6. セディアスの糾弾
翌週、ネフェリアは学校で授業を受けていた。
屋敷でネフェリアの力を検証した結果、水だけでも多少の効果はあった。レモンを絞ってレモン水を作ったり、紅茶を淹れたりした。さんざん使用人の真似事をして疲れた。しかしその甲斐あって、手間をかけた分だけ回復や解呪能力が高まることがわかった。ベルゼに罹った呪いは強力なので容易に解けることはないが、痛みや進行を緩和する作用が見られた。
侍女がネフェリアに入れた紅茶を、ベルゼが口に含んだときは驚いた。ネフェリアの飲みかけを拝借したのである。ベルゼ曰く、少し味がしたらしい。品のない話だが、ネフェリアの唾液が含まれていたことで効果があったようだ。
じゃあ、口付けしたらどうなるの、という疑問が喉元まで出かかった。
(血迷ったことを……私ったら、何を言おうとしていたのよ)
首をぶんぶんと振って余計な思考を追い出す。試したいと言われたら、もちろん拒否するつもりであった。魔術オタクのベルゼならそのうち言い出しかねない。
『ご主人様の手料理を一度食べたら、ほかのものなんて食べられなくなる』
ベルゼの言葉を反芻してネフェリアの胸が高鳴る。ベルゼの懇願は本当に口説き文句のようだった。
熱の宿る眼差しに勘違いしそうになって、茶化す言葉も少し震えた。
(ベルゼが紛らわしい言い方をするから)
紛らわしい言い方をして、思いもよらない行動をとる。そのせいで、ネフェリアの思考がおかしな方向へ向かってしまう。思い返していると、だんだんと腹立たしさが芽生えて、屋敷に戻ったら本人に文句を言おうと決めた。
「ネフェリア。話がある」
授業が終わって教室から出ると、珍しくセディアスがネフェリアに話しかけてきた。ネフェリアは眉を顰め、警戒を露わにした。
(始まったわね)
ネフェリアを見るセディアスの顔は険しい。婚約者と親交を深めようなどという意図は感じられない。おおかた、浮気相手を虐めたとなどと、難癖を付けて責める気だろう。
「平民の女子生徒を虐めているらしいな」
セディアスはさっそく話を切り出した。場所を移すこともせず、周りの反応を窺いながら、大きな声でネフェリアを糾弾し始める。
「どういうこと?」
まったく身に覚えがないので、本気で聞き返した。妙な嫌疑をかけられては困るので、徹底的にジョゼには接触しないようにしていた。セディアスは、目撃した者がいる、本人は泣いていた、などとネフェリアからすれば戯言をつらつらと垂れ流した。
「僕の態度が気に入らないからといって。周りに当たるのは違うんじゃないか?」
セディアスの口ぶりは困った婚約者を諭すようなものだった。
「確かに……最近の私は苛立っていたかもしれないわ」
セディアスの言葉を素直に受け止める。ここのところ、校内で頻繁にセディアスと喧嘩をして、醜態を晒していた。
「随分と素直に認めるんだな」
(認めていないけど?)
