12、決着か決別か
三人が会食して十日が経った、十一月二十三日。場所は上内製薬の八階にある生物研究室。今日は日曜日の為、人はほとんどいない。ここに結佳・鞠子・ノミア・ジョルノの四人が集まっていた。四人は向かい合って立っている。
ジョルノは挨拶もそこそこに言った。
「丈璃乃さん・玖口、どうしてお二人はスーツ姿なんですか?」
結佳は言った。
「休日とはいえ会社ですからね。入口には警備員もいますし。私服ではちょっとね」
「そうですか」
黙っている鞠子に、ジョルノは言った。
「お前のスーツ姿、初めて見たよ。似合わないな」
「私は遊びに来たんじゃない。もうお前とふざける気はないんだよ」
ジョルノは寂しそうな表情で言った。
「そうか…」
結佳は鞠子も寂しそうにしている表情が気になったが、ジョルノの方を見て言った。
「ジョルノ先生とノミアさんもスーツ姿ですよね?」
「ええ。同じ理由ですね。会社に部外者が入る訳ですし」
ノミアはあっけらかんと言った。
「アハハ! 私は普通におしゃれ着で行くって言ったら、ソーマさんに止められました。日本でスーツなんて何処で買えるか分からないから、ソーマさんに連れて行ってもらいました。で、帰りにトンカツを食べたんですよ。初めて食べたんですけど、凄い美味しかったんです! ねぇ、ソーマさん?」
ジョルノは表情を変えずに言った。
「そうですね」
ノミアは結佳と鞠子に言った。
「そうだ! 今度四人で行きましょうよ! なんでしたら、この後でも---」
ジョルノはノミアの話を止めて言った。
「ノミアさん、今日は遊びに来たのではありません。お二人とも、せっかくの休日を使って来て頂いているんです。早く終わらせて、帰って頂きましょう」
ノミアは神妙な面持ちになり、二人に頭を下げた。
「あ、そうでした。ここにいらっしゃる三人は、私はみんな大好きだから、一緒にいれたら嬉しいんですよね。だからテンション上がっちゃって。ごめんなさい」
結佳は優しく言った。
「ううん、いいの。二人にとって、良い結果になるといいね」
「はい!」
仕事用の小さな四角いテーブル。二人ずつ並んで、向かい合わせになってパイプ椅子に座った。
結佳・鞠子、ジョルノ・ノミアの組み合わせで、それぞれ横並びに座っている。
鞠子はノミアに向かって言った。
「ノミア。メールでお願いした物は、持ってきてくれた?」
「はい、持ってきました」
ノミアが鞠子に渡したのは、手のひらサイズのパコールチャック袋、通称『チャック付きポリ袋』だ。鞠子は受け取ると、両手で目前に掲げて持ち、透明の袋に入っている中身を見た。
「これがDNAデータの入ったUSBメモリね。どうしてジョルノのデータがあるの?」
「研究室では研究のサンプルとして、DNAのデータが必要になる時があったそうです。それで研究員からデータを集めて、使っていたんですって。そう父が言っていました。今でも残っていると聞いたので、私が手配したんです」
ジョルノがノミアに言った。
「そのデータが、僕のDNAデータだとは証明できないでしょう?」
鞠子はノミアが返事をするのを待たずに、ジョルノに言った。
「確かにそうだよ。でも、今から鑑定する結果がUSBと一致したら、それが証明だよ」
ノミアは嬉しそうに言った。
「へへーっ、さすが鞠子さん!」
ジョルノは残念そうに言った。
「そーですか」
鞠子はUSBメモリの入ったポリ袋を、テーブルにそっと置いた。
そして向かい側にいる、ジョルノとノミアに言った。
「では、ジョルノ・ヴェロネージのDNA鑑定を始めます。ノミアも基本的な知識はあると思うけど、一応簡単に説明しておくね。DNAには、『塩基』と呼ばれる四種類の物質が含まれていて、並んでいます。その順番の事を『塩基配列』と言います。これによって、人間の遺伝子情報が個別に分かります。で、その検体を採取する方法が---」
