解雇する。そして永久に業界で働かない事を約束させる』と。それで気持ち的にも納得して頂いたんだ。交通事故を起こされて身内を亡くした家族が、相手のドライバーに『もう車の運転はしません』と誓わせるようなものだ」

「裏の研究業界で秘密裏に働いているのは、そういう理由だったんだ。…それでジョルノは、どう思っているの?」

「俺がどう思っているかは、重要じゃない。俺が経験した事の認識は、こうなんだ」

「ジョルノには悪いんだけど、今の話を全て納得はできないよ。あのラッティーン博士が---」

「それでいい」

「いいって?」

「博士は俺を薬科研究に導いてくれた大恩人だ。悪く言われるのは悲しいんだ。本当だよ」

「そうだ、ノミアは? ノミアはどうしていたの?」

「他の研究員は勿論もちろん、父親にも辛く当たられていた日々の中で、彼女だけは普通に接してくれた。でも、何を信じたらいいのか、悩んでいる様子だった。俺は否定も肯定もしなかったから。俺と会うのは博士や家族に禁止されたけど、それでも人目を忍んで会っていた。『ロミオとジュリエットみたいだね』なんて言っておどけてたよ。気丈な子なんだ」

「恋愛関係にあったのは、本当だったんだ。婚約してたっていうのは本当なの?」

「家族同士で交わした正式なモノじゃないけどね。日常の会話で言ってくれていたよ。『目が治ったら結婚しようね』ってね。とは言っても、当時は俺達も日本で言う中学生と高校生ぐらいの年齢だったから。そこまで深刻な感じではなかった」

「ともかく、ノミアは嘘をついていなかったんだ。じゃあなおさらだよ、ジョルノ」

「ん?」

「アンタの事を信じたいけど、やはり『あの博士がそんな…』と思ってしまう。本当にごめん」

「いや、いいんだ。それで普通だよ。と言うより、正しい感覚だと思う」

「新データの盗用がジョルノであろうと博士であろうと、一番傷つくのは彼女だもんね。結果的には、その新データのおかげで薬ができて、目が治ったんだから。心中複雑だろうね」

「ああ…」

「ノミアは養子だと聞いたけど、博士には他にも養子はいるの?」

「いや、養子はノミアだけだよ。他の兄弟は、実子。」

「博士が、ノミア以外に障害や病気を持った子を引き取ろうとした事は?」

「無いと思う」

「そこが少し疑問だったの。ノミアってクォーターとはいえ日本人でしょ? 私が養子をもらうとしたら、日本人から選ぶと思う。博士は何故イタリア人じゃなくて、人種も国籍も違う日本人のノミアを引き取ったんだろう? 養子をもらうなら、まずはヨーロッパ圏の白人を選ぶと思うけど。しかも目は病気で見えない。博士の人柄の素晴らしさは業界でも有名だけど、そこまでするのかなって。そこだけがに落ちないの」

「玖口、お前は研究でマウスを使う事はあるか?」

「は? なんの話よ?」

「質問しているのは俺だ」

「う、うん。まあ動物実験は必須だからね。可哀そうにとは思うけど、仕方ないよ。なるべく苦痛を与えないように、努力はしているつもりだよ。私だけじゃなくて、業界全体がそう」

「俺もそうしてる。でも人間でやった方が、より確実な結果が分かる。何故しないんだろう?」

「あのねぇ、そんなの人体実験になっちゃうじゃない。ダメに決まっているでしょ?」

「でも、マウスだと数か月・数年必要な実験が、人間なら短期間で済む可能性もある」

「当然だよ。人間の為の薬を作ってるんだから。でも、ダメだっての!」

「できる可能性を探ってみた事はないか?」

「どういう意味?」

「例えば死刑囚。冤罪の可能性の無い、現行犯で捕まった大量殺人犯。そういう人物に司法取引を持ち掛ける。『薬の実験台になってくれたら、好物を食べさせてやる』とかね」

「まあ実現したら良い面もあるかもしれない。けど、日本でも海外でも無理だよ」

「じゃあ自分自身なら?」

「やるとしたら、それが一番現実的かな。どんな結果になっても、自己責任だしね」

「それが家族だったらどうだ?」

「家族でもダメだよ。ただ、秘密裏ひみつりにするならやりやすいだろうね」

「そう。人体実験をするなら、自分を含めた家族なら、なんとか実行できるかもしれない」

「あのさ、ジョルノ。さっきからなんの話をしているの? 全然分かんないよ」

「博士は網膜色素変性症の研究を、ライフワークにしてこられた。ずっと真摯にこの病気に向き合ってこられたんだ。その分、苦悩も深かっただろうな。それは分かるだろう?」

「うん、私も研究者の端くれだからね。難しい研究ほどやりがいもあるけど、苦悩も深いよ」

「人体実験を『考えた事は一度も・一瞬も無い』と、言い切れるか?」

「それは言い切れない。空想・妄想の範囲では考えてしまうね」

「俺もだ。『できるかもしれない』という甘い誘惑があれば、勝てないかもしれない」

「だから、さっきからなんの話をしているの?」

「今から約二十年前、博士の元に養子の話がきた。博士が条件を決めて探したのか・誰かから勧められたのかは分からない。とにかく、博士の元に養子の話がきたんだ」

「うん、分かってるよ。それがノミアでしょう?」

「そう。そしてその子は、網膜色素変性症だった」

「知ってるよ。ノミアから聞いたからね。…って、まさかアンタ…!」

「ノミアとは五歳の頃から付き合いがある。目の状態は一時的だが、少し良くなったりする事があった。その反面、体調が急激に悪化する日も稀にあった。俺が看病する日もあったよ。そんなノミアを見て、素人ながらに思っていた。『どうして突然、こんな風になるのか』と」