間髪を容れずに、心の中で突っ込む。
勝手に決めつけないでほしい。
「平民を虐めた覚えはないわ。ただ、態度の悪さについてなら、すぐにでも改善する方法があるわよ。私の苛立ちを消す簡単な方法がね」
セディアスは怪訝な顔でネフェリアを見遣った。
「あなたが軽薄なことをしなければいいのよ」
にっこりと、不敵な笑みを浮かべる。
「確か、あの平民の女子生徒はジョゼといったかしら。ねぇ、セディアス。私が気付いていないと思っているの?」
ギャラリーがいる中、あえて詳細な内容はぼかした。
周囲は勝手に想像を膨らませる。それもネフェリアが望む方向に。
「わかるかしら? あなたの軽はずみな行動のせいで私は傷つき、苛々していたの」
ざわざわと周りから好奇の目線が向けられる。聞こえてくるのは、戸惑いと共感の声。浮気の真偽を疑う声も勿論あるが、セディアスは一方的にネフェリアを非難するつもりであったので、思わぬ事態に狼狽えた。
セディアスが煽ることでネフェリアがいつものように怒り喚き、そうして、セディアスかほかの誰かがネフェリアをなだめる。いつも癇癪を起こす短慮な人間だと周りに印象づけるつもりだった。ネフェリアが冷静に受け答えしているせいで、セディアスの目論見は崩れた。
セディアスは舌打ちをしてネフェリアに近付いた。
「やれやれ。またいつもの早とちりで、なにか勘違いしているのか? 少し向こうへ行って話そう」
物腰は柔らかかったが、セディアスはネフェリアの腕を強く掴んで物陰へと引っ張っていった。
「いたっ…! 痛いわ、セディアス。乱暴にしないで」
ネフェリアはおおげさに痛みを訴えた。傍から見れば、セディアスの印象は良くないだろう。ネフェリアはひっそりとほくそ笑んだ。
建物の陰に辿り着いたところで、セディアスはネフェリアの腕を離し、振り向いた。ネフェリアは乱暴に掴まれて痛めた腕をさする。さきほどのギャラリーも遠巻きに窺っていた。
「僕を貶める気か」
「あなたこそ。先ほどのあなたの言いがかり、身に覚えのない私には十分不名誉なものだけれど?」
ネフェリアは頬に手を添えて、わざとらしく首を傾げた。
「たかだか平民相手に嫉妬して見苦しいとは思わないのか」
セディアスはネフェリアの反論に耳を貸さず、腕を組み鼻で笑ってネフェリアを見下す。
(だから話を聞きなさいよ)
一方的に決めつけて気分が悪い。
「浮気を認めるのね。でも、あなたのことで嫉妬するなんて情を、私はもう一切持ち合わせていないの。いい加減愛想が尽きたわ。だから、ジョゼさんに辛く当たることもないわ」
「強がりを言うのはよせ。素直に皆の前で謝ればいいだけだろう」
「……はぁ」
自分の浮気を棚上げにして、ネフェリアに謝罪を要求するなど信じがたい。どこまでも話が通じないことに、ネフェリアは疲労感を覚えた。
「セディアス。わたしたち、婚約を解消しましょう」
「何をいきなり……話を変えようとするなんて…」
ネフェリアの唐突な発言を笑い飛ばそうとして、セディアスは動きを止めた。ネフェリアは真剣な眼差しでセディアスを見つめている。
「…………本気か?」
セディアスが狼狽して、組んだ腕を下ろした。
「婚約者を蔑ろにする人に尽くすのは、時間の無駄だと気付いたのよ」
浮気の証拠を集めて、父に報告して、こちらから婚約破棄させてもらうつもりだった。男の浮気を是とする父ではあるが、いかに娘が蔑ろにされているかを訴えれば勝機はある。家も軽んじられていることと同義だと突きつけてやればいい。絶対に引き下がるつもりはなかった。
「家同士が決めたことを、そう簡単に覆せると思うなよ」
「試してみないことにはわからないわ」
話は終わりね、と背を向けるとセディアスが後を追ってきた。
「待てよ。ちょっと遊んでいただけだろう。随分と狭量じゃないか?」
予知夢の中では、セディアスはジョゼと真実の愛を育んだと主張していたが、なぜか今はネフェリアに追い縋ってくる。
どちらにとっても良い話だと思うが、ためらう理由でもあっただろうかとネフェリアは不思議に思った。そんなことより、今は早く帰って新しいメニューを試したい。ベルゼが魔道具を使って具体的に力を数値化できるようにするらしい。ネフェリア自身も、自分の力のことを知れるのは楽しみだった。
「待てと言って……っ」
ネフェリアの肩を掴もうとして、がくんと不自然に動きが止まった。セディアスはバランスを崩し、その場で派手に転んだ。
驚いてネフェリアが振り向く。
「大変。大丈夫? 先生を呼んできましょうか?」
前屈みになり、心配を装って優しく語りかける。内心はいい気味だと思っている。
遠巻きにこちらの様子を窺っていた生徒たちからクスクスと笑い声が漏れた。
「~っ!!」
セディアスは顔を真っ赤にして慌てて立ち上がり、ネフェリアを睨み付けてから瞬く間に走り去っていった。
その背中を見送ったあと、ネフェリアはようやく安堵の息を吐き出した。自分でも気付かないうちに、緊張していたらしい。それから地面に向かって囁いた。
「ありがとう」
さきほど一瞬だったが、影が伸びてセディアスの足を掴むのが視界の端に見えた。
地面に伸びる影に向かって微笑むと、応えるように影が左右に揺らめいた。