鞠子はテーブルの上に置いてある、小さなプラスチックケースを指差した。
「この中に完全減菌済みの綿棒が入っています。これで目頭の内側、『涙丘 (るいきゅう)』と呼ばれる部分を、二~三回擦ります」
鞠子が丁寧に説明していたが、ノミアはニヤニヤしていて、頭に入っていない感じだ。
鞠子は少し大きな声でノミアに言った。
「ちょっとノミア! 聞いてるの?」
「あっ、ごめんなさい! 段々嬉しくなってきて、浮かれちゃいました」
「嬉しい?」
「はい。私達二人に大切な事を説明してくれているじゃないですか? まるで役所で婚姻届けの説明を受けている感じがすると言うか。結婚式で神父さんが言う『誓いの言葉』の説明を受けている感じがするというか…。照れてきちゃったんです」
ノミアの言葉に、ジョルノは呆れた表情でため息をついた。結佳はノミアの様子が面白かったらしく、少し『プッ』と吹き出した。
鞠子は結佳に言った。
「ちょっとユイさん! 笑っている場合じゃないですよ!」
「あっ、ごめん! 気にしないで続けてね」
「もう! この件で一番縁遠い私が、一番真剣ってどういう事なんだか…。ともかく、この方法はSTR方法と言って、一番簡単にできて信頼性も高いの。このケースに入っている特殊な綿棒で、涙丘を擦るんだよ」
看護師や介護士が職場で使う、使い捨てのビニール手袋『ナースグローブ』が入った箱の上に、綿棒の入ったプラスチックケースを置いた。そして、それをジョルノの前に置いた。
「はい、ジョルノ。グローブをして、綿棒を持って。先端に手が触れないように気を付けてよ」
「分かった」
ジョルノが手を伸ばそうとすると、ノミアが叫んだ。
「ちょっと待って! ソーマさんがやったらダメだよ! 誤魔化すかもしれないじゃない!」
「そんな、誤魔化すだなんて! じゃあ、どうするんです?」
「私がやってあげる。優しくするから安心してね♡」
鞠子はノミアに言った。
「ジョルノがダメだって言うなら、ノミアだって同じだよ。アンタ達二人はダメ!」
「そんなぁ~。じゃあ誰がするんですか?」
結佳はニコリとして言った。
「キクがしてあげなよ」
「えっ、私が? まあ良いですけど」
「ダメなの?」
「まあ、ジョルノと一番距離がある私が妥当とは思いますが。ノミアも良いよね?」
「はぁ…。私もソーマさんもダメなら、仕方ないです。私がしてあげたかったなぁ…」
結佳は笑顔で言った。
「ごめんね、ノミアちゃん。別にキスする訳じゃあないんだからさ、アハハ!」
鞠子が結佳に聞いた。
「ユイさん、さっきからどうして楽しそうなんですか?」
「だってさ、これは二人にとって大切な事だよ。将来、二人がこの事を思い出した時に、楽しい思い出であってほしいんだよね。『辛い取り調べみたいだった』なんて思ってほしくないの。それにノミアちゃんみたいな可愛い女子が、無邪気で楽しそうにしている姿は癒されるしね」
「そんなものかな…」
ジョルノはノミアの目を見て、真剣な表情で力強く言った。
「ノミアさん。このDNA鑑定の結果を受け入れると約束してください。これで僕が『北九条 颯真ではない』と判明したら、もう僕達は会わない。婚約も解消。それで良いですね?」
ノミアも表情を引き締めて、力強く言い返した。
「いいよ。ソーマさんこそ、これで『自分は北九条 颯真だ』と判明したら、私の事を愛してもらう。結婚してもらう。それで良いよね?」
「分かりました」
二人の会話を聞き終えた鞠子は、ナースグローブを両手にはめて、綿棒の入ったプラスチックケースを手に取った。ケースを開けようとすると、ノミアが話し始めたので手を止めた。
「鞠子さん、このDNAの精度ってどの位なんですか? 百パーセント確実なんでしょうか?」
「百パーセントではないよ」
「えっ? 違うんですか?」
「うん。検査の類いには…いや、医療行為全てにおいて、『絶対に百パーセント』はないからね。でも、失敗する確率は『二万兆分の一の確率』と言われているから、心配いらないよ」