「そ、そんな、そんな事って---」

「新薬が完成して『最初は誰に投与するか?』となった。博士はノミアへの投与を熱望された」

「それは自然だよ。『自分の娘の目を、一刻も早く治してあげたい』って思うでしょ?」

「勿論だ。それは理由の一つでもある」

「一つって? 他になにがあるの?」

「試験投与で、もし甚大な副作用がおきたら、博士は非難を免れない。しかし、それが自分の家族だったらどうだろう?」

「まあ、一般の患者に対してよりは、非難は和らぐだろうね」

「しかも、その患者が黄色人種。つまり『黄色いサル』だったとしたら、非難はより和らぐ---」

「やめて! やめてよ! アンタなに言ってんの? ノミアはモルモットとして引き取られたとでも言いたいの? よくもそんな事が言えるわね! ジョルノ、アンタは最低だよっ!」

「…」

鞠子はうなだれ、沈黙した。

しばらくして、顔を上げて言った。

「どうして、この事を私に話したの?」

「玖口、俺はお前に否定してほしかった。だから話したんだ」

「どういう意味?」

「俺はこの件について、考えない日はない。思い出さない日は無い。そしていつも、この結果にたどり着いてしまう。それが辛かった。だから、誰かに『お前は間違っている・そんなはずはない』と言ってほしかった。真面目な直情型のお前なら、きっと言ってくれると思っていた。救われたよ。ありがとう」

「こんな事でお礼を言われても嬉しくないよっ!」

「すまない」

「じゃあ、ラッティーン博士が心労で亡くなったっていうのは、この件が不安で? 『もしかしたら、バレる日が来るかもしれない』っていう…」

「今となっては、もう誰にも分からない」

「ノミアは、この件は知っているの?」

「いや、知らない。新データを盗用したのは俺だと思っているだろうし、自分が博士に引き取られたのも、完全なる善意だと思っているはずだ。それでいい。彼女の中でラッティーン博士は『素敵なお父さん』であるべきだし、実際そうなんだ。心の底からノミアを愛しておられた」

「知らないままでいるのも、残酷な気もするけど…」

「おっ、おいっ!」

「分かってるよ。流石にこれは言えないよ。でも、どうするの?」

「なにを?」

「ノミアとの将来だよ。あの子、今まで通りに振舞っているんでしょ? つまり、アンタの事を『ソーマ』と認めさせる事を諦めただけだと思う。アンタへの愛情に変わりはないんじゃないの? 諦めたんなら、このアパートはすぐに出て行くはずだからね」

「そうかもしれない」

「ノミアと結ばれるのは、考えられないの? あの子はかなり強引な事をするけど、アンタへの愛情そのものは純粋な気持ちだと思う。結ばれても不幸にはならない…というより、幸せになれると思うよ、二人共ね。私個人としては、ユイさんと結ばれてほしいけど…。二人が積み重ねてきた歴史を考えると、仕方ないかもしれない。ノミアへの愛情はないの?」

「まさか! 恋かどうかは分からないが、家族以上の存在だよ」

「だったら!」

「それはできない。ノミアと俺が結ばれるのだけは、絶対にあってはならないんだ」

「どうして? 確かに結婚となると、ノミアの母親や兄弟からは、厳しい---」

「そうじゃない。ノミアの母親や兄弟に嫌悪されて、冷遇されるぐらいなんともない。ノミアの為なら、それくらい耐えてみせる」

「じゃあ、なにが理由なの?」

「人が死ぬからだよ」

「えっ?」

「数人なんてもんじゃない。数十人・数百人。いや、もっとかもしれない」

「いやいや、おかしいでしょ? なに言ってんの?」

「ノミアと結婚したとする。俺は研究所には戻らないが、ノミアの家族と博士の研究所の人間からは、厳しい感情を持たれるだろう。そして誰かが、この真相にたどり着くかもしれない」

「世間に公表されるかもしれないって言うの?」

「『世界的に称賛された新薬が、盗まれたデータで作られた物だった』。そんな事が世間に知れ渡ったら、クラーレ・ファルマーチの『業績が落ちる』なんて事じゃあ済まないかもしれない」

「経営危機になるかも…」

「クラーレ・ファルマーチは、全世界で二十万人も社員がいるんだぞ。協力会社も無数にある。そこで働いている人には家族がいる。一体何人の人生に悪影響を与えるのか、想像もつかない」

