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7. 呪印を見る

少し長めです。

 

 セディアスはネフェリアに因縁をつけて転んだ一件のあと、ネフェリアに接触することはなくなった。ただネフェリアの悪い噂を流しているようで、セディアスと交友関係にある生徒から冷たい視線を向けられることがあった。


 休日。ネフェリアは自室のテーブルに皿を並べて、食事前の祈りを捧げる。

「盛り付けも豪華になったね」

 ベルゼは感嘆の声を上げた。下味をつけた鶏肉を蒸して、少し辛い香味のたれを作った。

 プロには遠く及ばないが、褒められるとやはり嬉しい。

「すごく柔らかくて美味しい」

 食事を口にしたベルゼが顔を綻ばせる。ネフェリアの手料理に関して、ベルゼは褒めることばかりするので、作り甲斐がある。


 ネフェリアもその様子を満足して眺めてから一口食べる。

「うん。美味しい」

「ご主人様」

 顔を上げると、ベルゼがネフェリアを真剣な目で見つめていた。

「ありがとう。おかげで体がだいぶ楽になったよ」


「え、あ、うん…」

 ベルゼに礼を言われるのは滅多にないことだった。どうにも気恥ずかしくなって、視線をさまよわせた。

 未来視をする前は、二人の関係はそれほど良好ではなかった。ネフェリアは癇癪を起こすたびに、ベルゼに無理難題を突き付けた。ベルゼはそれを適当に躱して、逃げ回ることが常だった。ネフェリアの行いに苦言を呈して、正論を突き付けて、いつもネフェリアの神経を逆撫でした。

 それが今ではお互いに軽口を叩いて、困ったときには相談をして、一緒に食事をとる。今のベルゼとの距離が、心地よい。

 秘密を共有する、理解者がいる状況は、とても心強い。

(私も、ベルゼがいてよかった)


 関係が変わったのはネフェリアが感情を抑え、接し方を工夫したからだ。ベルゼが特段変わったわけではない。ベルゼだけでなく、屋敷の使用人や学校の友人とも距離が近くなった気がしていた。自分の心掛けひとつでこんなにも変わることがあるのかと、ネフェリアは身に沁みて感じた。


 一方で、気に掛かったことがあった。


「ねぇ、ベルゼ」

「ん?」


 ネフェリアは、以前から疑問に感じていたことを口に出して聞いてみた。

「ベルゼにかけられた呪いってどんなものなの?」

 ベルゼが食事の手を止めて沈黙する。視線が宙をさまよっていた。話すかどうか、迷っているように見える。ネフェリアは急かさず返事を待った。


「…呪い自体は、色々と種類はある」

 どうやら話すことにしたらしい。ネフェリアは頷いて、先を促した。

 以前のネフェリアが相手なら、聞いてもまともに答えてくれなかっただろうと、なんとなく思った。

「俺の場合は体内を巡る魔力経路の中に、異物である呪いの因子が混ざって、体の中でほかの魔力の要素と繋がるんだ。そのことが体の組織の暴走を招いて……」

「…………へ~」


 色々と説明を受けたが、話が半分も入ってこなかった。わかったような、わからないような顔をするネフェリアにベルゼがうーんと唸った。


「体の中から攻撃を受けているイメージかな。常にどこかしら痛みがあって、頻繁に体中に激痛が走る」

「激痛ってどのくらい?」

「どのくらいって言われても。……とても起き上がれないくらいだね」

「起きているじゃない」

 ベルゼが嘘を言っているとは思わない。いつも体調が悪そうではある。ただ、激痛に耐えている印象はなかった。


「そりゃあ、魔術で痛覚をごまかしているんだよ。じゃないと普通の生活なんてできない」

「……そう」

 口の端が引きつった。軽く言ってはいるが、ベルゼだからこそできる芸当だろうと思えた。魔術に疎いネフェリアでもわかる。ときおり、こうして規格外の言動をする使用人に頭痛を覚えることがある。


「痛覚を抑えた影響で他の感覚も鈍くなって、味覚もなくなってたな」

「……」

 食べようと持ち上げたスプーンが中途半端な位置で止まる。味覚がなくなっていたことは知っていたはずなのに、今、改めてショックを受けている。


(私……今まで何もわかろうとしなかったわね)

 それどころか、冷たく虐げていた。差し迫った事情があるのに、もったいぶり、治癒の力を取引材料として扱った。


(でも、最初飲み物だけでいいとか、余裕があったわね?)

 思い返して、ネフェリアは小さく唸った。


 曇った表情のネフェリアを気遣い、ベルゼが微笑んだ。

「ご主人様のおかげで今は痛みがだいぶ引いたし、痛みを感じる時間も少なくなっているよ」

「そう……。よかった」

 ネフェリアは少しほっとして、暖かいスープを口に含んだ。


「ところで、呪いの元となるものが体のどこかにあるんでしょう? 経過をこの目で見たいわ。見せてくれる?」

「……」

 少しの沈黙のあと、ベルゼは首を横に振った。


「……やだ」

「やだ、じゃないでしょ。見ないことには効果を実感できないわ」

 ネフェリアはテーブルに手をついて前のめりになり、ベルゼに詰め寄った。


「恥ずかしいから見られたくないんだって」

 ベルゼは皿とカトラリーを持って体を逸らした。相変わらず食い意地が張っている。

「ベルゼにも羞恥心なんてものがあったのね」

 じろじろとその様子を眺めながら、ネフェリアはわざとらしく驚いてみせた。

「ケンカ売ってんの?」

 ベルゼの視線が鋭くなる。

「ただ純粋に驚いただけよ」

 椅子から立ち上がって、ネフェリアは場所を移動した。それから長椅子に腰かけて、隣の空いたスペースをぽんぽんと叩いてベルゼを促した。


「……はぁ」

 引き下がる気のないネフェリアを見て、ベルゼは皿をテーブルに戻し、諦めて立ち上がった。長椅子に座って無造作に衣服に手をかけた。


(あ、そうか)