「二兆分の一じゃなくて?」
「違う。二万兆分の一。納得できたかな?」
「アハハ! それなら大丈夫ですね。了解でーす。それとソーマさん」
「なんでしょうか?」
「最後に一応、聞いておくね。この時点で『自分は北九条 颯真』だと認める気はない?」
「なんですか? その質問。認める訳ないでしょう? 颯真じゃないんですから」
「だってさ、結果が出るまで十日くらいかかるんだよ? 結果が分かりきっているとはいえ、その間は気になるだろうし。費用もかかるし。こんな無駄な事は止めてもいいんだよ?」
「いいえ、受けます。キチンとした証拠がほしいんです。僕がジョルノ・ヴェロネージだという確固たる証拠がね」
「せっかくお情けで言ってあげたのに。『確固たる証拠』が手に入るのは私の方なんだけどなぁ」
二人の会話が終えると、鞠子はジョルノに言った。
「じゃあジョルノ、立ってくれる? 座ってたらやりにくいから」
「分かった」
二人は立ち上がり正対した。
鞠子は右手に持ったプラスチックケースを見つめたまま、動かない。
「玖口? どうした?」
「ごめん、ジョルノ。悪かったよ」
「いや、なにを謝られているのかサッパリなんだが?」
「データの盗用の件は、私の倫理的には、どうしても許せない。でも、一時だったけど、気持ちを分かり合えた人に酷い態度を取っちゃった。ごめんね」
「謝る必要なんてないよ。俺はお前が怒ってくれて、嬉しかった」
「嬉しいって?」
「俺、何度か言っているだろ? お前に『単純・正直・アホ』って。あれは悪口じゃあない」
「意味がよく分からないんだけど?」
「『データの盗用』に対して、真っすぐ・ハッキリと怒る気持ちだ。丈璃乃さんみたいに、冷静に物事を俯瞰して、綿密な計画と戦略を練って目標を達成する事は素晴らしいよ。それと同じくらい、自分の信念を第一にして突き進むバカ正直な奴も素晴らしいと思う。だから嬉しかった」
「ジョルノ…」
「その反面心配だった。過去の上司との衝突の件もそう。研究に対する熱意もそうだし。いつかまた、体や心を壊すんじゃないかって。『研究職はアスリートと同じ』って何度か言ったつもりだけど、『忘れたっ!』ってスタジアムで言ってたな。もう覚えておいてくれよ。お前みたいな『突進型の女』も、この薬科研究の世界には必要なんだからさ」
「ジョルノ! お前ホントは、本当は---」
「さ、早くやってくれ。今日は話をしに来たんじゃないんだからな」
「う、うん」
鞠子は両手でプラスチックケースを持ち、動かない。
心配した結佳が聞いた。
「キク? どうしたの?」
鞠子はケースを押し付けるように結佳に渡すと、グローブを取り外した。
「ごめん、私にはできない。ユイさんがやってくれませんか?」
「私? まあいいけど」
結佳はなんの動揺もなく、あっさりとケースを受け取った。そして新品のグローブをはめた。
ジョルノの前に正対すると、ケースから綿棒を出した。
そして上機嫌に言った。
「さぁ~て、さっさとやって終わらせちゃいましょう!」
結佳はジョルノより背が九センチ高い。ジョルノが顔を少し上に向けてくれないと、綿棒を目に当てずらい。だがジョルノは顔を上に向けず、前を見たままだった。
「上を向いてください。ジョルノ先生」
ジョルノは顔を上に向けない。結佳が綿棒を持っている右手を見ていた。
結佳は言った。
「何処を見ているんですか? 早くしてください」
「丈璃乃さん、手が震えてます」
綿棒を持っている結佳の右手が、わずかに震えていた。
「あ、あれ? どうしてだろう? ま、まあこんな慣れない事をさせられてますから」
「声も震えていますね」
「ち、違います! 震えてなんていません! さあ上を向いてください! お願いですから、早く…」
「分かりました」
ジョルノはゆっくりと、顔を上に向けた。
