5. ロイナの怒り
ロイナ視点になります。
(いい加減、思い知らせてやらないと)
ロイナは意気込んで、校舎の渡り廊下を進んでいた。
(ネフェル。あのとき泣いていたわ)
ロイナは予てから婚約者との仲に悩んでいたネフェリアに助言した。セディアスに手作りの菓子や弁当を渡すようにネフェリアを促した。しかし、結果は芳しくなかったようで、先日ネフェリアと会ったとき、その目元は腫れていた。その後、詳しい話をネフェリアから聞いて、ロイナは憤った。
ロイナは自分で助言したことが失敗に終わった罪悪感と、浮気者たちへの怒りに包まれた。
平民階級の生徒が集まる教室へと向かった。今は休憩時間中で、教室内はがやがやとして賑やかだった。
ロイナは教室の入口近くにいた生徒に頼み、目当ての人物を呼んでもらうことにした。ロイナの目的の人物はジョゼである。
「ジョゼさん。あちらの方が、あなたをお呼びよ」
そう声をかけられて、ジョゼがロイナの方を振り向く。椅子から立ち上がり、教室の入口へとやってきた。近くにいた生徒たちは何事かとその様子を目で追っていた。
ロイナの前に立ったジョゼは落ち着かない様子でロイナを上目遣いに見た。
話があるから来てほしいと告げると、ジョゼはおとなしくロイナのあとを付いてきた。
人気のない建物の裏に来たところで立ち止まり、ジョゼを振り返った。
「あの……。私になにかご用でしょうか」
ジョゼはおどおどとして、ロイナを見上げていた。
「セディアスと会うのはやめなさい」
ロイナは腰に手を添え、単刀直入に用件を突き付けた。
「なんのことですか…?」
ジョゼは最初、わからないふりをしていたが、事細かに目撃した逢瀬の様子を伝えると顔色を悪くした。
「セディアス様がどうしても会いたいとおっしゃるから…。私からは断れません」
「だったら私も一緒にセディアスに言ってあげる」
「……無駄だと思います」
ジョゼは一度俯き、胸の前で両手を組んだ。それからロイナを見上げる。
「セディアス様は、私を愛していらっしゃるから」
ジョゼは先ほどまでの大人しい様子から一変していた。頬は上気し、口の端は吊り上がっていた。大きな瞳はロイナを蔑んでいて、勝ち誇った顔をしていた。
ロイナは逢瀬の様子から、図太い神経の持ち主であろうと確信していたので、ジョゼの豹変にもさして驚かなかった。
「あなたじゃ身分が釣り合わないし、そもそもセディアスは婚約しているのよ」
ジョゼは体をくねらせつつ、ロイナに反論した。
「でも、浮気されるほうにも問題があると思います」
「ふぅん? 浮気者の最低な言い分ね?」
本性を現し始めたジョゼはとても不快で、ロイナは片眉を上げた。
ジョゼはロイナの上から下まで、ジロジロと不躾な視線を送った。
「だって…可愛げがあるほうが、好かれるでしょう」
ふっと口の端を上げて嘲笑う。
カッとロイナの頭に血が上った。一歩、ジョゼに近付き、手を振り上げる。
ジョゼはとっさに固く目を閉じて体を強張らせたが、口元は笑っていた。
次の瞬間、振り下ろそうとした腕を背後から掴まれる。
「!?」
肩越しに振り向くと、見知らぬ男がロイナの腕を掴んでいた。
「やめなさい。平民相手といえど、暴力沙汰は君の評判に関わる」
この国ではあまり見かけない肌の色に、黒い髪。痩せぎすで、くたびれた黒いローブを羽織っていた。
眼鏡をかけたその青年は、王立学校の教師であることを示す徽章を胸につけていた。
ロイナが落ち着いたのを見計らい、教師は掴んでいた腕を離した。
「ありがとうございます。私、怖かった…」
うるうると瞳をうるませ、肩を震わせながらジョゼは礼を言った。
か弱い小動物のように小さく震え、涙を溜めて上目遣いに見る姿は庇護欲をそそる。
(こういう女に弱い男って結構多いのよね)
ロイナは心配になって、教師を横目に見た。
いくらロイナが暴力を振るおうとしたからといって、ジョゼの肩を持たれてはかなわない。
「言っておくけど、君の身分で貴族に喧嘩を売るなんて、本来は無事じゃすまない。立場を弁えて、火遊びもほどほどにしないと痛い目を見るよ」
ジョゼとロイナの会話の内容を把握していたらしい。その教師は冷ややかな眼差しでジョゼを見下ろしながら、淡々と忠告した。
ロイナはほっと胸を撫で下ろした。
ジョゼは涙を流しながら震えた声で食い下がった。
「でも、先生。私、怖かったんです。突然呼び出されて、脅されて」
ジョゼはわっと両手で顔を覆う。
教師はジョゼの言い分にまったく動じなかった。
「言い訳はいらない。いつまでも泣いていないで、教室に戻りなさい」
教師は泣きながら訴えるジョゼを無情に突き放す。なかなかの冷血漢だ。両手で顔を覆っていたジョゼが、指の隙間から教師を睨み付けていた。俯いているので教師からは見えないだろうが、隣にいるロイナにははっきりと見えた。
(器用な人ね)
予想通り、泣いていたのは演技だった。ロイナは呆れて言葉も出なかった。
ジョゼはだれか援軍が現れるのを期待してか、泣きながらチラチラと周囲を窺っていた。普段、人気のない場所ではあるが、まったく人が通らないわけではない。しかも、ちょっとした騒ぎになっている。だが、誰も気付かないのか、不思議と一人も通らなかった。
「幼子でもあるまいし、ひとりで戻れるよね」
辛辣に追い打ちをかける声は冷え冷えとしていた。
「…っ」
微かにジョゼの舌打ちが聞こえた。ジョゼは泣き落としが通用しないと見るや、何も言わず背中を向けて、建物に向かって小走りに駆けていった。
「ロイナ嬢」
ロイナは目を丸くした。教師は名乗ってもいないのに、ロイナの名前を知っていた。
「平民を脅してくれって、誰かに頼まれたの?」
ジョゼに向かっていた辛辣な視線がロイナにも向けられた。貴族の立場を重んじるタイプかと思ったが、そうでもないらしい。ロイナは身を固くした。
「……違います。でも私は友人の、ネフェルのために…」
「何か問題が起これば困るのは君じゃなくて、その友人だよ」
「私、そういうつもりじゃ」
「当人や家同士の問題だ。頼まれもしないのに、出しゃばるのは感心しない」
ロイナは下を向き、スカートを握りしめ、下唇を噛んだ。
「なんとかしてあげたいと思う気持ちは、わかるよ」
違う、と思った。
ネフェリアのためと思ったその気持ちは嘘ではない。けれど。
胸の内を支配していた感情の正体がわかって、ロイナは肩を落とした。
ロイナは項垂れたまま、黙っていた。
「君も早く教室に戻りなさい」
ロイナを促す声音は幾分か和らいでいた。顔を上げると、穏やかな灰色の瞳と視線がぶつかる。ロイナは再び頭を下げた。
「その……ご迷惑をおかけしました」
「はいはい」
肩を竦め、面倒くさそうに返事をして、教師はロイナを促した。
「…あんな先生いたっけ」
教師に促されるままに歩き出したロイナは自らの記憶を辿ったが、該当する顔や名前が思い浮かばない。しかし相手はロイナのことを知っていた。
人に指図することに慣れていた様子だったから、間違いなく上の立場ではありそうだ。だとすると、学校の関係者だろうか。
確認のために振り向くと、もうその教師の姿は見えなかった。