 体に何かしら印があるということは、服を脱いで肌を見せなければならない。


(私、はしたないことを頼んでしまったかしら)

 なぜ思い至らなかったのか。なんの恥じらいもなく服を脱げと言ってしまった。

 内心焦ったが、今さら引くに引けない。俯き、どきどきしながら衣擦れの音を聞いた。


(男性どころか、人の肌を見ることなんて、滅多にないわ)

 羞恥心が湧いてきて、頬が熱くなる。


「はい」

 ベルゼが後ろを向いて背中を露出させる。ネフェリアは躊躇いつつも顔を上げ、ハッと息を呑んだ。ベルゼの背中にはびっしりと印が浮き出ていた。印のひとつひとつが禍々しい気配を放っていて、魔力をあまり持たないネフェリアにもはっきりとした圧が感じられた。呪いの影響で体はやせ細っていて、骨が浮き出ている。

 痛ましい姿にネフェリアは言葉が見つからず、手で口を覆った。

 ベルゼが背中を向けたまま溜息を吐いて、肩を落とした。


「絶対に引かれるから、見られたくなかったんだって……」

「そういうわけじゃ」

 ネフェリアは否定したが弱々しい声だった。動揺を誤魔化すように近付いて、おそるおそる背中に触れた。


「っ」

 ひやりとした感触に驚いてベルゼが飛びのく。じろりとネフェリアを睨み付けた。

「なんで触るの」

「え…っと」

 ベルゼは距離をとりながら脱いだ服を着直して、分厚いローブを羽織った。不機嫌に唇を尖らせる。



「痴女」

「え?」

(ちじょ? ……って……)

 一瞬、思考が止まる。言葉の意味を理解するまでに少し時間を要した。

(……痴女?)


「……なんですって!?」

 ネフェリアは憤慨して近くにあったクッションを掴んだ。それをベルゼに投げつける。ベルゼは難なくそれを受け止めた。



「落ち着いてって……。そんなふうに不用意に人に触るものじゃないよ」

 ベルゼは手当たり次第に物を投げようとするネフェリアの腕を掴んだ。そして、そのままネフェリアを近くに引き寄せた。

「ほら、逆の立場だったらいやでしょ」

「……」


 ネフェリアの肩から、さらりと髪が滑り落ちる。困り果てた表情で、ベルゼの灰色の瞳がネフェリアを捉えていた。

(別に嫌ではないけれど)

 ベルゼに迫られたところで、何の危険も感じない。忌避感もない。妙な安心感があった。掴まれた腕も痛くないように力加減をされていた。薬品のような匂いがしたが、不快に思わなかった。


 至近距離で、無言のままお互いに見つめ合った。


 先に目を逸らすとベルゼの言い分を認めたようで、癪に障る。

(ベルゼに触られるのは嫌じゃないし、私は痴女ではないわ)

 ネフェリアは間近に迫るベルゼの顔を見つめ続けた。


 呪いの効果が弱まっているおかげで、最近のベルゼは身だしなみに気を配る余裕があるようだった。以前のボサボサ頭から見違えていた。目の下の隈は以前より薄くなっていて、灰色の瞳には以前にはなかった生気が宿っている。見慣れたはずの顔が、知らない誰かに思えた。


 ネフェリアは自ら距離を縮めて触れる寸前まで近付く。意表を突かれ瞬きをしたベルゼが可笑しくて、口元を緩めた。



「……確かに、慎みに欠けていたわ」

 ネフェリアは、ようやく素直に自分の非を認めた。相手が嫌がっているなら、なおさらである。

 それに扉を開けたままにしているとはいえ、ベルゼとネフェリアは部屋に二人きりだった。今の状況をほかの誰かに見られたら、誤解される可能性は十分にある。ベルゼが目を伏せて安堵の息を吐いた。拘束されていた腕が解放される。距離をとって、ネフェリアは迂闊な己の行動を反省したものの、不満が残った。


(私は嫌じゃないのに)

 顔にかかった髪を掻き上げた。ベルゼがネフェリアに触れられることを嫌がるのは、不公平ではないだろうか。同時に、少し、寂しくも感じた。


(ベルゼのくせに)

 胸の奥がもやもやとして、言い知れない苛立ちが湧いてくる。ベルゼが触れていた部分が、熱を持っていた。 


「あと、呪いのなかには、さわると移るものがあるから。慎重にしないと」


「それを早く言いなさいよ」

 ネフェリアは、途端に顔を青くさせた。呪印が移っていないか、慌てて自分の手をくまなく確かめた。

「俺の罹っている呪いは、人に移る類のものじゃないけど」

「それを早く言いなさいよ!」

 ネフェリアはまた癇癪を起こした。



「少し魔術をかじっている人間なら、知っていて当然なんだって…。学校で習ってないの?」

「そんなの知らないわよ!」

 ネフェリアは魔術の授業を真面目に受けていない。そもそもベルゼの言う魔術と、この国の魔術のレベルには大きな隔たりがある。ベルゼの”当然”は、当然だった(ためし)がないのだ。


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