結佳が震える手で綿棒を目に近づけようとした瞬間、大きな声が室内に轟いた。
「だっ、だめぇ!」
そう言った人物は結佳の手を叩き、綿棒が床に転がり落ちた。
ジョルノはゆっくりと、その人物を見た。
結佳は自分の手を叩いた、その人物を見た。
鞠子は呆然として、その人物を見た。
そう。DNA鑑定を妨害したその人物は、弓玀ノミアだった。結佳と鞠子は何が起こったか、分かっていない様子だ。ジョルノは冷静な表情で、微動だにしていない。ノミアは興奮しているのか、肩で息をしていた。ジョルノの胸ぐらを両手で乱暴につかむと、自分に引き寄せた。
「はぁ、はぁ…、もういい。もういいじゃない! こんな事をしなくても、貴方は『北九条 颯真』なんだよ? 間違いないよね? ねぇ! ソーマさん!」
ジョルノは冷静な表情を崩さず、ノミアの目を見ていた。一方、ノミアは涙目になり、正気を失っている表情になっていった。
「なにをそんなにこだわってるの? もうどっちだって良いじゃない。ソーマと呼ばれるのがイヤならジョルノって呼んであげようか? 研究だけしていたいんなら、好きなだけさせてあげる。なんなら働かなくてもいいよ。私が養ってあげる。子供が欲しいんなら、欲しいだけ産んであげる。私だけじゃあ満足できないって言うなら、他に女を作ってもいいよ。あの二人だったら、特別に許してあげる。だからソーマでいてよ! 私のソーマさんを辞めないで!」
ノミアの言葉が途切れると、ジョルノは胸ぐらを掴んでいたノミアの両手を優しく持ち、そっと自分から引き離した。そして悲し気な表情で、手を持ったままで言った。
「ノミアさん、これで決まりました。私は『北九条 颯真』ではありません。ジョルノ・ヴェロネージです。約束通り、受け入れてください」
「そ、そんな…」
ジョルノが手を離すと、ノミアは両手をだらりと垂らした。うつむいて、涙を流し始めた。
数秒泣き続けた後、顔を上げた。涙は止まっておらず、引きつった笑顔になっていた。
「ア、アハハ! ごめんなさい! ちょっと気が動転しちゃった! やろうよ、もう一度。ちゃんとDNA鑑定やろう! ねぇソーマさん! 結佳さん! 鞠子さん! お願いだから!」
鞠子は言った。
「ノミア、もう鑑定の意味はないよ。あんたの今の一連の行動と発言は、自白と同じだから」
「そ、そんな! 結佳さんは違いますよね?」
「私は二人とも思い入れがあるから、どちらかが嘘をついているという状況が辛かった。だから真実を知りたいと思っていたんだけど…。今は、知らなければ良かったと思い始めてる」
「嘘じゃない! 私は嘘なんかついていないんだぁ!」
ジョルノは穏やかに、ノミアに語りかけた。
「弓玀さん。我々は、今回の事は忘れます。だからもう、貴方も忘れて下さい。貴方は若いし・美貌もあるし・サッカーの才能もある。将来的には世界的な会社のCEOでもある。だから、今日が新しいスタートだと思って---」
「止めてよ! そんな言い方! 私はアンタにとって、過去の人間とでも言いたいの?」
ノミアは顔を真っ赤にして、怒りをあらわにした。そして三人を指差しながら言った。
「違う! 嘘つきはお前だ! お前達だ! 私は間違っていないんだぁ!」
ノミアはそう叫ぶと、三人を押しのけるようにして走り、部屋を出て行った。
しばらくの静寂の後、ジョルノは二人に言った。
「すみませんでした、二人とも」
そして、床に転がっている綿棒を取り上げ、テーブルに置いた。
鞠子がジョルノに聞いた。
「ジョルノは、こうなるのが分かっていたの?」
「この場で揉めるのは想定外だったけど、鑑定がUSBと一致しないのは分かっていた」
「何故?」
「俺がイタリアを離れる時、俺の持ち物は全て処分したし、DNAのデータも消去した。そのUSBメモリに入っているのは、恐らく二十代男性の、適当なデータを入れてあるんだろう」
結佳もジョルノに聞いた。