「そ、そうだけど…」

「それ以上に恐ろしいのは、新薬の開発が停滞してしまう事だ。クラファルが開発する薬を待っている人は、世界中にいるんだ。比喩でもなんでもなく、クラファルが破綻したら---」

「薬が完成するまでもたなくて、亡くなる人がでるかも…。数人なんてレベルじゃない」

「風評も考えたら、経済的な意味のパンデミックも世界的に起こるかもしれない。俺達二人の為に、世界中の人達を危険に巻き込めないんだ」

「それじゃあノミアは、『ソーマ』と結婚どころか『本当の再会』もできないし、真相を知る事もできない。それでこのまま生きていけって言うの?」

「そうだ。『北九条 颯真』は、もういなくなった。それで良いんだ」

「良くないよ! なに言ってんだ! アンタ、どれだけ残酷な事言ってるのか分かってんの!」

「ああ…」

「ごっ、ごめんなさい。一番辛いのは、ジョルノだったね。ごめん」

「いや、いいんだ」

「なにか方法がないのかな? なにか…」

「玖口、お前に最後の頼みがある」

「最後…?」

ジョルノはそういうと、白衣の内ポケットから、A七サイズの小さなノートを取り出した。使い込まれているのか、かなり表紙の色が落ちており、シワも多い。

ジョルノは鞠子にそっとノートを渡した。鞠子は恐る恐る、それを受け取った。

「これは、なに?」

「セプロラビィの法則。十七で研究所に入ったが、時々は考えて研究していた。俺なりに考えた法則が書きためてある。まだまだ不十分だが無いよりはマシだろう。玖口の研究に役立ててくれ」

「そんなのできない! アンタの事だから、どれだけ研究を重ねた結果が書いてあるか、見なくても分かるよ。私のプライドがどうとかじゃない。ジョルノの為に受け取れないの!」

鞠子はノートをジョルノに突き返し、ジョルノの右手に無理矢理に持たせた。

ジョルノは言った。

「お前ならできるよ。それに俺の為だと言うなら、受け取ってほしい」

「えっ? どういう意味?」

「俺はもう、薬科研究の世界からは身を引く。もう研究はしないんだ。だから、信用できる研究者である玖口に受け取ってほしい。引き継いでほしいんだ」

「いや、辞める事はないでしょ! なに言ってんの!」

「俺は沢山の人達を傷つけすぎた。その元凶である薬科研究をしていると、精神的に辛くてな。イタリアから日本に逃げてきて四年間。裏の業界なら頑張れると思った。医薬界に影ながら貢献することが、俺の贖罪しょくざいのつもりだった」

「元凶とか贖罪とか、そんな事ないって!」

「だが、無理だったよ。医薬研究をしていると、俺の犯した罪を思い出してしまう。それで患者を救おうなんて、矛盾した行動なんだよ。もう限界かもしれない。心が張り裂けそうだ」

「…私達と出会ったから?」

「ん?」

「私達がジョルノを追い詰めたんだよね。特に私は酷い事ばかり言っていたし。私達がジョルノの苦しみを加速させたんだ」

「なに言ってんだ? そんな訳がないだろう?」

「え…?」

「玖口と丈璃乃さん。ほんの短い間だったけど、二人と過ごした時間は楽しかったよ。俺は孤独な裏世界の薬科研究で疲弊していた。そんな俺にとって、二人は癒しであり・励ましだった。成長しようするキッカケを作ってくれた。ありがとう、玖口」

「ジョルノ、私は後悔しているよ。もっとアンタの事を信用して、良い時間を過ごせば良かった。ふてくされた態度ばかりとってしまって…。もったいない事をしちゃったよ」

「そんな事は無いよ。お前の正義感の強さに、俺は惹かれていた。その強さは、俺には全然無いトコロだから、尊敬していたよ。一緒に時間を過ごせたのは有意義だったし、嬉しかった」

ジョルノはノートを、両手で優しく鞠子の前に示した、

「まだ俺達の仲は終わりじゃない。これは俺の一部だ。このノートを使って、俺達の…いや、医薬界の大きな夢を叶えてくれ。お前ならできるって信じているから、託すんだからな」

「わ、分かった…」

鞠子はノートを両手で受け取った。

「でも、条件があるよ。この条件をんでくれないなら、この頼みは受けられない」

「なに?」

白衣姿の鞠子は言った。

「ジョルノが人生を賭けて頑張ってきた薬科研究の事を、『罪』なんて言わないで。もう絶対に言わないでね。ジョルノの研究が、一体どれだけの人達を救ってきたか知れないんだから。それに、全ての人々を傷つけない選択肢なんて無いよ。少しでも良い選択肢はないか、アンタは悩んで苦しんで、懸命に模索したんだよ。それだけは忘れないでね」

「分かった。ありがとう、玖口。お前と友達になれて嬉しかったよ」

「私もだよ。さようなら、ジョルノ・ヴェロネージ。また会いたいな」

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