「じゃあ、ノミアちゃんはダメだと分かっていて、鑑定をしようとしたのですか?」
「鑑定をする今日までに、何処かで僕が折れると思った…というか、折れさせるつもりだったんだと思います。弓玀さんはプロサッカー選手、つまり『勝負師』ですからね。トランプや麻雀でいう『ハッタリ』という心理作戦を使っていたんでしょう」
「そして、ジョルノ先生は勝負に勝った?」
「そうですけど…。女性を打ち負かしても、虚無しか残りません」
鞠子は結佳に聞いた。
「私にはユイさんが驚いていない様に見えたけど、気のせいかな?」
「え…? いや、驚いたよ。驚き過ぎて、表情が硬直しちゃったんだと思う」
「そっか、そうだよね」
結佳と鞠子の頭の中には、聞きたい事が色々と浮かんでいたが、ジョルノの沈んだ表情を見ていると聞けなかった。
辛そうな表情で、ジョルノは言った。
「今回は、二人を巻き込んでしまってすみませんでした。勝手を言うようですが、この件はこれ以上聞かないでください。お願いします」
ジョルノは深々と頭を下げた。
その後、鞠子の前に立って言った。
「玖口、少しの間だけでも良いから、お前と研究がしたかったな。それだけが心残りだ」
「心残り? お前、もう---」
「あと、料理は少しでも良いから出来るようになれよ。女だから言ってるんじゃない。栄養管理が出来ないと、研究職は続かないぞ。遠回りのようだが、良い成果を出そうと思ったら、これは必要な事だと思うから」
「ああ…、分かった」
次に結佳の前に立って言った。
「丈璃乃さん」
結佳は目を合わせず、素っ気なく言った。
「あーあ、せっかく楽しいイベントにしようとお膳立てしてやったのに。ダメな男だよね。まぁ、最初に会った時からそう思ってたけど」
「え…? どういう意味でしょうか?」
「だってさぁ、アンタと知り合ってからロクな事がないから。血を吐くような苦労をしてアンタを探し出したのに、スカウトに応じてくれないんだもん。二千万円がパー!」
「その件に関しては、申し訳ないと---」
「その後もイタリア料理食べたり・バッティングセンター行ったり・お酒飲んだり・本屋行ったり…つまらない事ばかりだった。本当に…本当につまらなかった。手料理の焼うどんはメチャクチャに不味いし。あんなに不味い手料理は初めてだったよ」
「…」
「極めつけが、文庫本のプレゼント。私、これまでも男には色々と貢がれてるのね。高価な貴金属やブランド品なんか、山の様にもらったよ。それに比べたら、アンタのプレゼントが一番酷かった。ビックリするぐらい嬉しくなかった。『こんなにも私の気持ちが分からない男がいるんだ』って…感心したもん。『この日の事は一生忘れない』なんて、一ミリも絶対に…思わなかった」
「ごめんなさい」
「全然いいよぉ~。だってもう終わりだもんね。悩みの種が一つ減って嬉しいな」
「僕は楽しかったです」
「は?」
「丈璃乃さんと過ごした時間です。僕は楽しかったです」
「そっ…、それは当然だよ。私は仕事としてやったから。接待だったから。『ホステスさんと話していて楽しかった』と言っているのと一緒だよ。そこを分かっておいた方がいいよ」
「それでも良いんです。僕の中では良い思い出だから」
「まっ、まあ、どう思おうとアンタの勝手だけどね」
「あの---」
「早くノミアちゃんを追いかけたら?」
「え?」
「颯真でもジョルノでも、もうどっちでも良いでしょ? あの子と結ばれたら、地位も名誉も財産も、なんでも思いのままだよ。早く行きなって」
「どういう意味でしょうか?」
結佳は眉間にシワを寄せ、ジョルノの目を見て言った。
「私が迷惑してるって言ってんの。アンタ最近、私の事を色目で見ているでしょう? ウンザリしてたんだ。エリートサラリーマンならともかく、アンタじゃねぇ」
「僕だと、どうなんでしょう?」
「分かんない? アンタみたいなニート同然の犯罪者まがいの男なんか、願い下げだって言ってんの。女のエスコートは出来ないし、話も全然面白く無い。背も低い。もう最悪」
鞠子が結佳に叫んだ。
「ユイさんどういうつもりよ! なにを変な悪役キャラみたいな事を言ってんの? ノミアは気の毒とは思うけど、自分から言った約束でこの場を去ったんだ。ジョルノとユイさんが結ばれたって、なんにも後ろめたい事なんてない。だから止めてよ!」
「いや、違うって。これが私の本心だよ」
ジョルノは悲しそうに言った。
「いつから、そう思ってたんですか?」
「初めて会った日から、今・この瞬間までだよ」
「言ってほしくなかった」
「は?」
「DNA鑑定の結果がどうであっても、今日で僕はお二人の前から姿を消すつもりでした。だから言ってほしくなかったです」
「私は言って良かったって思ってるよ。勘違いされたままで、また私の元へ現れるんじゃないかとヒヤヒヤするのは嫌だからさ」
「そんな…」
ジョルノの目から涙があふれ、頬を伝った。
それを見た結佳は吹き出した。
「プッ! 泣いてんの? 女の涙は可愛いけど、男は最悪。男なら涙ぐらいこらえなさいよ」
ジョルノはそう言われると、涙目のまま結佳をにらんだ。
その様子を見た鞠子が、二人の間に割って入った。
「もう止めて! とにかく、今二人が揉める理由は無いんだから、止めて!」
鞠子が間には入ったが、鞠子越しに、ジョルノと結佳はにらみ合っている。
鞠子がジョルノに聞いた。
「アンタが今日、私達の前から去るって言うなら、それでもいい。でも一つだけ教えて」
「なに?」
「アンタ、本当は何者なの? 『北九条 颯真』なの? 『ジョルノ・ヴェロネージ』なの? 『薬科研究者』なの? 『ノミアの恩人』なの? なにも分からないよ」
「どれでもない。俺は、ただの『罪人 (つみびと)』だよ」
「罪人って?」
「人から大金を巻き上げる。データを盗む。嘘ばかりつく。女を打ち負かす。人を死なせた事もある。そういう人間って意味だよ」
「そんな!」
「どうやら、それにもう一つ罪が加わりそうだ」
ジョルノは右手で鞠子の左肩を強くつかみ、力任せに左に押して、鞠子をどかせた。鞠子は勢いよく倒れて、尻もちをついた。
ジョルノは数歩前に進み、結佳の目前に立つと言った。
「こんな話を聞いた事がある。最近では、レディーファーストは差別的な行動だそうだ」
「なんの話?」
「レストランで女にワインをついだり、コートを受け取って畳んだりするのは差別的な行動なんだとよ。女だからって特別扱いするのは良くないそうだ」
「いやだから、なんの話をしてるの?」
「ワイングラスが空だろうと、持っているカバンが重そうだろうと何もしない。女に気遣いをしない男が正しいそうだ。『男女を平等に扱っている』って。異様な世の中になったよ」
「なにが言いたいの?」
「性別に一切の差をつけないなら、女でも殴ってもいい訳だ」
「そうだねぇ、いいんじゃない? いっそ握り拳で思いっきり振り抜いたら?」
ジョルノの右手が握り拳になり、震え始めた。鞠子は床にへたりこんだまま叫んだ。
「ジョルノ! バカな事は考えないで! ユイさん! ジョルノは本気だよ! 危ないから逃げて!」
「いいよ。パンチ一発で縁が切れるんなら、安いもんじゃない?」
「ユイさん!」
結佳は覚悟を決めた表情で、ジョルノに言った。
「さっさと済ませてよ。さぁどうぞ」
「じゃあ、遠慮なくやらせてもらう。これが俺の気持ちだ。思い知ってくれ」
ジョルノは結佳の目前に立っていたが、さらに一歩近づいた。二人の距離は十センチもない。
ジョルノは背伸びをすると、両手で結佳の肩を軽くつかんだ。次の瞬間、結佳の吐息が漏れた。
「あ…」
ジョルノは、結佳の左頬にキスをした。五秒ほど、唇を離さなかった。結佳も振り払おうとはしなかった。
ジョルノは結佳の頬からゆっくりと唇を離すと、小さな声でつぶやいた。
「さようなら、結佳さん…」




